何が起こるかわからない

奄美から広島へ引っ越し、のどかな場所に一軒家を借りて暮らしている。その家のお隣の家は、高齢者2人住まいで、今は町に住んでいる家主さんから、この家の旦那さんは病気されてねぇ、と聞いていた。

引っ越しの挨拶に奄美土産を持っていくと、やさしそうなおばさんが出てきた。会うたびに挨拶をしたり、おばさんが車で出かける様子をよく拝見していた。そして毎日近所をウォーキングする旦那様も拝見していた。病気をした影響か、両手に杖を持ち、視線は常に足元、一歩一歩、ゆっくり確実に歩く、と言う感じで、目にするたびに、おじさん頑張れ!と応援してしまうような光景だった。

この家に引っ越して3か月くらい経ったころ、おばさんを見かけなくなった。ずっと車もない。近所の方に尋ねてみると、おばさんは入院された様だ。それから1か月、2か月くらいして、おばさんは退院されたようで、家の縁側の椅子に座っているのを見かけた。もう車を運転されない様だし、外に出る姿も見ない。

ある日、おじさんとおばさんがお2人でウォーキングされているのを見かけた。いつもはおじさんお1人なのに、その日はおばさんも一緒だった。おばさんもおじさんと同様両手に杖を持っていた。おじさんが一歩一歩確実にゆっくりでも進んでいるのに比べ、おばさんは、力なく、ふらふらされていて、おじさんがゆっくり歩いていくのにも全然ついてゆけない。これがおばさんが外にいる姿をみた最後の日だった。

引っ越し当初は、元気なおばさんと、病気をした体が不自由なおじさん、だったのに、今では、おじさんの方がだんぜん元気に見える。今日もゴミ出しの際に、ウォーキング中のおじさんに挨拶した。

いつ何が起こるかわからないね、人生は。体が資本だから、健康には気を付けたいなと思うこの頃。

カメちゃん、赤ちゃんの先生になる

奄美時代の友人が赤ちゃんを産んで、うちの近所で開催されるイベントに赤ちゃん連れで来るというので、カメちゃんと一緒に会いに行った。

第二子であるカメちゃんを生んでもう11年。生まれて2か月という赤ちゃんに触れるのは久しぶりだった。カメちゃんも周りに赤ちゃんはいないから、初めてあんな生まれてすぐの赤ちゃんとの対面だった。

カメちゃんにとって、赤ちゃん、がとても不思議な生きものだったみたいで、反応がとっても面白かった。まず、赤ちゃんがとにかく何もできないことに新鮮に驚いていた。ずーっと手や足をバタバタ動かしているのを不思議そうに見ていて、ぷにゅぷにゅの足を触りながら、「筋トレが必要だね」と言っていた。その後足の屈伸運動させて筋トレをさせていました。

手をバタバタ動かすものの、まだ自分から掴むことはできない赤ちゃん。よだれかけで赤ちゃんの顔を覆って、赤ちゃんの動きを観察。赤ちゃんは必至で顔をぶんぶん動かしてよだれかけを除ける。それを何度か繰り返して、カメちゃんは、「手を伸ばして、これを掴んで、のけるんだよー」と手をよだれかけに持っていく。うまく掴めない赤ちゃんを見て、下手だなぁ、と不思議そうなカメちゃん。

カメちゃんが何度か、赤ちゃんが手でよだれかけを掴むよう、手を動かしていた時、偶然、上手に手で掴んでよだれかけを除けた!カメちゃんは「俺が教えたんだ!」とドヤ顔。でも、偶然だったのか、また次は手で掴めず。。。

赤ちゃんと対峙するカメちゃんを見ていて、こんな風に少しずつできることが多くなって、今はこんなに大きくなって、いろんなことができるようになったんだねぇ、と感慨深い。

赤ちゃん、と触れ合うのって、フレッシュな感覚を得られていいね。

絶対に失われません

どんぐり式で子育てをしてきて、小学校卒業まではテレビ視聴週2時間、出来る限り外遊び、丁寧に生活することを意識してきた。そして今、暇さえあればハスちゃんはPCでゲームをしている。なんだか今までやってきたことが無駄だったような、何のためにやってきたんだ?と無力感なのか、脱力感なのか、イライラもしていた。

最近、ハスちゃんには、人の発言を否定しないこと、を口うるさく言っているなぁ。カメちゃんのちょとおかしな発言を、はぁ?何それ?みたいに、冷たく吐き捨てたり、それはない!そんなのない!と本当は知らないくせに否定することが、私は嫌でたまらない。他人の発言に同意する必要はないけど、へぇ、そうなんだ、でも私はそうは思わない、くらいのスタンスでいた方がいい。

今朝も、私の小言に対して聞き捨てならない暴言を吐いたから、怒った。身の回りの世話をしてもらっている人に対してそんな言葉よく言えるね!と。

私も、ハスちゃんに対して、私の趣味嗜好で意見することをやめないといけない。落ち着こう。

群馬でどんぐり教室をしているさとちゃんが、同じような状況に悶々としている保護者に対し、” 丁寧に子育てしてきたこと、絶対に失われませんどんぐりも、失われません “とコメントされているのを見て、自分の過ちに気が付いたし、なんか今まで必死でやってきたことが報われたような気がした。

ありがとう。

晩御飯、何作るかな

なんだかなぁ、ちょっと気力というか、何かをしよう、というエネルギーが少ない、この数日。ま、こんな時もある。こんな時は、粛々とやるべきことをやり、省エネルギーでも出来ることをする。

昨日は100均で買った植木鉢にシーグラスをデコった。玄関横に飾って、出入りする度に目に入って、ニヤニヤ。可愛い。

今日は”世界の果てに、ひろゆき置いてきた”を見ている。全く馴染みの無いアフリカの国を、論破王で有名なひろゆきさん、プライベートのスキャンダルの俳優の東出さん、そしてへなちょこキャラのDが横断する。旅って、その人のありのままが出る。ひろゆきさん、東出さん、マスコミ越しでしか知らない彼らのイメージに少しずつ意外だな、というイメージで塗り替えていく。

どんな人にも、いいところがありますね。人には欠点もあるけれども、いいとこもある。そして、広い世界では、いろんなスタイルで生きている人がいる。どんな場所でも幼い子供達は可愛い。無邪気な子供はいい。最近は、インターネット、スマホやゲームでなんだか早く無邪気さが抜けてしまう子供が多い感じするけど。

世界最貧国といわれるマラウィ、がまぶしく、温かく見える。電気がなかったり、道が舗装されていなかったり、高い建物がなかったり、貧しいのだろうけど、心が落ち着くし、人がやさしい。

エネルギー不足の私だけど、子供達の為に食事を準備しないといけない。それがこんな状態でも、私の存在意義、という感じ。

あきらめること、あきらめないこと

昨日はめずらしく白い麻のシャツを着ていた。いつもは大体藍染の服を着ているから、なんだかフレッシュな気持ちでいた。そしてめずらしく、イカを買ってきて、調理していて、イカ墨がぶちゅーッと飛び散って白いシャツに黒いイカ墨がついてしまった。。。なぜ今日に限って、白いシャツを着ている日にイカを買ったんだろう。。。悲しく、悔しく、がっかりした。でも、アルカリウォッシュを入れた水にしばらくつけて、その後熱いお湯に酸素系漂白剤を入れてつけ置きしていたら、今朝、イカ墨は跡形もなく消えていた。

あきらめなくてよかった。

小学6年生まではメディア規制をしていたけど、中1になってハスちゃんの規制は解いた。まず、録画していたテレビをよく見るようになり、そして買い与えたデスクトップでネットを触るようになり、液タブで絵を描くようになり、今は何やらゲームをしている。

朝6時に起きて7時まで液タブで絵を描いてた時は、何だけクリエイティブな活動をしているし、早起きしているし、いいと思っていたんだけど、今は朝6時に起きてなんやらゲームをしているハスちゃんを見ると、ゲゲっと思い、しょうもない活動に時間を使っているな、と思ってしまう。私自身がゲームをしないし、好きじゃないから、ゲームをしているハスちゃんに対して、負の感情を抱いてしまう。でも、今ハスちゃんにとってはそのゲームをすることが楽しいのだろう。

早寝早起きをしている以上、何も言わない方がいい、と思っている。ただ、1時間に1度は休憩すること、そして、朝起きてすぐは一番頭がすっきりしている時間だから、その時間をゲームに費やすのはおススメしない、と言ってしまう。

ハスちゃんはハスちゃんの人生がある。あきらめるべきことをあきらめる時期だな。

親の役割

子供の不登校に関し、違和感を感じていることがある。不登校を完全に学校の非とすることや、子供の発達の凸凹のせいにしてしまうこと。中には酷い先生もいるし、本当に発達の凸凹がネックで学校に行けない子もいるだろう。けれども、親次第で何とかなるケースが多いんじゃないかな、と感じている。

私が「うーん、なんだかちょっとな」と思ってしまうタイプの親は、すでに小学生の子供に影響力を及ぼせず、子供の言いなりになってしまっている親。 そんな親に育てられた子供は傍若無人なタイプが多い。子供が暴言を吐いても注意すらしない。注意しても変わらない、言う事聞かない、ということで、あきらめているみたいで。

私からしたら、いやいや、あきらめてもらっちゃ困るよ!と思う。ある親は、子供の発達障害のせいにして、言っても伝わらないからと仰った。いやいや、どんな発達障害を持っていたとしても、人間としてしてはいけない発言ってあるでしょう?そこを親が伝えつづけないと、誰がやるのよ?と思ったけど。

そういう親は子供に規則正しい生活をさせることが出来ない。早寝早起き、おかしの食べ方など。今まで出会って来て、何度かギョッとしたことがある。もうすぐごはんの時間なのに、おかしを食べ始める子供。そして注意しない親。それでいて、ごはんを食べない、とか言う。そりゃ食べないでしょ、と何度思った事か。

小学校低学年にしてもう、生活が乱れている家庭。無制限でゲーム機で遊べるのはもう驚かないけど、せめて夜何時まででやめる、は決めた方がいいのでは?ゲームしながら寝落ち、とかよく聞く。そんな生活をしていて、朝起きれるはずがなく、楽しくない学校に登校する気にはならないよね。

不登校、規則的な生活を送ることで、防げるケースがあるんじゃないか?と思う。ある親は、学校が楽しくないから早寝早起きができない。学校が楽しければ早く起きるはず、と言った。ちょっと違わない?学校が楽しくても楽しくなくても、早寝早起きをさせようよ。

ゲームを無制限でやらせて、夜も本人が寝るまで何時まででも起きててOKの家庭と出会ったことがあり、もちろん子供は不登校。そして親はフリースクールの活動を必死で支援しているような方だった。行政への働きかけもしてたな。学校以外の場所の拡充なんかを求めて。素晴らしい活動だと思う。必要だと思う。だけれども、その前に家庭内のことにもう少しエネルギーを注いで、子供が規則正しい生活を送れる工夫をした方がいいのでは。。。と思ってしまうのでした。

ハスちゃんは小学1年生から学校への行き渋りが始まり、いじめのことで学校に行けない時期もあって、そして今は登校している。またいつ行けなくなるかわからないけど。

学校に行けない時期、私が常に意識していたのは、何があっても早寝早起き、食事をとって運動すること。規則正しい生活を送り、心身共の健康を保つこと。親がそこを徹底したら、子供は自分のペースで障害を乗り越えていく。そう思う。

掃除の話

本当に少し何かを工夫し実行することで、楽しくなかったことが楽しいと思えたり、ちょっとした幸福感を得られるなぁ、と感じている。

風水に一時期興味があった時期もあるけれど、自分の直感や感覚で気持ち良い、好き、と感じることをやることが一番いいな、と思っているし、風水云々よりも、まずは掃除、掃除が大切だ、ということ。スピリチュアルカウンセラーの江原さんも、子供を守るためには、自分で食事を作ること、掃除すること、それだけでいいと仰っている。

美しく掃除されている空間に入ると、体がピンと緊張する感じ。変なことできないぞ、という感覚になる。そういうことだろうか。

楽しいことが好き、楽しくないことはしたくない、私。掃除は楽しいとは思えず、好きではなかった。過去形で書いたけど、今も好きではない。できればしたくない。誰かが綺麗に掃除してくれるんだったらやらない。けどそんな誰かはいない。

大切なハスちゃん、カメちゃんを守れるなら、と重い腰を上げて毎朝掃除する。箒で履いた廊下は明らかに空気が変わる。すっと何か気が通る感じ。箒で履くだけじゃなく、雑巾がけをしたら、それはそれは気持ちいい。雑巾がけをする前はその空間があるけど、ない、そんな感覚だけど、拭いた瞬間、そこに自分の気が流れ込むというか、空間が広がるような感覚。

幸せが150%になる不思議な話 、 小林正観著、を聞いた。アメリカの大富豪が、 金持ちがずっと金持ちでい続けられる方法があるか?を研究し、 今お金持ちには全員、共通点があることを突き止めた。それはトイレがピカピカで蓋が閉まっていること。意外のような、あ、知ってると言いたくなるような、そんな感じ。

私は、いつからだろう、社会に出たころかな、どこかでトイレの蓋は閉めておく方がいいと聞いて、それは簡単!と実行している。収入は少ないのに、お金に困ったことは無い。トイレの蓋を閉めてるからか。笑

但し、蓋を閉めるだけでは不十分らしく、ピカピカにトイレを磨いたり拭いたりして閉める、がいいらしい。これを実行した方たちはもれなく臨時収入があった、と書かれており、私も一念発起して、トイレの蓋を閉める前に、トイレットペーパーで便座や便器を拭いて閉める、を実行してみた。外出先で使ったトイレも。

結果、臨時収入あった。結構大きな額。びっくりした。トイレの話との関連性はよくわからないけど、もう今ではトイレを綺麗にすることが楽しいと思っている。

最低でも1週間に1度、できれば3日に1度していたトイレ掃除を、2日に1度にした。トイレ掃除の際に、雑巾に好きなアロマオイルを垂らして掃除し始めて、億劫なトイレ掃除に少しワクワク感が出た。

信じるか信じないかはあなた次第。



いろんな人がいる

まだ1歳の子どもがYouTube見ながら指でスクロールしたり、広告スキップしてるのを見て、驚いているおじさんの投稿があった。

驚きにはいろんな種類があるけど、このおじさんの驚きは、幼子なのにすげぇ~というようなニュアンスを感じた。

私の驚きは、そんな絶賛成長期、ゴールデンエイジの子供にYouTube見せるなんて、信じられない、悪影響があると考えないのかな、という驚き。

小さな子がスマホやタブレットをスイスイと操作しているのを見ると、大人はすごい!とまず思う。自分たちが小さなころはそんなものなくて、あんな小さい子が操作できるなんて、と単純に驚く。でもよく考えたら、とっても単純な作業。決まったボタンをおしたり、スワイプすればいいだけ。そんなに凄いことではない。

そのおじさんの投稿へのコメントに、幼いころから機器にふれ、たくさんの情報にふれるのはいいこと、というのがあって、違和感。機器なんて便利なものに触れるのは、極力遅くしたい。不便さの中で考え工夫する力を育てたい。たくさんの情報にふれて、大人でもぐちゃぐちゃになるのに、幼い子が電子機器から多くの情報を得ることがいいとは思えない。自分の体験の中から得る知識だけでいい。と思った。

もちろん、SNS上で意見はしないけど。私の考え方は、やはりとっても少数派なんだろうな。

中学生の娘に、未だスマホもタブレットも与えていない。PCは与えている。最近娘はPCで何やらゲームを夢中でしている。PCは、持ち運べないから、PCがある場所でしか使えない。それがいい。

PCでゲームをするのを見るだけで、不快に感じる私。いろんな人がいるねぇ。

10分草プロジェクト

日々を快適に過ごすには、工夫が必要だ。

田舎の一軒家暮らしが続いている。田舎だから庭もある。とっても嬉しい。けれども、大変なのは草抜き。ちょっと目を離したすきに、草でボーボー。マメなタイプではないから、大体我が家は草でボーボー。

奄美では草ラボという活動をし、もともと草は好き。そこらへんに生えている草、薬として使える草、食べられる草、できるだけ自然の恵みを生活に取り入れたいと思っている。

だだ、草ボーボーは頂けない。見て、荒れてると思わない程度の美しさを保ちたい。そこで、自堕落な自分の性質を考えて考案したのが”10分草プロジェクト”

草取りの日を作ると、その日が憂鬱になる、やりたくないことをする日、になってしまう。それは嫌だ。だから、毎日10分草抜きをする、ことにした。10分というのは、私にとって面倒くさいと思わない長さ。10分なら、と思える時間。

とりあえず毎日やる、と決めておくのがミソ。朝起きて顔を洗って歯磨きをする、というルーティーンみたいな扱いにする。そうすると、面倒くささがなくなる。

面白いのは、10分だけ、なんなら10分弱でいいと思いながら草を抜き始めると、10分では終わらないこと。やってみると、なんだかもうちょっと、もうちょっと、となる。庭が整うのは気持ちよく、意外に楽しんでいる自分がいる。でもあんまりやりすぎると、毎日継続に支障が出そうだから、ま、15分か20分以内にはやめている。

10分草プロジェクト、快調、1週間くらい続いている。週末に1日やらなかったけど、それは気にしない、よしとする。どんどん整う我が庭をみて、嬉しい。できるじゃん、私、と自分を褒めてあげられるのも気持ちよい。

1人ではお酒を飲まないプロジェクト、も続いている。夏休み、実家に滞在した2週間は、わいわいと大人数での夕食で、毎日飲んだ。また毎日飲む生活に戻ってしまうかなと懸念したけど、家に戻って大人一人になると、当たり前のように飲まない生活に戻れた。

プロジェクト制、いいね。

人生に無駄なし

私の周り、今は会えない友人たちが、苦しい、つらい出来事を抱えていて、そのあれこれが脳裏をかけめぐり、なんだか頭がパンクしそう。でも、みんな素敵な人たちだから、今はつらく、悲しい出来事のように思えても、きっと乗り越えて、今より幸せになっていくと思える。

ハスちゃん、転入した中学でいじめにあって、苦しかった。今もまだ続いているかな。でも、昨日読んだ本のおかげで、あの出来事も必要なこと、長い目で考えると歓迎すべきことだったのかもなぁ、と思えた。

13歳のキミへ。花まる学習会の高濱先生の本。いじめについて言及されているところがあって、いじめを乗り越えたら、キミはパワーアップしていて、将来社会に出た時にきっと役に立つ、と。

確かに、いじめを乗り越えることは、人を強くする。色んな事を考える。どうして人はいじめるのか、どうこの辛い出来事を乗り越えるか。強くなる。

そして、なぜ自分がいじめられたか、を考える。絶対に何か理由がある。私の見立てでは、ハスちゃんは強い。我が強いし、かなり自分の意見をごり押しするタイプ。転入生でなければ、クラスの覇権をとっているかもしれない。運動神経もいいし、頭の回転も速く、舌鋒鋭いタイプだから、同級生は太刀打ちできないかな。そんなタイプが急にポッと現れたもんだから、意地悪なリーダータイプの子にいじめられた。

この体験がなければ、ハスちゃんは自分の強さの危うさを知ることが出来なかったかもしれないし、弱い立場の人間の気持ちを慮ることができない人間として成長したかもしれない。

全ては私の妄想だけど、でも、人生には無駄な出来事なんて無いんだな、とそれは確か。