AI vs.教科書が読めない子どもたち

私は読書が好き。けれども子どもが産まれて以来、中々読書に時間をとれない毎日。睡眠は何よりも大事だからそこは削らない(笑)そんな私の読書熱を満たしてくれているのが中田敦彦のYouTube大学!!!あっちゃんカッコいー!!!

夕食を作りながら毎日聞いている。昨日の”AI vs.教科書が読めない子どもたち”はかなり素晴らしく、興奮した。

読解力が全て。読解力が高い人間がこれからの時代を生き残っていける 。読解力とは文章の意味を理解すること。 読解力こそがAIが不得意な人間らしい力 。

衝撃的なのが、中高生の3人に1人が簡単な文の読解力がなかったという事実。人類の60%しか読解力はない。教育界は、ぼくたちは問題の答え方を教えていたけど、生徒は問題文が理解できていなかった、と震撼した。単純なドリルを解くだけでは養われないのが読解力、すなわち国語力。最も大事なのは読解力。

読解力が高い人材は受験でも就職でも勝つ。国内屈指のエリート中学校の教育が凄いから東大合格者を多く輩出するのではない、入試で読解力がある子どものみを集めて教育をしているからだ。

数学者が国語が大切と言っている。AIがぶつかるのが意味の壁。AIは意味が分からなくてもできる問題だけ解ける。これ聞いて、意味がわからなくてもできる問題だけ解ける子どもを量産しているのが今の義務教育だよな、と感じる。計算得意なのに、応用問題ができない、というのがこの典型的な例。私の個人的な考えだと、子どもの読解力は低下の一途を辿っている。

読解力はどうやったら伸びるのかがわかりません。小学生時代の読書習慣、学習習慣、得意科目は関係ない、データとったけど関係なかった。とこの本の著者が書いていると。理由がわからないけど、読解力がある人間とない人間がいる。塾講師をしていてそれに気づいたのが糸山泰造先生、そしてその解決策まで生み出している。答えは”どんぐり倶楽部”だよね。どんぐり倶楽部の算数の良質な文章問題!

私は人間にとって重要な”読解力”の育て方を知っている。まだ著名な数学者でもわからないということの解に気づいているかもしれない、と思ったら、超少数派というか、異端であり、苦労も多いどんぐり倶楽部式子育てをしていて、やっぱりよかった、と思った。

AIは計算する機械。ホワイトカラーと事務職は消える仕事。残る仕事はコミュニケーションのうりょくと読解力が必要な仕事。ハスちゃんとカメちゃんはきっと、AIが不得意である分野で活躍できる大人に成長する!

新月のねがいごと

ハスちゃんが6年生になって、8時半に登校している。普通の家庭からしたら毎日遅刻かい!という状況だけど、昨年度、9時半だったり、10時半だったり、11時半だったり、休んだり、だったから、私にとっては、めっちゃ早い登校!すごい!という感じ。担任不在で、学校がぐちゃぐちゃしている、そこがいいのかも。面白いね。

ハスちゃんが仲良くしているお友達が不登校の子で、給食だけ食べにくる日がある。その子はいつも髪に色のついた髪留めをしている。それを見て、ある女の子Mちゃんが「色がついてる髪留めしたらダメなんだよ!」と言った。周りの子に、ねぇ、ダメだよね?と言ったけれども、いいんだよ、と同意を得られずキレてたみたい。ハスちゃんが「私が仲良くしている子達にね、「Sちゃんが学校来ない事、色がついてる髪留めつけてること、それはSちゃんがきめることだから、いいんだよ」って話してるからね、教えこんでるから、みんなダメだって言わなかったんだよ」と。

頼もしい。そうそう、多様性を学ぼうみんなで。いろんな子がいる、それでいい。学校はそう言いながら、そうなってない。そこが変だもんね。

「でもMちゃんが色がついてる髪留めは学校でしてはいけないっていうのは、現時点では正しいよね、Mちゃんは学校の先生や親にそう言われているから、Sちゃんにもそういっただけ。そのルールが必要かどうかは別にして、今は存在しているからねぇ。Mちゃんも自由に好きな髪留めつけたいと思って、Sちゃんずるい!という気持ちになるんだよね。そんなルールない方がいいけどね。」と話して、

せっかく6年生、最上級生になったんだから、学級会?児童会とか機会があれば、不要なルールをなくしたい、って提案してみたら?とハスちゃんに言ったら、目を輝かせて急にメモし始めた。

好きな色の髪留めをつけないと学校に来れない子がいるとしたら、学校では黒か茶のゴムや髪留めしか使ってはいけないというルールは、その子が学校にくる権利を奪うことになる。そんなルールはいらない。先生に、黒や茶のゴムでないといけない理由を問うてみて、納得できる答が返ってこなかったらそのルールは必要ないということよ、と焚きつけてみた。笑

そもそも学校が好きではないハスちゃん、いつ完全不登校になるかと様子をうかがう前年度でした。ルールをなくす提案をしてうまくいかないとしても失うものが何もない。よくなる可能性しかない。担任不在で、校長先生が授業をしてくれることが多いから、校長先生に直談判できるチャンスでもある!

学校は、子どもたちの為の場所。子どもたちが考え、楽しい学校をつくる機会を大人が与えてくれますように。ハスちゃんにチャンスを!新月の日に強く願います。

先生がいない!?

前年度終わり、教頭先生以外、校長初め、小学校の先生全員(複式なので3名)がいなくなると知った時、そんなことってあるんだぁ、それって、学校をうまく運営させてようという気ないよね、とどこへ向けていいかわからない負の感情がわいてきた。でも、これは私が全く影響力を及ぼすことができない分野の出来事。昨年度、全然学校が楽しくないと言っていたハスちゃんにとって、全員先生が変わることは、悪くないかも、奇跡が起こって学校を楽しくしてくれる先生がくるかもしれないし、そしてカメちゃんは前年度の担任が好きではなかったから、その先生がいなくなることをかなりよろこんでいた。

そして新年度、始業式、小学校の担任が2名足りない。え?!!!どういうこと?という状況に。教育委員会も小学校の計画の甘さと小学校に責任をなすりつけていますが、この小学校の先生3名必要なのに1名しか赴任していない、という状況。唖然。

ちゃんと先生配置できないような人事システムがおかしいじゃない?そもそも鹿児島県、奄美大島の先生の異動のシステム、無理があると感じていた。動かしすぎだし、急すぎる。で、その結果こういうことがよくあるみたい。よくあってなんでシステムを是正しないの?一般企業でこんな失態あったら、クビ!でしょう。

一旦、ちゃんと仕事してよ!と怒ったものの、そもそも学校が好きではないハスちゃんと、担任が好きではなくて学校があまり好きでなくなったカメちゃん、学校は楽しければいい、と思っている変な親、ですから、ちょっと一息ついたら、このカオスな状態が楽しくなってきました。

昨年度は、9時半、10時半、11時半頃、登校していたハスちゃんですが、今年度始まって、8時半には登校しています。遅刻には変わりありません。朝の会がいやみたいで、1時間目の始まりに合わせて登校しています。昨年度より、今のカオス状態の方がいいみたいです。

今日、私が出店するイベントがありまして、もちろんハスちゃんカメちゃんも一緒に連れて行く予定でしたが、土曜授業だよ、と昨夕カメちゃんに言われて気づき、じゃぁ、休んでイベント行こう!といつもの感じで言ったら、明日は1年生を迎える会だから、行きたい!とカメちゃん、学校嫌いのハスちゃんも、明日は司会進行しないといけないから休めないと。びっくり。

大人にとってはぐちゃぐちゃ、カオスでいいから、子どもが楽しいと感じる学校、行きたいと思える学校であってほしい

マスクで歌

久しぶりに昨日今日と学校に対して噴火中。昨日の噴火は、全国どこの小学校でもあるPTAの集会の内容に無駄が多すぎのイライラ。これに関しては、筋金入りの学校嫌いであるハスちゃんの気持ちに共感する機会にもなり、それはよかったとも思える。

今日の大噴火は、カメちゃんが朝言った一言で起こった。

「僕、音楽の時間にマスクして歌をうたうのが苦しい」と。私は耳を疑った。マスクして歌?!ありえない!!!!マスクしないと危険なんだったら歌わせるべきじゃないでしょう!と大噴火。

ハスちゃんも参戦してきて、マスクが苦手だから苦しいと思ったらちょこちょこ外してるけど、音楽の担当の先生が厳しくて、外してたら注意されるらしい。みんなで歌ってて先生に、「苦しい?」って聞かれて、はいと答えて、あぁ、やっとマスク外していいと言われるかなと思ったら、「苦しかったら鼻で息してください」って言われてがっかりした、らしい。私もがっかりだわ。

いろいろ突っ込みどころ満載だけど、体育の授業はマスク着用しなくてよくて、なぜ音楽で歌うときにマスク着用を強いる?コロナがそんなに心配なら、コロナ渦での特別対応として、歌わない卒業式でもよくない?

そもそも、マスク着用で歌わせて、苦しそうな子どもを見て、何にも感じない?やはり学校という場が子ども本位の場ではないことを改めて実感。そんなのわかってたけど、子どもの健康を守ることが重要ですらないんだなぁ、とかなりご立腹。

最近は毎日遅刻、2時間目か3時間目に登校するハスちゃんに加え、カメちゃんも昨日も今日も遅刻。

将棋したり、漫画かいたり、自由に過ごす。平和だ。勉強は家でできる。もう学校いらないじゃん、と本気で思う今日この頃。

現在の学校の弊害がコロナのおかげで浮き彫りになってくる。私にとっては。それは、ちょっとコロナの良いところなのかもしれない。子どもの苦しさに気づけるチャンスをくれているから。

図工

図工は、多くの子どもが好きな教科としてあげると思うのだけど、多分小学校の教科で一番、というか唯一、自由度が高いからなのではないのかな?

指示された通り、教えられた通りにやるばかりの小学校で、一応、図工はある程度の範囲内での創作の自由を与えられていると思っている。のだけど、本当に先生次第では図工さえも楽しくない、嫌だ、になってしまう。

カメちゃんも図工は好き。だけれども一昨日帰宅してすぐ「ママ、今日ね〇〇先生がすごく嫌だった、図工の時間にね、僕が真ん中に遊園地を作ったんだけどやめて、そしたら先生がそこに遊園地あった方がいいっていうの。でも僕は嫌だって言ったのに、気持ちはわかるけど、遊園地をつくりなさい!って言われたの、すごく嫌だった」とすごい勢いで訴えてきた。

信じられない。先生のレベルの低さが信じられない。先生から見てどんな駄作であろうとも、子ども本人の意思を尊重して制作させることが一番大切ではない?図工だよ?

もう明日学校休む、行きたくない、とカメちゃん。翌朝、ゆっくりゆっくり支度して、遅刻して登校はしたけれど、朝学校に連絡して「図工では、カメちゃんのやりたいようにやらせて頂けると助かる」と伝え、連絡帳にも”せめて図工は子どもの自主性や独創性を認める時間であってほしい”と苦言を呈した。こんなこと、言っても伝わらないんだろうな、とは思うけど。だってもうありえないから。

文科省が盛んに、主体的で深い学び、というけれども、まず先生達は意味わかってるのかな?主体性というのは、自分で考え行動しないとダメでしょう?図工ですら主体性が求められていないのは、致命的。。。先生達の教育に本気で取り組んでほしい。

作文

学校って作文を書かせるのが好きだなぁ。今通っている超小規模校では、毎学期のはじめと終わりに反省と目標を作文して、始業式、終業式にみんなの前で全員が読み上げるという儀式?がある。こういうところは超小規模校の面倒くさいところだと思う。

小学生に作文を書かせること自体、私は否定的なんだけれども、3か月に一回目標を書かせるのには辟易する。どう考えても毎回同じ。毎年同じ目標。先生たちも同じ内容の目標を聞いて、良い目標です、頑張りましょう!って毎回言うのかな。思考停止してるよね。。。

文字を書くことが得意ではない、好きではないうちのカメちゃん、終業式で読む作文を書く時期がやってきて、「作文いやだ、学校休む」と。今無理やり彼に作文をかかせることは、文書を書くことを嫌いにするだけだと思う。工藤勇一先生も、小学生の時は文字を書くのが苦手だった。ノートをとれなかった。でも昔の先生は何も言わずに放っておいてくれた。あの時ノートを書くことを強要されていたら僕は落ちこぼれて教員にはなっていなかっただろう」と仰っていた。あの公立中学校で革命を起こした工藤先生もそうだったんだ。。。

カメちゃんの字を書く能力がまだ育っていないのかもしれない、もしくは文字を書くことは大人になっても育たない、ディスグラフィアかもしれない、どっちかまだわからない。だから今私にできるのは、彼が嫌がることを大人に無理強いされない環境を整えること。

作文、日記、長文を書くことを強要しないでくださいと、今年度のはじめに担任の先生に連絡帳でお願いしてからも色々あり、何度作文がいや、日記がいや、とカメちゃんは学校を休んだだろう。その都度連絡帳にカメちゃんに長文を書かせないでください、とお願いしてきた。

今までの担任の先生は、年度初めに連絡帳でお願いしただけで、すんなりこちらの要望を理解してくださったけれども、今年の担任の先生は「カメちゃんに日記を書きたくない理由を聞きます」とか言うタイプの先生で、手ごわい。

おそらく、作文や日記を書くことが子どもにとって良いことだと思っていて、その理想を子どもに押し付けるタイプの先生。いくら正しいことも、受け取る相手の状態、気持ち次第では、大きなお世話、煩い先生、となる。

昨日はカメちゃん、学校を休んで、最近買い始めたコロコロについていたハガキを一生懸命書いていた。住所、名前をほぼ全部ひらがなで書き、切手を貼って、うきうきポストへ投函。私が藍染工房に行く日だったから、必要な荷物をコロコロの付録のバッグに入れて、うれしそうに持ち歩いている様子。初めてぼく自分のバッグを自分で手に入れたんだよー好きなキャラクターのバッグだったんだ、と誇らしそうな様子。私はそれを見て、ほっこり、幸せだなぁ。と感じたんだー

作文なんて、かかなくていいよ

イエナプラン教育

ハスちゃんの「楽しくないのに笑うのは苦しいよ」という発言を受け、このままではいけない、と感じて、また色々とリサーチした。

広島県の福山市に公立のイエナプラン教育校が 22年度開校予定で、現在は移行期間であるということを知った。移行期間であっても、普通の公立小学校よりはずいぶんマシなのでは?と思って、ちょうど1週間後に開催予定だったオープンスクールに参加することにした。公立小学校だから、学区内に住んでいたら必ず通える学校。賃貸物件が少ない地域で、借りられる部屋が1つしかなかったから、見学に行く前に入居申し込みもして準備万端。もう年末には奄美を離れて福山市に引っ越すんだという気合いで福山市へ。

公立小学校がイエナプラン教育に取り組もうとしている、全国発の試みで、もうそれだけで素晴らしい、うまくいっていないとしても、その試みの一部でいたい、保護者としてうまくいくように協力したい、とも思った。

オープンスクールで授業参観してみて、一体何が行われているのかわからないカオスのような状況ではあったけど、活気はあった。子どもたちよりも指導者である先生、大人たちがイエナプラン教育を理解して、実践する必要がある、そのための移行期なんだとも感じた。カオスではあるけど、今までとは違うことをしようとしている、それだけで眩しかった。高学年の教室は、将来なりたいものというテーマで自由に活動をしていたけど、あまり活気を感じなかった。急に自由を与えられてもどうしたらよいかわからない。。。ような感じ。一人、うどん屋になりたいとうどんを手打ちで作っていた子がいて、それはいいなぁ。と思った。高学年だと、自分を持っている子、自分で考え行動できる子じゃないと急に新しいスタイルを受け入れることは難しそうだなと感じました。

課題や疑問点はあるけれども、でもいい、素晴らしいと感じた。ただ、この小学校がある地域が造船の町で、造船に伴い発せられる匂い、おそらく油の匂い?がとても臭くて、娘も頭が痛くなりそう。。。と。入居申し込みをしていた物件も外から見てみて、奄美で今住んでいる家と比べて、住みたくない。。。と。学校とは別の理由で引っ越しは無しとなりました。

ただ、奄美から福山市までお金をかけて、見学に来たこと、に関して、ハスちゃんがとっても私に感謝してくれているのがわかった。たくさんお金使ったね、とか、ありがとうとは言われてないけど、言われた感じがした。

お世話になっている元教育大学の先生に、福山市へ行ったあと、ハスちゃんの顔つきが変わったと言われた。イキイキしていると。お母さんが今回大きく行動したことで、何かあってもお母さんは私の見方をしてくれる、と感じたのでは?と言っていただいて、とっても嬉しかった。

楽しくないのに笑うのは苦しいよ

このタイトル、ハスちゃんが1か月ちょっと前に言った言葉。今まで言われた中でもかなりショックを受けた言葉でした。

不登校関連のスペシャリストに相談する中、私はハスちゃんを学校に行かせたいんだ、ということがわかった。学校でハスちゃんが嫌なことを先生にお願いして排除したり、どうにかハスちゃんが学校に行けるように頑張って根回ししていた。けど、子どもに頼まれてもないのに親があれこれ先生に言うのは、有難迷惑ということが多いと言われて、気づいた。

ハスちゃんに、学校の嫌なところを見るのではなく、良いところをみてみよう、と言ってみたり、授業が楽しくないというハスちゃんに対し、ママも授業は楽しいと思ったことはなくて、休み時間や給食の時間が楽しみだったよ、と励ましたり。

大きいのは、私の小学校時代と、今の小学校は自由度なんかが全然違うこと。ハスちゃんにとって、休み時間もそんなに楽しくないみたい。なぜかというと、遊びたい友達がいつも宿題やってきてなくてお昼休みに宿題やらされてて遊べないってのもあるみたい。超小規模校だと、遊びたい友達も少ないんだろうね。。。

この世の終わりのような顔をして学校へ行く娘を見て、ハスちゃん、笑顔、笑っているところに良いことは集まってくるし、笑っていたら脳が錯覚して楽しくなるんだよ、と声掛けをしていた。

とにかく、なんとか学校に行ってほしかったんだね。私。ハスちゃんが不登校になってしまったら、ここ、奄美大島にいる理由がなくなってしまう、大好きな奄美大島にいられなくなってしまう。。。なんて考えてたかも。

お布団に入って、笑ってようね、笑ってたら楽しいことあるよ、なんて話していたら、ハスちゃんが「楽しくないのに笑うのは苦しいよ」と言って、その言葉がガツーンと響いた。脳天を撃ち抜かれたみたいな衝撃だった。

そんなに苦しい思いをさせてたなんて、ごめんね、と、もう学校行きたくなかったら行かなくてもいいからね、と心から言えた。それから2日、3日休んでリフレッシュできたのかな、また学校に行き始めたハスちゃん。私には想像できないほど、学校が楽しくないのは間違いないな。

あそぶからダメはダメ

先生に新聞紙と輪ゴムは遊ぶなら貸さない、ダメと言われたカメちゃんが、うつ病の初期症状のような状態で学校を休んだ話。

あれこれ読み考えて私が導き出した考えは、遊びを軽視したことが悪かったということ。

元京大教官の瀧本哲史さんは、以下のように説明します。

”レンガを積み上げている光景を思い浮かべてください。あらかじめ、「みんなで暮らす家をつくろう」と説明があれば、ある程度のやる気が出ますが、なんのためにレンガを積み上げているのか誰も教えてくれなかったとしたら、それはかなりつらい作業になる。勉強も同じです。子どもは勉強という、「やる意味がわからないもの」をやらされることが、嫌いなのです

この文を読んで、たおの心情を以下のように推測しました。

勉強をやる意味が理解できないカメちゃんにとって、授業は楽しくない、けれども我慢してやっている。休み時間に遊ぶことが楽しみで、授業時間が終わるのを耐えて待っている。

休み時間になって、よし遊ぶぞ!今日は工作がしたい、新聞紙と輪ゴムで作りたいものがある、と思い先生にお願いしたら断られた。休み時間があるから授業を我慢していたのに、休み時間に好きなことができないなら、授業なんて苦痛でしかない。

子どもが学校に行くモチベーションは休み時間と給食、少なくともうちの子2人には。その時間を子どもが楽しめないのであれば、学校に行きたくないということになってしまうんだ。

小学校教員であり、編集人、フリースクールの理事でもある岡崎勝さん以下のように講演されています。

文科省、教委は

“主体的で対話的な深い学び” と新しい学習指導要綱で示しています。

「主体的な深い学び」は、考える自由度がないと実現不可能です。その考えるという事には、子どもの突拍子もない考え、アイデアも含まれないといけない。指示なしで過ごす時間、自分で考える時間を教師が作り出すしかない。

この講演を聞き、カメちゃんのエピソードを振り返ってみると、学校が掲げる主体的な深い学びというスローガンと、実際の先生の行動が矛盾していると感じます。

自分で考え、休み時間は新聞紙と輪ゴムで何かを作りたいと思った。けれどもその主体的なアイデアは先生に否定されて終わった。

学校が本気で児童に主体的で深い学びを実践させたいと思うのであれば、教師は日々の学校生活のなかで自分自身がそのような行動をし、児童を導く必要があると考えます。

カメちゃんは休み時間を自由に過ごしたかった。それが出来なくてストレスを感じた。授業はもう頑張る気力がないという状態だったんだ、と私なりの結論を出しました。すっきりした。

知人の心理療法士の方にこの話をしたら、とても共感できる話をしてくれました。今度先生たち向けの講座で使おうと思っている資料で、子どもにとっての大切なことを表すピラミッドのような図があって、一番下は命の維持に必要な食べること、寝ることで、その上にくるのが遊びなんだそう。遊びの上に勉強がくる。食べる寝るがきちんとできないと、遊べないし、遊びができないと、勉強もできない、ということらしい。深く同意する。

今の世の中、子どもにとっての遊びを軽視しすぎている。先生たちには子どもの生きがいである休憩時間をもっと大切にしてもらいたい。もし休憩時間を短縮したりする必要がある際は、半沢直樹ばりに土下座をして子どもに謝罪をしてほしいくらい。笑

あそぶならダメ

去年までは日本一学校が好きな小学生だと思っていたカメちゃん、今年度は学校あんまり楽しくない、時には行きなくない小学生に大変身!すべては担任の先生ですね。昨年度の担任が最高すぎたのもあるけど、今年度の先生はイマイチなのです。

私が先生と話した印象は、とても頭がよく、理論的な話もできる、できる女タイプ。教育に対して理想も高く掲げているんだろうな、そこから外れることを許さない、自分の理想についてこい!という感じがします。子どもの気持ち、状況などは一切無視だから、カメちゃんは先生嫌いとなってしまっています。中学や高校の進学校が向いてるんじゃないかな、この先生。

さて先日、カメちゃんが「今日嫌だった。休み時間に先生に新聞紙と輪ゴムを貸してくださいって言ったら、”遊ぶならダメです”と言われた」と言いました。工作したかったのに、できなかった、嫌だった、と。

休み時間に言ったんだよね?と確認して、そうだとカメちゃん。なんだかとってもモヤモヤした気分にはなったけど、「なんで貸せないのか、これは〇〇で使うから、とか、もう休み時間が少ないから、とか納得できる理由をちゃんと言ってほしいよねーいやだったねー」と共感して就寝。

翌朝、起こしてもカメちゃんが起きない。体が動かない。熱はないから気持ちの問題か?学校に行きたくないんだな、と感じて、「学校行かなくてもいいから、起きよう」と声掛けしたらやっと動けた。テーブルについても、朝ごはんが食べられない。「学校休んだらいいんだよ、だから朝ごはんは食べよう」と声掛けしたらやっと食べ始めた。

なんだかうつ病の初期症状のような状態のカメちゃんを見て、頭の中???マークいっぱいの私。昨日確かに嫌なことがあったと話してくれたけど、休み時間に新聞紙と輪ゴム貸してくれなかっただけでここまでになる?!と不思議で溜まらなかった。

学校にはカメちゃんが嫌だったと話してくれた話と、今朝の状態をそのまま伝え、お休み。そして頭の中の???を何とかしたい、と私はインターネット、本、など色々と読みまくったのであーる。この続きはあそぶからダメはダメへどうぞ