「好き」が原動力

またまた、ナイスタイミングで、よき文に出会った。

群馬のどんぐり式塾”どんぐり学舎”のさとちゃんの投稿。

漢字も、他の勉強もそうですが、「好き」しか原動力はありません好きだから知りたいのに、嫌いにさせるようなことや、評価をすることで追い詰めて、練習させても、絶対に身につきません

絶対に

おぉー、これだぁ、とピンときた。

アメリカ留学経験があり、外国語大学卒の私、今年度からハスちゃんに英語を教え始めた。ところが、ハスちゃん、簡単なことを何度も間違う。この子、かしこいと思っていたのに、どうなってるの?と不思議に感じるくらい。

ハスちゃんは、英語が「好き」じゃないから、なんだ。人間みんなそうだと思うけど、ハスちゃんは得に「好き」じゃないことにエネルギーを注がない、注げない人。好きじゃないから、覚えないんだなぁ。とっても不思議に思っていたことがクリアになった。

確かに、私も「好き」なことは夢中でやる。ワンピース縫ったり、藍染したり、石鹸つくったり、化粧水つくったり、帽子や籠編んだり、スプーン掘ったり。やりたい、と思っていたら、教えてくれる人が現れる。やったら、できる。「好き」は強いよね。

疑問に思う事、変だなと思う事、に対しての答え、が、日常生活の中にちりばめられている、ね。それをキャッチする感度を高める努力をするだけで、毎日は楽しい。

家アルコールやめました

何という事でしょう~私がアルコール飲酒をやめました。

本が好きで、いろんな種類の本を読んだり聞いたりしているけど、アルコールの害、どんなに健康を害するか、という情報はたびたび目にし、耳にしていました。ただ、私にとって夕方飲むビールは、一日の締めくくりの大事な儀式、というのは大げさだけど、楽しみな時間だったから、お酒は、まだやめない、やめたくない、体に悪くてもまぁいい、と思っていました。

アルコール飲酒しないで一週間が経ちました。やめるぞ!みないな気合とか、よし、やめよう!と思った、とかそういう感じではなく、いろんな情報と出来事が交錯して、なんとなく、飲まないという選択を気軽にしてみた、くらいのイメージ。

アルコール飲酒を我慢している、というより、飲まない選択をした、というイメージで、全然辛くない。我慢しよう、と思わないマインドセット、が大事だね。あと、日常的に家では飲まない選択をするけど、年に何回かある飲み会の席では飲もうと思っている。正月とかね。それも楽しみなイベントと捉えている。

飲まない選択、一番のきっかけになったのは、同窓会で飲みすぎて翌日二日酔いでダウンして、ハスちゃんカメちゃんと予定していた京都観光ができなくなってしまったふがいない出来事。かな。でも、これだけが理由でないのは確か。だって、二日酔いで予定をキャンセル事件は今まで数回あるから。その時は、1日お酒飲まなかったけど、また次の日から飲んだもんなぁ。

さて、アルコール飲酒をやめて1週間の感想を。夕食後の皿洗い、お片付けが今までよりテキパキできる。だるくない。お酒って気分よくなるけど、確実に体は重くなるんだな、を一番実感しています。あと、洗顔した時にお肌がなめらかにつるつるになった感覚がある。

これから、どんな変化があるんだろう。ワクワク。

マスクってねぇ。

ハスちゃんの通う小中一貫校では、コロナが五類になっても全員マスク着用しているみたいだ。それをきいて、うぎゃぁ、嫌だな、と思った。

もはや、国や政府がコロナはインフルと同じ病気と指定しても、先生が率先して4月からマスク着用をやめても、そんなの思春期で多感な小中学生には響かないんだろう。マスクはもはや、病気の予防が目的ではなく、自分を隠す、ガードするもの、って感じなんだろうか。そもそも日本人ってそんな感じだったけど、コロナ渦を経て、ますます人と違うことをしないこと、自分意見より、人と同じにする国民性が顕著に現れたと思っている。

そんなことで、この時代、世界と戦えるの?

小中学生におもちゃのようなタブレットやパッドを配ってるけど、世界と戦うマインド、ハードじゃなくてソフトが日本人には足りないって気づかないの?

中学生全員がマスクをまだつけている、と聞くだけで、日本の将来を憂いてしまう私。考えすぎだろうか。

自分の意見を持ち、それを安心して表現でき、その意見を批判されない空気、環境を学校が整えるべき。AIに勝つ人材って、非認知能力が高い人間なんじゃない のでしょうか。今の日本人は、海外の人に比べてそこが低いんじゃないかと感じるわけです。

私自身はなんとなく、日本に住み、日本で何かをすべきだ、と感じているんだけど、ハスちゃんカメちゃんには、海外に目を向けなさい!と言い続けている。世界は広い。今中学校生活を楽しめていないハスちゃんには特に、もっと広い、日本とは空気感、人の種類?が違う世界に目を向けてほしいと思う。だけど、ハスちゃんは、日本がいい、という。英語にも興味がなさそうだ。

何だかうまくいかない。

子育てってしんどいですね

「子育てって、しんどいわ」

この数週間、そんな心境になるような出来事、ハスちゃんの色々、が次から次へと起きる日々だった。

伝えても、伝えても、伝わった感がない。言っても言っても、ハスちゃんは変わらない。人は変えることが出来ないのよね。

昨日も、一日ずーんと沈んでしまうような出来事があって。ハスちゃんなんて、産まなければよかった、とさえ思ってしまうほど。どんな親でもこんな気持ちになったことあるよね。苦しいですね、子育ては。

ハスちゃんがいう事聞かない、ハスちゃんが私を選んで生まれてきたことが嫌だ、とか、ハスちゃんを主語にしてあーだこーだ思考していた時間は、不幸だった。ハスちゃんが帰宅して、ちゃんと話して、今後の対策も伝えて、そしたら気持ちが切り替わって、私、自分を主語にして思考できるようになった。

私が子を望んで、私が生んだ。彼女は私を選んでくれた。私は私にできることをする、伝える、あとは信じて待つ。状況は何も変わっていないのに、主語を変えるだけで、不幸でなくなった。不幸の膜からぴょこんっと飛び出せた感じ。よかった。

今日の篠先生のブログもよかった。泣けた。これ、私の為に書いてくれたの?というような内容。

でも、子どもを信じるためにはわざわざ「子どもを信じる」などと意識する必要はないのです。
一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に楽しみ、一緒に遊ぶことが出来ているのなら子どもを信じているのです。
そして、子どもも無意識のレベルで「信じられていること」を感じています。


篠先生ブログ、森へ行こう(心とからだと子育てと)

ハスちゃんのこと、信じられない、とか考える必要ないんだね。一緒に笑い、泣き、楽しめばいいんだ。一緒に遊ぶ年ではなくなってるけど。それだけでいいんだ。無意識レベルでつながれるよね。

同窓会

GW中に私の大学の同窓会があった。大学ではチアリーディング部に所属し、寝ても覚めてもチアに明け暮れた。チアガール?あぁ、あの短いスカート履いて、アメフト応援するやつね、みたいな扱いを受けていたけど、流血骨折打撲捻挫が日常茶飯事の極めて危険なスポーツだった。

コーチとか監督、がいないから、先輩や仲間とアメリカのチアのビデオテープを繰り返し見て技を盗んだり、試行錯誤の毎日だった。それが今考えると楽しかった。一生の宝となった。だから大学卒業して何年経とうが、世界のどこに住んでいようが、絆は切れない。

今回、10年ぶりに会う、とか20年ぶり、とかの仲間もいたけど、会ったら一瞬で学生時代のあのノリに戻れてしまう。とっても不思議でうれしい。

人って変わらないんだなぁ、ということを深く実感した日になった。2つ下の後輩で、大学入学時から綺麗で大人っぽい子がいた。その子ももう45歳過ぎてるはずなんだけど、会った瞬間「相変わらず大人っぽい~いい女」と言った。もう充分大人、世間一般ではおばさん、なんだけど、大人っぽい、んだ。

逆に、大学入学時に、小学生やろ?とかからかわれていた、これまた小さくてかわいい子がいて、その子も相変わらず小さくて小学生みたいだった。顔の皺を見なければ(笑)

みんなそれぞれ、超個性的で自由人が多い仲間なんだけど、本当にみんな大学の時から変わっていなくて。そりゃぁ、体重やお肌の張りやシミ皺なんかは変わっているんだけど、恐らく、魂というか、その人が持つオーラが変わっていないんだと思う。誰に会っても、「大学の時と全然変わらんね」と言い合っていて、第三者が聞いたら「そんなシミ皺たくさんある大学生おらんし!」と突っ込まれそうだな、とちょっと思ったくらい。

大学卒業して、就職して、恋愛して、結婚したり離婚したり、結婚しなかったり、親や大切な人を亡くしたり、みんないーろいろあったはずだけど、みんな変わらない。人ってなかなか変わるものではないね。だから、変えようとしても無駄、というか、大きなお世話だよね、と今後の子育てに生かしたいと思った。

同窓会に来る予定だったけど、親の不調で急遽参加できなくなった仲間が、同期のグループラインにこんなメッセージをくれた。

みんなに会って笑って色々話したかった。体も変わり、物忘れやばすぎなのに、実は脳みその中の夢見る部分は20歳ぐらいから変わってない勘違い乙女なこと、これからどう生きるかもう何年も考えていて答えが出ないこと、めっちゃいっぱい話して、何か失われつつある「自分」みたいなのを取り戻したかった

涙。

みんな、精一杯生きている。

そんな怒ることではなかった

昨日は、ハスちゃんがこっそりオヤツを大量に食べていたこと、隠れて炭酸飲料を買って飲んでいた事に対し、めちゃくちゃ怒ったわけだけれど、少し落ち着いて考えてみると、そんな怒ることか?という内容だったなぁと思う。

親として、ハスちゃんの健康を願うあまり、あんなに怒ってしまう。親とは、何とも自己中心的で、子供にとっては鬱陶しい存在だなぁ。

ハスちゃんは、食事はあまり量を食べない。食事の量を増やして、オヤツを少なく、がいいよ、と言い続けている。健康のためには。炭酸飲料って、原材料を見るとこれでもか!という添加物が羅列されていて、そんな代物を子供が飲むなんて我慢できない、私は。ハスちゃんは時々腹痛を訴えることがあり、だからこそ、食べるものには気を使いたい。腹痛は、精神的なものかもしれないけど。

安部司著 「食品の裏側」 を読んで、面白かった、添加物絶対嫌だなんて言って、カメちゃんが炭酸飲料飲みたそうにしてる時に「カメちゃん、やめた方がいいよ、添加物やばいから」とか偉そうに言っているくせに、自分はこそこそ飲んでいる、という点も腹が立った。

でもでもでも、月に1回くらい、自動販売機で炭酸飲料を買ってこっそり飲んだり、オヤツを食べすぎたり、なんて、よその家の子だったら、全く腹が立たない。現に、カメちゃんのお友達は放課後毎日のようにコンビニで炭酸飲料がお菓子を買って飲み食いしている。恐らく親には秘密で。ゴミを家に持って帰ったらバレるから、帰宅する時にコンビニのゴミ箱にちゃんと毎日捨てていく。笑 私はそれを、我が子にはさせたくないけど、おもしろいなぁ、と見ている。それくらいのことなんだ。

もちろん、我が子の健康はしっかりと守っていきたいけど、それ以上に、精神的にガチガチに追い詰めるみたいなことも、してはいけないなぁ、と反省した次第。

健康第一を教える

いろんな子がいる。それでいいし、そのいろいろ、を守ることが大事、と思って子育てしてきた。欠点に目をつぶり、長所をみること、なんてとってもいいと思う。しかし、我が子相手となると、難しい。。。

とにかく、ハスちゃんは私の心を乱す。ぐちゃぐちゃに乱しまくる。ゴミをゴミ箱へ。洗濯物を洗濯かごへ、そういうことが苦手な子。放っておいたらゴミ屋敷に住む人になりそうで、嫌だ。でも、私も思春期、自分の部屋がめちゃめちゃぐちゃぐちゃだったことを棚に上げている。綺麗好きで几帳面な父が、私の部屋を見て卒倒して激怒していた記憶がある。あぁ、歴史は繰り返す。笑

ハスちゃんは、甘いものに目が無い。食事はあまり食べないんだけど、とにかく間食が多い。私の目を盗んでいくらでも食べるから、お菓子類は鍵のかかるボックスに保存したり、与えたお菓子で足りない時は、ドライフルーツを食べる、とか、工夫しているのだけど。。。うまくいかない。今朝、彼女の部屋からこっそり食べた煎餅の包装が7枚、ごそっと出てきて、がっかりした。鍵のかかるボックスに入らない缶入りの煎餅だったのよ。。。くやしい。やられた。。。

生きてると色々あるけど、私の使命は、ハスちゃんを病気(糖尿とか)にしないこと、健康的な生活を送ることを教える事なのかなぁ、と怒って、沈んで、今はそこに思考が至っている。成績がどうとか、二の次だなぁ。健康第一だもんなぁ。

いろんな子がいる。

ハスちゃんは、声掛けしてもなかなか動かない。ごはんよ!お風呂入って!大体3回目で動くかな。

昨夜も、「ハスちゃんお風呂入って」と声掛けて、2回目くらいで階段を下りてくる音。言わないと全然水分を採らない子だから、お風呂入る前にお茶飲んでね!って声掛けたら、カメちゃんだった。

カメちゃんが、「ハスちゃんだと思った?」とニコニコ顔で聞いてくるから、思った、と答えたら、「やっっひゅぅ~っ!!」みたいな擬音語で喜んでトイレへ行った。とても嬉しそうで、それを見て私も、なんてかわいい子なんだ、あんな6年生いるんだなぁ、と笑った。

本当に、いろんな子がいるね。ハスちゃんカメちゃん2人だけでも全然違う。どっちがいいとか、悪いじゃない、ということを、私は早く学ぶべきだ。

昨日のカメちゃんの迷言。「おちつけ家康」大河のどうする家康を言い間違えたらしい。いつも楽しませてくれます。

不思議でたまらない

どんぐり育ちの子は、おまけのように良い成績をとることが多い、という話が、ハスちゃんはちがった、ということに、がっかりしてしまう、私。あんなにノーヒントで難問に立ち向かえる能力があるのに、何でそんなにテストで点取れないの?と、不思議である。でも、それがハスちゃんの特性なんだろう。そこはもうそうなんだから仕方がないんだ。

英語の学習についても、この子ならできるだろうと思って、ノータッチでいた中学1年間。定期テストで平均点取れるか取れないか、みたいな状態であることに一念発起し、ハスちゃんと英語を一緒にやり始めた。やり始めてわかったけど、とにかく全然勉強していない。英単語、全然覚えていない。なにがどうって、やってないんだから、点が取れないんだ。テキストに出てくる単語は全部覚えてね、と言って、うん、と言っていたのに、やらないんだねぇ。

普通の文を疑問文に直す、という基本的なシンプルなことすら、毎日やっても毎日間違える。be動詞の文なのに、急にDoが出てきたり、過去の文なのに急に現在にしたり、その反対もしかり。それを毎日毎日、繰り返す。こんな簡単でシンプルなことが、何ですぐにできないのか、不思議で仕方がない。どういうことなんだろう。

どちらかといえば、頭が切れるタイプで、論理的思考力はある。数学は、塾無しで、授業だけで理解はしている様だ。理数系の頭、ということなんだろうか。英語のあんなにシンプルなことが永遠に間違えられることが不思議。

ハスちゃんは、興味がないから、覚えられないし、やる気もでない、と言う。仕方がないけど、本当に学校には向かない子なんだ、と心から思う。

ハスちゃんと私にとっては、中々、苦しい義務教育期間。

ハスちゃん参観日

ハスちゃんの学校の参観日があった。行きたくないなぁと思った。だって楽しくないんだもん。そんな事言う親なんてとんでもない!と思うかもしれないけど、仕方がない。でもその楽しくない場所に毎日我慢して通っているハスちゃんのことを思うと、行くべきだと思った。

結果、やはり楽しくなかった。カメちゃんの通う小学校とは根本的に違う場所であることは間違いない。うーん、生徒が主役であると感じられない。

行ってよかったと感じた点は、ハスちゃんの様子が見れたこと。ガチガチに強張ったハスちゃんの様子を見て、そりゃ疲れるわ、と思った。だから、家では小言を控えて、リラックスさせてあげようと誓った。それが収穫だった。

そして、中学生のマスク率100%だったことにも驚いた。もう着けなくてもいいと言われてもこれかぁ。思春期だしね、もうマスクつけないの恥ずかしい、自分の顔に自信ない、とかおかしなマインドになってしまっているんだろう。大人の責任だなぁ。あ、先生以外の大人、親、もマスク率100%だった。私だけだったなマスクしてないの。

ありのままの自分、自分がやりたいように過ごせる場所ではないなぁ、あの学校は。そしてこの国は。