” 感覚が育っていない” こと。
今日、群馬でどんぐり教室をしているさとちゃんの投稿を読んで、ハッとした。 ” 感覚が育っていない” ことが、多くのことの元凶であると感じた。
先日、知人宅で開かれたイベントに行き、何とも苦い気持ちを味わった。野外でピアノ演奏が聴けるイベントで、ある男性、とってもクリエイティブな方が、家主のリクエストで踊り始めた。踊りというより、演技、かな。子芝居か。役者さんなの?と私は関心した。即興で、急に言われてこんなのできるのって素晴らしい。
それを見た子供達が、面白がってるんだけど、「うわぁー見て!バカじゃん、〇〇ちゃん、バカだ」と大声で叫ぶ。その子芝居をしている方と、その子供達はとても仲がいいのだ。その子達も、楽しいと思っているんだろうに、出てくる言葉が人をコケにするというか、傷つける類の言葉である、ということが、不思議だし、残念だと思った。だから、私は「バカじゃない、すごい、楽しいね」と言った。全く彼らには伝わらなかったけど。
私が残念だと思うのは、その子供達の発言を、周りにいる大人が放置すること。その発言に対し、何も感じないのか、それだったらもう成すすべはない。今の子供達の状態は、大人の責任だ。だから、私は声を上げ続けようと思う。
昨日、カメちゃんが放課後、誰が作ったかわからない泥団子を壊して遊んだと聞いた。楽しかったらしい。けれども、自分が作ったもの以外のものを壊すことには、注意をしてほしい、それを作った人の気持ちを考えて欲しい。自分が泥団子を作って大事に置いた時の気持ちを思い出して、と話した。そしたら、カメちゃん、「やばいな」と言った。
それでいい。失敗をして、良くないことをして、そこから、何かを感じて、成長していってほしい。でも間違ったこと、人を傷つけることをしても、周りの大人がそのまんまにしていたら、子供の感覚を、あるべき状態に保つことが難しくなりそうだ。
昔いた、近所のこわいおじちゃん、おばちゃん、の復活を希望する。