人の多面性、イメージ

人にはいろんな面があって、表面だけとか、世間的なイメージだけで判断するのって間違いだな、と思った出来事があった。

吉本興業会長の大崎洋さん著「居場所」を読んで、大崎さんに抱いていたイメージががらーっと変わった。私が抱いていたイメージは、マスメディアで発信される映像とかニュースによるもので、芸人から搾取している酷い金に汚い経営者的なものだった。もちろん私が大崎さんに会う機会はあるわけもなく、本当に彼自身のことを何も知りもせず、ただただ、マスコミ報道からのイメージを抱いていただけ。

「居場所」は本当に面白い本だった。もう、終わるまでは他のことをする気にならないような感じ。大崎さんがご自分をバカ、とか、嫌われ者と表現することがすごくびっくりしたし、順風満帆で大企業の会長まで上り詰めた強かなできる人間、というイメージの真逆、くらいの人だった。全然勉強しなかったから、大学2浪したとか、意外だったし、そんな学生生活送ってても、人生捨てたもんじゃないんだな、となんだか一般庶民に勇気をくれる方でもある。

マスコミが作り上げるイメージで、人を判断するのは本当によくない。

もう一つは、母のこと。自己犠牲の人で、家族の為に家事を必死でこなしてくれている姿を見て、私は多くのことを学んだ。地元地域への貢献、人間として恥ずかしくない生き方をしていて、私はそこを尊敬しているし、学ぶべきポイントだと思っている。

ただ、世間の常識、とか、世間体、みたいなことに囚われている感じがするのが、母と話すときにストレスを感じることがある。

夏の甲子園で優勝した慶応。長髪で高校球児に見えない彼らを見て、なんだか新しい時代の幕開けのような気がして、嬉しかった。慶応高校の野球部の話をしていると、「彼らは頭がいいからできる」と母は言う。妹も言ったかな。うーん、確かに、そうかもしれないけど、それを言ってしまうと、彼らはできるけど、他の高校の子にはできない、と初めっから希望を奪ってしまうというか、挑戦すらさせない雰囲気を作るというか。。。

そもそもプロ野球に坊主の選手っていないんだし、髪型で野球するわけじゃない、と話しても、「田舎って中々変われないのよ」って、また田舎のせいにする。私だって住むのは田舎が好きだから、田舎の難しさ、面倒くささは知っているけど、けどけどけど、田舎は変われない、という思い込みは、また田舎の子供の可能性をつぶす発言。田舎で変われないのは田舎の頭の固い大人であって、田舎の子供を巻き添えにしないでほしい。

ある元プロ野球選手が、最近はフラットな関係を重要視していて、先輩後輩の上下関係が薄れて、先輩への尊敬の念が感じられず、残念だ、みたいな発言をしてたよ、と母。私はこの元プロ野球選手の発言には違和感を感じる。「フラットな関係にも尊敬の念は必要よ、フラットな関係だと尊敬がなくなる、ってことじゃないじゃない」と言うと、「そんなこと言っても、(高校球児に)そんなの分からないのよ」と母。高校球児をバカにしてるのか!それを教えるのが監督、周りの大人の仕事でしょう。

元プロ野球の選手、年上だからってことでしか尊敬されたり、威張ったりできないような人だったんだろうな、と思ったのは、もう言わなかった。フラットな関係性の中、同級生でも年下でも尊敬できる人間になる、なろうと努力する、人生の先輩として、大人を慕う、話を聞く、そんなのがいいと思うんだけど。そういう会話は母とはできない。

とっても尊敬する人だけど、全てパーフェクトということではないんだな。人間だもの。