しつけは徹底(>д<*)コワイ

ハスちゃんが持ち帰って部屋の床に転がっていた(笑)教育講演会の手紙を拾い、読んで震えた。演題が「しつけは徹底、教育は感動」とあったから。しつけは徹底、に震えた。

まず、これは、私の個人的な意見であること、この演題に深く共感する方が多いんだろうな、そして講師の方は、経歴も、人間としても、素晴らしい方には間違いないんだろう、ということを前置きとして書いておく。

「しつけは徹底」という言葉に、私の体がとても拒否反応をしめして、怖い!と震えてしまったので、その感覚を無視することが出来ず、講師の方のことをネットで少し調べてみた。それで得た情報から、なんとなくどんなことを話されるのかは想像がついた。

子供を褒めること、がんばれ!と励ますこと。家庭でのしつけの徹底。返事は「はい」、挨拶徹底、履物を揃えること。

しつけの徹底における、3つの要素に関しては、私も、それは大切なことであるし、出来たらいいよね、と思っていること。但し、違和感を感じるのは、徹底、というワード。徹底とは、どんな状況であれ妥協を許さず、それを強いる感じがする。どんなに素晴らしいことも、状況状態によって、強いるべきじゃない時がある、と私は思う。

しつけを徹底することが、親と子供の間の溝を深く深くすることになりそうな気がする。その溝がほぼなかったり、浅い場合、即ち親子関係が良好な場合は、いいのだけれども、そうでない場合、そのしつけの徹底は溝を深く深く掘り下げていく気がする。

子供の気持ちが不安定で、イライラしている時、親に対して不満を抱いている時なんかは得にしつけ、については一旦忘れた方がいいと思う。親の問いかけに返事をしなくても、履物が揃っていなくても、ただ、台風が過ぎ去るのを待つように、黙って見守る。黙って履物を揃えて、待つ。そうすると、台風一過で素晴らしい天気に恵まれる。そんな日々を過ごしているから、余計にそう感じる。

「私は太陽」と、呪文のように唱えるようになった、あのハスちゃんとの険悪ムードの日から一転、今は、穏やかで、さわやかな木漏れ日を楽しむような状態となっている。ダメなことはダメ、絶対。ハスちゃんがどんな状況にいても、法と健康を守らないことは断固として許さない。けれども、それ以外のことは、太陽のように、見守りたい。たとえ、ハスちゃんが最悪の状態の時に法を犯してしまっても、伝えるべきことを伝えた後は、太陽のように、光を照らし続けるんだ、と心に決めている。

だから、しつけは徹底、というワード、とても違和感で、本当にそれが主題なのであれば、怖いなぁと。しつけは徹底するけど、の後に何かあるのならいいのだけど。但し書きとか。

子供を褒めること、がんばれ!と励ます、 に関しては、状況如何ではなく、私はやらないな。褒めかたは十分注意が必要だし、がんばれ、に関してはNGワードくらいの扱いにしている。がんばれ!は、自分に対して言う言葉。他人に言われる言葉ではない。がんばれは、言う人の期待とか願望をかなり乗せていて重い言葉だと感じる。がんばるかどうかを決めるのは自分でしかない、人がどうこういう話ではない。

我が家では、がんばれ!という言葉は使わない。言うなら、「あなたのできることをやるだけ、最善をつくしてみて」かな。もっといい言葉、探し中。

追記:この講師の方、ヤンチャな子達を厳しく優しく指導してくれる、ザ、金八先生という方らしい。愛があってのしつけ、で、受け入れられるんでしょうね。そうなのであれば、演題、ちょっと変えた方が、良い気がする。時代に合わせて、というか、講師の本当の魅力を伝えるために、というか。