教師のセオリー

娘がいじめで学校に行けなくなる、という最悪な状況下ではあるけれども、頻繁にやりとりしている担任の先生、教頭先生が、本当に素敵な人たちで、こんなことがなければ、この方たちの素敵な部分を知ることもなかったかもな、とそう思うほど、人間性が素晴らしい先生達で、ハスちゃんとも、不幸中の幸いだねと話している。

ようやく学校が相手のご両親にこのいじめに関して報告し、担任がクラスでアンケートを実施したり、その結果を踏まえてクラスで話したり、という私が考える最低限やるべきことが行われ、昨日学校側から報告を受けてきた。

相手の保護者への連絡がここまで遅いこと、私は不信感を持ったし、警察もダメですね、と言った。もしかしたら、相手の保護者に連絡しないで事が静まればいぃなぁ。ハスちゃんが少し休んで元気になってまた登校してくれたら万々歳、みたいな願いは学校側にはあったはず。

けれども、担任の先生がこういう問題対応をする際の”教師のセオリー”がありまして、と説明してくれて。そのセオリーをこの問題に適用する意味が全く理解できない、頭ん中?で埋まったようなセオリーだったけど、そういうものが教師間には存在していることが分かった。なんでも、いじめを訴えてきた子が、実は加害者であった、ということがあるから、慎重に状況判断する、みたいなセオリーだった。

確かにそんなこともあるだろう。だから、そのセオリーをもっとスピード感持って、1週間くらいで出来ないもんか?そんなゆっくりゆっくり慎重に対応されると、ハスちゃんの教育を受ける権利が侵害され続けるのに。学校の最上位目標は、全ての子の学習権の保障であってほしい。

学校は、ハスちゃんのことを一番最優先に考えて、動いてきました、という校長先生のお言葉は、「そうは思えませんし、事実そうではないですね」と反論させて頂き、学校側もそれを認めてくれた。でも、それ以外は、学校への不信感が少しずつ消えてゆくような話ができた。何より教頭と、担任が素晴らしい。校長先生は実のところ、よくわからないけど。

話の最後に、教頭先生が「我々のセオリー、ちょっと見直さないといけないな」と仰っていた。こんな素敵な方でも、こんなことがないと気付かないのねぇ。学校って、世間の常識から外れた世界で動いているみたい。