遠足の山登りの際の服装のこと、学校に連絡した時の反応でかなりモヤモヤした。結局は、長ズボンを履いていいということになったのでよかった。けれども、服装について、全員体育服、だの、標準服だの、小学生をみんな一緒の服装で縛ることが私はモヤモヤする。いろんな子がいるから。その子と親がその子に最適な服を選べばいいと思う。あんまり派手だと。。。というコトであれば、色指定くらいは許そう。なんて、ね。
奄美最高峰の湯湾岳へ行くのに、頂上まで行かない事に驚き、ハスちゃんに話したところ、彼女から驚きの見解が返って来ました。
「みんなね(ハスちゃん以外)山とかに行ってもね、楽しくなさそう。フィールドワークしても、まぁ去年も聞いたこととか知ってることしか教えてくれないから面白くないしね。質問は?って言われても誰も質問しないし。山歩いてもね、無言でただ歩くだけ、楽しくなさそう。私は楽しいけど。だから、山頂まで行く変わりに、早く公園に移動してみんなが楽しめるレクリエーションをたくさんするってことになったんじゃないかな」だって。
ハスちゃんの見解、一理ありそう。先生達は子供たちが楽しめる様に考えて計画を練ってくれたのかもね。それを私は勝手にモヤモヤして申し訳なかった。でもねぇ、山を楽しめない状態の子どもをそのままにするのは。。。山の楽しみ方、自然の中での楽しみ方を教えられる先生がもはやいないんだろうなぁ。由々しき事態。そしてそれに気づいている教育者や親があまりにも少なすぎる。。。
私が大好きなブログ、篠先生が書かれている文章の一端
そして、自然の中で遊ぶためには考えることが必要です。ですから、考えることが楽しくない子は自然の中では遊ぶことが出来ません。でも、家の中での遊びでは考える必要がありません。ゲーム機やテレビやおもちゃがあるからです。
自然は子どもに合わせてくれません。だから、子どもが自然に合わせる必要があるのです。その時に考えるのです。またそれが楽しいのです。だからいつまでも遊ぶことが出来ます。
兎にも角にも、考えられる頭を持った人間が少ないということかしら。