主体的で対話的な深い学び

2020年からの新学習指導要領で、主体的で対話的な深い学びということが大きなテーマとして謳われた。主体的とは、自由のなかで獲得すること、対話的とは、同じ目線で向き合って話し合うことだと思うから、学校現場で行われていることと真逆のことを掲げてしまっている。これが実現したら最高だけど、教育現場ではどうこれを実現するのか、てんやわんやの状態だろうと思っている。

数日前に思いついたのだけど、学習指導要領でこれを謳っているということは、先生達はそれを実現しようとしている子どもを妨げることはしてはいけないはず。使える!

校長先生が、みんなが漢字があまりにも書けないのを知って、たくさん書かせようとしたから、ハスちゃんはたくさん書かせることは良くないと思うということを話したって。たくさん書くと作業になる、終わらせることが目的になる、何度も同じ漢字を書いたら点を書き忘れてることも気づかず、間違った漢字を何度も書いてしまうこともあるから、と話したら、校長先生は納得して、自分で漢字を書く回数を決めていいことになったって。

来週から、教頭先生がハスちゃんの臨時担任になる。100マス漢字ノートを準備するようにと週報に書いてあった。ハスちゃんに、このノート準備しろということは、たくさん漢字を書かせるつもりかもね、と話したら、大丈夫、ハスちゃんがちゃんと話をするという。頼もしい。成長してるね。

校長先生は子供の話をよく聞いてくれる人だけれども、教頭先生はどうだろう、子供の意見を聞いてくれるかなぁ、と話して、もし子供の意見を無視して、言われた通りにやりなさい!と言われた場合、先生にこう伝えてみて、と提案した。

先生、私は主体的に考えて、漢字をたくさん書くことに意味がないと発言しました。先生、私の考えを否定するのではなく、対話をしてください。と。

まともな教師であれば、ドキっとするはず。

年下の男の子が呼び捨て名前を呼んでいいと言うから、ハスちゃんが呼び捨てにしてたら、先生にさんをつけなさいと注意された、と言う。そんな時も、その男の子と私は対話をして、その子が読んでほしいという呼び名を主体的に使う事を選びました。と先生に話せばいい。

いろいろ、うまくいけばいいなぁ。