カメちゃんのテスト

奄美大島、というか、鹿児島県の教育は保守的らしいのですが、本当にそう。

学期末に、1年生のカメちゃんがバリバリしっかりとした実力テストみたいなのを受けて、それが返却された時に感じた。

“ゲッ”と声が出た。

違和感。こんなテストで学力ははかれません!とどんぐり倶楽部の糸山先生の声が聞こえた。

こんなテスト、広島県の小学校ではなかった。もしかしたら6年生とかならやっているのかもしれない。けど、1年生から。。。というのは、私にとっては違和感がすごい。

さんすうテスト
え!?97点!?

こんなかっちりしたテスト気持ち悪い、と思って、得点合計を見て驚愕!97点!うそ!

間違えた問題を確認してみると。。。

こたえの、写し間違えか。ということは、全部理解はしているってことなんだね。驚いた。

さんすうのセンスは、正直あるな、と感じていた。何て言ったらいいか、保育園の時から、工作やらする中で、空間把握能力なんかは私負けてたから。

けれども実は私、学校の成績という評価基準では、カメちゃん落ちこぼれるかもな、テストとか座って受けられるかな、と感じていた。カメちゃんには何か天才的なものを感じるけど、それは学校のテストでは発揮できないだろう、と。でも、学校の成績なんて本当の学力ではないと分かっていたし、テスト0点でもいい、考えられる頭さえどんぐり倶楽部で作れているなら、学校の成績はどうだっていい。

そこからの、この結果だったので、驚いたというわけ。で、「これ(答えうつし間違え)惜しかったね~」と言うとカメちゃんは憮然とした表情で、「先生にも同じこと言われたんだけど、”惜しくない、間違ったところが宝物なんだから!”と言ったよ。間違えたところが宝物なんでしょう?」と言われた。頼もしい。立派などんぐりっ子に育っています。

カメちゃんはわかってない様でとってもわかってて、よく私の迂闊な発言に的確なツッコミを入れてくる。謝るしかありません(汗)

こくごのテスト。

こくごテスト
78点、うん、まぁまぁじゃん。

カメちゃん、こくご苦手だと思ってたけど、やるじゃん、思った。間違えたところが宝だからね。 間違えたところを確認。

□の中の答を読んで、あれ?合ってるじゃん、何で×なの?と思ったら、左横から選ぶ問題だったんだ!ここで惜しい!とは全然思わなかった。自分の頭で該当する言葉を考えて書いたんだ、カメちゃんすごい!と感動した。問題で問われている能力の上をいってるじゃないの~

こちらも、カメちゃんが書いた答を見て、あれ?何で×なの?と思って。よく問題を見たら、おわりにはまるをつけなさいって書いてあって、そこが×なんだね。と、何か笑っちゃいました。カメちゃんを呼んで、「ママこれ、〇あげるからね!」と言いました。まる、がないと×なのか。

学校のテストでは、本当の学力はわからない、という意味が少しわかりました。

私、カメちゃんこくご苦手だろうから78点でもすごいと思ったけど、理解度という尺度でみたら、100点だったかもしれない。

どんぐり倶楽部の糸山先生が言う通り、学校の成績は本当の学力ではないこと。そして親って子どもの能力を全く理解していないこと。がよくわかった。

奄美風お正月飾り

廃校になった節子小学校で毎週木曜日に行われる”草ラボ”で、お正月飾りを作った。

モコさんが集めてくれた奄美の植物を使って、奄美ならではの飾りを作る。まずはコースターを編むためにヤシの葉を半分に切る。

ヤシの葉を切る
奄美の豊かな草たち

コースターを編むのは、単純な手順なんだけれども、なかなか覚えられない。年を感じたけど、とても楽しい。

ヤシの葉を編む
ソテツの茎を金色に塗る

参加者がそれぞれ、デザインをあれこれ考える。熱中してしまった。

デザインを考える

同じ素材を使っても、全然違う作品ができあがりました。

草ラボメンバー

持ち寄りランチは芭蕉の葉のランチョンマットにのせて。体と心が喜ぶごはん。

豊かな持ち寄りランチ

帰宅して、玄関に飾ってみた。まだクリスマスだからサンタと共演。奄美で身近な自然のものを使って作れたお飾り。良い年迎えられそう。

クリスマスだからサンタと共演

見せない教育

アーシング

“今日から俺は”というドラマが放映されていて、とても人気だった。不良というか、ヤンキー漫画なんだけれども、私にとっては懐かしい。主人公の三橋役の役者さんの演技がコミカルで、とても面白いと確かに思った。けれども、不良たちの話なのでとにかく暴力シーンが多い。あんなに普通に暴力をゴールデンで放映していいの?と思ったくらい。ちょっと見てられないシーンがたくさんあった。

で、驚くのが、”今日から俺は”を小学生や未就学児が見ている事。親があんな暴力映像満載のドラマを子どもに平然と見せている事。私は理解ができない。

どんぐり倶楽部主宰の糸山先生は、見せない教育の重要性を繰り返し訴えます。12才以前の子ども達に見せて良い映像はとても限られていると。

・見せない教育が大事。
制御できる時間、すべき期間(12才まで)はキチンと制御する。
・脳内進化が完了するまでは見せてはいけない情報(特に視覚情報)がある。視覚情報は無意識の反射を形成するからだ。
本人が意識しない間に殺人好きに育ててしまうことだってある。
考えない頭に育てることだってある。見せない教育は見せる教育と同じように12才まで(特に9才まで)は繊細な注意が必要である。
悪いお手本でも幼児・児童期には良いお手本と同様に「お手本」として消化されるのだ。反面教師が通じない理由である。
悪いお手本は良いお手本を修得した後でなくては利用できない。

アーシング
子どもは見ないほうがいいものがたくさんある

特にニュース映像は見せないように注意するように、と言われています。ニュースは異常でなければ成り立たないという性格があり、圧倒的に悪い残虐なニュースが多い。異常な映像を見続けていると、見ている子どもも異常になるのは当たり前だと。

私は、この考えに共感できるから、見せるテレビや映画の内容は子どもにふさわしいものをと思っている。

一昨夜、ハスちゃんカメちゃんが広島にいるいとことスカイプでお話していて、4年生のいとこが、「クラスに乱暴な子がおる。2人。先生に暴力ふるった。悪い子は5人くらいかな」と話していた。

今日から俺はがオンエアされてから、小中学校で暴力事件が増えていないか、アンケート調査を実施したいと思った。もれなくその先生に暴力をふるった2人は見ているんだろうな。その2人も、無意識に脳内に残っている暴力シーンを再現してしまったんだろう、と私は思う。

1年生のいとこも今日から俺はを見ていたみたい。家庭環境が安定していて、十分に愛情を注がれていて安心感がある子なら、大丈夫なのかもしれない。けど、日ごろからうっぷんが溜まっている子どもへの影響がこわい。

子どもにとっての”遊び”

きれいな赤い花

子どもにとっての”遊び”が、どれほど重要なことなのか、
わかっている親が少ない。
少なすぎる。

11月に入って、学校が定める帰宅時間が5時になった。
それはまぁいいとして、
学校は”帰宅したらまずは宿題を済ませて遊びましょう”と指導をする。

アホか!!!と腹が立つ。

外遊び
長いもの好きだよね

1年生のカメちゃんでも学校から帰宅するのは3時半。
3年生のハスちゃんは4時半。
ハスちゃんは帰宅してすぐ遊んでも、30分しか遊べないのに、
宿題してから遊べと指導したら、「遊ばないでください」と言っているのと同じ。

遊びがどんなに子どもにとって大事なのか、全く理解していない証拠。

あまりにも頭にきたので、
「うちは、夕ご飯を食べてから、夜宿題をするというスタイルです。
宿題をする時間は、各家庭の生活スタイルに任せるべきではないですか?
帰宅すべき時間も5時になりましたし、明るいうちに遊ぶ時間を確保することが大切ですので、帰宅したらすぐに遊ばせたい。学校で、帰宅したら宿題をしてから遊びましょうと指導するのはやめて下さい」

と連絡帳に書いたら、うちのスタイルには理解を示しつつも、
「またゆっくりお話ししましょう」と返事がきた。

だから、何もお話しすることないですから。
と、ぐったりした。

何か発見!
何か発見!

色々と子共に関する著書は読んでいて、心に残った内容。

子どもにとっての”遊び”は大人にとっての”遊び”とは全く違う。
子どもは自由な遊びの中から、勉強よりも大切なことを学んでいる。

“自分の意志を相手に上手に伝えて実現する”という事は、複雑すぎて
ロボットや人工知能には不可能なことと言われている。

だけれども、幼い子どもは無限に変化する状況の下で、試行錯誤を繰り返しながら、こんな難問を簡単に解決していきます。
子どもの時期にたくさん失敗して、無数の試行錯誤を経て、少しずつ培われていく能力。
これこそが、本物の”学力”なんだよね。

勉強ができなくても良いと思って、遊べ!遊べ!遊びが一番大事と言っているわけではなくて、むしろその逆。

勉強ができるようになって欲しいから、小学生のうちはとにかく自遊に遊んでほしい。
そう思っています。

わかる、と、できる

教室

子どもにとっての”遊び”とは、
子どもにとって、一番大切なこと。

これを分かっている大人の少ないこと少ないこと。

ちなみに、どんぐり倶楽部方式で子育てをしている通称どんぐらー達にとって、
“お友達との自由な外遊び”を子どもにさせることが一番大切な任務。
これがミッションインポッシブル並みに大変で。

色々とやらせることが良いと、子どもを複数の習い事に行かせる親
広島では4年生になったら塾に通わせる親も激増していた。
最近では少しでも早く通わせるほうがいいという親が増えているし、
少子化で塾側も1年生から受け入れ始めたりしている。
※塾を経営している方の裏話では、”塾通いは遅いほど良い”というのが常識のよう。

そんなこんなで、放課後遊べる子どもがいない、という状況。

4年生からぐっと授業内容が難しくなってついていけなくなる、
とよく聞くけど、うそ?!と思う。
私が小学生の頃の記憶だけれども、小学生で塾にはいかなかったし、
放課後は毎日暗くなるまで友達と外遊びをしていて、
宿題以外は何も勉強してなかったけど、わからない授業ってなかった。

お友達といたずらしたり、喧嘩したり、悪さしたり、という実体験が豊富だったからなんだろう、と思う。

でんしゃ
テントでんしゃだよ

4年生から授業がわからなくなる子って、できる、けどわかってないのだね。

計算問題は得意なのに、文章題が苦手、という子が多かったけど、
私にとっては謎だった。
ああいう文章題ってとても分かりやすく簡潔な文が多くて、
しかも、計算自体も実は簡単な問題が多かったから、
私は計算問題は見るだけで嫌で間違えまくってたけど、
最後の文章題だけはいつも正解!みたいな子でした。

計算問題が得意な子って、できる、けど理解はしていない子。
それ危険。

で、学校の先生も”できる”ことが重要だと思っていて、
私がいくら”わかる”が大切なんです、と話しても???って顔してる。

小学校の授業の内容を理解できない子がいたとしたら、
それは生活環境に何か問題があるのではないか?
そもそも先生の教え方にも難がある、と聞きますが、
それでも、考える頭を家庭で作っておけば、酷い授業でも理解できるみたい。
子は天才なのだ。

お友達と自由に外遊びしている?親子で団らん、コミュニケーションとっている?
ゲームし放題、テレビ・ユーチューブ見放題、で思考停止させていない?

自然の中で自由に遊び、生活を味わうだけで、
小中学校時代はお勉強に困ることはないはず。
色々な家族を見て、わが子を見ていて、この考えは正しいと、日々強く確信しています。

生活を味わうということ

夕日

11月に入って、学校から5時に家に帰宅するよう、プリントが配られた。
この地域の父兄は、学校が決めるルールをよく守る。
学校が子の安全を考慮して、帰宅時間を通達するのは全国一緒だろうけど、
その上で、各家庭がうちは6時までいいよ、とか特別ルールを作るのが普通だと思ってた。
だからこの地域、私にとっては少し息苦しい。

5時のチャイムが鳴ってもまだ明るいので、
カメちゃんは「まだ遊びたい」と不満そう。
だから、ハスちゃんカメちゃんと11月の初めころ、5時から散歩をしていました。

ちょうど、5時過ぎだと夕日が沈む前の時間です。
ハスちゃんが理科のテストで朝日が出る方角を間違えていたから、
何気に質問してみた。

夕日
お日様、今日もありがとう

夕日は、どっちに沈むんだっけ?
「あっちー」とハスちゃん。
ということは、あっちは西だね。

じゃあ、朝日が昇るのは?と質問すると、ちょっと考えて、
「あっちー、あっちが東!」
と、学校で勉強したことを、生活の中で実体験しました。

うん、これこれ。

糸山先生がいつも言っている、実体験の大切さ。
予習は必要ないけど、準備学習はする。
準備学習とは、生活の中で、親子の会話の中で行うもの。

授業で勉強するよりも、実体験の方が身に付くよね。
実体験と授業がリンクしたら、一番いい。
今は、その実体験が少なすぎて、子どもの思考回路ができていなくて、
学校の授業(整理学習)が成り立たなくなっていると。

それを感じた一コマでした。

標準服についての話し合い

私服小学校

“標準服”についてのお知らせプリントに、
着用すること、着用させてもよい、着用させないでください、

なんでそんな強制的なんですか?
と憤りを感じて。

標準服のブレザーと半袖ズボンで登校して、
学校に着いたらすぐに体操服の上下に着替える。

私、もうこれだけで意味不明、無駄な動きだと感じていたけど、
ぐっと我慢していた。

私服通学
断然私服がいいわ

で、冬、
半袖体操服で寒い場合、標準服のブレザーを羽織ることになってると知り、
我慢できなくなった。
息苦しい。

私は、あのブレザー、伸び縮みしないし、動きづらいと思う。
素材も化学繊維で嫌。
見た目も嫌。(これは置いといて)

だから、学級PTAの際に、
寒い日に、カーディガンやトレーナーを体操服の上に羽織らせて欲しいと意見した。
子どもにとっての”着心地”を最優先させて下さい、と2度言った。
何よりも、それが大切だと思うから。

で、校長先生宛に手紙を書いて、昨日話してきた。

標準服は、推奨にとどまり、強制はできない、というのは学校も認めて、
お知らせの言葉選びは、先生の話を聞いていると、強制だと感じると言ったら、
それは、そんなことはないと仰った。
のに、体操服の上に紺か白の長袖トレーナーを着せる話になると、
それは検討させて下さいと。
何を検討するの?
そもそも、学校が検討しなきゃいけないこと?
それ、家庭に任せたらいいんじゃない?
何も赤いトレーナー着せるって言ってるわけじゃないのに。

学校って、行ってることとやってることがチグハグなこと多いよね。
不必要なことを一生懸命あーだこーだ会議してる気する。
で、大切なことがおざなり。。。

チーン。

標準服とは

鹿児島県の小学校には、標準服というものがある。
紺のブレザー、白のシャツ、紺のスカートか半ズボン、白い靴下、白い靴。

標準服
標準服

私自身私服の小学校に通い、娘も2年生まで私服の小学校だったので、
正直この標準服が、堅苦しくて仕方がない。

しかも、標準服とは制服とは異なり、着用を推奨するに留まる服であるにも関わらず、
学校も、親も、制服だと認識しているらしい。
着用を推奨する、ではなく、体調不要以外は問答無用で着用!という雰囲気。

どうしてこうも、みんな同じにしたいのか。理解に苦しむ。
見た目をきちんとしたら、内面も磨かれるのか?

伸縮性のない素材で、着心地も悪いはず。
そんなものを子どもに強制的に着せるのは、虐待じゃない?と感じる。

創造力豊かでかわいい子どもたちが、一様にあの標準服を着せられている光景は、
私は見たくない。息苦しい。

芝生
みんないろいろでいいんだよね

つい先日あったPTA懇談会で、寒い日は半ズボンではなく長いズボンを履かせてもいいですか?
とある母親が質問して、先生の答えは、
「体調不良時は学校に相談してください。健康な時は薄着を心がけたいので、半ズボンで」でした。
ありえない。息が詰まる。

標準服として紺の半ズボンを推奨されているのであれば、
寒い時、子どもが体調不良の日は、親の判断で紺の長ズボンを着てもいいにきまってるじゃない。
溜息がでる。

奄美大島、温暖な気候のせいか、学校指定の体操服は半袖しかない。
私は個人的に、寒い日は長袖の体操服を着せようと思っていた。
長袖の体操服を着せて、注意されたら、こっちが学校を注意してやる!と思っていた。

懇談会で「長袖体操服ってあるの?着ていいんですか?」というある母親の発言に、
「ないよ」とか「うちはネットで買ったよ」とか真剣にお話しされている皆さん。
「着ていいかどうか、学校がしっかり決めて下さい」
とか言っていて、愕然。
いいに決まってるじゃん。
長袖体操服、着ちゃダメって言える公立小学校、無いでしょう。
それ言ったら問題になるでしょう。

たかが標準服(制服)、なんだけれども、やはり身に着ける”衣”は、生活の基本。
生活の質、一日の気分を左右する重要ポイント。
それがわかった。

標準服、平日は毎日7時間くらい子どもに着せるものです。
私は、着心地も、没個性で個を抑圧するものだと感じ、すごく嫌だと思っている。
そして、標準服はあくまで着用を推奨される服であるにも関わらず、
先生も親も、制服のように強制することが気に入らない。
着用を強制してはいけないと思う。

海
海はいろんなストレスを癒してくれる


このままだと、息苦しすぎてこの学校に子どもを来年度通わせることは出来ない。
標準服以外のことは、悪くないとは思っている。
だから、校長先生に、私の思いを手紙にし、渡した。

公立小学校は、どんな子であっても通うことができる場所であるべきだと思う。
子どもの教育を受ける権利を保障することが最大のミッションなのでは?

ハスちゃんが学校で勉強したい、でもあの標準服のブレザーは肩が凝るから嫌だ。
と言ったら、どうしたらいいですか?
学校のルールを守れないなら、来ないでください、と言えますか?
と、質問しました。

意地悪な質問です。
だって、絶対に来ないでくださいとは言えないから。
公立小学校(義務教育)ですから。

標準服を着る事と、子どもの教育を受ける権利、どちらを優先すべきか?問いました。

これは離島という土地柄、仕方ないのかもしれないけれども、
“多様性”という概念が抜け落ちている。
みんな同じがいい、というめっちゃある意味日本的。

自閉症の子どもが増えていて、特定の気に入った服しか着られない子がいる。
そういう性分なんだから、受け入れないといけない。
カメちゃんは生まれつきアレルギー体質だから、小さい頃から身に着けるものは綿100%にするよう、医師にアドバイスされている。

そんな子たちも、当たり前だけれども、公立小学校に行く権利がある。

どんな子でも”身心共に健やかに”小学校に登校できるという、基本のことを守るために、
大人が工夫しなければいけない。

見た目、規律、なんかより、まずは子どもの心です。

今日、夕方校長室でお話してきます。
私の思いが何パーセント伝わったか、楽しみです。

親子山村留学のメリットとデメリット

タエン浜

なぜ都会を離れ、田舎へ移住するのか。
私は、子どもが小学生(特に低学年)のうちは、美しい大自然の中でのびのび育てたいと思って、
奄美大島に移住しました。

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環境は思った通り。素晴らしい。
子どもがゴールデンエイジといわれる9才から12才の間は、
豊かな自然の中で、じっくりていねいに毎日を味わって生活したい。

緑が神々しい山、サイダーのような海、小鳥のさえずり、かえるの泣き声、満点の星空、
身近にあふれる自然には、感謝しかない。
豊かな自然の中に、ハスちゃんカメちゃんがいるのを見ると、とてもうれしい。

自然環境は裏切らない。人間は自然を裏切りまくっているのに。

貝殻ひろい
たくさんあつめたよ

でも誤算は小学校。

奄美大島がある鹿児島県は保守的と言われていて、移住前にもそう聞いていた。
公立小学校なんてどこも一緒、くらいに思っていたけど、実際子どもを通わせてみたら、
なかなかストレスフルな保守的レベル。

山村留学制度を取り入れている小学校は、少子化で極小校で、
全校児童が10名前後という学校が多い。
少人数だから、全員が完全に保守カラーに染まってしまう。

小さな学校のメリットはある。
ハスちゃんは、同級生が1名、2名での授業なので、授業中の発言機会が多くあり、
常に自分の意見を発表できる。
運動会、学習発表会などの行事では、出番が多い。みんなが主役。
小さな学校の中では、一人ひとりが重要、かけがえのない存在であり、
子どもに、自分の意見や行動が、学校に影響力を持てる、という体験をしてほしいと思っています。

タエン浜
たっくさん通ったタエン浜

で、デメリットは、多様性が認められない風土とういこと。
お上に逆らわず、異論は唱えず、皆と同じがいいという土地柄で、
本流から外れた生き方をするのは大変。

ちょっと人と違う考え、行動をしたら、目につき、注意される。
息苦しい。
都会には本当に色んな人がいて、ある程度多様性を認める土壌がある。
それが、ここには無い。

ブートニア
入学式でつけてもらったブートニア

鹿児島県の教育は特に保守的らしく、古くない?時代錯誤じゃない?と感じることが多い。
親は学校、先生がいう事は絶対という雰囲気。

東京や広島では、学校が作るルールがあり、その上で各家庭が判断するという雰囲気だった。
例えば、”冬は暗くなるから5時に家に帰りましょう”という学校のルールがあるとして、
そのルールを把握した上で、各家庭のライフスタイルに合わせてアレンジしていた。
5時になったら家の近くの公園まで帰ってきて、暗くなるまで遊んでいいという家庭もあったし、
6時までなら遊んでいいという家庭もあった。全部保護者が自分の判断で決めていた。
今住んでいる地域の親は、完全に学校に言われた通りに動く。
疑問や異論を感じても、口には決してしないという感じ。

なんか、北朝鮮とか独裁国家って、こんな感じなのかな、と感じてしまう。

子どもの心

子どもの心

私がどんぐり倶楽部を知るきっかけになった、
“どんぐり学舎”の先生。
元々は大手学習塾で講師をしていた方が、今は個人的に家庭でどんぐり式の学び舎を
開かれています。

その先生が、不登校について書かれていた。
今年の文部省公開データから計算すると、小学生の100人にひとり、中学生の25人にひとりが不登校だそう。
不登校生徒が所属する学校は、ほとんどが公立学校だそうで。

先生は、不登校になる子どもに非が思っていたかもしれない。
けど、もうそろそろ、子どもじゃなくて、大人側に非があることを気づいてほしい。
だって、この不登校の多さ、異常じゃないかな?

自然
子どもは天才、大人がじゃましなければ

私はハスちゃん、カメちゃんを公立小学校に通わせているだけで、
公立小学校が子どものための場でないことは、ひしひしと感じています。
子どもたちを管理しやすいように、大人の都合がいいように運営されている。
一番大切にしなければいけない、子どもの”心”は置き去りだから、不登校が増える。

学校に行きたくない子が「嫌なら行かなくていいよ」と親に言ってもらえる割合はどれくらい?
引きずってでも連れて行く親、何とか説得して行かせる親が大多数かな。

学校で心を置き去りにされても、親に理解されていれば、子どもは大丈夫だと思う。
勉強は家でもできるし、高卒認定試験を受ければ大学にも行ける。
親が子の心を守ることが出来れば、大丈夫。

でも、学校でも親にも心を潰された子は、もうどうにもならない。
ニートになるしかない。

奄美大島で初めて住んだ地域で出会った、心の友の息子、そうたは自閉症。
カメちゃんと同級生です。
カメちゃんが引っ越して以来、学校でとても荒れているみたい。
先生は失礼ながら、自閉症の彼を全く理解していない。
彼の母親曰く、そうたにとって先生は敵になってしまっている。
だから、そうたは教室から逃げ出したり、先生を蹴ったり、必死で恐怖から逃げ回っている。

学校に話し合いに言った時、
「悪いことをしたら、謝らなければいけません。悪いことは悪いんです」
みたいなことを言われたらしい。
そうたは、自分が悪いことをしたと思ったら、素直にすぐ謝る子で、
この子が謝らないんだとしたら、悪いことをしていないから、なんだと思う。
恐怖から必死で逃げてるのに、謝らないでしょう。
そこが、先生はわからないみたいで、母親は落ちこんでいた。
話しても、話しても、伝わらない。と。

先生って”ちゃんとさせる”のが好き。
で、ちゃんとしない子に、ちゃんとしなさい!それではダメですよ!謝りなさい!と
“なんでちゃんとしないか?”と、理由を考えもせず、頭ごなしに怒る人が多い。

そうたの母親は腹をくくって、仕事を休職して、息子が学校に行かなくてもいい状況をつくった。
素晴らしいことだと思う。
仕事よりも、そうたの方が大事、だといつも言っている人だから。

ママ、家にいるからそうた、学校行かなくていいんだよ、と言ったら、
そうたは「ママ、仕事やめないでね。僕学校行くからね」と繰り返し言って、登校しているらしい。
泣けてくる。

そうたは大丈夫。母親が子どもの心をとても大切にしている人だから。
親なら子どもを守ることができる。
「組織は変えられませんから、家庭で守るんです」とはどんぐり倶楽部主宰、糸山先生の言葉。

自然
自然体でいこう

学校で、変な親、モンスターペアレンツだと思われてもいい。
私は、学校が変だと思うし、子どもの心を潰すモンスターだと思っている。
違和感があったら意見を言う。子どもを守るため。

で、だめだこりゃ!ってなったら、見切りをつける。
うちは、子どもが行きたくないという日は、健全な不登校を選びます。
行きたくない場所に、行く必要はない。
勉強は家でやれるし、実際、家でやるほうが効率よく、短時間で済む。

私が学校に求めるのは、お友達や先生と楽しい、そして時には悲しい思い出作り、それだけなんだけど。
休み時間と、給食の時間が楽しければ、それでいい。