親子山村留学のメリットとデメリット

タエン浜

なぜ都会を離れ、田舎へ移住するのか。
私は、子どもが小学生(特に低学年)のうちは、美しい大自然の中でのびのび育てたいと思って、
奄美大島に移住しました。

タエン浜 class=”alignnone size-medium wp-image-289″ />

環境は思った通り。素晴らしい。
子どもがゴールデンエイジといわれる9才から12才の間は、
豊かな自然の中で、じっくりていねいに毎日を味わって生活したい。

緑が神々しい山、サイダーのような海、小鳥のさえずり、かえるの泣き声、満点の星空、
身近にあふれる自然には、感謝しかない。
豊かな自然の中に、ハスちゃんカメちゃんがいるのを見ると、とてもうれしい。

自然環境は裏切らない。人間は自然を裏切りまくっているのに。

貝殻ひろい
たくさんあつめたよ

でも誤算は小学校。

奄美大島がある鹿児島県は保守的と言われていて、移住前にもそう聞いていた。
公立小学校なんてどこも一緒、くらいに思っていたけど、実際子どもを通わせてみたら、
なかなかストレスフルな保守的レベル。

山村留学制度を取り入れている小学校は、少子化で極小校で、
全校児童が10名前後という学校が多い。
少人数だから、全員が完全に保守カラーに染まってしまう。

小さな学校のメリットはある。
ハスちゃんは、同級生が1名、2名での授業なので、授業中の発言機会が多くあり、
常に自分の意見を発表できる。
運動会、学習発表会などの行事では、出番が多い。みんなが主役。
小さな学校の中では、一人ひとりが重要、かけがえのない存在であり、
子どもに、自分の意見や行動が、学校に影響力を持てる、という体験をしてほしいと思っています。

タエン浜
たっくさん通ったタエン浜

で、デメリットは、多様性が認められない風土とういこと。
お上に逆らわず、異論は唱えず、皆と同じがいいという土地柄で、
本流から外れた生き方をするのは大変。

ちょっと人と違う考え、行動をしたら、目につき、注意される。
息苦しい。
都会には本当に色んな人がいて、ある程度多様性を認める土壌がある。
それが、ここには無い。

ブートニア
入学式でつけてもらったブートニア

鹿児島県の教育は特に保守的らしく、古くない?時代錯誤じゃない?と感じることが多い。
親は学校、先生がいう事は絶対という雰囲気。

東京や広島では、学校が作るルールがあり、その上で各家庭が判断するという雰囲気だった。
例えば、”冬は暗くなるから5時に家に帰りましょう”という学校のルールがあるとして、
そのルールを把握した上で、各家庭のライフスタイルに合わせてアレンジしていた。
5時になったら家の近くの公園まで帰ってきて、暗くなるまで遊んでいいという家庭もあったし、
6時までなら遊んでいいという家庭もあった。全部保護者が自分の判断で決めていた。
今住んでいる地域の親は、完全に学校に言われた通りに動く。
疑問や異論を感じても、口には決してしないという感じ。

なんか、北朝鮮とか独裁国家って、こんな感じなのかな、と感じてしまう。

子どもの心

子どもの心

私がどんぐり倶楽部を知るきっかけになった、
“どんぐり学舎”の先生。
元々は大手学習塾で講師をしていた方が、今は個人的に家庭でどんぐり式の学び舎を
開かれています。

その先生が、不登校について書かれていた。
今年の文部省公開データから計算すると、小学生の100人にひとり、中学生の25人にひとりが不登校だそう。
不登校生徒が所属する学校は、ほとんどが公立学校だそうで。

先生は、不登校になる子どもに非が思っていたかもしれない。
けど、もうそろそろ、子どもじゃなくて、大人側に非があることを気づいてほしい。
だって、この不登校の多さ、異常じゃないかな?

自然
子どもは天才、大人がじゃましなければ

私はハスちゃん、カメちゃんを公立小学校に通わせているだけで、
公立小学校が子どものための場でないことは、ひしひしと感じています。
子どもたちを管理しやすいように、大人の都合がいいように運営されている。
一番大切にしなければいけない、子どもの”心”は置き去りだから、不登校が増える。

学校に行きたくない子が「嫌なら行かなくていいよ」と親に言ってもらえる割合はどれくらい?
引きずってでも連れて行く親、何とか説得して行かせる親が大多数かな。

学校で心を置き去りにされても、親に理解されていれば、子どもは大丈夫だと思う。
勉強は家でもできるし、高卒認定試験を受ければ大学にも行ける。
親が子の心を守ることが出来れば、大丈夫。

でも、学校でも親にも心を潰された子は、もうどうにもならない。
ニートになるしかない。

奄美大島で初めて住んだ地域で出会った、心の友の息子、そうたは自閉症。
カメちゃんと同級生です。
カメちゃんが引っ越して以来、学校でとても荒れているみたい。
先生は失礼ながら、自閉症の彼を全く理解していない。
彼の母親曰く、そうたにとって先生は敵になってしまっている。
だから、そうたは教室から逃げ出したり、先生を蹴ったり、必死で恐怖から逃げ回っている。

学校に話し合いに言った時、
「悪いことをしたら、謝らなければいけません。悪いことは悪いんです」
みたいなことを言われたらしい。
そうたは、自分が悪いことをしたと思ったら、素直にすぐ謝る子で、
この子が謝らないんだとしたら、悪いことをしていないから、なんだと思う。
恐怖から必死で逃げてるのに、謝らないでしょう。
そこが、先生はわからないみたいで、母親は落ちこんでいた。
話しても、話しても、伝わらない。と。

先生って”ちゃんとさせる”のが好き。
で、ちゃんとしない子に、ちゃんとしなさい!それではダメですよ!謝りなさい!と
“なんでちゃんとしないか?”と、理由を考えもせず、頭ごなしに怒る人が多い。

そうたの母親は腹をくくって、仕事を休職して、息子が学校に行かなくてもいい状況をつくった。
素晴らしいことだと思う。
仕事よりも、そうたの方が大事、だといつも言っている人だから。

ママ、家にいるからそうた、学校行かなくていいんだよ、と言ったら、
そうたは「ママ、仕事やめないでね。僕学校行くからね」と繰り返し言って、登校しているらしい。
泣けてくる。

そうたは大丈夫。母親が子どもの心をとても大切にしている人だから。
親なら子どもを守ることができる。
「組織は変えられませんから、家庭で守るんです」とはどんぐり倶楽部主宰、糸山先生の言葉。

自然
自然体でいこう

学校で、変な親、モンスターペアレンツだと思われてもいい。
私は、学校が変だと思うし、子どもの心を潰すモンスターだと思っている。
違和感があったら意見を言う。子どもを守るため。

で、だめだこりゃ!ってなったら、見切りをつける。
うちは、子どもが行きたくないという日は、健全な不登校を選びます。
行きたくない場所に、行く必要はない。
勉強は家でやれるし、実際、家でやるほうが効率よく、短時間で済む。

私が学校に求めるのは、お友達や先生と楽しい、そして時には悲しい思い出作り、それだけなんだけど。
休み時間と、給食の時間が楽しければ、それでいい。

月桃オイル

庭の月桃

木曜日は草ラボの日。
久しぶりに参加したけれども、やっぱり私の魂がよろこぶ場所でした。

主宰のモコさんが準備してくれていた月桃の葉っぱを小さく刻み、
キュアリングといって110度まで温めたオイルに漬け込みました。

月桃オイル
月桃がたっぷりつまったオイル

月桃の葉を切ると、なんともいい香りがただよって、
参加者みんなでうっとりと。
「いいにおいだね」と何回言っただろう。

お昼ごはんは、みんなで摘んだ”草”を入れたお粥。
私が持っていったソムタム(青いパパイヤのサラダ)とモコさんさとみさんが持ってきた味噌で、
たーっくさん草粥を頂きました。

草粥
草粥、自然の恵をいただきます

身近に生えている草をつかって、色んなことができるんだなぁ。
少しずつ、身近に自然に存在するものを使って、生活を豊かにする知恵をつけています。

マルベリー
桑の実はもちろん、葉っぱもおいしい♪

タンポポ
タンポポの葉は生でも食べられる

食事後、主宰のモコさんが、
「草ラボで取り組んでることをもっと広めたいけれども、
“いのち”という言葉を使ってしまうと、ちょっと距離をおかれてしまう。
“いのち”を扱っているんだけれども、面倒くさくなく、とっつきやすい、もっとバカっぽくしたいんだけど。」
と言った。

とてもわかる。そうなんだよね。
で、その時以来”草ラボに対してもっと普通の人が親近感がわくようなフレーズ”は何だろうと
私の頭の中にずーっとある。

月桃
お庭に月桃があるのに気がついた

今日の午前中、自然栽培の島ミカンのオレンジピールや酵素ジュースを作ったり、庭の月桃でお茶を入れたり、化粧水として使うチンキを作ったりしていて、
“生活”というキーワードが浮かんできた。
農薬や堆肥さえ使わず育ったフルーツや植物で色んなものを作ることは、とても贅沢なことだと思うけれども、
セレブ感があるラクジュアリーではなく、まいにちの生活を身近に存在する自然(いのち)を用いて、豊かにするということ。
既製品を買うよりも安くすむから経済的で、とっても主婦的な話。

もう少し、私の脳の中で整理ができたら、モコさんにプレゼンしてみよう。

先生

カメちゃんは入学時、ひらがなの読み書きはできなかったし、もちろんさんすうのお勉強も一切させていなかった。年長のカメちゃんを見ていて、私はまだこの子には小学校でお勉強させるのは早すぎると感じていた。カメちゃんは、何かどんくさいところがあったり、周りの空気を全く読めなかったり、天然で天真爛漫で野生、そんな感じの子。
私はカメちゃんのそういう所がむしろ素敵だと思っていた。 多分”天才”ってこんな感じなんだろうな、という無限の可能性を感じさせてくれる子でもある。

学校に入ったら、そんなカメちゃんの持ち味を消されてしまうのでは、という怖さがあった。で、1年入学を遅くしたらどうだろう、とか考えていたくらい。

かっこいいでしょう?

奄美大島でも秘境といわれる田舎の、小さなちいさな小学校に入学した。担任の先生には、カメちゃんの成績は気にしないから、勉強が嫌いにならないようにして頂きたいとお願いした。1年生は2人。唯一の同級生は自閉症だったので、 さんすうやこくごのお勉強は カメちゃん1人で受けていた。

入学して「お勉強いやだ、ぼく遊びたい」「さんすうと、こくご、きらい、やりたくない」としばらく言い続け、時間割を見て、今日は行かない!と休んだ日もある。担任の先生には、カメちゃんが算数と国語が嫌だと言って学校に行きたくないと言っていると、ちゃんと伝えた。そして何度も何度もこう伝えた。

“カメちゃんが今算数や国語ができなくても問題ないので、できるようにしようとしなくていい。先生はやるべき授業内容をさらっとして頂くだけでいい。カメちゃんが理解してなくても今はそれでいい。とにかく、計算や漢字をたくさんやらせることは控えて下さい。勉強嫌いになるのが怖いので。結果(成績)については親である私が責任をとりますから安心してください”

国語算数は、一人で授業を受けていたから、先生は多分不本意ながらも私の願いを受け入れ、やるべき内容をやり、時間が余ったら、カメちゃんが読みたい本を読んでいいとしてくれた。これはありがたかった。だから、何とかカメちゃんは勉強嫌いにはならなかった。

じゃじゃーん

それどころか、テストの点数もめちゃくちゃいい。学校ではカメちゃんは才能発揮することはできないだろうと思っていたから、これは驚きだった。カメちゃんは1度説明したらすぐに理解できる子だと先生も言ってくれた。で、できてしまうと、先生はもっと、どんどんやらせようとするけど、それをしたらカメちゃんは、嫌がる。その嫌な部分を阻止できてよかったのかも。

感じたのは、私の子育て方針を先生に理解して頂くことのむつかしさ。先生は、とにかく計算も漢字もたくさんやらせたい。単純反復で身に着ける、という考え方。だから、私が計算や漢字をたくさんやらせないでください、と言うと、きょとん?とした反応が返ってくる。理由を含め何回か話すと、ようやく少しわかって下さるという感じ。先生って、真面目に勉強してきた人達だから、余計に伝わりにくいんだと思う。

宿題

ササント

ハスちゃん、カメちゃんから面白い話を聞いた。

そもそも、うちは宿題=家庭学習ということで、担任、校長教頭に説明をして、
家庭学習はうちの方針に任せて頂いています。

どんぐり倶楽部では、おそまつ宿題3点セット、漢字ドリル・計算ドリル・音読、は悪影響しかないと考えています。
私もそう思うので、子供がどうしてもやりたい!という時はやらせますけど、上記宿題はやりません、と宣言しています。
家庭学習の責任者は親なんです。だから、親が違うやり方で子供を家庭学習させる、結果は親が責任持つ、と断言すれば、
おそまつ宿題免除は可能です。
年度始めにしっかり先生に話をして、理解を得なければいけないので、ちょっと面倒くさいです。
でも、子どもの為です。
私は毎年これをやっています。

ササント
自然の中で遊ぶのが何よりの学力に

面白い話というのは、まずハスちゃんから。
「算数で、小数点のプリントをやっててね、先生に遅いですね~って言われて。いつも宿題のプリントやってないから、慣れてないから遅いんですよって言われた」と。
計算はゆっくりていねいに、が基本なので、そこを再度確認して、
また同じこと言われたら、
「お母さんには、計算はゆっくりていないにやるように言われています。お母さんに話してください」と言うように言った。
面白いのはここ。
「じゃあ、Fくんはもっと早くプリント終わってたんだ?」と私が聞くと、
「ううん、Fくんはハスちゃんより計算遅かったよ。」とハスちゃん。
え!!!!!!!?????うそ!!!!!
「毎日真面目に計算の宿題プリントやってるFくんが、もっと遅いの?宿題プリント意味ないじゃんね」と私が言って、大笑い。
一応フォローの為に、
「〇〇くんは、ゆっくりていねいにプリントやるから、遅いけど、正解は多いんじゃない?」と言うと、
「ううん、ハスチャンは2個くらい間違えてやり直して、〇〇くんは、7個くらいやり直したよ」だって。
もう宿題プリントの意義ゼロ。

先生”ハスちゃん宿題やってなくて慣れてないから遅いんだよ”、なんて
ちゃんと宿題やってる子がもっと遅くて正解率低いのによく言ったよね。びっくりする。

ササント
外で風を感じる方が、1時間の机上の学習より学力アップになるって

そしてカメちゃん。
「Sくんが、テストの時ね、ぼくのを見るんだよね。ぼくだいたい100点だから。でね、Sくん、全部間違えて0点取って先生びっくりしてたよ。」とカメちゃん。
Sくんのお母さんは本当に真面目で、宿題をやるだけではダメで、丁寧にできてなかったらやり直しをさせるくらい、丁寧に宿題に取り組んでいる方。
「宿題を遊ぶ時間削って丁寧にやってるSくんが、カメちゃんのテストを見るの?面白いね。宿題って、いらないよね」
とまた3人で大笑い。

宿題は不必要、というか悪影響しかないこと。
子どもにとっては、遊びが一番大切なこと。
日々、確信にかわっていきます。生き証人の証言が面白すぎます。

自主学習

ハスカメカフェ

学校の先生が”自主学習”という言葉を発すると、ぐったりする。

私にとって”自主学習”とは、
自分で疑問や課題やを見つけて、自ら考え、深く学ぶこと、であってほしい。

私が考える自主学習を行うためには、ある程度の自由が必要だと思います。
自由というのは、誰にも指示されず、自分がやりたいように過ごす時間。
子どもにとって、ぼーっとする時間はとても大切だと思っています。

なのに、今の学校は自由時間を奪うほど、児童に何かをやらせたがるし、
放課後は、親が習い事なんかで子どもを忙しくする傾向がある。

あと、子どもが放課後自由時間を奪われるNo.1が宿題。
楽しくない、やりたくないことだから、どうしてもダラダラやってしまい、時間がかかる。
朝から学校でたくさん勉強してきて、やっと解放された!のにね。かわいそうに。

そして、4年生くらいになると、プリントやドリル、日記などの決められた宿題プラス、
自主学習という課題を出す先生が多い。

普通の宿題だけでも終わらすのが大変なのに、その上自主学習をさせるというのは、
私としたら、謎。

ハスカメカフェ
ハスちゃんカメちゃんが、カフェを開きました

自主学習は何をしたらいいかわからない、とある親子が悩んでいた。
仕方がないから、その日に学校で勉強したことを、復習して行ったら、
「それは自主学習ではありません」と言われたらしい。

自主的に学びたいと思ったことを勉強する、のでは不十分で、
何でも良いから題材を見つけて、それについて調べたり、調査したりして提出させたいってこと?と
私は”怒り”すら感じた。

そして学期末の懇談会。
自主学習で何をしたらいいかをいつも子どもが悩んでいます、とその母親が発言した。
先生は、「疑問に思ったり、不思議だなと思ったり、そんなことを見つけて、勉強してほしいんです。
勉強って言われてやるだけでは意味がないって思うんで、自主的にやってほしいので」と仰った。

だったら、子どもに普通の宿題を出すのをやめたらいいのに。
自主的に何かを勉強するためには、自由な時間が必要なのに。
その時間を奪っておいて、何という発言。。。
呆れました。

これがカメちゃんの日記です!

工作の船

カメちゃんは工作が大好き。
廃材をためておくと、次々いろいろ作っていきます。

今は、わりばしブーム。
わりばしで、船を作りました。

割り箸の船
割り箸の船

もっともっと作りたかったけど、寝る時間になったから、また明日やればいいよ、と中断。
翌日、自ら6時半過ぎに起きてすぐ「船の続きする」と制作続行。

「僕、これ明日学校に持っていく!みんなに見せたい!」とカメちゃん。

大切なもの、壊れたり無くなったら悲しいものは学校に持っていかないこと、
学校に持っていくなら、お友達に触らせてあげたり、貸してあげること。

こんなことを確認して、「大丈夫」と言って持っていきました。

割り箸の船
かっこいい船になってます、自慢したいよね

片手には図工で作った作品、片手には持っていった船を持って帰宅したカメちゃん、
「先生に、もう家で作った工作の作品を学校に持ってきちゃダメって言われた」と言いました。

「え?なんで?理由は聞いた?」と聞いたら、「理由は聞かなかった」と。

子どもにとって(特に低学年)、先生の言いつけは絶対で、それに対して疑問すら持つ権利すらない感じ。

「こんどから、先生に〇〇しないで、禁止って言われたら、どうしてですか?と理由を聞いてね」と言うと、
横からハスちゃんが、「それ、言いづらいんだよね~」と言いました。

子どもが「どうして?何で?」と聞きづらい雰囲気というものが存在するみたいで。
それじゃぁ、ダメじゃない、と思う。

カメちゃんの船の話に戻ります。
ハスちゃんが、「広島の小学校でも、学校に関係ないもの持ってきたらダメという決まりあった」と言いました。
そう、多分、すべての公立小学校の先生がそう言うと思う。

今通っているのは、小学生が14名しかいない小さな小学校。
複式学級で、教室内には生徒が5-6名しかいない。
そんな小さな学級なんだから、昨夜工作した作品を持って行くくらいいいんじゃないの?

割り箸の弓矢
カメちゃん作の弓矢

カメちゃんが自主的に夢中で作った作品を見て、
「いいな、僕もやってみよう」と刺激を受ける子もいるんじゃない?
図工の時間、先生から指示があり、評価される中でやる工作ではなくて、
自主的に工作をやりたいな!と感じて、取り組むきっかけになるかもしれないのに。

割り箸の弓矢
細部までこだわってます

“学校に関係ないもの”という言い方にも違和感。
いろんな子どもがいて、趣味や好きな事がいろいろあって、それぞれ放課後の過ごし方があって、
何か感動的な体験をしたとして、それを学校の先生やクラスメートに共有したい!という気持ち。
その気持ちを、私は大切にしたい。
そして、その感動に共感してもらったり、認めてもらえることで、自信、自己肯定感がつくのでは?

学校の先生はなにかと、日記を書かせるのが好きだけれども、
カメちゃんは日記、今まで1日しか書いていません。

私がそれでいい、と言っています。
書きたかったら書いたらいい、嫌だったらしなくていい。
感動を文字で伝えるのは、まだ早いから。
まだアウトプットする時期ではないから。今はひたすらインプット、インプットでいい。

1日だけ書いた日記は、日記帳が配られた初日に書きました。
書き終わって「日記ってたのしいね~」とカメちゃんは言いました。
けれども、次の日からは書かないと。
無理やり毎日書きたくもない日記を書かせるよりも、
「日記ってたのしいね」と感じた気持ちをそのまま、保存したいのです。

日記という文字情報じゃなくて、家で自主的に作った作品を持っていったら、ダメ!と言われるんだろう。
残念です。

植松努さんのブログー失敗について

植松さんのブログは、いつも大いに共感し、その鋭い分析、適切でわかりやすい説明に感動する。

以下、Facebookで植松さんがアップされていた記事は、
私が子育てをしながら感じていた違和感を、説明してくれたもの。

愛する我が子を悲しませないために、失敗を未然に防ぐ保護者が多いです。

失敗させないのは、簡単です。

(1)何もさせない
=何もできなくなります。

(2)過去に成功したことだけさせる
=成長できなくなります。

(3)誰かの指示通りにさせる
=思考力を失います。

失敗を禁ずると、
何もできなくなり、成長できなくなり、考えられなくなる。

そういう人達は、
なにをしていのかわかりません。

こうなっちゃってる大人、沢山います。
会社の経営者でも、そういう人沢山います。
そういう大人は、そういう子どもや後輩を量産します。

どんなことも、最初からできる人間はいません。
赤ちゃんは、歩けないところからスタートします。
つかまり立ちをはじめた赤ちゃんに、
「転んだらどうするの!危ないからやめなさい!」
と言う親は、あんまりいないと思います。
それがなぜ、子どもの進路相談や、夢の話になったら、
「失敗したらどうするの!」になるのかな。

「失敗したらどうするの!」と質問するのではなく、
「どんな失敗が予測できるかな?それを防ぐにはどうしたらいいかな?もしも失敗したときには、どういう対策をすればいいかな?」を考えて、準備すればいいのです。

いま、景気の不透明感を感じてる人は少なくないはず。
日本を牽引してきた自動車産業も急激に変化してるし、
大手銀行も大量リストラを発表したり・・・
漠然とした不安を感じつつも、でもどうしていいかわからない、という経営者は沢山います。
でもそこで、うろたえていても、状態はよくならないです。
予測して、準備する。ただこれだけで、
漠然とした不安は消えていきます。

どうか、お願いだから、失敗を禁止しないでください。
失敗を責めたり、罰を与えたりしないでください。
それをやってると、社会は衰退します。

失敗を予測して、準備する。が大事です。

(引用終わり)

ハスちゃんは、広島のごく普通の小学校に2年間通いましたが、
学校に行きたくない、と登校拒否したことがあります。

その時、「学校、楽しくない。全部禁止、禁止で嫌だ。」と言いました。

1年生の時ブランコを立ちこぎしていたら、「それダメだよ」とお友達に注意されたみたい。
立ちこぎなんて、めちゃめちゃ小さい頃からやっているのに、何で今禁止なの?と
ハスちゃんは思ったのでしょう。私も思いました。

ぶらんこ
ぶらんこくらい自由にさせてよ

先生に確認すると、「危ないから」と。
そこで私は違和感を感じました。でもまだ、植松さんのブログ記事に出会う前だったから、
上手く説明ができなかったんだけど。

自分は立ちこぎできるかどうかくらい、子どもが判断すればいい。
やってみて怖かったらやめればいい。
できないけど、やりたいと思ったら、上手な子を観察したり、教えてもらってもいい。
それくらいのこと、禁止にしないで、子どもに任せればいい。

じゃないと、”危険”を察知する能力も育たないだろうし、
自分の能力を把握できず、自分で何も判断できない子になってしまうと思う。
私はそんな子どもにしたくない。

ガジュマル
できるかできないか、自分で考えたらいいじゃない

そんな思いで子育てしてると、結構浮いてしまうのが今の現状。

植松努さんのブログーよかれと思って

実久ブルー

植松努さんを知ったのは ”思うは招く”という講演動画。

思うは招く

これ聞いて、うんうん、そうそう、とかなり共感して、
それ以来、植松さんのブログ記事を読んでいます。

植松さんは、私が日頃感じている義務教育に対する違和感を、
とても分かりやすく文章で説明してくれるんです。
そうそう、そうだよね、だからなのか。。。と。

私は、小学校で感じる違和感は、子どもの担任の先生に伝えます。
子どもの為の場所である小学校を、子どもにとって居心地がいい場所にしたいから。

先生に伝えるためには、違和感を感じる理由をしっかりと理解しないといけません。
植松さんのブログには、色々と助けられています。

昨日読んだブログも、よかった。

一部引用させて頂きます。

やさしくて、素直な子達が、大人の「よかれと思って」の否定や禁止に苦しんでいます。

子ども達が必要としているのは「情報」なのに、それを与えないで、

憶測の評論のみを伝える大人の、なんて多いことか。

植松努のブログ

そうなんです。これこれ。

学校の先生って、こんな人が9割だと思っていい。
(あと、親も。)

まず、”よかれと思って”が厄介。
子どものためになると思ってやってるから。

実久ブルー
実久ブルーと呼ばれる美しい海

私は学校の”よかれと思って”には騙されない、振り回されない。
それは、とってもパワーがいること。
学校の方針に素直に従わない親は、モンスターペアレンツだと思われかねないし。
できるだけモンスターだと思われない様、学校や先生にも共感してから、意見を言うようにしている。

私は”子ども本位”の精神で、子どもを守る、その信念は曲げられない。

100点

100点満点

どんぐり倶楽部式子育ては”普通”ではない、
というか、どんぐりをよく理解して実践している人にとってはもちろん”普通”なんだけど。

例えば、子どもが学校のテストで100点を取ってきたら、普通の親だと大喜びし、子どもを褒めて、ご褒美のおこづかいなんかを与えたり、という感じだと思いますが、
どんぐり式だと、100点のテストを持って帰ったら、あえてノーコメントで片づける、という感じ。

私が理解している理由は、こんな感じ。

100点が良いもの=完璧主義者になる危険性がある。
人間は完璧であるはずがないから、完璧主義者にならないように育てる。
完璧主義者は間違える事を恐怖と感じるから、絶対にダメ。

間違ったところ=お宝で、そこが成長できるポイントであるから、
間違ったところを大切にする。
0点でもいいんだよ、というスタンス。

そうしたら、子どもは間違えていいんだ、とのびのびと学べる。
間違えることが怖くなったら、発言も、質問も、発見もできなくなるよね。

カメちゃんは、野猿のような、自由奔放、自分の思いに正直に生きている子だから、小学校には不適合なんじゃないかと思っていた。
けれども、結構できる。

100点満点
時計の読み方、100点満点。すぐに片づけました。

100点すごいね、って言ったら、100点以外は凄くないって思われたらいやだから、何にも言わなかったし、カメちゃんも100点のテスト、自慢もしない。
良い感じかも。

1年生で時計の読み方を習って、意外と苦労する子がいるんじゃないかな。
姉のハスちゃん、年少の時からお友達とお手紙交換をするような子で、
カメちゃんより断然言語能力が上だった。
でも、時計の読み方を学校で習って、テストで間違えてるのを見て、
そんなの間違えるの?なんで?と驚いた。

そして、日常生活の中で、時計の読み方を教えてこなかったことに気付いた。
机上での知識として教えられるだけでは、子どもは理解し辛い。
実体験と、机上の勉強がリンクして、初めて体感できるのでは?

それに気づいて、意識して毎日の生活の中で、ハスちゃんと一緒に
時計を見るようにした。
「今は何時?」「30分テレビ見ていいよ。何時まで見て良いかな?」
と生活の中で時計を読む練習をした。
そしたら不思議と、1週間くらいで時計の読み方は大丈夫になった。

カメちゃんはその時、年中さんでしたが、私とハスちゃんの
“生活の中で行う時計の読み方講座”を聞いていたわけです。

カメちゃんは、保育園時代に自然と時計の読み方は完全マスターしていたから、
学校で学び、テストがあっても、難なくできたんだね。

週に1度、どんぐりの良質の算数文章題に取り組み、
ゆっくりじっくりていねいに生活を味わうだけで、大丈夫なんだ、と
自信がついてきた、今日この頃。