月が沈む

「月って沈むの?!?!」

これ、ハスちゃんでもカメちゃんでもない、40才を過ぎた母、私の発言です。先日、奄美大島南部の某所にて、天の川ハンターの荒木さんナビゲートで星空観望会をしてきました。

私やハスちゃんカメちゃんにとって人生初の星空観望会は、荒木さん曰く「今年最高の星空」だったそうで、おまけに水平線に月が沈むところが見れました。 水面に三日月がくっつく”月のフネ”を見たのは、荒木さんも初めての経験?めったにないことだったようです。

日没後のマジックアワー、もう月もでてきてる

地球が自転しながら太陽の周りを公転していることは、理科で勉強したから知識としては持っていました。けれども、知識があることは理解していることではないと、身をもって体験したのが冒頭の言葉「月って沈むの?!」です。

夕日が沈んだ瞬間

地球は丸いと感じられる水平線に、オレンジの月が少しずつ沈んでいく。沈み切った時、終わった花火をバケツの水につけた時のような”じゅっ!”という音が聞こえたような気がしました。朝日がでて、夕日が沈むのは何度も見たことがあるけど、月が沈むのは見たことが無かった。だから恥ずかしい話、月は暗い間はずーっと出ていると思い込んでいたのです。自分の目で、見る事。体感すること。誰かに教えてもらったり、本で読む何倍もの意味があるんですね。

月は、高いところにあるときほど白く、海に近づくほどオレンジになる。実際に自分の目で見ながら聞いたから感動が伴う。忘れない。

空はうすいむらさき色

夜空を見続けている荒木さんをして、今年最高と言わしめた星空は、文章には表せない素晴らしさ。初めて見た数の星でした。普段見えない星までもが見えるわけで、いつもは分かるオリオン座やカシオペアなどがどこにあるか分からない状態。荒木さん曰く、奄美大島は星が見えすぎてしまうそう。

そらが藍の深い色になってきて

あそこにある星見える?あれはね。。。などと荒木さんが色々と星の説明をしてくれるのだけれども、なかなかついていけない私。とは対照的に、「うん、見える、あれだね」と荒木さんと会話が成立しているハスちゃんカメちゃん。子どもの能力の素晴らしさにも気づかされました。だから、幼いうちに丁寧に生活を楽しむのが大切なんだね。夜空を見上げて星や月を見ることは、特別なことではない、生活の一部なんだ、と思った。明るい町のなかで、メディア漬けにされた目では、美しいものが見えなくなってしまう。

空が黒くなってきた

展望会会場はもちろん街灯はなく、真っ暗。着いた時点では、漆黒の世界で何も見えない。星空を観察していると、少しずつ暗闇に目が慣れるというか、目の本来の能力が戻ってくるというか、漆黒の世界が、薄暗い世界くらいに変わったことに驚いた。どきどき車が横の道路を走りすぎていったけど、車のライトを目に入れないことを荒木さんが教えてくれた。ライトを見てしまうと、星が見えなくなってしまう。現代人は、便利さと引き換えに退化してしまっているなぁ、雄大な自然の前に、昔むかしの人間の叡智さえも感じていた。そんな気持ちになるくらい、とにかくすごいものを見たんだ。

一旦雲に隠れた月が、また出てきて海に沈んでいきました

天気ばかりは人間がコントロールできないもの。いろいろな奇跡の重なりで遭遇できたあの夕日、月のフネと星空。もう二度と同じものは見られない。なんと尊い世界。

発達障害の正体

最近私をザワつかせている”発達障害”。気になることに関するアンサー的なブログに出会った。

https://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/201910250000「発達障害の正体は”発達の障害”ではなく”感覚の障害”です」

発達障害は、感覚の障害です。子どもの発達を支えているのが”感覚”であり、その感覚の働きがゆがんでしまっているから”発達”にもゆがみが生じているとのこと。発達障害という名前がよくないね。まだ感覚障害の方がいい。

「感覚の働き」が支えているのは「発達」だけではありません。生き物たちの「生命活動」の全てを支えています。

でも、そんなにも大事なものなのに、現代人は「感覚の働き」を無視して生活しています。
そして、感覚の働きを狂わせるようなことばかりをしています。それが「心を病む人」や、「発達障害」と言われる子どもの増加ともつながっているのです。


頭(意識+思考)と、感覚と、心と、からだの全てが統合された状態での「リアルな遊び」は、その「感覚の働き」を育てるために非常に重要な働きをしていたのです。

このブログを読んだら色々つながった。発達障害だと診断されたSくんは、遊ぶ時間を削って毎日2時間かけて宿題をしている。宿題を終えたらもう真っ暗。遊ぶ時間はない。人間の発達にとても重要である感覚の働きを鍛えるのが”遊び”だと誰も気づいていないから。。。

テレビやゲームが子どもから外遊びの時間を奪い、遊びが脳の中だけで完結。外の世界とのつながりを支える感覚の働きが育たない。子どもたちは遊びを通して人間力を育むけどその機会を大人が奪っている。

Sくんは、遊ぶ時間を削って英語教室のも通っている。英語はあくまでも”道具”。大人になってからでも学べる。でも、人間力は子ども時代にしか育たないのになぁ。

母国語でちゃんと表現できない人は、外国語でも表現できないのです。母国語で論理的に考えることが出来ない人は、外国語でもちゃんと考えることは出来ないのです。

これ、私もそう思います。外資系有名企業で働いていた時、海外育ちのバリバリバイリンガル女子がいて、英語は堪能だけど中身空っぽだった方に2人も会ったので。

発達障害らしいSくんに必要なのは、英語教室でも、宿題でもどちらでもないんだよなぁ。得に、毎日大切な成長期の2時間を費やして作業でしかない宿題をするということに、早く疑問を感じて欲しい。宿題の内容なんていくらでもアレンジ可なのだから。。。

発達障害は個性

カメちゃんが小学校に入学する頃から私をザワつかせている言葉”発達障害”。最近また、ザワザワしていた。カメちゃんの仲の良いお友達が、発達障害にまちがいないと診断されたと聞いた時、とってもザワザワした。

その友達Sくんは個性的なだけ。マイペースで他の子と一緒に色々やることが得意じゃないだけ。私はそう思った。その子のお母さんが、とてもきっちりした方、生真面目な頑張り屋さん、勉強熱心で、Sくんの為にあちらこちらへ奔走している。Sくんが入学するタイミングで仕事を辞め、きっちりSくんを監視できる体制を整えている。帰宅したら大切な宿題タイム。毎日宿題を終わらすのに2時間かかっているらしい。Sくんのお母さんはとにかく必死。愛する息子の為に全身全霊をかけている、そんな印象。

信頼できる素敵な友人 (妖精さん) で、臨床心理士の資格を持ち、スクールカウンセラーの仕事をしていて、CD作ってるくらいのレベルの音楽活動をされている、それはそれは素敵な女性がいる。その人にSくんの話をしたら「あ、私自分も発達障害だと思う」と言った。衝撃だった。で、その時にハッキリわかった。発達障害って、個性ってことなんだと。

妖精さんは保育園の時、はっと気づいたら皆がもう昼ごはんを食べる準備を整えてテーブルにすわっていて、あれ?なんでみんなは今ごはんを食べる時間だってこと分かったんだろう。。。と、いつもそんな調子だったらしい。極め付けが、1年生の夏休みの課題で工作というのがあったけど、先生の話を聞いていなくて、夏休み明けに他の全員が工作を持ってきているのを見て愕然としたらしい。

私が、夏休みの課題のプリントとかお母さん見てなかったんですか?と聞いたら、私のお母さん、そういうの読まない人でって(笑)妖精さんのお母さまがまた素敵で、妖精さんよりもぽわーっとふわーっとしている人らしい。

で、妖精さんはその出来事で、自分が人の話を全然聞いてない事に気づいて、以後少し意識して人の話を聞くようにしたらしい。自分の個性に気付き、自発的に行動を変えることができて、今の妖精さんがあるのはぽわーっとしてるお母さんのおかげだね。妖精さんは今でもとても個性的だけれども、人の話はだれよりもしっかりと聞くし、誰をも包み込むやさしさもある。尊敬できる仕事もしている。

Sくんのお母さんがもっとぽわーっとしていたら。。。と思う。Sくんを他の子と比べて、他の子と一緒に何でもできるように調教しようと必死になればなるほど、望む結果は生れないと私は思う。なんとかそれを教えてあげたいけど、できなくて苦しい。

わり算の筆算

“4年生くらいからお勉強がわからなくなる子が増える”とよく聞く。1週間ほど前に、そういう内容の記事を読んだ。私はどんぐり式子育てをしているから、子どもは本物の学力をつけつつあると実感できていて、ハスちゃん(現在4年生)は大丈夫だろう、と信じていた。

「ハスちゃん、4年生になってお勉強難しくなった?」と聞いたら、「うん、本当に難しいの、昨日の算数のプリント、1つ以外全然わからなかった」とハスちゃん。

衝撃!!!!!!!!!!!!!!

どんなプリントだったか確認したら、わり算の筆算と言う。わり算の筆算習い始めた、楽しい、簡単って言ってた記憶があったけどなぜ?と聞いてみると、3桁と2桁の問題がチンプンカンプンらしい。

内心穏やかじゃない、ドキドキを必死で隠しながら、じゃあ糸山先生のこれだけ算数でママとやり方を確認しようということに。

1問目は、え?何でそうなるの?という状態。筆算の仕組み、基本がわかっていない感じ。


実は私、数学は得意でも好きでもない。けれども算数でつまづいた記憶はない。これだけ算数を見ながら、私が小学生の時にやっていたやり方を話しながらもう1問やってみる。

できた。ちゃんとできる。もう1問は私はお口チャックでハスちゃん1人でやってみる。できた。もう大丈夫。

「ママ、先生より教え方わかりやすい~上手だね、先生したらいいのに」とハスちゃんが言った。先生、一体どんな教え方をしたの。。。?算数が苦手だからこそ、上手に教えられるのだろうか。いろいろ疑問。

のっぽさん

私が幼い頃テレビに出ていた工作が上手なおじさん、”のっぽさん”。テレビの演出上、声を発しないキャラクターでしたが、最近のっぽさんのコラムを読んで感動した。

https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/010800021/091400016/?P=1

“ノッポさんが5歳で知った“大人のズルさ”というタイトルにギクっとする。そうなんだよなぁ、子供は賢い。だから大人から色々感じている。そして言葉にはしないけど、態度や生き方にそれが反映され行く。妙に大人びてなんだかすでに諦めることを知っている子どもが多いのは、大人のせいなんだと思う。

戦争中、アメリカを「鬼畜米英」と叫んでいた先生が、終戦後すぐ「民主主義とはいいものだな」と恥ずかしげもなく言うようになった経験をされた時、のっぽさんは大人は卑怯だと思ったと。現代、こんな極限状態はないけれども、似た状況はよくあるのでは?

のっぽさんは、 子どもを人間として大人よりも賢く感性も汚れていない、自分より上の存在だと考えて接していると。私も常々子どもとは対等であると思っているけれども、大人よりも神々しい存在なんだなぁ。忘れてしまいがち。

子どもには敬意を払って接する。しかし、無礼な振る舞いをするような子どもには容赦せず叱る。

「この野郎、ふざけるんじゃねえぞ」と徹底的にやりました。83歳の老人が小さい人を道の真ん中で罵倒している姿は、異様に見えたでしょう。

でも、それでいいんですよ。その小さい人にとって私は、正面からぶつかってきた初めての大人だったんでしょう。周囲の大人を「あんた」と小ばかにしていた小さい人が、翌日から私を「おじいちゃん」と呼んでニコニコと慕ってくるようになりましたから。


これこれ!子どもの扱い方を知らない大人がなんと多いことか。悲しいかな、とーっても丁寧で優しいハスちゃんの担任の先生、完全に激しい女の子になめられている。子どもには本音でぶつからないとダメ。敬意を払いながら。

運動会in奄美大島

複式学級の小さな小学校の運動会は、ハスちゃんカメちゃんの活躍の場がたくさんあり、ありすぎ、親も子もとても楽しめるものでした。

徒競走、借り物競争、台風の目、綱引き、玉入れ、リレー、応援合戦、ダンス、家族走

広島の小学校では徒競走と何かもう1つ、を70名でやるのでわが子がどこにいるのかを見つけるのが至難の業でした。やっている方も、大部分が待機している時間で、運動好きなハスちゃんは物足りなかった様。

337拍子~

夏休み明け前「学校行きたくない」と言っていたハスちゃんですが、すぐに運動会練習が始まり、家に帰ってからもダンスを自主練したり、徒競走に向けて走る練習なんかをしていました。18名しかいない児童生徒なので、みんなが主役。どの子もめちゃめちゃ大切な役割を担っている。勝ったら喜んで、負けたらくやしそう。その当たり前の感情も感じられた。あぁ、よかったね。

千手観音

おまけに、集落内が4つのチームに分かれて大人も色んな競技で争う。あんなに走らされるとは。。。朝から昼のお弁当タイム。みんなでわいわいお弁当を囲む姿はなごみます。よき昭和の風景が残っています。

仲良しのおばさん作のお弁当♪すばらしい

ハスちゃんもカメちゃんも白組でした。いつも練習ではリレーも綱引きも勝ってたみたいだけど、本番では紅組が勝った。「白組勝つから」と余裕ぶっこいているハスちゃんカメちゃんに、本番では何が起こるかわからないよ~と話した。私自身の経験。6年生の時の運動会練習で一度も勝てなかった綱引き、悔しくて。同じ組の6年生とおしりを地面につけるという作戦を本番で決行し、見事勝利してめっちゃ嬉しかったことを話した。

お疲れ様でした~

結果、2点さで白組の勝利!いい勝負でした!ハスちゃんカメちゃんは、本番ではなにが起こるか分からないことを学べたんじゃないかな。

そして瀬戸内町の町民運動会。1週間前から練習が始まったことに驚いた。大人が練習して運動会に臨む、というのが新鮮。奄美を感じた。元々体育会なのでこういう雰囲気は好きで楽しかった。リレー、40代で走って欲しいと言われて、軽く受けてしまった。運動不足の40代にしては走れる方だと思っていたのだけど、蓋を開けてみたらバリバリ日常的に運動している人達ばかりで、驚いた。スパイク履いている人さえいる。クラウチングスタートをさせられる。おまけにタイムがアナウンスされる。陸上記録会の雰囲気。町民運動会なんて名前がそぐわない運動会でした。もうリレーは走らないよ!

感動のない運動会

ハスちゃんは事あるごとに、広島のほうがいいなぁ~なんて言っているし、私も正直広島の方がよかったなぁと思う事も数々ある。だけれども、うちの子2人にとっては、絶対に奄美大島の極小規模校の方が絶対に良い!と言い切れるもの、それが運動会と学習発表会。

奄美大島に移住した最大のきっかけが、広島の小学校の運動会だった。1学年×2クラスの規模、全校360人くらいなんだけど、ロボットが動いているようにしか感じられなかった。色んな競技で、勝手も負けても喜ばない、悔しがらない。
子ども達の感情がみえない。ハスちゃんは徒競走と玉入れに出た。紅組白組にわかれて玉入れして、勝ってもまけても、しーん。感動がない。厳かに運動会は進んでゆく。とても違和感を感じた。

たまたまPTAのクラス役員をしていて、校長先生、教頭先生、PTAの執行役員の方たちと月1のミーティングがあり、運動会への意見を求められたので、感じたことを話した。そしたら2-3人の役員さんが「私もそれ感じました」と同意してくれた。 けど、校長先生と教頭先生は、そうだったですかね。。。という反応。
娘に確認したら、勝って喜んだら負けにされるから、と言ったけど、そんな指導をされているのか? と聞いてみたら、校長先生は「そんな指導はしていないと思います。」と言う。

いやいや、ある特定の学年が勝っても喜ばないのなら、ある先生の指導が原因だと思うけど、全学年がそんな感じだったのだから、学校全体で何か指導があったに違いないと思うんだけど。

最後の成績発表で、紅組○点、白組○点、優勝白組、と発表があり、その後の全然嬉しそうじゃない白組のバンザーイと、手を動かしているだけの紅組の拍手。なんだかな~

ラグビーワールドカップ日本大会で気持ちの入ったプレーを見せてくれる選手たち、そして試合終了後のノーサイド精神に感動の涙を流しながら、この運動会のことを思い出したのでした。学校行事では、子どもに感動の経験をさせてあげてよ!せっかくの行事なんだから!と歯がゆいのでした。

感情によりそう

ハスちゃんがお友達と掃除時間にどちらが黒板を消すかでケンカして、突き飛ばされて足をケガしました。と、昨夕担任の先生から電話連絡があった。子供のうちにたくさんお友達とケンカはすべき。ルールを守ればケンカは推奨という立場を取っている私。

我が家の家訓、ケンカのルールとは、一対一でやること、物を使わないこと、相手が戦意喪失したらやめること、仲直りすること。

なのに昨夕、担任の先生にハスちゃんが足をひきずっているので、今帰りますがちょっと外に出てやってください、念のため病院にいったほうがいいかもしれませんと言われて、ちょっと感情的になってしまった。先方の母親にもきちんと起きたことを報告してくださいね、と念押しして電話を切った(ケガした子の親に連絡して終わりにする先生もいるから)

週末の運動会で一輪車リレーに出るのを楽しみにしていて、練習がんばっているのに出られなくなったとしたら悔しいという感情。ハスちゃんとケンカになったお友達は常々乱暴な言動や行動が目についていた。学校でもケンカが絶えない状況でのこの出来事で腹が立った。

担任の先生は穏やかでとてもやさしい方。けれども本当のやさしさ、はきちがえてない?と感じることがあった。乱暴なお友達の言動や行動を母親に伝える時、ありのままの事実を伝えず、オブラートに包んで話している様。母親を傷つけない為の配慮なのかもしれないけど、それでは何も改善しない。

2学期最後の保護者懇談会で、ケンカが多すぎる状況を打開しなければという中、「最近子ども達の言葉が気になります、人の気持ちを傷つける言葉は使わない様にご家庭でも話してください」と担任は話した。それでは何も変わらない。。。もっと具体的に、○○ちゃんがこんな発言をしたなど事実をしっかりとシェアしないと。親としては状況すら把握できない。よって何も対策が練られない。だめだこりゃ!と思いながら夏休みを迎えた。

そんな中で、ハスちゃんがケガしましたと連絡をもらい、腹が立った。少し時間がたって落ち着いて、乱暴なお友達は困った子じゃなくて、困っている子なんだということを再確認。やってしまったことを怒るのではなく、どうしたらもう同じことを繰り返さないか、が大切なんだと思った。

残念ながら持って生まれた気性の荒さは注意されても変わらない。この子は思い通りにならない時、暴言を吐いたり、暴力をふるう子なんだ、と分かっている。その子とケンカになりそうになったら、引くこと。暴言で心が傷ついたり、暴力ふるわれてケガすることから自分を守ること。「負けて勝つ」ことを覚えようねとハスちゃんと話した。

素敵なようちえんとフリースクールの園長のコラムを思い出した。

行動ではなく気持ちによりそう。それが大事。夕方、乱暴なお友達の母親が誤りに来てくれて、その時「○ちゃんを怒るのではなく、カッとなった時にどうやったらその感情をがまんできるかを教えてあげて下さいね」と話した。

幸い足は少しびっこをひくくらいで、大したことはなかった。よかった。昨日こんなことがあった今日、タイムリーなブログに出会った。

やってしまった事を怒って謝らせるのではなく、しっかりとその時の感情に寄り添い、傾聴する大人。そんな存在が子どもを成長させるんだなぁ。勉強になります。

https://ameblo.jp/703junko/entry-12213403536.html?fbclid=IwAR1W4N6xHsVULNjh0ykwCom8OMc91kh7A_SamUlEn1Oi1ASuSSWD-HK7j-w

諸鈍シバヤ

諸鈍シバヤ

旧暦の9月9日に瀬戸内町、加計呂麻島の諸鈍集落で行われるお祭り、諸鈍シバヤというのがある。 国の重要無形民俗文化財に指定されていて、瀬戸内町に住んでいるうちに見ておきたいと思っていた。特に去年一昨年、台風の影響で中止となり、今年は2年ぶりの開催。ただし、今年の開催は月曜日、平日。諸鈍小中はお休みになるみたいだけど、他の小学校はお休みじゃない。

大きな声では言えませんが、私は学校に行くよりも子どもにとって有益なイベントがあったら、学校は休ませます。長い人生を考えたら、諸鈍シバヤを見ることと、学校に登校すること、どちらが記憶にのこるか、インパクトがあるか、と考えたら諸鈍シバヤ。学校を休んで見に行く気満々でした。

金曜日、学校から帰宅したカメちゃんが「月曜日、図工でトロトロえのぐする!汚れていい服持っていくって♪楽しみ♪」と言う。直観的に、諸鈍シバヤ行けないかも、と思った。

熱が出てしんどい時も、「学校に行きたい、行かせてくれ、お友達にひと目会いたい」と訴えるカメちゃん。不登校児童が増加するこのご時世、とってもレアな”学校大好きっ子”なのである。

カメちゃんに見ておくべきお祭りがあるから月曜日は学校お休みして行かない?と提案したけど、却下されました。ハスちゃんはもちろん、お祭りに行きたい!と即賛成だったんだけど。。。最後までハスちゃんと2人でお祭り行って、カメちゃんの下校時間までに帰ってくることを考えましたが、断念しました。

月曜日、下校してきたカメちゃんがかなしそうに「今日図工、トロトロえのぐが届かなくてやらなかった」と報告してきた。が~ん!!!「休んで行けばよかった!!!」と悔しい思いをしましたとさ。

カメちゃんの学校好きはすごいねぇ。よかったねぇ。見てて嬉しいよ。

学力

今私はハスちゃんカメちゃんと奄美大島にいる。山村留学というやつです。今、日本中に山村留学制度があって、候補地をリサーチする際に、何度か現地の方や山村留学中の方とメールでやりとりすることがあった。

きまって言われるのが”沖縄や離島は教育は遅れている。学力の面ではマイナスで受験には不利”ということ。何度も聞いたこの言葉、久しぶりに今日また聞いて、ふぅ~とため息。

東京であれ、沖縄であれ、広島であれ、日本国外、どこにいても学力はつく。本当はそうじゃないけど、みんなが言う学力=学校の成績、テストの点数のことだから、そういうことだとして話を進める。同じ学校で同じ先生の同じ授業をうけて、同じ宿題をしてるのに、成績はバラバラ。同じ学力にはならない。じゃあその差はどこから生まれるの?というと、家庭しかない。

わかってる子もわかってない子もみんな同じ宿題

私は、学力は学校の成績やテストの点数ではないと思っている。学力とは、自ら考える力。こう思えるのは糸山先生主宰のどんぐり倶楽部に出会えたから。
糸山先生が考える絶対学力とは<感味力>と<視考力>。

「教育は裕福な人の特権であってはならない」

これがどんぐり倶楽部の糸山先生の主張。私もそう思う。どんぐり式であれば、驚くほどお金がかからず、本物の学力養成ができる。どこに住んでいても、日本でなくて海外でも、お金持ちでも貧乏でも、親次第で子供は本物の学力をつけることができる。地域の学校がどんなに荒れていて酷い状態でも、大丈夫。今の公立小中学校だったら、行かない方が邪魔されずに豊かな学力養成はできそう。ただ、学校は勉強するだけの場所ではないからね。

そもそも学力は、学校ではなく家庭でつけるもの。これを知らない人が多すぎる。自分の子どもの学力を住んでいる地域や火曜学校、担任の先生のせいにしている人、早く気づいてね。