持久走大会

全国の公立小中学校でお約束の持久走大会。ハスちゃん、短距離走は好きで得意なんだけど、長距離が幼いころから苦手。短距離の走り方で長距離を走るから、とっても苦しそう。去年の持久走大会、走った後気分が悪くなったと学校から連絡があって、迎えに行ったなぁ。長距離の走り方をちゃんと教えてもらってないんだろうなぁと。家で長距離走の息の吸い方を確認。

ハスちゃんは5年生。5回目の持久走シーズン。私が子供の頃はなかったと思うけど、今は持久走の練習と大会への参加の承諾書に親はサインする。そもそも学校が好きではなく、できれば行きたくないハスちゃん。時間割を見て”持久走”の文字を見て、嫌だ、と言っている。

そんなに嫌なことやらなくてもいい、嫌なのに無理強いされたら、もっと嫌になる。一生長距離走が嫌いになる。例えば、大人になって運動不足になって、マラソンしようt、とか思えなくなるのでは。。。それは本末転倒。

去年持久走大会後、気分が悪くなったことがトラウマになっています、そもそも学校が嫌いなので、嫌な持久走はやらせません、と承諾書に書こうか、練習も大会も不参加、としたらいいよ、とハスちゃんに話しました。そしたら意外なことに、ハスちゃんは「いい、参加するにしておいて」と意外なことを言うのです。

ハスちゃんは大人の立場を慮って無理しているのでは?と思い、承諾書には参加に〇をして、但し練習、大会ともにハスちゃんの気持ちを再優先とし、本人が走りたくないと言ったら走らせないで下さいと記載した。

体育で持久走練習の日、「嫌なら走らなくてもいい、承諾書にもちゃんとそのように書いたから先生も理解してくれるから、あとはハスちゃんが自分の気持ちで自分で決めてね」と伝えた。先生もハスちゃんに、走るかどうかを確認してくれたみたいで、ハスちゃんは、走ります!と自分の意志で参加することを決めた。

持久走、やっぱり苦手で好きではないみたいだけど、自分でやると決めたらそんなに嫌ではない様子。嫌いなこと、やりたくないことを、大人に強制的にやらせることが、嫌なんだよね。親も先生も子どもの意志を尊重し、選択権を与えたら、苦手なこともがんばれる、やれるんだな、と実感した。

持久走大会の前日、ハスちゃんは放課後自主的に走る練習をしたらしい。これも今までにはない行動。去年はママも一緒に走るから走ろう!と嫌々走ったっけね。笑

持久走大会当日。雨、曇り空続きの奄美大島、久しぶりの太陽が顔をのぞかせた。持久走大会、応援してくれているみたい。持久走大会、私は苦しそうに走る子ども達をみるのがあまり好きじゃない。今までハスちゃんも毎年死にそうな顔をして走っているのを見ていて、苦しかった。

コースの中間あたりで見ていた私の前を、持久走が得意な男子がすごい勢いで走ってゆく。カメちゃんも速い!真剣な顔で走ってゆく。その後ハスちゃん、なんと”笑顔”で走っている。苦しそうな顔をしている子どもたちの中、唯一、ハスちゃんは笑顔で私に手を振りながら走っていた。感激。折り返してきたとき、もう疲れてるかな?と心配になったけど、スマホを構える私に対して「写真撮って!」と笑顔で言ってきた。うれしくて、びっくりして、感激した。

試走の時のタイムを縮めるという目標をひそかに掲げていたみたいで、そのタイムもクリアしたよ!と満面の笑みで帰宅したハスちゃん。また大切なことを学びました。子どもに選択権を与えること。自分の意志で行動させること。そしたらこんな素敵な結果になりました。ありがとう。

ギリギリ間に合わない

ハスちゃん、朝の支度ができない。学校に行きたくないもんだから、全然身支度ができない。

登校時間の8時15分、5分前くらいにもう私服に着替えて、掃除手伝ってと声をかけると、「学校行く!家の掃除はしない!」と急に着替え始める。

「え?行くの?もう間に合わないじゃん、行くならもっと早く着替えなよ、もう休んだら?」と声をかける私。「行く!」とハスちゃん。

私としたら、行くなら遅刻ギリギリでも間に合うように行ったらいいのに、と思う。あと5分早く動けばそれが可能。要は、私は学校に「ハスちゃん遅刻します」と連絡したくない、するのがめんどうくさいからそう思う。

先日、不登校の権威の先生と話す機会があり、他の親御さんが高校受験の話を相談していた。いついつまでに受験を決めて動かなければ、この子は今年高校に行けなくなる、高校浪人になってします、と心配する親。「不登校、引きこもりのお子さんは、だいたい、ギリギリアウト!というタイミングにならないと結論を出しません。もうアウト!となって結論を出すんです」と先生はおっしゃった。

ハスちゃんも、ギリギリアウト!のタイミングでやっと着替え始める。そういうもんなんだろうね。ギリギリのところでの決断なのか。今日、これに気づけて良かった。もうあと5分早く着替えろ、とかあとちょっと早く動け、とか言うのはやめよう。

褒めること

褒めることは難しい。頑張ったことは褒めたい。けれども、褒め方って難しい。

さつきやま森の学び舎の太郎さんは以下のように書かれている

『評価』や『褒める』こともないということは他者と比べる環境もないということで、『優越感』や『劣等感』も生まれません。そうすると、子ども達は自分で考え、生み出し、満足感を掴み取れるんです。それが、『自己肯定感』の高さも生み出します。」

私はこれ、とても納得。学校の教育に対して疑問に感じることを解決してくれた。

今朝のグッとラックで、小学校の話題。まだ習っていない漢字を作文で使った児童を他の児童の前で褒めた教師。そしてその教師に褒めたことを注意した校長の話。校長は、できない子が劣等感を感じないよう、まだ習っていない事ができる子の家庭は裕福で、塾通いをさせたり、辞書をかってもらえたりする。それができない家庭もある、という主張の様。

褒めた先生は、習っていないことを本で見てそれを書いた生徒のがんばりを褒めた。他の生徒もそれを聞いて、図書室で本を借りるようになった。

うーん。校長先生の主張は全く的外れ。この世は裕福な家庭も、貧しい家庭もある。それが真実。貧しい家庭の子も小学校には無料で通えるんだし、図書室で辞書をかりることができる。それを教えてあげてほしい。勉強することにお金は必要でないことを。自分ができない事をできるお友達をみて、劣等感を感じるのではなく、いい刺激にできるマインドセットを教えてあげてほしい。

そして褒めた先生、みんなの前で褒めるのではなく、その子を個人的に褒めたらいいと思う。そして、褒める必要があるかどうかも疑問。習ってない漢字を使いたい子もいるし、習っても全く漢字を書かない子(ハスちゃん)もいる。習ってる習ってないはただ大人が決めた順序。子どもの好奇心はいろんな方向に向いているし、脳の発達のスピードもそれぞれ。

みんな、それぞれ、ありのままでいい。習ってない漢字を書く子も書かない子も、別にそれでいい。比べる必要は全くない。

”なんかやだ”

ハスちゃんは学校が好きではない。ものすごく嫌なことがあるわけではない。でも”なんかやだ”らしい。

奄美大島に移住して初めに住んだ宇検村で仲良くなったファミリー、旦那さんは小学校の先生、奥さんは保育士で、カメちゃんと同級生の息子さんが発達障害という家族。子育てや学校教育に対する考えが似ていて、本当にたくさんのことを話して、助けてもらった。その奥さんにハスちゃんが学校が”なんかやだ”と言ったことを話したら、めちゃめちゃウケてその思いを本にしたらいい!なんて言う。

子どもの”なんかやだ”がわからない先生が多くて、旦那様が勤める学校にもいいひとなんだけど、ちょっとそういう先生がいてねー、子どもの”ちょっとやだ”を教えてあげたいんだよねーと。

ハスちゃんのなんかやだ。ある先生が、「うわぁーすごいねー」ってほめてくるのが、なんかやだらしい。ハスちゃんの「うわぁーすごいねー」っていう言い方が、幼い赤ちゃんをほめる感じの言い方だったから、大したことをしていないのに褒められてバカにされているような気がするんだろうか。

今学期の始まり、台風9号でいきなり9月1日は休校。2日の午後からになった。教科書はすべて学校に置いて帰る我が家は、2日に私が車で教科書とお道具箱を運搬したけど、ハスちゃんの算数と国語の教科書だけは家に残していた。そしてハスちゃんは3日連続で算数と国語の教科書を忘れた。3日目に先生に怒られたらしい。帰宅してすぐランドセルに国語と算数の教科書を入れていた。

翌日は私のミスで体操服を忘れた。1時間目から体育!走って体操服を届けた。算数国語の教科書のこともあるし、運動会の練習シーズンに体操服を忘れるなんてハスちゃん叱られなかったか心配だった。

帰宅したハスちゃんに、「忘れ物が多いと怒られなかった?」と聞いたら、「大丈夫だった。今日は算数の教科書持ってきてえらい、とほめられたよ」と言うから、笑いながら「へぇ、ほめられたんだぁ」言うと、「あまりうれしくないけどね」とハスちゃん。

褒める、良かれと思って褒めるのだろうけど、むやみやたらに褒めるのは逆効果。褒め方ってとっても難しいと思う。

台風10号

久しぶりにブログを書く。本当に久しぶり。命の危険を感じたからなのか、なんだか圧倒的な自然のパワーを感じ、人間って弱い生き物なのだなぁと感じたからなのか。せっかく生きてるんだから、経験したことを書いておきたいと思った。

史上最大の勢力である台風10号が奄美に直撃すると予測され、台風が最接近するまで数日間の島内の緊張感、そして過ぎ去った後のこの晴天、美しい海を見ていると、「台風きたの夢だった?」という不思議な感覚に陥る。台本がある映画、リアリティーショーに出演したような気分。

奄美に移住して2年半、台風は何度も経験しているけど、今回の緊張感は今までにないもので、集落の長老から「今まで生きてる中で、一番大きい台風がくる」と注意喚起を受けたほど。台風が来るたびに大体停電はするから、停電くらいは想定内。断水も想定内。2年前の台風の時はドコモのアンテナが倒れて数日携帯も使えなくなった。それも想定内。

今回の台風が直撃したら、木造の古い家は全部吹っ飛ばされて全壊するだろうと、島民は怯えました。確かに集落内、半分以上が木造の古い家。2年前の台風よりも大きいのが直撃するから、倒壊間違いなしという予測で、多くの方が公民館やホテルに避難していました。

奄美住民は台風対策には慣れていて、やるべきことはわかっている。瓦屋根はなく、雨戸がついている家が多くて、台風向けの家になっている。対策を講じたらあとは祈るしかない。自然の驚異と美しさをこんなにも強烈に感じられる場所が奄美。今回は、命は守れても家の倒壊をイメージした人は多かったはず。

5日の夜、家で寝ることを選んだけど一応避難準備もした。 ライフジャケットを枕元に置いて寝た。 「こんなのいる?」とカメちゃんに言われたけど、備えよ常に!と唱えながら。最悪を想定して。ハスちゃんカメちゃんと川の字になって寝る毎日。何が起こってもハスちゃんカメちゃんと共にいられるなら幸せだと思いながら寝た。

強い雨は降っているけど、風はそこまで強くない。朝起きたら停電していると思っていたから、扇風機が回っていてまずびっくり。台風の最接近は6日の正午くらいだったから、まだまだこれからだとは思った。ネットでチェックしたら、勢力が弱まり、進路が東にずれて台風の目の直撃は免れたらしいとわかった。

直前に来た台風9号のおかげで、海水温が下がり、10号が発達できなかったらしい。結果、大きな被害を出さない台風だった。

台風で家が倒壊するかもしれない、避難しなければならない、となったら、持っていけるものは限られている。物を持つ、ということも考えさせられる。台風が過ぎ去った後の被害場所を見るときも自然の驚異を感じるし、きらきらの何事もなかったように輝く海と星空を見ても自然への畏怖を感じる。

自然には勝てない。もっと自然を大切にしたい。温暖化で災害が増えていくだろうと予測できても、今までの生活を手放すことができない人間たち。まだ次の台風は来る。それまで、もう少しいろいろ感じよう。

国語のテスト

ハスちゃんが、2学期のテストを持ち帰った。昔からだと思うけど、国語ってとても曖昧な、○×つけるのが難しい教科だと思った。こんな授業してたら、こんなテスト受けさせて成績つけてたら、そりゃ国語嫌いになるわな、と感じた。

お庭にこんな綺麗な花が!今日気づいた

問題
次の分は、物語を読むときに気をつけることについて書いたものです。()に当てはまる言葉を、以下から選んで書きなさい。

物語を読むときは、(登場人物)のだれかと(自分)を重ね合わせたり、書いてあることを(経験)などと結びつけたりする。

花はあるがまで最高にうつくしい

上の()内には学校の正解書きました。娘は、(自分)というところを(友達)を選びました。×だったんですが、娘は「だって私、本当に本読むときこの子○○ちゃんに似てるなぁってよく考えるよ」と言っていて、「なるほど、それでもいいよね、友達もいいじゃんね!正解!」と話しました。

国語の問題を解くとき、正解を書きたかったら、この問題を作った人はどういう答えを望んでいるかを考えて書かないとだめだねと話しました。なかなか大変なのです、国語テスト。

もうすぐクリスマス、奄美は緑豊かです

しかし物語を読むときに、こんな指示されたら一切読む気失せるんですけど。。。ハスちゃんと、物語くらい自由に読ませろ!と大笑いしました。本当は先生にツッコミ入れたかったけど、今のところ笑わせてくれたからいい。
ハスちゃんカメちゃんは本が好きだから、笑っていられるけど、本をもっと読んで欲しいといつも言っている先生を思い出し、なんだか気が重くなったのでした。

鶏の命をいただく

節子小学校跡地で毎週第2土曜日に開催している草バー。12月14日はさとみさん肝入りの特別企画”鶏に感謝を捧げてさばいていただく会”でした。

節子へ向かう道中の絶景

11月の草バーでクリスマスといえばチキンという話から、さとみさんが発案。初め聞いた時は私はあまり気が乗らなかった。今まで目をそらしてきた現実。でも私はベジタリアンではないし、スーパーで鶏肉を購入して食べている。食べているのだから、これは背を向けてはいけないのだと自分に言い聞かせた。

節子小学校跡のロビンソンファームには自然豊かな環境の中暮している鶏たちがいて、必要な時に絞めて頂くことができる。スタッフの男性が、インストラクターとして指導もしてくれる。

生命力あふれるガジマル

私は少し離れた場所から見ることにした。見たくないと言うハスちゃんは、もう一生ないことだと思うからおいで、ともっと遠くから見守らせた。驚いたのはカメちゃんで、この企画の話をした時から「オレが鶏をつかまえたい!」と前のめり。鶏のすぐそば、最前線に最初から最後まで陣取っていた。

まだ生きている鶏を見た時、”この子の命をいただくんだ”とやはり罪悪感のような感情を持った。感謝するしかないと思った。そして参加メンバーみんなで鶏に感謝の黙とうを捧げた。

男性スタッフがここが胸肉、ここがササミと説明してくれる。スーパーで売っているものよりも断然小さい。「スーパーで売られている鶏肉は生後4週間以内の若鶏なんだけど、ホルモン剤やら栄養剤を投与してあんなに大きなお肉が取れる」と教わった。とても恐怖を感じた。

最前線にいる手羽先好きのカメちゃんが「あーここ僕が好きなところ!」と言った。1匹を捌いて、やっと手羽が2本とれる。スーパーに並んでいる手羽先の数を思うと、なんだか胸が痛くなった。

不思議だったけど、鶏を捌き始めてからは罪悪感のような感情は無くなった。感謝しながら丁寧に捌いて頂くことは、スーパーに並んでいる鶏肉を買うことよりも、全然自然に思えた。必要な時に最小限必要な命を感謝しながら頂くことは、当たり前のことだと思った。意外な気持ちで驚いた。

男性スタッフが、「やってみたい人?」と聞くたびに、「はい!」と一番に手を挙げるカメちゃんにも驚いた。なんかすごい子だなぁと。事実を事実と受けとめ、そこにあまり感情を介在させない。頼もしいというか、なんというか。ハスちゃんは、少し遠くから見学して、室内へ入って読書をしていた。

草ラボ棒棒鶏

大人の鶏の肉は、とても硬い。だからスープにしました。茹でたお肉は弾力性がすごく、裂くのにものすごい力がいりました。あぁ、スーパーで売られている鶏たちは不自然極まりない環境で育っているんだなぁと考えた。

草ラボ鶏飯

命をいただいて作ったスープでした鶏飯は、絶品でした。鶏さんありがとう。そして大切なことに気づかせてもらった、素晴らしい企画にも感謝。草ラボありがとう。

「やさしいね」

昨日、ハスちゃんカメちゃんがやさしい子に育っていてうれしいと書いた。子どもが言われて幸せを感じる言葉、心があたたかくなる言葉を、日頃親が子どもに言うことは”私、僕って大切な存在、素晴らしい存在なんだ”という自己肯定感を育てることになると思っている。

先日の学級PTAという先生と保護者の懇談会で、カメちゃんの担任が”家庭での子どもたちの褒め方”について教えて下さいと、保護者が順番に発言する機会があった。保護者は5人。座り順でたまたま私は最後に発言することになったんだけど、他の保護者が全員”褒めていない”と言い放ったのに驚愕した。”注意ばっかりで褒めることはないですね”と仰る。私は子どもたちの心が心配になった。

美しい自然の中ではやさしい気持ちが優勢になる

多くの小学生の親は、子どもは言う事を全然聞かないの。”褒めることがない”と思っている。テストで100点取ったとか、かけっこで1番になったとか、そういう他人と比べて良い結果を出したことは褒めるべき対象であるけれども、子どもが毎朝起きて、ご飯を食べて、歯を磨いて、学校に行く、ということについては、当たり前のことであり、やっても褒める対象にはならない。

大山先生のペアレントプログラムに参加して、他の子と比較しない、ただ子どもがやることを実況中継をするだけでいいと学んだ。なかなか朝ごはんが進まなくても「うん、食べてる食べてる」お着替えが進まないときは「おっ!ボタンを外しました~」みたいな感じで。すべての行為を認めること。これ、余裕がないとできないんだなぁ。親に余裕がないこと、褒めるという行為の持つパワーを認識できていないことが原因かなぁ。

カメちゃん、おこずかいでハスちゃんにイヤリングをプレゼント!

そんなことをずっと考えていたら、ジャストタイミングで植松努さんの為になる記事がFacebookに投稿された。 仏の様な植松さんの中にも、暴力的側面はある。その暴力的な部分を抑制しているのが、植松さんがおじいちゃんからかけけてもらった”努は優しいね”という言葉だそう。

いろんな子がいるけど、どんな子にも優しい面がある。その優しい部分にフォーカスして、やさしいねと声掛けすることで、その優しい面が広がっていくし、暴力的な面が縮小されていくと思う。また良い事を教わった。

今日はハスちゃんカメちゃんに、登校する前に3回もやさしいねと言った。私もやさしい気持ちになる。言い続けよう。

やさしい子

どんぐり式子育てを選択すると家庭内は穏やかでいいことだらけ。おまけに本物の学力がつく最高の子育てなんだけれども、”やさしい子”になるというのがまた嬉しい。

ハスちゃんは、奄美大島に移住して一番最初に住んだ集落では、仲間外れにされて苦しい思いをした。10人ちょっとしかいない子どもの中で、リーダーである中学生が誰かを仲間外れにするタイプの子だった。小学生は何があってもそのリーダーに歯向かうことはしない。言いなり。

ハスちゃんは、そんな絶対的リーダーにも意見した。同級生の男の子Kが仲間外れにされそうになった時、「私はKくんも一緒にみんなで遊びたい!」と言った。そうしたら、「じゃああんたKと遊べば!」とハスちゃんも仲間外れにされてしまった。Kくんは泣きながら家に帰った。ハスちゃんはKくんを心配して泣いていた。

翌日、何事もなかったようにみんな遊んでいる。そして、ハスちゃんが仲間外れにされていた。みんなでハスちゃんを無視している。もちろんKくんも。昨日自分の味方してくれたことなんて覚えてないみたい。「ハスちゃんは、一番強くてやさしい子だよ」と何度も言った記憶がある。辛かったなぁ、あの時は。でも、ハスちゃんのことを誇りに思っている。

カメちゃんの同級生に、とーってものんびりで、何をするにもみんなの何倍も時間がかかるSがいる。「書写が全然終わらないSくんに、みんなが「早くしたら!?」とかいろいろ言うから、僕ね”Sくんはゆっくりていねいにやってるんだよ”」と言ってあげたんだよ」とカメちゃんが言った。私が「ゆっくりていねいがいいもんね」と言うと、「本当はね、Sくんふざけてるというか、真面目にやってないだけなんだけどね」と苦笑しながらカメちゃんが言った。なんてやさしい子なんだ、とこれまた息子を誇りに思った。

我が子のやさしさを誇りに思えるのは、幸せこの上ない。

本を読みましょう

奄美大島では、各学期の初めと終わりに 学級PTAという、先生と親の懇談会がある。 広島ではなかったこの会、鹿児島県の文化なのかな?先生がその学期の学級経営について、子ども達の様子についてを話してくれる会。

“学校が楽しくない病”を発症中のハスちゃんの担任が、1学期と比べて、子ども達がとても意欲的になっています。みんな算数が好きで、わからない問題も投げ出さずに、わかるまで質問をしてくれています。この意欲を消さない様指導をしたいと思いますと言った。 ハスちゃんの学校への意欲は今底辺くらいだから、 ハスちゃん以外の子が意欲的なのかな?と思ったけど、ハスちゃんから聞く話から私が感じている空気感は先生の話と全然違って、違和感。

帰宅後ハスちゃんに確認。クラスのみんなは算数好きなの?の問いに、”えーみんな嫌いだよ。私も好きじゃないし”。だよね。でも、最近みんな頑張ってる?たくさん質問したりしてる?の問いに、”そんなことないよ”。だーよーねー。人間的にはいい先生なんだけれども、なんだか空回りしているというか、ズレを感じる。先生は褒めて伸ばそう作戦で、色々良い事言ったのかもしれないけど、なんだか嘘がバレバレというか、聞いてて寒かった。日頃から悪いことは隠そう隠そうとする先生で、 言葉だけからまわっている。保護者もしれーっと聞いてた。

そして、本をもっとかりて読んで欲しい。ずっと言っているのですが、まだまだ本を読む量が少ないですと先生。読書大好き本の虫のハスちゃん( 放っておくと1日中読書する)を、苦労して読書制限している私はまた違和感。複式3.4年の学級の生徒数は5人。5人しかいないのに、先生はハスちゃん以外の子の話をしていることは間違いない。とっても不思議な体験だった。

読書より外遊びしてほしいんだな

本を読んで欲しいというけれども、本の楽しさを教えていないのが本質的に問題。子どもが幼い時期から親が読み聞かせをしていたら、100%本大好きな子になる。この持論、 私調べだけれども今まで外れたことがない。読み聞かせをするには、落ち着いた時間を確保することが必要だし、音読をすることはパワーも使う。敬遠する親も多い。「読み聞かせ一回もしたことがない」と普通にさらりと言った母親に対して、平静を装うのが大変だった。あなた、なんてことしているんですか!と心の中ではめちゃめちゃ波風が立った。

本の読み聞かせをしないでおいて、小学校に入学したら、教科書の音読や日記を強制されて、 そりゃぁ文字拒絶反応を発症するはずです。そしておまけに本をたくさん読めと言われ続ける。。。本の楽しさを教えてあげて下さい、先生。

どんぐり式子育てをしていたら、学級PTAの先生のお話しも違和感だらけ。誰のこと話してらっしゃいますか?と感じてしまう。でも、それって子育て成功している証拠なんじゃないか?と、ポジティブにとらえることにする。

昨夜カメちゃんが、「ママぼくね夜が楽しみなんだけど、なんでだと思う?」と聞いてきた。「理由はね、ハリーポッター読んでもらえるから」とニコニコ顔で言うカメちゃんが愛おしいこと。今、ハリーポッター秘密の部屋を寝る前に読み聞かせしている。長い!から1章ずつ。1章でも音読すると20分かかる。とっても疲れる。けれども同じ物語を20分間共有することは、なんともピースフルで幸福感溢れる時間なのか。つづきが早く読みたいね、とワクワクドキドキ眠りにつく。読み聞かせはしんどいけれど「今日も夜ハリーポッター楽しみだな」という気持ちが心の片隅にあるということは、1日を意欲的に過ごす糧にもなるんじゃないかな。

私が長い物語を読み聞かせ始めると、ハスちゃんは先が気になり過ぎて、読み聞かせを待てなくて、自分でどんどん読み進めて1日2日で読み終えてしまう。私の読み聞かせスピードが満足できないみたい。それが今の課題だな。