正しさ

5月20日一粒万倍日、数週間モヤモヤしていたことなどが、パーっと晴れるような日となりました。

「正しさ暴力」 という言葉を聞いて、私これよくやってるなぁと感じた。朝が苦手なハスちゃん、ぶすっとした顔で食卓に座っているのを見て注意してしまった。不機嫌な顔で朝からそこにいられると迷惑、というようなことを言ってしまった。

私の「正しさ」が、相手にも「正しい」のかどうか、違うはず。まさに正しさ暴力。反省。

問題を責任転嫁している人に対しても、それじゃぁ何も解決しないよ!と私の正義の剣が大暴れする。その人が私にとって大切な人であればあるほど、正義は激しく主張する。だって、大切な人には幸せになってほしいから。責任転嫁していたら良くならないのわかるから。

でも、それは正しさ暴力だったかもしれない。一応、自分の正しさを説明することはする。けれどもそれを押し付けないこと。正しさを押し付けない。この人が責任転嫁するところが嫌だ、この人は口だけで行動しないところがいや、依存体質がいやだ、なんてとーっても気になる時がある。相談されたら、助言はしたいけど、そうでない場合は事実を伝えるだけで、終わりとする。

本当に大切に思っている子どもに対して、正しさを押し付けないようにしようと誓った日。とてもいい日です。

著作権

昨夜、ハスちゃんと大笑いしながら寝た。

先週学級目標の大きなポスターを作った時に、ハスちゃんは”はたらく細胞”のキャラクターを描いた。そしたら、それは著作権侵害になるかもしれないから、このポスターはちょっと保留する、と言われた。と。その話を聞いた時、経験や感覚ベースでしかないけれども、「はぁ~(*´Д`)???!!!」とありえないと思った。

ハスちゃんは崖の上のポニョも書いたけど、それはポニョかどうかわからないくらいの出来だったからなのか、ポニョは大丈夫と言われたみたい。権利関係はジブリの方が厳しいよ、なんて不要な情報を与えつつ、はたらく細胞のキャラとポニョの違いは、完成度だね、ということは、ハスちゃんがはたらく細胞のキャラ、上手に書きすぎたのか、と大笑いした。F君もキャラクター書いてたけど、それは大丈夫だったというので、ということは、F君は下手だから書いていいのか、ハスちゃん上手すぎたかーとまた大笑い。

他のみんなが似顔絵を描いてたりするのに、自分が描いたはたらく細胞のキャラのせいで飾れなくなったのが嫌みたいで、この部分に白い紙を貼って隠してから掲示してくださいと言ったら、それはハスちゃんが一生懸命描いた絵だからできないなーなんて言われたみたい。どうして先生ってこういう対応しかできないんだろうね。。。

笑い話でいいかとも思ったけど、 いい機会だから、著作権、著作権侵害にならないケースを調べた。思った通り、著作権法第35条に 学校や教育機関における活動では著作権侵害にならないと明記されていた。やったー!!!

ハスちゃん、人生初の要望書を手書きで書きました。私が描いたキャラクターは著作権法第35条に著作権侵害とはならないと書いてあります。みんなで一生懸命描いた学級目標を貼ってください。と。

良い経験となった。先生ありがとう。

クラスの困っている子

子どもが産まれて子育てをしながら、たくさんの貴重でありがたい情報を目にしてきた。その中でも、同じ状況を周りの大人の捉え方でこんなに違いが生まれるのか、と衝撃だったのが、 『困った子』はいなくて、『困っている子』がいるだけ」 ということ。困った子と捉えず、困っている子と考えるだけで、全てが変わる。

ハスちゃんのクラスの女子、ちょっと衝突が多い。喧嘩が絶えない。そんな中、この記事を読んでずーっと疑問に思っていたことがすっとした。

著者が書いている教員から見て困った子の2例、
他の子どもに攻撃をして孤立してしまう子どもすぐにふてくされる子ども

この2例、ばっちりハスちゃんのクラスメートに当てはまるからびっくり!!!この2例に当てはまる女の子が、絶えず衝突しているのです。

ひとりは、普通は言ってはいけない感じることを口に出し、やってはいけないと感じることをやる。びっくりするような言動、乱暴な行動が多い。

私はその子を気が強い乱暴な子と認識していました。でもこの記事には、”そういう行動を取ってしまうことにはさまざまな要因がありますが、親の育て方の問題などではなく、相手の気持ちを推し量る能力がただ欠けているだけということもあるのです。”と書いてありました。

もうひとりの、すぐにふてくされる子は、ネガティブで、すぐにふてくされてしまう……。どうせ〇〇なんて、と殻に閉じこもる、扱いづらいタイプの子。そういう子は、”単に、なかなか納得できないというだけのこと。教員が良かれと思っているように、子ども自身も自分の考えを強く信じているのです。 “と説明されている。

2人とも、困っているんだね。わかりやすい障害だと周りに理解されやすいけど、性格や、ある特定の能力の欠けって、一部の専門家以外には理解できない。そんな中、二人はとても困っているね。周りの大人がその二人をさらに困らせていることもあるかもしれない。

ハスちゃんにこの記事を読み聞かせることができて、よかった。

先生不在ということ

昨年度、校長含め小学校の担任全員が異動した。複式で3名の担任の先生がいる超小規模校でしか起こらない状況でないでしょうか。学校が好きではなくて、いつ完全不登校になるか。。。という状況だったハスちゃんの親としては、楽しくなかった学校の先生が全員変わる、という状況はそんな悪い話ではない。一発逆転でいい先生が集まって楽しい学校になるかもしれないから。

始業式、新年度始まってみたら、担任の先生が1名しか赴任していなかった。2名採用できていないようだ。5月に入っても、まだ担任2名不在のまま。憲法で保障されている教育を受ける権利の軽視ではないか?などと真面目に論じればかなり由々しき問題。離島の小規模校差別問題もある。

しかし、ハスちゃんが今年度「学校そんなにいやじゃない」と毎朝8時半には登校している。始業時間は8時15分だから微妙な遅刻を毎日しているんだけど、ちゃんと登校している。休むことは視野にない。担任が2名足りないというありえない状況だけど、我が家にとっては吉とでた!笑

朝の会がどうしても嫌みたい。今日の給食はー〇〇とか、意味ないことをぐだぐだやってるのが嫌って。そうかぁ。。。

どんぐり問題お休みハスちゃん

ハスちゃんが、2週間どんぐり問題をお休みしている。我が家では学校から出される宿題をしておらず、家庭学習は1年生入学した時からどんぐり問題オンリー。それだけにどんぐり問題がいかに大切か、なぜ学校の先生に宿題免除まで申し出てこれをやるのか、を繰り返し説明してきている。

先週末、どんぐり問題を始めようとしたら、ハスちゃんが「これやりたくない、たのしくない」などグズグズ言っている。昨年度までは、どんぐり問題はどんなことがあってもやらなければならないです、というスタンスで、ハスちゃんが何をいっても、やってください、と言ってきた。もちろん嫌々やってもいい結果はでないんだけど。

先週末は「やるかやらないか、自分で決めて、人に無理強いされてやってもいいことないから」と伝えた。これ、私初めての対応だった。もうどんぐり問題の大切さは十分伝わっているし、ハスちゃんは今年度6年生、思考回路を作るリミットがあと1年だよ、大切な1年なんだよ、というのも繰り返し話している。そのうえで自分がどんぐり問題やらない、と決めるのであれば、それはもう受け入れるしかないなと考えた。

今週末もハスちゃんにどんぐり問題をやるかどうか、自分で決めてくださいと言ったら、やらないと言った。カメちゃんのどんぐり問題が終わって10時。いつもなら外に遊びに飛び出してゆくけど、ハスちゃんはなんだか元気がない。どんぐり問題をしていないから、遊びに行くのを躊躇しているのかな?なんて感じて、洗濯物を一緒に干しながら話した。

ハスちゃんはどんぐり問題がどんなに大切かわかっていて、ママはそれをハスちゃんにしてほしいと思っているのを知ってる、でもやらなかった。だからママ怒ってるかな?とか居心地の悪さを感じているね。ハスちゃん、自分が決めたこと、自分の選択に自信を持ちなさい。自分で決めたのならそれでいいのよ。うしろめたさなんて感じなくてもいい。

こう伝えてもなんだか声が弱弱しく元気がないハスちゃん。

ハスちゃん、もしあなたが何かを決めてその後楽しくなかったり、元気が出ないなぁと感じたら、その選択が間違っていた可能性が高い。だから、次からはその選択を変えるのよ。楽しくない時は、どこで間違っただろうとわかるところまで戻って、選択を変えるの。そう伝えた。

さて、来週末、ハスちゃんはどんぐりするでしょうか、しないでしょうか。

AI vs.教科書が読めない子どもたち

私は読書が好き。けれども子どもが産まれて以来、中々読書に時間をとれない毎日。睡眠は何よりも大事だからそこは削らない(笑)そんな私の読書熱を満たしてくれているのが中田敦彦のYouTube大学!!!あっちゃんカッコいー!!!

夕食を作りながら毎日聞いている。昨日の”AI vs.教科書が読めない子どもたち”はかなり素晴らしく、興奮した。

読解力が全て。読解力が高い人間がこれからの時代を生き残っていける 。読解力とは文章の意味を理解すること。 読解力こそがAIが不得意な人間らしい力 。

衝撃的なのが、中高生の3人に1人が簡単な文の読解力がなかったという事実。人類の60%しか読解力はない。教育界は、ぼくたちは問題の答え方を教えていたけど、生徒は問題文が理解できていなかった、と震撼した。単純なドリルを解くだけでは養われないのが読解力、すなわち国語力。最も大事なのは読解力。

読解力が高い人材は受験でも就職でも勝つ。国内屈指のエリート中学校の教育が凄いから東大合格者を多く輩出するのではない、入試で読解力がある子どものみを集めて教育をしているからだ。

数学者が国語が大切と言っている。AIがぶつかるのが意味の壁。AIは意味が分からなくてもできる問題だけ解ける。これ聞いて、意味がわからなくてもできる問題だけ解ける子どもを量産しているのが今の義務教育だよな、と感じる。計算得意なのに、応用問題ができない、というのがこの典型的な例。私の個人的な考えだと、子どもの読解力は低下の一途を辿っている。

読解力はどうやったら伸びるのかがわかりません。小学生時代の読書習慣、学習習慣、得意科目は関係ない、データとったけど関係なかった。とこの本の著者が書いていると。理由がわからないけど、読解力がある人間とない人間がいる。塾講師をしていてそれに気づいたのが糸山泰造先生、そしてその解決策まで生み出している。答えは”どんぐり倶楽部”だよね。どんぐり倶楽部の算数の良質な文章問題!

私は人間にとって重要な”読解力”の育て方を知っている。まだ著名な数学者でもわからないということの解に気づいているかもしれない、と思ったら、超少数派というか、異端であり、苦労も多いどんぐり倶楽部式子育てをしていて、やっぱりよかった、と思った。

AIは計算する機械。ホワイトカラーと事務職は消える仕事。残る仕事はコミュニケーションのうりょくと読解力が必要な仕事。ハスちゃんとカメちゃんはきっと、AIが不得意である分野で活躍できる大人に成長する!

新月のねがいごと

ハスちゃんが6年生になって、8時半に登校している。普通の家庭からしたら毎日遅刻かい!という状況だけど、昨年度、9時半だったり、10時半だったり、11時半だったり、休んだり、だったから、私にとっては、めっちゃ早い登校!すごい!という感じ。担任不在で、学校がぐちゃぐちゃしている、そこがいいのかも。面白いね。

ハスちゃんが仲良くしているお友達が不登校の子で、給食だけ食べにくる日がある。その子はいつも髪に色のついた髪留めをしている。それを見て、ある女の子Mちゃんが「色がついてる髪留めしたらダメなんだよ!」と言った。周りの子に、ねぇ、ダメだよね?と言ったけれども、いいんだよ、と同意を得られずキレてたみたい。ハスちゃんが「私が仲良くしている子達にね、「Sちゃんが学校来ない事、色がついてる髪留めつけてること、それはSちゃんがきめることだから、いいんだよ」って話してるからね、教えこんでるから、みんなダメだって言わなかったんだよ」と。

頼もしい。そうそう、多様性を学ぼうみんなで。いろんな子がいる、それでいい。学校はそう言いながら、そうなってない。そこが変だもんね。

「でもMちゃんが色がついてる髪留めは学校でしてはいけないっていうのは、現時点では正しいよね、Mちゃんは学校の先生や親にそう言われているから、Sちゃんにもそういっただけ。そのルールが必要かどうかは別にして、今は存在しているからねぇ。Mちゃんも自由に好きな髪留めつけたいと思って、Sちゃんずるい!という気持ちになるんだよね。そんなルールない方がいいけどね。」と話して、

せっかく6年生、最上級生になったんだから、学級会?児童会とか機会があれば、不要なルールをなくしたい、って提案してみたら?とハスちゃんに言ったら、目を輝かせて急にメモし始めた。

好きな色の髪留めをつけないと学校に来れない子がいるとしたら、学校では黒か茶のゴムや髪留めしか使ってはいけないというルールは、その子が学校にくる権利を奪うことになる。そんなルールはいらない。先生に、黒や茶のゴムでないといけない理由を問うてみて、納得できる答が返ってこなかったらそのルールは必要ないということよ、と焚きつけてみた。笑

そもそも学校が好きではないハスちゃん、いつ完全不登校になるかと様子をうかがう前年度でした。ルールをなくす提案をしてうまくいかないとしても失うものが何もない。よくなる可能性しかない。担任不在で、校長先生が授業をしてくれることが多いから、校長先生に直談判できるチャンスでもある!

学校は、子どもたちの為の場所。子どもたちが考え、楽しい学校をつくる機会を大人が与えてくれますように。ハスちゃんにチャンスを!新月の日に強く願います。

先生がいない!?

前年度終わり、教頭先生以外、校長初め、小学校の先生全員(複式なので3名)がいなくなると知った時、そんなことってあるんだぁ、それって、学校をうまく運営させてようという気ないよね、とどこへ向けていいかわからない負の感情がわいてきた。でも、これは私が全く影響力を及ぼすことができない分野の出来事。昨年度、全然学校が楽しくないと言っていたハスちゃんにとって、全員先生が変わることは、悪くないかも、奇跡が起こって学校を楽しくしてくれる先生がくるかもしれないし、そしてカメちゃんは前年度の担任が好きではなかったから、その先生がいなくなることをかなりよろこんでいた。

そして新年度、始業式、小学校の担任が2名足りない。え?!!!どういうこと?という状況に。教育委員会も小学校の計画の甘さと小学校に責任をなすりつけていますが、この小学校の先生3名必要なのに1名しか赴任していない、という状況。唖然。

ちゃんと先生配置できないような人事システムがおかしいじゃない?そもそも鹿児島県、奄美大島の先生の異動のシステム、無理があると感じていた。動かしすぎだし、急すぎる。で、その結果こういうことがよくあるみたい。よくあってなんでシステムを是正しないの?一般企業でこんな失態あったら、クビ!でしょう。

一旦、ちゃんと仕事してよ!と怒ったものの、そもそも学校が好きではないハスちゃんと、担任が好きではなくて学校があまり好きでなくなったカメちゃん、学校は楽しければいい、と思っている変な親、ですから、ちょっと一息ついたら、このカオスな状態が楽しくなってきました。

昨年度は、9時半、10時半、11時半頃、登校していたハスちゃんですが、今年度始まって、8時半には登校しています。遅刻には変わりありません。朝の会がいやみたいで、1時間目の始まりに合わせて登校しています。昨年度より、今のカオス状態の方がいいみたいです。

今日、私が出店するイベントがありまして、もちろんハスちゃんカメちゃんも一緒に連れて行く予定でしたが、土曜授業だよ、と昨夕カメちゃんに言われて気づき、じゃぁ、休んでイベント行こう!といつもの感じで言ったら、明日は1年生を迎える会だから、行きたい!とカメちゃん、学校嫌いのハスちゃんも、明日は司会進行しないといけないから休めないと。びっくり。

大人にとってはぐちゃぐちゃ、カオスでいいから、子どもが楽しいと感じる学校、行きたいと思える学校であってほしい

マスクで歌

久しぶりに昨日今日と学校に対して噴火中。昨日の噴火は、全国どこの小学校でもあるPTAの集会の内容に無駄が多すぎのイライラ。これに関しては、筋金入りの学校嫌いであるハスちゃんの気持ちに共感する機会にもなり、それはよかったとも思える。

今日の大噴火は、カメちゃんが朝言った一言で起こった。

「僕、音楽の時間にマスクして歌をうたうのが苦しい」と。私は耳を疑った。マスクして歌?!ありえない!!!!マスクしないと危険なんだったら歌わせるべきじゃないでしょう!と大噴火。

ハスちゃんも参戦してきて、マスクが苦手だから苦しいと思ったらちょこちょこ外してるけど、音楽の担当の先生が厳しくて、外してたら注意されるらしい。みんなで歌ってて先生に、「苦しい?」って聞かれて、はいと答えて、あぁ、やっとマスク外していいと言われるかなと思ったら、「苦しかったら鼻で息してください」って言われてがっかりした、らしい。私もがっかりだわ。

いろいろ突っ込みどころ満載だけど、体育の授業はマスク着用しなくてよくて、なぜ音楽で歌うときにマスク着用を強いる?コロナがそんなに心配なら、コロナ渦での特別対応として、歌わない卒業式でもよくない?

そもそも、マスク着用で歌わせて、苦しそうな子どもを見て、何にも感じない?やはり学校という場が子ども本位の場ではないことを改めて実感。そんなのわかってたけど、子どもの健康を守ることが重要ですらないんだなぁ、とかなりご立腹。

最近は毎日遅刻、2時間目か3時間目に登校するハスちゃんに加え、カメちゃんも昨日も今日も遅刻。

将棋したり、漫画かいたり、自由に過ごす。平和だ。勉強は家でできる。もう学校いらないじゃん、と本気で思う今日この頃。

現在の学校の弊害がコロナのおかげで浮き彫りになってくる。私にとっては。それは、ちょっとコロナの良いところなのかもしれない。子どもの苦しさに気づけるチャンスをくれているから。

図工

図工は、多くの子どもが好きな教科としてあげると思うのだけど、多分小学校の教科で一番、というか唯一、自由度が高いからなのではないのかな?

指示された通り、教えられた通りにやるばかりの小学校で、一応、図工はある程度の範囲内での創作の自由を与えられていると思っている。のだけど、本当に先生次第では図工さえも楽しくない、嫌だ、になってしまう。

カメちゃんも図工は好き。だけれども一昨日帰宅してすぐ「ママ、今日ね〇〇先生がすごく嫌だった、図工の時間にね、僕が真ん中に遊園地を作ったんだけどやめて、そしたら先生がそこに遊園地あった方がいいっていうの。でも僕は嫌だって言ったのに、気持ちはわかるけど、遊園地をつくりなさい!って言われたの、すごく嫌だった」とすごい勢いで訴えてきた。

信じられない。先生のレベルの低さが信じられない。先生から見てどんな駄作であろうとも、子ども本人の意思を尊重して制作させることが一番大切ではない?図工だよ?

もう明日学校休む、行きたくない、とカメちゃん。翌朝、ゆっくりゆっくり支度して、遅刻して登校はしたけれど、朝学校に連絡して「図工では、カメちゃんのやりたいようにやらせて頂けると助かる」と伝え、連絡帳にも”せめて図工は子どもの自主性や独創性を認める時間であってほしい”と苦言を呈した。こんなこと、言っても伝わらないんだろうな、とは思うけど。だってもうありえないから。

文科省が盛んに、主体的で深い学び、というけれども、まず先生達は意味わかってるのかな?主体性というのは、自分で考え行動しないとダメでしょう?図工ですら主体性が求められていないのは、致命的。。。先生達の教育に本気で取り組んでほしい。