子供にとっての遊びの重要性を理解しない大人たち

今日は、奄美から広島に移住してきて3度目くらいの、衝撃事件。1つ目、ハスちゃんがいじめられて不登校、2つ目、イエナプラン教育校に転入したカメちゃんが、学校行きたくないと言って休んだこと、この2つが同時期に起こって、絶望した。それに匹敵するかどうかの衝撃事件。

全国初、公立小学校初のイエナプラン教育校と恐らく先進的な教育に興味がある方からは熱いまなざしを送られ、注目されている学校であれど、子供にとっての自由な外遊びの重要性を理解していなかった件。

徒歩圏内以外から登校してくる家庭も多く、校庭に保護者が車を乗り入れることが認められてきた。それが、近隣の駐車スペースを利用する、ということに変更になり、校庭への乗り入れが原則禁止となった。校庭は子どもが安心して遊べる場であるべきで、駐車場ではないのだから、校庭に車が乗り入れなくなることは悪いことではない。

但し、駐車スペースに限りがあり、長時間の駐車は控えてください、みたいな通達が学校からあった。この時点で遠方から送迎して子供をイエナプラン教育校に通わせている親の一部はざわついていた。長時間駐車できないということは、迎えに行った後、放課後学校の校庭で子どもを遊ばせることができないということ。低学年の子の親の一部は、迎えに行ってそのまま子供が校庭で遊ぶのを、他の保護者と話しながら待っている感じだった。

高学年で、送迎が必要な転入組は、3時下校の後は子供に自由に校庭で遊ばせて、5時半くらいに迎えに行く、という感じだった。だから駐車場に長時間駐車できなくなることでは、あまり不自由を感じなかったのだけど。

本日、お迎えは15時に、急遽やむを得ない事情で迎えが遅れる場合には、学校へ連絡すること、15時迎えが難しい子どもたちは、放課後児童クラブを利用することをお願いする手紙が配布された。

ラッキーなことに、カメちゃんを迎えに行ったタイミングで、この手紙を読む前に、これを作成した管理職の方と話すことができた。色々話した。訴えた。管理職の方も、伝えたかった意図とは違う印象を与えてしまった、とは言っていた。でもはっきりしたことが一点。

こんなに注目されていて、先進的な教育を行おうとしている学校であっても、子供にとっての自由な外遊びがどれだけ大切かを理解していない、という驚愕の事実。

イエナプラン教育校、本当に素晴らしい、来てよかったと思っているけど、肝心要の子供の本質、子供を教育するうえで核となる、子供の育ちの部分は共有できていないことが判明した。かなりの衝撃。遠方から移住してまで通うべき学校では、今の所ない気がする。

今日、偶然というか必然、遊びを大切だと思っている保護者3名でこの件、直談判した。その意見を受けて、学校側の最終決定を待ちたい。子供の遊びを守れない大人なんて、がっかりする。

カメちゃんTシャツ前後ろ逆

昨日、学校で5時半まで遊んで帰宅したカメちゃん、Tシャツが前後ろ反対に着ていることに気づいて、驚愕。

未だに前後ろ反対に着ること、2週間に1回はあるかな、でも朝出発する時までに私が気づいて、なおすのだけど、昨日は気づかなかったー。どうでもいいかもしれないけど、5年生でもこんな感じなのね、と男子ってすごいなぁとちょっと笑っちゃう。

男子って、といえば、週末5年生男子2人、2年生女子2人、親子でハイキングへ行った。2年生女子のうちの1人の子が結構気が強く、カメちゃんとその子の会話がトゲトゲしていて、いちいち軽い口論みたいになる。丁度2年生女子とカメちゃんの精神年齢が同じくらいだなぁ、と感じて。

その強気な女子は、恐らくクラス内には敵なし。口で負ける相手はいないだろう。カメちゃんも、クラス内の同学年の女子とは相手にならないだろう。女子が相手にしてないはず。でも、2年生の女子なら丁度論破できそうなレベル。いつもハスちゃんにもやられっぱなしだけど、この日はカメちゃん負けずと小2女子に応戦してた。

さすがに口が達者な小2女子も、小5男子の圧には屈することが多くて。カメちゃんもそんな攻撃的な話し方ではないけど、いちいち突っかかる感じで。とうとう小2女子は気分を害し、帰りたい、もう帰ろう、と言い始めた。

小2の女子に対して、もう少し話し方を考えてよ!楽しくなくなってるじゃん!とカメちゃんを注意した。ちょっとカメちゃんに腹立った。けど、精神年齢が同じくらいなんだもん、相手が小2だとか、年下だとか、関係ないよなぁ。カメちゃん的には対等な相手だったんだろうなぁ、とも感じた。

ま、異年齢の子との交流も、大切よね。今のイエナプラン教育校では3学年が同じクラス、縦割り活動も結構あるから、いろんな経験をして、成長していってほしい。

カメちゃん進化中

カメちゃんの小学校は、イエナプラン教育校。黒板で先生が一斉授業するスタイルは取らず、1週間分の仕事(学ぶべき課題)を与えられて、それを自分でスケジュール立てて行う、どこでだれとどんな風に学んでもOK.つまづいたら先生も助けてくれる、こんな感じでブロックアワーと呼ばれる学習を午前中している。

4月、始まった当初は、その時間に友達と話したりしないで個人で取り組むという感じだったのが、今は友達と一緒に学ぶことが推奨されている様。当初、自分でプランして、仕事を終わらせていくことが出来なかったカメちゃんも、同級生でそれが得意な子にやり方を教わって、やり方がわかってきたみたい。見守る先生達もどんどん進化していて、当初は終わっていない仕事にフォーカスして声掛けしていたけれど、今はそれはないみたい。

1学期の終わりに、ブロックアワーの仕事がちゃんと予定通り進められるようになった、と誇らしそうに教えてくれていた。仕事が終わらなくて、終わらない仕事が溜まっているストレスで、学校を1日休んだこともあるカメちゃん。進化を感じて。

そして2学期。最近は、与えられる仕事が3日くらいで終わるようになっているらしい。誇らしそうに、送り迎えする車の中で毎日のように報告してくれる。仕事が終わるようになったら、その後何をするか、を考えなければいけない。マイプロジェクトといって、それぞれの子が調べたいテーマを決めて学習し、まとめておそらく発表するものがあって、残った時間はそれに費やせばいいんじゃない?そしたらそのプロジェクトに時間が使えてより深いものになりそう、と言ったら、カメちゃんは

「そうだね!それいい!ブロックアワーの時間にマイプロやるなんて考えてもみなかった」と目をキラキラさせて言っていた。

カメちゃん、進化中。着実に進化していると思う。大人が邪魔しないで、導き、信じて待つことができたら、子どもはたくましく、勝手に成長するんだねぇ、とこのイエナプラン教育校で感じている。感謝しかないです。

なんて楽しいんだろう

今、図書館に来ている。ハスちゃんが家から車で20分かかるフリースクールへ通うことになり、初日は午前中ハスちゃんを連れて行き、そのまま家に戻り、また迎えに行く、と車で2往復した。計80分。どうも2往復すると無駄が多いと感じてしまい、ハスちゃんを送迎しなければならないことを負担に感じた。
公共のバスは田舎故に、本数が少なすぎて使いづらい。あぁ、ハスちゃんが公立の学校に自力で通えたら楽なのに。。。という思考になってしまい、良くないと思った。

工夫が必要だ。それで、ハスちゃんがフリースクールに滞在する間、私がフリースクールの近くで時間をつぶすことが出来たら、1往復で済む。よし、帰らないで待って居よう。フリースクールは最長10時から15時。まずは図書館。図書館で仕事したり、本読んだり、勉強したりしよう。そして公園でお弁当を食べて、外でもできる手仕事をしよう。今はラフィアというヤシの葉から作られる素材を使って帽子を編んでいる。結構時間がかかる地道な作業だから、公園で帽子を編んだらいいな、あと、30分は健康の為に歩いたらいい、なんて考えながら、フリースクールの近くで待つ、というのをやってみた。

5時間待つ日とかは、ちょっと長いかなーなんて思っていたのが、嘘みたい。全然時間が足りない。もっと本読みたいし、勉強(今は英語の教え方)も全然足りないし、帽子ももっと編みたいし、
と、時間が足りないくらい楽しい。うれしい誤算だった。暑すぎて歩く気にはならなかったけど、全然歩く時間を取れないくらい楽しい時間を過ごしている。台風が過ぎ、一気に秋めいてきたから、歩くというのも時間を決めてやってみようと思っている。

元々在宅で仕事をしていたから、仕事以外の時間は、少し家事をして、そのあとはやりたいことをやっていたつもりだったんだけど、やはり家にいると無駄が多かったのか、やりたいことを家から持ち出して、図書館や公園でやると、ぐんぐんその作業がはかどる。それをやるしない状況に自分が置かれているからね。そのはかどる感じがたまらなく気持ちいい。

ハスちゃんがフリースクールへ行くことになった時に、一番思ったのが、あぁ、給食がない、お弁当が必要になる。。。ということ。めんどくさいと思ってしまった。

さて、お弁当作りが私の負担になると、精神的に良くない、さて工夫が必要だと考えた。そして、私の負担を減らすため、ハスちゃんに手伝ってもらおうと考えた。ハスちゃんにおかずを何品か作ってもらって、そしたら私も楽だし、ハスちゃんの為にもなる、一石二鳥!と思った。これは作戦大成功で、私がカメちゃんを小学校に送迎している時間にハスちゃんがお弁当のおかずを作ってくるという流れが出来、しかもそのおかずがめちゃくちゃ美味しくて、ハスちゃんも上手にできて、美味しくて誇らしい気分になってくれて。とてもいい感じ。

自分や、家族が作ってくれるでお弁当ってなんであんなに美味しいんだろう。今日持ってきた3色そぼろ弁当も、カメちゃん送って帰宅したらぷぅーんと鳥そぼろを作るいい香りがしてきて、もうその時からお弁当の時間が楽しみでたまらない。なんとも幸せだ。

これも図書館で書いているんだけど、近所の小学生が見学に来ている。みんな同じ制服を着ている。カメちゃんの小学校は私服だから、久しぶりにたくさんの小学生が同じ服を着せられている光景を見た。私が着ているわけではないのに、どうしても息苦しさを感じる。ハスちゃんが通う学校は制服があった。今フリースクールへは私服でいい。あぁ、制服の息苦しさからも解放されたなぁ、とまた嬉しく感じる。

ハスちゃんがフリースクールに通うとなった時に感じた、負担、や、めんどうくさい、という感情が、まったく違うものになっている。

ちょっと工夫すれば、日々は楽しくなる。今日、ハスちゃんをフリースクールに送る車中で、3色そぼろ弁当が楽しみだねぇ、とお弁当作りの話で盛り上がり、ワクワクした気持ちで別れて、図書館に来て早速お弁当作りに役立ちそうな本を数冊見つけて、それを早くみたい気持ちを抑えて今これを書いている。あぁ、やりたいことがたっくさんある。

なんて楽しいんだろう。

カメちゃん小さな武勇伝

カメちゃん、2学期も楽しく学校に行っている。
イエナプラン教育校は、親も子も今のところ大満足で、こんなに夏休み明けの新学期に重い気分にならないのは初めての経験だった。
カメちゃんも、早く学校始まってほしいなーなんて言っていたし。

我が家からイエナプラン教育校までは、車で10分ちょっと。
毎日送迎の日々。
家に帰っても近所にお友達がいるわけではないので、
学校が終わったらそのまま残って6時前後まで遊んで帰る、というのが日課。

ランドセル替わりのリュックを校庭のすみに置いて遊んでいて、
私が迎えに行ったら帰るのだけど、先日、リュックを忘れて水筒だけ肩から下げて帰宅したカメちゃん。
リュックには水筒とたまに体操服、くらいしか入っていないから、取りに行く気にもならず。。。
ただただ、あきれて、ちゃんと自分の荷物は管理して!と怒ってしまった。

翌朝、学校に行く車の中で、
「ママ、習字の筆折れたから買って」とカメちゃん。
「はぁ?!?!」
習字の筆が折れるって、何してたん?普通に使ってたら折れるわけないでしょう?物を大切に扱って!とまた怒ってしまった。

習字セットを購入するとき、せっかく買うなら、と日本製の筆でやや高いものを選んだことなどが思い出され、私の怒りを増幅させる。

冷静に考えたら、笑って済ませばいいような出来事ばかりなんだけどなぁ。
怒ってしまっている。今、ちょっと余裕がないのかもなぁ。気をつけよう。

ハスちゃん、フリースクールへ行く

ハスちゃんが、フリースクールに通い始めた。やっと、という感じもするし、ついに、という感じもする。都会には増えてきたフリースクールだけれど、今まで小2まで過ごした広島県でも、小3から小6まで過ごした奄美大島でも、通える範囲にフリースクールは無かったから、”学校行きたくない”となったら、学校休んで家にいる、という選択肢しかなくて。放課後はお友達と遊んだりはしていたけど。

今、奄美から引っ越してきた福山市には、教育員会が設置するオフィシャルなフリースクールが3か所あって、学校が合わない子が無料で通え、そこに行くと学校も出席扱いとなる、という素晴らしい場所がある。ありがたい。我が家からは車で20分はかかるけれども、何とか送迎可能な距離。基本、主要5科目の授業はオンラインで受けて、その授業の時間の合間で毎日フリースクールに行くという感じにしている。

学校不登校になると、いろんな意味で親は心配で、不安で、苦しい。けれども、このフリースクールの存在のおかげで、とても助かっている。送迎の負担はあるものの、ハスちゃんにとっての居場所がある、ということが嬉しい。小1から中3までの仲間が一緒で、みんなで遊ぶらしい。奄美の極小規模小中学校みたいだ。そのフリースクールには10人ちょっとの子がいつもいるみたいだけど、少ないなぁと思った。公共交通機関の便があまり良くない場所に住んでいると、親の送迎がキーになる。送迎できないと、やはりフリースクールを利用せず、家に籠るしかないんだろうなぁ。

校区に1つ、オフィシャルなフリースクールが設置される日が、早く来てほしいと思う。まずは、校内フリースクールの整備もしてほしいと思う。

私は、なんとかハスちゃんに学校に通ってほしいという思いが強くあったと思う。何でなんだろう?と考えてみて、私自身が学校を、学生時代を謳歌した経験があり、ハスちゃんにもあの様な経験をしてほしい、というやはり押しつけがましい、私の価値観という土俵の上での思いだったと思う。ようやく、ハスちゃんを開放してあげられたかなぁと思っている。

大人は子供の気持ちがわからない

今日、ハスちゃんは学校を休んでいる。

一昨日、新しい班になって、新しい友達ができるかな、たくさんお話したいと思ってるのに、みんな仲のいいグループに話しに行くから話せない、ということ、となり同士で話し合ってという場面で、となりの子が全く話さないこと、話してくれて。それを聞いて、学校がハスちゃんにとって楽しい場ではないことを感じて。

それで、フリースクールという選択肢を考えて。フリースクールの方に、ハスちゃんが学校行きたくないと言ったら見学に行かせてもらいます、と昨日電話を入れて。

昨日の夕方、担任の先生にハスちゃんが学校楽しくないと言っていて、フリースクールがいいなぁという事を言うので、次学校を休んだらしばらくフリースクールに行かせようと思いますと伝えたら、先生、びっくりされていて。その反応に私もびっくりして。。。

先生、ハスちゃんのこと気にかけてくれていて、休み時間は教室にいて様子を見ていてくれて。ハスちゃんが絵が上手なことを知っている子達が「〇〇描いて~」とハスちゃんにお願いしていたり、〇〇ちゃんという勉強がよくできる子がハスちゃんとよく楽しそうに話していますって。「1学期に比べたらずいぶんいろんな子と話しているなぁと感じていたから、びっくりです。僕が見ているのは休憩時間だけで、授業中の様子はみられないので。。。」と驚かれた。

休憩時間、客観的に見て誰かと楽しそうに話したり、交流していることを知って、安心した。よかった、と思った。ハスちゃんが楽しくないと思っているのは、やはり、授業、なのかなぁ。でも、とにかく少しずつでもコミュニケーションとれるクラスメートができてきて、少しずつハスちゃんの本来の姿を見せれたらいいなぁ、ハスちゃんが絵が得意な事とかもっとみんなに知ってもらえたらなぁ。

先日の夕食時に、カメちゃんがその日あった面白かったことを、メモ帳に書きながらハスちゃんに伝えていて。なぜかカメちゃんが急に「ひろゆき描こう」と画像右ページの絵を描いて。それ見たハスちゃんが、「ひろゆきはこうでしょう」と書いたのが左ページ。うまい!いきなりさささっと、描いてこんなのかけるの凄い!

ひろゆき、の絵

ちょっと私先走りすぎたかな、フリースクール、じゃなくても大丈夫かもと思って寝た。

そしたら今朝「学校に行きたくない」とハスちゃん。昨日、大丈夫かも!なんて希望を抱いてしまった私はびっくりしてしまった。あれ?先生は休憩時間楽しそうにしてます、とか言ってたのになぁ。やっぱり学校、嫌なのかぁ、できれば行ってほしいなぁ、と複雑な思いが交錯。

でも、親のエゴで、学校に行きたくないというハスちゃんを学校に行かせるわけにはいかない。

数学と、歴史の授業だけオンラインで受講して、午後はフリースクールに見学に行ってみようと思う。今住んでいる福山市には、学校が合わない子が無料で行けるフリースクールが3か所あって、そこに行くと学校に出席扱いになる。有難い。

楽しくない日々

友達ってどんな風に作ってたんだっけね。私は自分が小中学生の時、友達がかなり多いタイプで、友達というか、だれとでも仲良くできる、だれとでも話せるようなタイプだったから、だから今ハスちゃんが友達作りに苦労していることが、どうしたらいいか、よくわからない。。。

ハスちゃんも、今ここにくるまでは、誰とでも仲良くできるような、周りの子に慕われるようなリーダータイプだった。今、そのハスちゃんらしさを封印している感じがする。

新学期、9月1日、登校した。楽しくはないけど、登校はしている。でも、フリースクール、に興味を持っている感じはすごくする。フリースクールがいいなぁ、なんてポツリと言ったりする。

新学期だから、班変えもあったみたいで。新しい班は、横の子は全く話さない子みたいで。となりの席の子と意見交換する場では、ハスちゃんだけ自分の考えを伝えて、その子は何にも言わないって。ハスちゃんは同じ班の女の子と仲良くなりたいと思ってるけど、他の人と話してみてという機会があったら、その子は仲いい子のところにすぐに行ってしまうみたいで。せっかく新しい班になっても、みんな自分のグループの子で固まっていて残念だと言う。

もうフリースクールがいぃかもねぇ。と。そう思う今日この頃。毎日、楽しくなかった、と帰ってくるハスちゃん、私が思う以上に苦しいかもなぁと、私も気が重くなってきた。

今日ハスちゃんが帰ってきたら、フリースクール見学に行きたいかきいてみよう。少しでも楽しいことがある場所を選びたいね。

読書メモ 友だちってなんだろう

佐々木正美さんの著書「子どもへのまなざし」は、ハスちゃんカメちゃんがもう保育園に入った後出会った本で、子育て関連本で最も深く共感し、ハスちゃんが産まれてすぐ出会いたかったと思う本。

どんぐり学舎のさとちゃんが、佐々木先生の本を紹介してくれていたことがきっかけで、最近また佐々木先生ブームが来ている。図書館で借りられる中で興味を持った数冊を借り、読破している。

同級生との友達関係がうまく築けていないハスちゃんのことが頭にあり、「友だちってなんだろう」を読んだ。この本は佐々木正美さんと岡崎勝さんの共著。
その中で佐々木先生が語る子供にとっての”遊び”がやはり、グッとくる。

先生がストラスブールに行った時、泊まったホテルの前の公園で、毎日子供たちが大きな声で暗くなるまで遊んでいたそうで。そんな風景を日本では見なくなって何年経ったかな、としみじみ思い、そんなことを思いっきりやらせてくれる場所が日本にあったら、塾の2倍くらいのお金を払ってでも、子供を通わせたらいいのに、とその時思った、と書いてあり。

あぁ、これだよなぁ。と。
奄美では、同じ校区の子供たち、小1から中3まで、時には未就学児や高校生も、遊べる子たちが5時6時まで自由に遊ぶ文化があった。もちろん保護者の見守りはなく、子供たちがどこで何してるか全く知らない状態だった。夕方暗くなって、満足した顔でただいまーと帰宅する日々。時には泣きべそをかいてママーと帰ってくる日もあったなぁ。

今、カメちゃんは素敵な小学校に通っている。けれども、放課後や土日に子供たちが自由に遊ぶという文化は無い。子供にとって遊びが大事だと思っている
親が約束してどこかに集まったりして、遊ばせている。奄美の学校はうちには合わなかったけど、学校外の生活はよかったなぁ。

佐々木先生が昔カナダに留学した時、小学3年生くらいまでは教科書やノートを家に持って帰ってはいけなかった。家に帰ってまで勉強をさせないように、という考えだったそうで。どうしても勉強がしたい人は、4年生まで待っていなさい、と先生が言うんですって。佐々木先生は、”見識の深さというものを感じました。日本の 先生や親に聞かせたいです”と書かれているけれども、この部分に深く感銘を受けた。低学年から塾に通うより、たーくさん遊んで、勉強するなら4年生からね、と言う方が、 どんなにか学ぶ楽しさを教えられそう。。。

ヴィゴツキーという心理学者の「子どもはなぜ遊ぶのか」という研究、ヴィゴツキーは、研究する中で膨大な数の遊びを観察しているうちに、その理由に気づいたと。

以下引用

子どもは遊びの中でルールを作り、ルールを守り合うことが遊びの質を高め、感動を高めることを学ぶ。そして遊びの中で役割を分担することも学ぶ。役割は仲間の承認を得て演じる。
役割には、それに伴った責任がある。子どもはその責任を果たすために、一生懸命努力する。単に快楽のためだけに遊んでいる子どもはいない、と言うのです。
つまり、責任ある役割に何がしかの満足できる活動ができた時、子どもは感動し、その感動を仲間と分かち合う。また失敗した時でも、いい遊び仲間というのは必ず慰めてくれる。
そしてそういう一連の遊びの中に、倫理・道徳・社会性というようなものを自然に身につけていくプロセスがある。子どもがこういう遊びをしっかりと十分にすることなしに、健全な
社会人になることはないだろう。ヴィゴツキーは、はっきりとそう結論づけています。

この研究、本当に大事なことを言っていると思う。佐々木先生は、倫理・道徳性が社会の中から消えつつあるという現実は、子ども時代の遊びが少なくなっていることと関係しているのでは?と、遊びを一生懸命推奨してきた。けれども、勉強を推励する人に比べて、遊びを推励する人はインパクトが弱く、中々受け入れられなかった様で。大人、親が、子供が遊ぶことで大切なことを学ぶんだという確信がないのが問題だ、と書かれている。

その通り。
私が今後取り組みたいこと、やはり、子どもにとって遊びの大切さをできるだけ多くの人に理解してもらいなぁ、と再認識した。

そのままでいいよ、ハスちゃん

「あなたはそのままでいいよ、いいからね」とこの数日頭の中で何度も唱えている。ハスちゃんに対して、学校という組織が苦手で、同級生と楽しむことができず、学校が終わったら飛んで帰ってきて、いつも一人お部屋で何かしていて、休日外出することもなく。。。なんだか、かわいそう、せっかくの青春なのに、お友達と一緒に過ごしてほしい、なんて、勝手に心配していた私。

夏休みはほぼ私の実家で過ごし、私とカメちゃんだけ奄美旅行に行ったけど、その間も一人実家に残ったハスちゃん。同級生とは仲良くなれていないけど、2歳下のいとこや、3歳下の近所の子とは楽しそうに遊んでいた。私が彼女に臨む自然体験はパスされたけど、彼女は自分で考えて自分の休暇の過ごし方を選択して。奄美から帰宅したら、ギューッとハグして、嬉しそうに微笑んでくれた。夜寝る時も、抱きついてきて、かわいぃやつだと思った。そんな夏休みを過ごし、なんだかハスちゃんはそのままでいいんだなぁ、と漠然と感じていた。

昨日はアート療法士のMちゃんがハスちゃんと会ってくれて、ハスちゃんは私よりも精神的に成熟しているよ、と言われて。同級生と話が合わないのはもう仕方がない、と、本人も私も感じていたことを、客観的に教えてくれて、納得しかなくて。今までは何だかやきもき、心配する気持ちが渦巻いていたんだけど、今はハスちゃん、自分の精神性に合わない場所(学校)にいるの、苦しいだろうな、大変だろうな、よくバランスとって頑張ってるなぁと、ちょっと尊敬と、労りの気持ちが大きくなって。

2学期に向けて、ハスちゃんのことを気にかけてくれている担任の先生と話す機会があった。Mちゃんからの言葉を先生に伝えると、先生もハスちゃんが多くの同級生と合わないというところ、納得されていて。ハスちゃんが同級生に対して発する言葉にドキっとすることがあるみたいで。同級生の発言に対し、否定的な意見をぶつけていることもよくあるとのことで。急に中学から転校してきて、ハスちゃんの面白い顔を知らないまま、そういう理攻めで論破してしまう感じだと、正直ハスちゃんって怖いと思っているようなクラスメートもいます、とのことだった。

Mちゃん、先生と話せて、なんだかハスちゃんを取り巻く状況がよく見えてきた。

先生と話した後、ハスちゃんにこんな話聞いたよ、と伝えたら、以下のようなエピソードを話してくれた。「音楽の時間、アルトリコーダーを吹くとき、私はすぐに上手にふけるようになるけど、上手に吹けない子に合わせて授業するから、できるのに何度も何度も同じところを吹かないといけない。できない子に合わせるのが嫌だと言ったら、同じ班の子1人は同意してくれたけど、他な子に理解されなくて、「はぁ?!」とちょっと切れ気味な反応が返ってきた。私は自分の意見を伝えたい、わかってもらいたいと思っただけなんだけど」

日本の学校って、平均レベルにみんなを持っていこうとする風潮がある気がする。できる子にとっては授業も簡単で、退屈。ハスちゃんは学校が退屈すぎる苦しみを味わい続けている。このままではハスちゃんの向上心だったり、才能を生かしてあげられないなぁと感じている。

担任の先生は、よく私の話を聞いてくれて、理解もしてくれる素晴らしい方。できる子が楽しめるような授業のスタイルを先生たちにはもっと工夫して頂きたいと伝えたけど、それに対する反応は鈍くて。。。

同級生と話が合わなくて、思ったことを発言したらちょっと怖いと思われたり反感をかったり、学校も楽しくなくて、でも、それでいい、と心から思えた夏休み。ハスちゃんはそのままでいい、そう思った。