ハリーポッター 読了

2022年1月5日、ハリーポッター 死の秘宝の下、読み聞かせ終わりました。

奄美大島にいた時、あれはいつだったんだろうか。あまりにも有名なハリーポッター、有名すぎて、ベストセラー過ぎて読んでいなかった類のハリーポッターを、どんなきっかけだったか忘れたのだけど、小学校の図書館で借りてきて、夜寝る前に読み聞かせを始めた。

最初の賢者の石、の時はハスちゃんも一緒に聞いてたなぁ。さすが世界的ベストセラー、読んでみたら面白かった。けれど、読み聞かせというスタイルだとゆっくり、ゆっくりしか進めない。寝つきが良いカメちゃんが寝るまで読む、というスタイルだと、1日1ページしか読めない日もあったり。ぐいぐい読んでも1章読むのに2日かかった。ハスちゃんは読み聞かせのペースで満足できず、結局は自分で読んでいたなぁ。

そんなこんなで、カメちゃんだけへの読み聞かせに変化したのだけど、最終章の死の秘宝まで読むことができたこと、よくやった!と思うし、楽しかった。長いんだけど、とっても楽しくて、毎夜のお楽しみの時間となった。そんな時間を共有することが、読みきかせのメリットだもんね。

ハリーポッターを読み聞かせしていた、2年ちょっと、もしくは3年くらいの間、ハリーポッターの世界がパラレルワールドのように私たちの生活と共にあった。魔法、という物語のキーワードが、私とカメちゃんの中には常にあって、山歩きで棒をひろったとき、それは魔法の杖になったし、魔法の呪文を言い合ってよく笑った。

中でも、ルーナという一風変わった女の子の口調、〇〇だもン、と語尾に小っちゃいンを付ける話し方を急にカメちゃんがすることがあって、それを聞いた瞬間、私は「ルーナだね!」と笑っちゃう。そんな日々、楽しすぎる。

文字にあまり興味を持たず、読み書きが苦手だと感じていたカメちゃんが、このハリーポッターの読み聞かせをし始め、読めるじゃん!とびっくりした瞬間があった。読み聞かせをしながら私が睡魔に勝てず、もう駄目だ、今日はここでおしまい、と言ったら、カメちゃんが「じゃあ僕が読むね」と言い出して、あの難しい漢字、横文字もたくさんの文章を読み始めた。びっくりして睡魔が飛んだのを覚えている。面白い物語は、読む力を開花させるのだな。

他にも、ハリーポッターにはものすごい盛り上がって、次は何?次は?ともう展開を早く知りたい!と気持ちが昂る箇所があって、そんな箇所を読むとき、私の読むスピードが遅いと感じたのか、急にカメちゃんが読み始めた時もあって。カメちゃんが物語にエネルギーを集中させているのが分かって、とーってもいいなぁと思った瞬間もあった。「僕が読む」とも言わず、急に読み始める様子は、本当に素敵だった。

そんなハリーポッターの読み聞かせが、ついに終わった。何とも幸せで、楽しい時間だった。この思い出は、一生私とカメちゃんの中に残るなぁ、と思う。

今は、また新しい本を読み始めているけど、あのハリーポッターの後では、短い!内容が簡単すぎる!とこれまたカメちゃんは楽しそう。次は何を読もうかね。

新学期、新生活

2023年になり、学校は3学期が始まった。ハスちゃんが在籍する学校は遅れていた新校舎の建設が終わり、やっと3学期から新校舎利用が始まった。

新校舎では、教室に入りたくない子がいられる場所を作ってくださいと要望していた。そんな居場所を準備してくれて、ハスちゃんは3学期からそこに行ってみることにした。どんな感じかわからないけど、とりあえず行ってみよう、と。嫌ならまた、フリースクールに戻ればいい。ただ、オンラインで授業を受けるにも、学校内にいる方が先生としても、ハスちゃんとしてもやりやすいと思って。

3学期始まって4日が経った。ハスちゃんは、思ったより楽しい、と学校に行っている。年度の途中でもあり、新たな人員を配置することが難しいからか、その居場所ではなく、保健室で過ごしているみたい。保健室はかなり広くて、窓が多くて明るくて、養護教諭も気が合って、たまに保健室を訪れる生徒と交流したり、楽しいみたい。

年をまたぐだけで、こんなにも変わるのか、というくらい変化があった。毎日フリースクールに送迎し、図書館で過ごす生活でなくなった。あの生活も楽しかった。楽しめた。けど、今となったら、今の方がいい。でも、いつまた学校に行けなくなるかわからないから。どっちも楽しめる心持ちで過ごしていようと思う。

色々あるけど、物事はいい方にしか進まない。そう思う。

2023年、読書の喜び

新年早々、読書、本っていいなぁ、と感動している。読書といっても、聞書、なんだけれども、今年に入ってすでに3冊聞いた。本って、本当に有難い。優秀で知識豊富な方たちが、惜しげもなくそれを教えてくれる。しかもこちらの都合のいい時間に。今年は、どんどん、本を読み、聞こうと思っている。

「天才と育てた親はどんな言葉をかけていたのか」 真山知幸、親野智可等 著は、とってもよかった。帯に書いてある”生まれながらの天才なんていない。大切に育てた人がいたんだ”という言葉にグッときた。この本は本当に素晴らしい親がたくさん出てくる。でも、私がこの本の帯を書くとしたら”子供はみんな天才。その才能を生かすか殺すかは親次第”かな。

この本の良いところは、色んな種類の天才、色んな種類の素敵な親が出てくるところ。もちろんあの有名なエジソンも出てくる。エジソンの母が学校が合わない息子にマンツーマンで教育をしたことは有名。すごい!けど、でも私にはできない、と思うよね。でも、できそう、それは私にもできる、やりたい、という親も出てくる。そのバリエーション豊富なところが良い。

もう我が家では実践、真似していたのが、天才数学者、森毅さんの父。学校を休みたいという息子さんに、「落第しないよう、コントロールして休むこと、そして、休んだ日は学校に行くよりも有意義な一日を過ごすこと」こう話したらしい。この話、他の本で読んで、我が家では実践させて頂いている。

ハスちゃんに、せっかく学校行かないなら、学校行くより有意義な生活をするんだよ、と事あるごとに話していて、ハスちゃんも、笑顔でうん!と同意している。

天才と称えられている人たちに、学校が合わない、学校では落ちこぼれで成績が悪かった人が多いのに驚く。アメリカの有名大企業を創設した天才も、中々言葉が出ず、吃音に苦しみ、学校ではひどい扱いを受けていたらしい。そんな息子に母親がかけた言葉が素晴らしい。「あなたは頭の回転が速すぎて、言葉がついていかないだけよ」

これだよね。こんな言葉をかけてもらえたから、この息子さんは大企業を創業できた。天才たちが小学校では、ぼーっとしているように見えて先生から酷評されるのは、頭が良すぎて、思考が活発過ぎて、でもそれをアウトプットする言語能力がまだ発達していないから、なんじゃないかな、と思う。

だから、今、小学校で言葉が遅かったり、読み書きができない子の中にも、もし親が信じて励ましてあげられたら、立派に活躍できる子がたくさんいるんだろうな。

この本の中に、ノーベル賞を取った科学者で、小学校では成績が悪かった人の話があり、ある先生が「君は観察眼がするどいね」とほめてくれた経験を心のよりどころにしていた、と書かれていた。

今朝起きて、カメちゃんがヒーターの前で着替える途中、ぼーっとしている。「何してるの?」と聞いたら、「観察してる」と言う。ヒーターの出力ボタンを上げる、下げる、をぴっぴっと押して、見ている。そんなことしてないで、早く着替えて!と口から出かけたのを飲み込んで、

「カメちゃんは、観察力があるね」

と言ってみた。そしたら、「うん」とカメちゃんは頷いて、着替え始めた。私は今朝、カメちゃん天才への道、を後押ししたに違いない。笑

2022年ありがとう

今年が終わる。我が家は大みそかは紅白歌合戦。幼い頃からずっとそう。最近はテレビはほぼ見ないので、私はこの紅白歌合戦で今活躍している歌手や今年はやった歌を今年初めて聞く。そして、聞いてすぐ今年が終わる。テレビ視聴は週2時間の我が家も、年末年始はこの限りではない。いつもはあまり見ないテレビを観る、というのがなんだかスペシャル感があって、悪くない。

今年は、奄美大島から広島県に引っ越し、ハスちゃんもカメちゃんも新しい学校に転入した。予想だにしない苦しい出来事もあった。ハスちゃんが泣きながら「もう学校行きたくない」と言った夜、それを聞いて、眠れなくて、ハスちゃんが消えてしまわないように、と本気で思ってハスちゃんの狭いベットに入り込んで、ハスちゃんを抱きしめて寝た夜。あれは忘れられない出来事だ。これ以上苦しい出来事は無い類の出来事だったけど、でも今笑顔で家族で紅白を見てあーだこだ言っている。結果オーライ。全然大丈夫なんだなぁ。

昨夜は、忘年会。家族ぐるみの集まりで、子供たちも小学生から中学生に成長し、小さい頃は会ってすぐ打ち解けていたけど、初めちょっと馴染むのに時間がかかる。しかも、中学生の子、タブレットを持ってきてて、ずーっとそれを触ってる。タブレットとかスマホ見ちゃうと、もう会話なんてできないし、周りの子も話しかけられないし、私は個人的にタブレット禁止!したい心境だった。

小中学生には一人一台端末が配られ、まぁ、あれこれとトラブルの記事を目にした。どんぐり式で子育てをしている方たちは、何をいまさら言ってるの?と言っている。私もそう思う。子供にゲーム機を与えておいて、ゲームしかしない、とか愚痴っている親が多い。いまさら何をいってるの?と私は言葉を失ってしまう。

カメちゃんは、chromeブックは持ち帰らず、学校だけで使用。もう5年生だ。5年生でよかった。1年生の子たちが、学校でchromeブックで何か見たり、夢中で何かしてるのを見ると、嫌だなぁと感じる。まだchromeブックなんて与えるべき年齢じゃない。国が、それをやってしまうと、厳しいねぇ。

時代は、この国は私の好まざる方向へ進んでいた李、停滞しているような印象がある。でも、私は幸せ。ハスちゃんカメちゃんも幸せだ。どんなに世の中がぐちゃぐちゃになろうとも、信じる道、ゆるぎない理念があるから、迷った時に、調べるべきデータベース、質問できる指導者がいる。なんと心強いか。

しかし、どんぐり倶楽部主宰の糸山先生の話す中学生の勉強の仕方、私は中学生の時に聞きたかった。

今年は良い年だった。今年もいい年だった。先進的な教育を求める保護者が多く集まるイエナプラン教育校に関われて、幸せだ。昨年度までは孤軍奮闘していたけど、今は一人じゃない。同じ考えの家庭もいて、似た考えの家庭もいる。何よりも自然の中で遊ぶことを重視している家庭も多くて、それも幸せ。

今年会ったみなさん、ありがとう。来年も楽しく行こう♪

小学校の休憩時間

カメちゃんが通う小学校は、本当に素敵な学校で、全ての公立小学校がこんな感じになればいいのになぁと思う。

けれども、たまに個人的に「それはおかしい!」と思うことをされる事がある。普通の公立小学校では日常的におかしいことだらけなんだけど、今の小学校だと、1か月~2か月に1度、という感じ。それだけでも恵まれている。

昨日カメちゃんが「漢字テスト9割点が取れないと、大休憩も、昼休憩も無し、遊ばないことになった。」と言った。でたー!!!子供の休憩時間を取り上げて勉強を強要するやつ!!!

奄美の小学校では、みんな宿題をちゃんとやってこないから、昼休憩に宿題をやらされてて、誰も遊ぶ子がいない、とハスちゃんが嘆いていた。ハスちゃんは宿題を家庭の方針としてお断りしていたからね。子供の休憩時間を取り上げるなんて、けしからん!と私は思っていたし、ちょっと連絡帳にかいたことはあるかな。でも、そんな意見を学校批判と捉える校長だった。私からしたら酷い世界。

久しぶりに、ムムム!と心中穏やかでいられない話題。こんな素敵な学校でも、こんな対応しちゃうんだな、先生、と、深く蔓延る義務教育会の闇を感じる。テストの点を上げる為なら、休憩時間を使って勉強させて欲しいと願う親もいることでしょう。もしかしたら、そういう方の方が多いのかもしれない。けど、けど、けどけどけどけどぉ

休憩時間は、休憩するための時間だから。何のために休憩時間が設けられているの?小学生に勉強ばっかりやらせても集中力続かないし、勉強苦手な子に関しては休憩時間にストレス発散させてあげないと。学校もう行かない。。。ってならないように。大人だって勤務時間中に休憩時間あるよ。無いと雇用主は罰せられるんじゃない?なのに何で学校の先生は平然と、当たり前のように、休憩時間を子供から奪うのよ。

「テストの点が悪い子どもも、休憩時間を自由に過ごす権利はあると思います」と先生に伝えた。先生は、私の思いを受け止めてくださって、子供達と今日話します、と言ってくださった。こう考える親もいるんだ、さて、どうする、と検討して下さるだけで、結構ありがたい。感謝しています。

端正な折り紙

カメちゃん、折り紙に夢中。
同じ学校のどんぐらー友達が持っている折り紙の本、難しいかっこいい折り方がたくさん載ってる本が欲しい、と言われて
お母さんにどんな本?と聞いて、買ってあげた。
端正な折り紙
https://www.amazon.co.jp/%E7%AB%AF%E6%AD%A3%E3%81%AA%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E5%B1%B1%E5%8F%A3-%E7%9C%9F/dp/4816358587/ref=asc_df_4816358587/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=288375625101&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=12148095087307030062&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009645&hvtargid=pla-717387995272&psc=1&th=1&psc=1

私は一番難しいの、鶴、くらいしか折った経験がないから、この本に載っている全てに感嘆してしまう。

カメちゃん、夢中で折っている。
夕食を準備していると、カメちゃんの悲鳴が聞こえた。文字では表しづらいけど、「ひゃ~ぁぁーああーぃ!」って感じ。今まで聞いたことのない悲鳴だったので、何?どうした?と聞いたら、
「あのね、どうしたらいいかわからなくて何度もやり直して、やり直してたところがね、できたんだ、わかったんだ!」と言う。

試行錯誤の末の成功への悲鳴だったのね。あんな悲鳴、聞いたことが無い。魂が震える悲鳴というような。あんな悲鳴を出せる経験をしているカメちゃん、幸せ者だぜ!にやける私。

カメちゃん、最近は早起きして、折り紙をして登校する。
早起きして折り紙する、なんて昭和でもあまり聞かない話。笑
健全で何より。

おかんとクリスマス

カメちゃんと、カメちゃん友人K君を車に乗せて、帰宅中の会話。
K君が「ねぇねぇ、おかんと、クリスマス、どっちがなくなってもいいと思う?」と聞いた。車内にはK君以外には私とカメちゃんがいる。それ、誰に聞いてる?と確認したら、カメちゃんに対しての問いだった。

私は、「おかん、人と、クリスマスを比べるって、比べる対象じゃないじゃん」と突っ込みながら、カメちゃんの返答を待つ。
おかん、って母ってことだよね、私だよね、今、カメちゃんの母はここにいて運転してる。その母の前で、カメちゃんは何て答える?母がいるのに、おかんがなくなってもいい、って答えづらいよな、、、とか頭ん中で高速思考。

カメちゃんは以下のように答えた。
「あーむつかしい、選べないなぁ」

「えー!!!!!!!???????」と私。
そして、「カメちゃん、一応母が今この場所に存在していてその質問されたら、一応、クリスマスよりもおかんを残したいと答えなさいよー」と言おうとしたら、それを言う前に、
「うーん、おかんがおらんかったら、僕はここに存在しないことになるからなぁ、だからおかん、かなぁ」と言った。
ママは僕にとって大切だから、とか、ママが大好きだから、とかそういう期待した答えではないけど、一応、ホッと胸を撫でおろす。クリスマスに負けなくてよかった。ただ、クリスマスが子供にとってどれほど重要なのか、は十分に理解できた。

そしてまだカメちゃんの発言が続く。
「おかんがいなかったら僕は人間として産まれてなくて、白鳥だったかもしれない。そしたら丸焼きにされてクリスマスに食べられるかもしれないからな、それは嫌だ」だそうな。
友達のK君もその返答に納得していて、クリスマスよりおかんを選ぶことが正当化されていた。

白鳥じゃなくて、七面鳥、の間違えだったのかもしれないけど、そんなこと気にならなかった。なんだかもう、カメちゃんって異次元ワールドに生きてるのかな、と思って、やっぱり天才って、不思議、と思っちゃった。

何というか、空気読むとか、こういう質問へはこう答えるべき、とか、そんなんがないんだな。。。
かなしいような、かなしいような、かなしいような。。。うれしいような

カメちゃん、1年生をかわいがる

カメちゃんをとても慕ってくれている1年生がいる。学年縦断して組織された運動会チームで同じだった子で、とーってもかわいい子。低学年は1階、高学園は2階だから、運動会後はあまり会ってないのかな?と思ったら、毎朝登校する時に、校庭で会うとのこと。僕が登校したら、抱きついてくるって。何ともかわいいことです。

その1年生の子、3人くらいで、戦いっごっこしてるらしいんだけど、それを見て、「僕も1年生の頃やってたなーってなつかしい」と言うカメちゃん。私から見たらまだまだおサルさん状態のカメちゃんが高見から見下ろした感じの発言することが面白い。

戦いごっこは、何かすごい技を繰り出して、切られて、でも、まだ僕の命は100残ってる!とかやってるって。そして、マイクラごっこ、とかもやってて、葉っぱ5枚と盾を交換だ!とかやってて、かわいい、みたいな発言をする。

私からしたら、カメちゃんもまだそんな領域に生きていると思ってたんだけど、もう過去の自分と重ね合わせて、かわいいなぁと思っている感じで驚いた。

もうカメちゃんはそんなんやらないの?って聞いたら、僕はサッカーやってるから!っだって。笑

小学校っていいなぁ、1年生から6年生までいて、とっても楽しいなぁ、と思った。本当に、大人が本気で子供にとって楽しい場所にしなきゃいけないよ。

番長の泣き所

お風呂に入っていると、 カメちゃんの 脛に青あざができている。今日は、自然の中外遊びを愛する仲間たちで、近所の山歩きをしてきた。明日、リース作りをする材料集め、という名目だった。まぁその山歩きの間、あっちで登り、こっちで下り、すべったりこけたり、隠れたり、飛んだり、おサルさんのように山を駆けずり回ったカメちゃん、どこかで打ったんだね。

「番長の泣き所、打ったよ」と言う。お風呂の中以外で、その脛にあざがある状態を視覚的に捉えていなかったら、何を言ったか理解できなかっただろう。

「弁慶の泣き所ね」と言ったら、「弁慶?何?それ」と言う。昔のつよーい武士、だよ。そんな強い武士でもそこを打ったら泣いちゃうという意味。痛かったねぇ。と話した。

番長、も、強い人、という意味では、弁慶の代わりとしては役割を果たしているな、と今思った。カメちゃんは天才だ。

外遊びを誰よりも楽しみ、帰宅後、週2時間のテレビ視聴の時間が切れ、本を読まない日(火、木、日)などは、家での過ごし方をどうするか、がカメちゃんにとっては大きな問題だった。

デュエマをやったり、ベイブレードをやったり、そして今、折り紙にはまったようだ。今夜「折り紙にはまった!」と叫んでいた。いつも一緒に遊んでいるどんぐらー友達の影響だ。いい影響。山を駆けずり回り、家では折り紙。私の子供時代にもこんなアナログな子、いなかったかも。最高。母は嬉しい。

それぞれの選択

ハスちゃんと同じクラスで、親を知っていて、とってもいい方で、そしてハスちゃんがいじめ問題で登校できなくなった後、再登校する時に同じ班になってサポートしてくれた子、その子がハスちゃんが不登校を選択した後、いじめられて、そして学校に行けなくなった。

その子は学校が好きな子だったから、フリースクールとか、そいういう道ではなく、違う中学校へ転校する道を選んだ。今、転校した学校で楽しく過ごせているみたい。良かった。いじめられた方が不登校になったり、転校したり、しなきゃいけないのはやはり腑に落ちないけど、今の社会はそういう状態。仕方がない。ただ、ただ、その子が今は楽しく過ごせていることがうれしい。

その子が転校した中学校は、我が家から車で10分ほど。近い。ハスちゃんも、転校したらどうだろう、と思ったりして。〇〇ちゃん、転校した学校楽しいって言ってるって、見学に行ってみる?と聞いてみたけど、ハスちゃんは「いい!」っと全く迷う感じがなく言われた。

転校した子は、学校が好きな子。ハスちゃんは、学校自体が好きじゃないからね。転校したからって、よっぽど自主性を重んじてくれる学校じゃないと、楽しくないもんね。それが本人、よーくわかっているんだろう。親である私よりも、学校への見切りがついている感じがする。あのゆるぎない返事、見学に1ミリも興味がない感じはすごい。

私は毎朝カメちゃんを小学校へ送迎する時、中学生が自転車通学している様子をみて、未だに胸がぎゅっとなる。ハスちゃんも行けたらいいのに、学校、楽しいと思えたらいいのに、と。まだ、学校が好きだった自分のものさしで、ハスちゃんの人生を見ていることに毎朝気づく。

でも、毎日楽しく過ごしている。転校するより、実は今の生活の方がいい気もしている。人それぞれの選択があるね。どの選択も正解!だと思おう。