BBQでゲーム

週末、学校が得意じゃない子を持つ家庭で、BBQをした。学校に通っていない、休みがちの子によくあるのが、ゲームやタブレット漬けになっているということ。

BBQの時も、せっかくお外に来ているのに、周りに何人も同世代の子供がいるのに、持ってきたゲーム機に夢中の子がいた。

学校に行かないから時間がある、家にいる時間、ゲームしてしまう、これは、このご時世なかなか防ぐのが難しいのかもしれない。いや、難しくはない。うちは、学校に行かなくても、ハスちゃんはゲーム漬けにはなっていない。ゲーム機を与えていないから。これを防ぐには、相当親の覚悟、が必要ってだけ。で、その覚悟を持った親が相当すくないっていう事実。

家、でゲームをする、しないは、その家庭の方針、その子の自由だと思う。けれども、アウトドアの際には、ゲーム機は持参しない、持って行ってもいいけど車に置いておく。また帰宅してから使おう、くらいのルールを親は設けてもいいと思う。

だって、せっかくアウトドア楽しめる条件そろってるのに、1人ゲーム機を取り出して始めてしまうと、子供はそこに群がる。ゲーム機を覗いて離れなくなる。ゲームとはそういうものだから、仕方がない。

せめて、外では、アウトドアを楽しむ場には、電子機器の制限をしてほしいな、とよく思う。

寝つき

夜寝る前のバッテリー読み聞かせ。私が夕食の準備をしている間に、カメちゃんが昨夜私が一人で読み進めてしまった部分を読んでくれて、よし、とシリーズ3冊目に突入!どうなるか、どうなるか、とワクワク読んでいたのだけど、10分足らずでカメちゃん寝てしまった。。。

えぇ、えぇ、えぇええぇえええ?!

カメちゃんはいつも寝つきがいいのだけど、物語が盛り上がってくると、興奮してなのか、なかなか寝ない。昨夜は、シリーズ3冊目の導入部で、そんなに面白い部分ではなかったからか、すぐ寝てしまった。残念。

また一人で数ページ読み進めてしまったけど、何とか自分を止めた。また今夜、楽しみだ。

カメちゃんはすこぶる寝つきがいいけど、ハスちゃんはよくない。ベットに入ってなかなか寝ない。8時以降は電子機器を使わない、くらいの工夫はしているんだけど。

今、子どもが幸せになる「正しい睡眠」という本をかりている。今まで知らなかった、新しいよいアイデアがあるといいなぁ。

バッテリー

あさのあつこ著 「バッテリー」に夢中。毎晩寝る前にカメちゃんに読み聞かせをしている。ハリーポッターシリーズの読み聞かせが終了し、次は何を読もうか、と、短い本を何冊か読んだあと、以前バッテリーの1作目を読んで面白かった記憶があり、読み聞かせ開始。

もちろん、一回目に読んだ時も面白いと思ったけど、今、読み聞かせをしていて、その面白さに驚いている。前よりも面白く感じる。思春期の巧、かわいい弟の青波、ハスちゃんとカメちゃんとオーバーラップしてしまうからか。

バッテリー、面白すぎて、読み聞かせをしていて、途中カメちゃんが寝てしまっても、本を閉じることが出来ない。それくらい面白い。こんなことは初めて。声に出して本を読むって結構エネルギー使うから、カメちゃんが寝たら、お役御免~とホッとすることが多かったのに。

昨夜も、カメちゃんが寝てしまってから、数ページ読んでしまった。もうやめよう、もうやめよう、と思っても読んでしまう。。。朝、起きてきたカメちゃんに、またカメちゃん寝た後もバッテリー読んでしまった、と伝えたら、「えぇええぇえええ?!」と反応された。

カメちゃんも、字ばかりの本を読めるようになり、私がつい読み進めてしまった部分を、寝るまでに自分で読んで私に追いついてくれたりする。今日も学校から帰ったら、追いつくまで読んでほしいなぁ。笑

毎晩、カメちゃんと一緒に素晴らしい物語を読む。なんと幸福なんだろう。

木村泰子さん講演会

みんなの学校、という映画の舞台、大阪の大空小学校の初代校長、木村泰子さんの講演会に行ってきた。カメちゃんが通うイエナプラン教育校の保護者が主催であるこの講演会、人生で一番感動した講演会だったと思う。

生木村先生は初めてだったけど、オンラインのトークイベント、公演(アーカイブ)などはたくさん見てきた。先生の大ファンだ。何が好きって、本質を知る人で、知ってるだけじゃなくて、行動もしている人。周りにどう思われようが、ひたむきに子供の幸せ、成長を願い、信念を持ち、子供に関わる姿、は感動的。先生は多くの人の命を救っていると思う。多くの教え子の人生の支えになっている。本当に素敵だ。

先生も初めから素敵な先生であったわけではなく、数々の失敗をやり直しして、今の先生に成長した、ということがよくわかるエピソード。人にとって失敗は、有難い、と感じる。

5年間の不登校を経て大空小学校に来た生徒が、教室で1日過ごせて教職員は喜んだ。その喜びをお母さんに伝えた。クラスメートはみんな、〇〇の受け入れ態勢バッチリです!と。お母さんを安心させたかったのだろうね。お母さんがどんなに喜ぶか、楽しみにしていたら、まさかの反応だった。お母さんは、”受け入れる”ということは、またいつ子供が学校に行けなくなるか不安です、と。

そうか、”受け入れる”ということは、その子をありのままでいいと認めることではない。なんだか上から目線で、変わった特別で変な子を、こちらが配慮して、受け入れてあげる、というニュアンスあるなぁ、と初めて知った。

受け入れている状態で、何かその子が問題行動をしたら、受け入れは成立しなくなる。崩壊する。それじゃぁ不安定だ。ありのまま、そのままでいい、空気のように、その存在がある、そこまでもっていくべきなんだ。

他のみんなと同じことをしたくないハスちゃん。制服も嫌がる。でも制服着なくて行ける中学校なんて通える範囲にはない。だから、白シャツと紺のズボンを履いて通わせて頂いている。もちろん制服着ないと教室に入れません!なんて学校はこのご時世もう言えないだろう。多様性を認める、とかパンフレットに大きく書いちゃってるし、校歌にも♪みんなちがっていい、って歌詞あって、生徒に歌わせちゃってるんだから。

私は、学校がそんなハスちゃんを受け入れてくれていることが有難い、と感謝していた。けれど、受け入れる、という状態は、あくまでもハスちゃんを異物として扱い、特別な配慮をしている状態なんだなぁ、と気が付いた。今は、受け入れてくれている状態だけでも、やはり有難いと思うのだけど。

先生の金言、たくさんあった。たくさんメモとった。その中でも、今の私に一番刺さったのは、「みんなちがってみんないい、なんて言ってる場合じゃないんですよ、みんなちがうんです、みんなちがって当たり前、なんです」

この話をハスちゃんにしたら、とっても響いたようだ。夕食を食べにキッチンに入ってくる瞬間、「みんなちがって当たり前」って言っていた。そんな社会になると、雰囲気かわるよね、日本。





40代から手に入れる最高の生き方

Audibleで本を聴くようになってから、あまり見なくなった中田敦彦のYouTube大学、久々に見てよかったのが”40代から手に入れる最高の生き方”

30代までが人生の研修期で、40代は研修が終わっている。もう研修終わってるんだから、やりたいことはすぐやる、と。本当にそうだ!と感じた。

この本で提案されている生き方、私もう実践していることが多かった。類似本がたくさんあるけど、大体書かれていることは同じ。幸せに暮らすために必要なことって、シンプルだ。

朝活3時間、クリエイティブなルーティンを行うこと、が、私がまだ行っていなかったこと。それに挑戦してみることにした。でも、3時間、となるとハードルが高くて尻込みしちゃうから、時間は決めない。やりたいことを、できる範囲で。

基本的には、思いつくまま、日記のようなものを書くことにしている。もちろんこのブログではない。誰にも見せない日記。そして、次々に思いつく色々なこと、やりたいこと、やるべきこと、などを、to do list に書くこと、にした。アウトプットすること。アウトプットすることで、頭がクリアになる。書くと、それについて考えることをやめられる。限られたワーキングメモリの容量をいっぱいにしない工夫。

アウトプットするだけで、こんなに頭が軽くなるなんてね。知っていたけど、本当にやると、劇的。アウトプットしたto do 達は、なんだか無視できない。不思議と体が動く。だって、書いたから。なのか、頭が軽いから体が動くのか、それともお酒を飲まなくなったから体が軽いのか。全部なのかもしれない。

to do listに書いてアウトプットして、次々それを実行して、そしたらまた次々とやりたいこと、が思いつく。そして書く、実行する。その繰り返し。これを始める前の日々とは、1日のクオリティーが全く違う。めちゃくちゃ忙しい、多忙な方が、精力的に動いている姿、あの人どこにそんな時間があるの?と思っていたけど、こういうことなのか、とちょっとだけ分かった気がしている。時間が膨張しているような感覚。

40代、研修が終わり、ここからが本番。ワクワクしている。

最近、花、が好きになった。最近、というのは、うーん、40代になってから、という感じかな。

幼いころは草花にまったく興味がなかった。母が、学校に花を持って行って、と庭の花を切って持たせてくれたりしてたけど、それいる?みたいな感じだったし。今考えるとひどいのが、20代くらいの時なんて花束をもらって喜ぶ人の気持ちが全く分からなかった。頂いた時は一応、ありがとうと喜んでみせたけど、内心、食べられるものをくれ!と思っていた。

それが、変わったなぁ。今では、花を見ると心が癒される。思わず、かわいいねぇ、と口にでる。朝ドラ「らんまん」の万太郎の気持ち、わかるぅ~のだ。

特にハスちゃんがいじめられて学校に行けなくなり、苦しかった時は、花に助けられた。何も信じられない、誰も助けてくれない、と苦しんでいた時、花だけが、無償の愛を与えてくれて信じれる存在だった。花、でも、心の支えになってくれる。本当にありがたかった。

今日も、近所の道の駅で花を買った。どれもこれもかわいくて、嬉しい。花瓶に花を飾りながら思った。幼いころ、若いころは、花の美しさ、有難さが分からなかった。今はわかる。それは、苦しいこと、悲しいこと、汚いこと、酷いことを経験してきたからなのかも、と。

傷つくたびに、魂が磨かれる、というけれど、傷つくたびに、身の回りの自然の美しさ、に気づけている気がする。

昔は都会派、都会大好きだった私が、今や、自然派、田舎で暮らしたい人になっている。人って変わる。変わらないし、変わるなぁ。

「好き」が原動力

またまた、ナイスタイミングで、よき文に出会った。

群馬のどんぐり式塾”どんぐり学舎”のさとちゃんの投稿。

漢字も、他の勉強もそうですが、「好き」しか原動力はありません好きだから知りたいのに、嫌いにさせるようなことや、評価をすることで追い詰めて、練習させても、絶対に身につきません

絶対に

おぉー、これだぁ、とピンときた。

アメリカ留学経験があり、外国語大学卒の私、今年度からハスちゃんに英語を教え始めた。ところが、ハスちゃん、簡単なことを何度も間違う。この子、かしこいと思っていたのに、どうなってるの?と不思議に感じるくらい。

ハスちゃんは、英語が「好き」じゃないから、なんだ。人間みんなそうだと思うけど、ハスちゃんは得に「好き」じゃないことにエネルギーを注がない、注げない人。好きじゃないから、覚えないんだなぁ。とっても不思議に思っていたことがクリアになった。

確かに、私も「好き」なことは夢中でやる。ワンピース縫ったり、藍染したり、石鹸つくったり、化粧水つくったり、帽子や籠編んだり、スプーン掘ったり。やりたい、と思っていたら、教えてくれる人が現れる。やったら、できる。「好き」は強いよね。

疑問に思う事、変だなと思う事、に対しての答え、が、日常生活の中にちりばめられている、ね。それをキャッチする感度を高める努力をするだけで、毎日は楽しい。

家アルコールやめました

何という事でしょう~私がアルコール飲酒をやめました。

本が好きで、いろんな種類の本を読んだり聞いたりしているけど、アルコールの害、どんなに健康を害するか、という情報はたびたび目にし、耳にしていました。ただ、私にとって夕方飲むビールは、一日の締めくくりの大事な儀式、というのは大げさだけど、楽しみな時間だったから、お酒は、まだやめない、やめたくない、体に悪くてもまぁいい、と思っていました。

アルコール飲酒しないで一週間が経ちました。やめるぞ!みないな気合とか、よし、やめよう!と思った、とかそういう感じではなく、いろんな情報と出来事が交錯して、なんとなく、飲まないという選択を気軽にしてみた、くらいのイメージ。

アルコール飲酒を我慢している、というより、飲まない選択をした、というイメージで、全然辛くない。我慢しよう、と思わないマインドセット、が大事だね。あと、日常的に家では飲まない選択をするけど、年に何回かある飲み会の席では飲もうと思っている。正月とかね。それも楽しみなイベントと捉えている。

飲まない選択、一番のきっかけになったのは、同窓会で飲みすぎて翌日二日酔いでダウンして、ハスちゃんカメちゃんと予定していた京都観光ができなくなってしまったふがいない出来事。かな。でも、これだけが理由でないのは確か。だって、二日酔いで予定をキャンセル事件は今まで数回あるから。その時は、1日お酒飲まなかったけど、また次の日から飲んだもんなぁ。

さて、アルコール飲酒をやめて1週間の感想を。夕食後の皿洗い、お片付けが今までよりテキパキできる。だるくない。お酒って気分よくなるけど、確実に体は重くなるんだな、を一番実感しています。あと、洗顔した時にお肌がなめらかにつるつるになった感覚がある。

これから、どんな変化があるんだろう。ワクワク。

マスクってねぇ。

ハスちゃんの通う小中一貫校では、コロナが五類になっても全員マスク着用しているみたいだ。それをきいて、うぎゃぁ、嫌だな、と思った。

もはや、国や政府がコロナはインフルと同じ病気と指定しても、先生が率先して4月からマスク着用をやめても、そんなの思春期で多感な小中学生には響かないんだろう。マスクはもはや、病気の予防が目的ではなく、自分を隠す、ガードするもの、って感じなんだろうか。そもそも日本人ってそんな感じだったけど、コロナ渦を経て、ますます人と違うことをしないこと、自分意見より、人と同じにする国民性が顕著に現れたと思っている。

そんなことで、この時代、世界と戦えるの?

小中学生におもちゃのようなタブレットやパッドを配ってるけど、世界と戦うマインド、ハードじゃなくてソフトが日本人には足りないって気づかないの?

中学生全員がマスクをまだつけている、と聞くだけで、日本の将来を憂いてしまう私。考えすぎだろうか。

自分の意見を持ち、それを安心して表現でき、その意見を批判されない空気、環境を学校が整えるべき。AIに勝つ人材って、非認知能力が高い人間なんじゃない のでしょうか。今の日本人は、海外の人に比べてそこが低いんじゃないかと感じるわけです。

私自身はなんとなく、日本に住み、日本で何かをすべきだ、と感じているんだけど、ハスちゃんカメちゃんには、海外に目を向けなさい!と言い続けている。世界は広い。今中学校生活を楽しめていないハスちゃんには特に、もっと広い、日本とは空気感、人の種類?が違う世界に目を向けてほしいと思う。だけど、ハスちゃんは、日本がいい、という。英語にも興味がなさそうだ。

何だかうまくいかない。

子育てってしんどいですね

「子育てって、しんどいわ」

この数週間、そんな心境になるような出来事、ハスちゃんの色々、が次から次へと起きる日々だった。

伝えても、伝えても、伝わった感がない。言っても言っても、ハスちゃんは変わらない。人は変えることが出来ないのよね。

昨日も、一日ずーんと沈んでしまうような出来事があって。ハスちゃんなんて、産まなければよかった、とさえ思ってしまうほど。どんな親でもこんな気持ちになったことあるよね。苦しいですね、子育ては。

ハスちゃんがいう事聞かない、ハスちゃんが私を選んで生まれてきたことが嫌だ、とか、ハスちゃんを主語にしてあーだこーだ思考していた時間は、不幸だった。ハスちゃんが帰宅して、ちゃんと話して、今後の対策も伝えて、そしたら気持ちが切り替わって、私、自分を主語にして思考できるようになった。

私が子を望んで、私が生んだ。彼女は私を選んでくれた。私は私にできることをする、伝える、あとは信じて待つ。状況は何も変わっていないのに、主語を変えるだけで、不幸でなくなった。不幸の膜からぴょこんっと飛び出せた感じ。よかった。

今日の篠先生のブログもよかった。泣けた。これ、私の為に書いてくれたの?というような内容。

でも、子どもを信じるためにはわざわざ「子どもを信じる」などと意識する必要はないのです。
一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に楽しみ、一緒に遊ぶことが出来ているのなら子どもを信じているのです。
そして、子どもも無意識のレベルで「信じられていること」を感じています。


篠先生ブログ、森へ行こう(心とからだと子育てと)

ハスちゃんのこと、信じられない、とか考える必要ないんだね。一緒に笑い、泣き、楽しめばいいんだ。一緒に遊ぶ年ではなくなってるけど。それだけでいいんだ。無意識レベルでつながれるよね。