感動のない運動会

ハスちゃんは事あるごとに、広島のほうがいいなぁ~なんて言っているし、私も正直広島の方がよかったなぁと思う事も数々ある。だけれども、うちの子2人にとっては、絶対に奄美大島の極小規模校の方が絶対に良い!と言い切れるもの、それが運動会と学習発表会。

奄美大島に移住した最大のきっかけが、広島の小学校の運動会だった。1学年×2クラスの規模、全校360人くらいなんだけど、ロボットが動いているようにしか感じられなかった。色んな競技で、勝手も負けても喜ばない、悔しがらない。
子ども達の感情がみえない。ハスちゃんは徒競走と玉入れに出た。紅組白組にわかれて玉入れして、勝ってもまけても、しーん。感動がない。厳かに運動会は進んでゆく。とても違和感を感じた。

たまたまPTAのクラス役員をしていて、校長先生、教頭先生、PTAの執行役員の方たちと月1のミーティングがあり、運動会への意見を求められたので、感じたことを話した。そしたら2-3人の役員さんが「私もそれ感じました」と同意してくれた。 けど、校長先生と教頭先生は、そうだったですかね。。。という反応。
娘に確認したら、勝って喜んだら負けにされるから、と言ったけど、そんな指導をされているのか? と聞いてみたら、校長先生は「そんな指導はしていないと思います。」と言う。

いやいや、ある特定の学年が勝っても喜ばないのなら、ある先生の指導が原因だと思うけど、全学年がそんな感じだったのだから、学校全体で何か指導があったに違いないと思うんだけど。

最後の成績発表で、紅組○点、白組○点、優勝白組、と発表があり、その後の全然嬉しそうじゃない白組のバンザーイと、手を動かしているだけの紅組の拍手。なんだかな~

ラグビーワールドカップ日本大会で気持ちの入ったプレーを見せてくれる選手たち、そして試合終了後のノーサイド精神に感動の涙を流しながら、この運動会のことを思い出したのでした。学校行事では、子どもに感動の経験をさせてあげてよ!せっかくの行事なんだから!と歯がゆいのでした。

宿題、宿題、ああ宿題

宿題について、いろいろと議論が巻き起こっている様。どんぐり倶楽部としては”子供に悪影響を及ぼすからやらせない”といっているあの宿題です。

シンプルに考えましょう。現在小中学校で出されている宿題は、子供にダメージを及ぼす、マイナスしかないと知ってしまった。誰が何と言おうが、私はわが子に宿題をやらせるわけにはいかない。昔は普通にやらされていたウサギ飛び。ウサギ飛びは身体に悪影響があると発表されてからはやってはいけないことになりました。その悪影響があるとわかるまではやらされる。悪影響があると文部科学省が認め発表するまでは、親がわが子を守るしかない。

文科省、日本の義務教育はゆとり教育だの詰め込み教育だの、数々の過ちを犯し続けています。ゆとり教育を受けた子達なんて被害者なのに、他の世代からはいろいろ言われている。文科省はもちろん何の責任もとってくれません。だから、私は誰が何と言おうと、お粗末な宿題はわが子にはさせません。その結果、わが子の学力がめちゃめちゃ低かったとしても、私がその責任をとります。そんなことはどんぐり問題やってたらありえないのだけど。

今や、宿題代行を請け負う企業があるらしい。お金を払って宿題をしてもらうというビジネスが成り立つ時点で、”宿題”の価値がわかる。宿題をしたら子どもの学力になるのであれば、どこの親がお金払って代行してもらうの?その宿題が無駄だからそうするんじゃない?

文部科学省が大手業者と宿題代行を禁止する合意をしたそうです。(https://www.sankei.com/li…/news/180829/lif1808290023-n1.html)それを受けて、私が尊敬するどんぐり式学習塾を経営されている先生が、「そもそも宿題は”提案”のレベルで、強いることはできないし、文科省に放課後の子供に対して保護者の判断を制限する法的根拠はない」と書かれていました。同意します。

まずは、宿題の質、あり方を見直すべきなのではないですか?と呆れている今日この頃。宿題がどうこうじゃなくて、不登校の子度も達を救ってよ!!!アンポンタン!

標準服についての話し合い

私服小学校

“標準服”についてのお知らせプリントに、
着用すること、着用させてもよい、着用させないでください、

なんでそんな強制的なんですか?
と憤りを感じて。

標準服のブレザーと半袖ズボンで登校して、
学校に着いたらすぐに体操服の上下に着替える。

私、もうこれだけで意味不明、無駄な動きだと感じていたけど、
ぐっと我慢していた。

私服通学
断然私服がいいわ

で、冬、
半袖体操服で寒い場合、標準服のブレザーを羽織ることになってると知り、
我慢できなくなった。
息苦しい。

私は、あのブレザー、伸び縮みしないし、動きづらいと思う。
素材も化学繊維で嫌。
見た目も嫌。(これは置いといて)

だから、学級PTAの際に、
寒い日に、カーディガンやトレーナーを体操服の上に羽織らせて欲しいと意見した。
子どもにとっての”着心地”を最優先させて下さい、と2度言った。
何よりも、それが大切だと思うから。

で、校長先生宛に手紙を書いて、昨日話してきた。

標準服は、推奨にとどまり、強制はできない、というのは学校も認めて、
お知らせの言葉選びは、先生の話を聞いていると、強制だと感じると言ったら、
それは、そんなことはないと仰った。
のに、体操服の上に紺か白の長袖トレーナーを着せる話になると、
それは検討させて下さいと。
何を検討するの?
そもそも、学校が検討しなきゃいけないこと?
それ、家庭に任せたらいいんじゃない?
何も赤いトレーナー着せるって言ってるわけじゃないのに。

学校って、行ってることとやってることがチグハグなこと多いよね。
不必要なことを一生懸命あーだこーだ会議してる気する。
で、大切なことがおざなり。。。

チーン。

標準服とは

鹿児島県の小学校には、標準服というものがある。
紺のブレザー、白のシャツ、紺のスカートか半ズボン、白い靴下、白い靴。

標準服
標準服

私自身私服の小学校に通い、娘も2年生まで私服の小学校だったので、
正直この標準服が、堅苦しくて仕方がない。

しかも、標準服とは制服とは異なり、着用を推奨するに留まる服であるにも関わらず、
学校も、親も、制服だと認識しているらしい。
着用を推奨する、ではなく、体調不要以外は問答無用で着用!という雰囲気。

どうしてこうも、みんな同じにしたいのか。理解に苦しむ。
見た目をきちんとしたら、内面も磨かれるのか?

伸縮性のない素材で、着心地も悪いはず。
そんなものを子どもに強制的に着せるのは、虐待じゃない?と感じる。

創造力豊かでかわいい子どもたちが、一様にあの標準服を着せられている光景は、
私は見たくない。息苦しい。

芝生
みんないろいろでいいんだよね

つい先日あったPTA懇談会で、寒い日は半ズボンではなく長いズボンを履かせてもいいですか?
とある母親が質問して、先生の答えは、
「体調不良時は学校に相談してください。健康な時は薄着を心がけたいので、半ズボンで」でした。
ありえない。息が詰まる。

標準服として紺の半ズボンを推奨されているのであれば、
寒い時、子どもが体調不良の日は、親の判断で紺の長ズボンを着てもいいにきまってるじゃない。
溜息がでる。

奄美大島、温暖な気候のせいか、学校指定の体操服は半袖しかない。
私は個人的に、寒い日は長袖の体操服を着せようと思っていた。
長袖の体操服を着せて、注意されたら、こっちが学校を注意してやる!と思っていた。

懇談会で「長袖体操服ってあるの?着ていいんですか?」というある母親の発言に、
「ないよ」とか「うちはネットで買ったよ」とか真剣にお話しされている皆さん。
「着ていいかどうか、学校がしっかり決めて下さい」
とか言っていて、愕然。
いいに決まってるじゃん。
長袖体操服、着ちゃダメって言える公立小学校、無いでしょう。
それ言ったら問題になるでしょう。

たかが標準服(制服)、なんだけれども、やはり身に着ける”衣”は、生活の基本。
生活の質、一日の気分を左右する重要ポイント。
それがわかった。

標準服、平日は毎日7時間くらい子どもに着せるものです。
私は、着心地も、没個性で個を抑圧するものだと感じ、すごく嫌だと思っている。
そして、標準服はあくまで着用を推奨される服であるにも関わらず、
先生も親も、制服のように強制することが気に入らない。
着用を強制してはいけないと思う。

海
海はいろんなストレスを癒してくれる


このままだと、息苦しすぎてこの学校に子どもを来年度通わせることは出来ない。
標準服以外のことは、悪くないとは思っている。
だから、校長先生に、私の思いを手紙にし、渡した。

公立小学校は、どんな子であっても通うことができる場所であるべきだと思う。
子どもの教育を受ける権利を保障することが最大のミッションなのでは?

ハスちゃんが学校で勉強したい、でもあの標準服のブレザーは肩が凝るから嫌だ。
と言ったら、どうしたらいいですか?
学校のルールを守れないなら、来ないでください、と言えますか?
と、質問しました。

意地悪な質問です。
だって、絶対に来ないでくださいとは言えないから。
公立小学校(義務教育)ですから。

標準服を着る事と、子どもの教育を受ける権利、どちらを優先すべきか?問いました。

これは離島という土地柄、仕方ないのかもしれないけれども、
“多様性”という概念が抜け落ちている。
みんな同じがいい、というめっちゃある意味日本的。

自閉症の子どもが増えていて、特定の気に入った服しか着られない子がいる。
そういう性分なんだから、受け入れないといけない。
カメちゃんは生まれつきアレルギー体質だから、小さい頃から身に着けるものは綿100%にするよう、医師にアドバイスされている。

そんな子たちも、当たり前だけれども、公立小学校に行く権利がある。

どんな子でも”身心共に健やかに”小学校に登校できるという、基本のことを守るために、
大人が工夫しなければいけない。

見た目、規律、なんかより、まずは子どもの心です。

今日、夕方校長室でお話してきます。
私の思いが何パーセント伝わったか、楽しみです。

子どもの心

子どもの心

私がどんぐり倶楽部を知るきっかけになった、
“どんぐり学舎”の先生。
元々は大手学習塾で講師をしていた方が、今は個人的に家庭でどんぐり式の学び舎を
開かれています。

その先生が、不登校について書かれていた。
今年の文部省公開データから計算すると、小学生の100人にひとり、中学生の25人にひとりが不登校だそう。
不登校生徒が所属する学校は、ほとんどが公立学校だそうで。

先生は、不登校になる子どもに非が思っていたかもしれない。
けど、もうそろそろ、子どもじゃなくて、大人側に非があることを気づいてほしい。
だって、この不登校の多さ、異常じゃないかな?

自然
子どもは天才、大人がじゃましなければ

私はハスちゃん、カメちゃんを公立小学校に通わせているだけで、
公立小学校が子どものための場でないことは、ひしひしと感じています。
子どもたちを管理しやすいように、大人の都合がいいように運営されている。
一番大切にしなければいけない、子どもの”心”は置き去りだから、不登校が増える。

学校に行きたくない子が「嫌なら行かなくていいよ」と親に言ってもらえる割合はどれくらい?
引きずってでも連れて行く親、何とか説得して行かせる親が大多数かな。

学校で心を置き去りにされても、親に理解されていれば、子どもは大丈夫だと思う。
勉強は家でもできるし、高卒認定試験を受ければ大学にも行ける。
親が子の心を守ることが出来れば、大丈夫。

でも、学校でも親にも心を潰された子は、もうどうにもならない。
ニートになるしかない。

奄美大島で初めて住んだ地域で出会った、心の友の息子、そうたは自閉症。
カメちゃんと同級生です。
カメちゃんが引っ越して以来、学校でとても荒れているみたい。
先生は失礼ながら、自閉症の彼を全く理解していない。
彼の母親曰く、そうたにとって先生は敵になってしまっている。
だから、そうたは教室から逃げ出したり、先生を蹴ったり、必死で恐怖から逃げ回っている。

学校に話し合いに言った時、
「悪いことをしたら、謝らなければいけません。悪いことは悪いんです」
みたいなことを言われたらしい。
そうたは、自分が悪いことをしたと思ったら、素直にすぐ謝る子で、
この子が謝らないんだとしたら、悪いことをしていないから、なんだと思う。
恐怖から必死で逃げてるのに、謝らないでしょう。
そこが、先生はわからないみたいで、母親は落ちこんでいた。
話しても、話しても、伝わらない。と。

先生って”ちゃんとさせる”のが好き。
で、ちゃんとしない子に、ちゃんとしなさい!それではダメですよ!謝りなさい!と
“なんでちゃんとしないか?”と、理由を考えもせず、頭ごなしに怒る人が多い。

そうたの母親は腹をくくって、仕事を休職して、息子が学校に行かなくてもいい状況をつくった。
素晴らしいことだと思う。
仕事よりも、そうたの方が大事、だといつも言っている人だから。

ママ、家にいるからそうた、学校行かなくていいんだよ、と言ったら、
そうたは「ママ、仕事やめないでね。僕学校行くからね」と繰り返し言って、登校しているらしい。
泣けてくる。

そうたは大丈夫。母親が子どもの心をとても大切にしている人だから。
親なら子どもを守ることができる。
「組織は変えられませんから、家庭で守るんです」とはどんぐり倶楽部主宰、糸山先生の言葉。

自然
自然体でいこう

学校で、変な親、モンスターペアレンツだと思われてもいい。
私は、学校が変だと思うし、子どもの心を潰すモンスターだと思っている。
違和感があったら意見を言う。子どもを守るため。

で、だめだこりゃ!ってなったら、見切りをつける。
うちは、子どもが行きたくないという日は、健全な不登校を選びます。
行きたくない場所に、行く必要はない。
勉強は家でやれるし、実際、家でやるほうが効率よく、短時間で済む。

私が学校に求めるのは、お友達や先生と楽しい、そして時には悲しい思い出作り、それだけなんだけど。
休み時間と、給食の時間が楽しければ、それでいい。

自主学習

ハスカメカフェ

学校の先生が”自主学習”という言葉を発すると、ぐったりする。

私にとって”自主学習”とは、
自分で疑問や課題やを見つけて、自ら考え、深く学ぶこと、であってほしい。

私が考える自主学習を行うためには、ある程度の自由が必要だと思います。
自由というのは、誰にも指示されず、自分がやりたいように過ごす時間。
子どもにとって、ぼーっとする時間はとても大切だと思っています。

なのに、今の学校は自由時間を奪うほど、児童に何かをやらせたがるし、
放課後は、親が習い事なんかで子どもを忙しくする傾向がある。

あと、子どもが放課後自由時間を奪われるNo.1が宿題。
楽しくない、やりたくないことだから、どうしてもダラダラやってしまい、時間がかかる。
朝から学校でたくさん勉強してきて、やっと解放された!のにね。かわいそうに。

そして、4年生くらいになると、プリントやドリル、日記などの決められた宿題プラス、
自主学習という課題を出す先生が多い。

普通の宿題だけでも終わらすのが大変なのに、その上自主学習をさせるというのは、
私としたら、謎。

ハスカメカフェ
ハスちゃんカメちゃんが、カフェを開きました

自主学習は何をしたらいいかわからない、とある親子が悩んでいた。
仕方がないから、その日に学校で勉強したことを、復習して行ったら、
「それは自主学習ではありません」と言われたらしい。

自主的に学びたいと思ったことを勉強する、のでは不十分で、
何でも良いから題材を見つけて、それについて調べたり、調査したりして提出させたいってこと?と
私は”怒り”すら感じた。

そして学期末の懇談会。
自主学習で何をしたらいいかをいつも子どもが悩んでいます、とその母親が発言した。
先生は、「疑問に思ったり、不思議だなと思ったり、そんなことを見つけて、勉強してほしいんです。
勉強って言われてやるだけでは意味がないって思うんで、自主的にやってほしいので」と仰った。

だったら、子どもに普通の宿題を出すのをやめたらいいのに。
自主的に何かを勉強するためには、自由な時間が必要なのに。
その時間を奪っておいて、何という発言。。。
呆れました。

これがカメちゃんの日記です!

工作の船

カメちゃんは工作が大好き。
廃材をためておくと、次々いろいろ作っていきます。

今は、わりばしブーム。
わりばしで、船を作りました。

割り箸の船
割り箸の船

もっともっと作りたかったけど、寝る時間になったから、また明日やればいいよ、と中断。
翌日、自ら6時半過ぎに起きてすぐ「船の続きする」と制作続行。

「僕、これ明日学校に持っていく!みんなに見せたい!」とカメちゃん。

大切なもの、壊れたり無くなったら悲しいものは学校に持っていかないこと、
学校に持っていくなら、お友達に触らせてあげたり、貸してあげること。

こんなことを確認して、「大丈夫」と言って持っていきました。

割り箸の船
かっこいい船になってます、自慢したいよね

片手には図工で作った作品、片手には持っていった船を持って帰宅したカメちゃん、
「先生に、もう家で作った工作の作品を学校に持ってきちゃダメって言われた」と言いました。

「え?なんで?理由は聞いた?」と聞いたら、「理由は聞かなかった」と。

子どもにとって(特に低学年)、先生の言いつけは絶対で、それに対して疑問すら持つ権利すらない感じ。

「こんどから、先生に〇〇しないで、禁止って言われたら、どうしてですか?と理由を聞いてね」と言うと、
横からハスちゃんが、「それ、言いづらいんだよね~」と言いました。

子どもが「どうして?何で?」と聞きづらい雰囲気というものが存在するみたいで。
それじゃぁ、ダメじゃない、と思う。

カメちゃんの船の話に戻ります。
ハスちゃんが、「広島の小学校でも、学校に関係ないもの持ってきたらダメという決まりあった」と言いました。
そう、多分、すべての公立小学校の先生がそう言うと思う。

今通っているのは、小学生が14名しかいない小さな小学校。
複式学級で、教室内には生徒が5-6名しかいない。
そんな小さな学級なんだから、昨夜工作した作品を持って行くくらいいいんじゃないの?

割り箸の弓矢
カメちゃん作の弓矢

カメちゃんが自主的に夢中で作った作品を見て、
「いいな、僕もやってみよう」と刺激を受ける子もいるんじゃない?
図工の時間、先生から指示があり、評価される中でやる工作ではなくて、
自主的に工作をやりたいな!と感じて、取り組むきっかけになるかもしれないのに。

割り箸の弓矢
細部までこだわってます

“学校に関係ないもの”という言い方にも違和感。
いろんな子どもがいて、趣味や好きな事がいろいろあって、それぞれ放課後の過ごし方があって、
何か感動的な体験をしたとして、それを学校の先生やクラスメートに共有したい!という気持ち。
その気持ちを、私は大切にしたい。
そして、その感動に共感してもらったり、認めてもらえることで、自信、自己肯定感がつくのでは?

学校の先生はなにかと、日記を書かせるのが好きだけれども、
カメちゃんは日記、今まで1日しか書いていません。

私がそれでいい、と言っています。
書きたかったら書いたらいい、嫌だったらしなくていい。
感動を文字で伝えるのは、まだ早いから。
まだアウトプットする時期ではないから。今はひたすらインプット、インプットでいい。

1日だけ書いた日記は、日記帳が配られた初日に書きました。
書き終わって「日記ってたのしいね~」とカメちゃんは言いました。
けれども、次の日からは書かないと。
無理やり毎日書きたくもない日記を書かせるよりも、
「日記ってたのしいね」と感じた気持ちをそのまま、保存したいのです。

日記という文字情報じゃなくて、家で自主的に作った作品を持っていったら、ダメ!と言われるんだろう。
残念です。

奄美に移住した理由

奄美の自然

広島から奄美大島に移住した理由は、子どもを

①小学生のうちは自然豊かな場所で育てたい
②小さな小学校に通わせたい

という希望があったから。

①については、今のところ間違いなかった。
大自然は裏切らない。
奄美のきれいな海と、雄大な山の緑、満天の星空なんかに囲まれていると、
人間の本能として快適だと感じ、自分の穏やかな面が引き出される、そんな感じがしています。

②については、いいところもわるいところも、どっちもある、という感想。
広島でハスちゃんが通っていた小学校は、1クラス30名ちょっと×2クラスという、
公立小学校ではごく普通サイズの学校でした。

1学年70人弱、
学習発表会は70人で1つの劇・・・短いセリフが1つか2つ
ハスちゃんは、1年生の時も2年生の時も、学習発表会の練習が始まると、
「学校いきたくない、楽しくない」と1週間~2週間くらいお休みした。

運動会は徒競走と、もう1競技を70人で行う。
勝っても負けても感情を出さないで規律正しく行動する子ども達をみて、ロボットみたい。。。と感じて
気持ち悪かった。
ハスちゃんに、何で勝っても喜ばないの?と聞いたら、
「練習で先生が、”喜んだら負けにします”って言ったから」と。
全校生徒がそう行動していたのだから、学校として全体的な指導だったんだと思う。

問題はおこらないかもしれないけど、
感動もないな、と感じました。

子供が1学年70人いて、その全員で行動するとなると、1人の役割がとても小さくて、
授業中も自分の意見を言う機会が与えられないことが多い。

ハスちゃんには小さい学校の方が合っている、と思った。

奄美の美しい海
放課後、きれいな海で泳げるのも奄美の魅力

移住して、児童数20名弱のとっても小さな学校に子どもを通わせて、一番感じているのは、
人数が少なすぎるのも良くないな、ということ。

ある程度人数がいると、その中から気の合う子と仲良くなればいい。
でも、同学年が2、3人の場合、気が合う確率は結構低いかもしれない。
親同士の関係もそうで、70世帯いたら、7世帯くらい、気の合う親がいる気がする。
2世帯しかないと、気の合う親がいないという状況の方が圧倒的に高い。

小さい学校では、児童一人ひとりが存在感を持ち、自分が組織の大切な一員であることを感じ、
自分の意見や行動が、その組織に一定の影響力を持っている、ということを体得できるのが一番の魅力だと思っています。

けれども、その少ない人数の中に(ざっくりと表現するけど)いわゆる”問題児”がいた場合、
その影響力は破壊的で、学校全体に影を落とす。。。
という怖さもあります。

小学校って

校庭に虹

小学校って、子どものための場所なのに、
今の日本の公立小学校は、そうではない。

それが不満。

大きな学校も、小さな学校も、多少の違いはあれど、
根本は同じ。

大人が管理しやすいように、大人の都合のいいように、
運営されているのが現実。

それが、納得いかない。

1学年2クラスで約70人くらいの規模の小学校で、
運動会、学習発表会で見る子供達が、意志を持った、感受性豊かな子どもには見えなくて、
嫌だった。

自然豊かな奄美大島の、全校生徒が20人足らずの小さな小学校だったら、
子どもは活き活きと生活できるのでは?と思って移住した。
思い通りのところもあるし、逆に大きな学校の方が良かったなという部分もある。
どっちにも良さがあるし、嫌な部分もある。

今言えることは、自然環境の美しさだけは、裏切らない。
奄美大島の自然は、とても雄大で美しく、気持ちが良い。
校庭に虹
とりあえずは、そこの部分の幸せをかみしめて、日々を楽しもうと思う。