国語のテスト

ハスちゃんが、2学期のテストを持ち帰った。昔からだと思うけど、国語ってとても曖昧な、○×つけるのが難しい教科だと思った。こんな授業してたら、こんなテスト受けさせて成績つけてたら、そりゃ国語嫌いになるわな、と感じた。

お庭にこんな綺麗な花が!今日気づいた

問題
次の分は、物語を読むときに気をつけることについて書いたものです。()に当てはまる言葉を、以下から選んで書きなさい。

物語を読むときは、(登場人物)のだれかと(自分)を重ね合わせたり、書いてあることを(経験)などと結びつけたりする。

花はあるがまで最高にうつくしい

上の()内には学校の正解書きました。娘は、(自分)というところを(友達)を選びました。×だったんですが、娘は「だって私、本当に本読むときこの子○○ちゃんに似てるなぁってよく考えるよ」と言っていて、「なるほど、それでもいいよね、友達もいいじゃんね!正解!」と話しました。

国語の問題を解くとき、正解を書きたかったら、この問題を作った人はどういう答えを望んでいるかを考えて書かないとだめだねと話しました。なかなか大変なのです、国語テスト。

もうすぐクリスマス、奄美は緑豊かです

しかし物語を読むときに、こんな指示されたら一切読む気失せるんですけど。。。ハスちゃんと、物語くらい自由に読ませろ!と大笑いしました。本当は先生にツッコミ入れたかったけど、今のところ笑わせてくれたからいい。
ハスちゃんカメちゃんは本が好きだから、笑っていられるけど、本をもっと読んで欲しいといつも言っている先生を思い出し、なんだか気が重くなったのでした。

本を読みましょう

奄美大島では、各学期の初めと終わりに 学級PTAという、先生と親の懇談会がある。 広島ではなかったこの会、鹿児島県の文化なのかな?先生がその学期の学級経営について、子ども達の様子についてを話してくれる会。

“学校が楽しくない病”を発症中のハスちゃんの担任が、1学期と比べて、子ども達がとても意欲的になっています。みんな算数が好きで、わからない問題も投げ出さずに、わかるまで質問をしてくれています。この意欲を消さない様指導をしたいと思いますと言った。 ハスちゃんの学校への意欲は今底辺くらいだから、 ハスちゃん以外の子が意欲的なのかな?と思ったけど、ハスちゃんから聞く話から私が感じている空気感は先生の話と全然違って、違和感。

帰宅後ハスちゃんに確認。クラスのみんなは算数好きなの?の問いに、”えーみんな嫌いだよ。私も好きじゃないし”。だよね。でも、最近みんな頑張ってる?たくさん質問したりしてる?の問いに、”そんなことないよ”。だーよーねー。人間的にはいい先生なんだけれども、なんだか空回りしているというか、ズレを感じる。先生は褒めて伸ばそう作戦で、色々良い事言ったのかもしれないけど、なんだか嘘がバレバレというか、聞いてて寒かった。日頃から悪いことは隠そう隠そうとする先生で、 言葉だけからまわっている。保護者もしれーっと聞いてた。

そして、本をもっとかりて読んで欲しい。ずっと言っているのですが、まだまだ本を読む量が少ないですと先生。読書大好き本の虫のハスちゃん( 放っておくと1日中読書する)を、苦労して読書制限している私はまた違和感。複式3.4年の学級の生徒数は5人。5人しかいないのに、先生はハスちゃん以外の子の話をしていることは間違いない。とっても不思議な体験だった。

読書より外遊びしてほしいんだな

本を読んで欲しいというけれども、本の楽しさを教えていないのが本質的に問題。子どもが幼い時期から親が読み聞かせをしていたら、100%本大好きな子になる。この持論、 私調べだけれども今まで外れたことがない。読み聞かせをするには、落ち着いた時間を確保することが必要だし、音読をすることはパワーも使う。敬遠する親も多い。「読み聞かせ一回もしたことがない」と普通にさらりと言った母親に対して、平静を装うのが大変だった。あなた、なんてことしているんですか!と心の中ではめちゃめちゃ波風が立った。

本の読み聞かせをしないでおいて、小学校に入学したら、教科書の音読や日記を強制されて、 そりゃぁ文字拒絶反応を発症するはずです。そしておまけに本をたくさん読めと言われ続ける。。。本の楽しさを教えてあげて下さい、先生。

どんぐり式子育てをしていたら、学級PTAの先生のお話しも違和感だらけ。誰のこと話してらっしゃいますか?と感じてしまう。でも、それって子育て成功している証拠なんじゃないか?と、ポジティブにとらえることにする。

昨夜カメちゃんが、「ママぼくね夜が楽しみなんだけど、なんでだと思う?」と聞いてきた。「理由はね、ハリーポッター読んでもらえるから」とニコニコ顔で言うカメちゃんが愛おしいこと。今、ハリーポッター秘密の部屋を寝る前に読み聞かせしている。長い!から1章ずつ。1章でも音読すると20分かかる。とっても疲れる。けれども同じ物語を20分間共有することは、なんともピースフルで幸福感溢れる時間なのか。つづきが早く読みたいね、とワクワクドキドキ眠りにつく。読み聞かせはしんどいけれど「今日も夜ハリーポッター楽しみだな」という気持ちが心の片隅にあるということは、1日を意欲的に過ごす糧にもなるんじゃないかな。

私が長い物語を読み聞かせ始めると、ハスちゃんは先が気になり過ぎて、読み聞かせを待てなくて、自分でどんどん読み進めて1日2日で読み終えてしまう。私の読み聞かせスピードが満足できないみたい。それが今の課題だな。

月が沈む

「月って沈むの?!?!」

これ、ハスちゃんでもカメちゃんでもない、40才を過ぎた母、私の発言です。先日、奄美大島南部の某所にて、天の川ハンターの荒木さんナビゲートで星空観望会をしてきました。

私やハスちゃんカメちゃんにとって人生初の星空観望会は、荒木さん曰く「今年最高の星空」だったそうで、おまけに水平線に月が沈むところが見れました。 水面に三日月がくっつく”月のフネ”を見たのは、荒木さんも初めての経験?めったにないことだったようです。

日没後のマジックアワー、もう月もでてきてる

地球が自転しながら太陽の周りを公転していることは、理科で勉強したから知識としては持っていました。けれども、知識があることは理解していることではないと、身をもって体験したのが冒頭の言葉「月って沈むの?!」です。

夕日が沈んだ瞬間

地球は丸いと感じられる水平線に、オレンジの月が少しずつ沈んでいく。沈み切った時、終わった花火をバケツの水につけた時のような”じゅっ!”という音が聞こえたような気がしました。朝日がでて、夕日が沈むのは何度も見たことがあるけど、月が沈むのは見たことが無かった。だから恥ずかしい話、月は暗い間はずーっと出ていると思い込んでいたのです。自分の目で、見る事。体感すること。誰かに教えてもらったり、本で読む何倍もの意味があるんですね。

月は、高いところにあるときほど白く、海に近づくほどオレンジになる。実際に自分の目で見ながら聞いたから感動が伴う。忘れない。

空はうすいむらさき色

夜空を見続けている荒木さんをして、今年最高と言わしめた星空は、文章には表せない素晴らしさ。初めて見た数の星でした。普段見えない星までもが見えるわけで、いつもは分かるオリオン座やカシオペアなどがどこにあるか分からない状態。荒木さん曰く、奄美大島は星が見えすぎてしまうそう。

そらが藍の深い色になってきて

あそこにある星見える?あれはね。。。などと荒木さんが色々と星の説明をしてくれるのだけれども、なかなかついていけない私。とは対照的に、「うん、見える、あれだね」と荒木さんと会話が成立しているハスちゃんカメちゃん。子どもの能力の素晴らしさにも気づかされました。だから、幼いうちに丁寧に生活を楽しむのが大切なんだね。夜空を見上げて星や月を見ることは、特別なことではない、生活の一部なんだ、と思った。明るい町のなかで、メディア漬けにされた目では、美しいものが見えなくなってしまう。

空が黒くなってきた

展望会会場はもちろん街灯はなく、真っ暗。着いた時点では、漆黒の世界で何も見えない。星空を観察していると、少しずつ暗闇に目が慣れるというか、目の本来の能力が戻ってくるというか、漆黒の世界が、薄暗い世界くらいに変わったことに驚いた。どきどき車が横の道路を走りすぎていったけど、車のライトを目に入れないことを荒木さんが教えてくれた。ライトを見てしまうと、星が見えなくなってしまう。現代人は、便利さと引き換えに退化してしまっているなぁ、雄大な自然の前に、昔むかしの人間の叡智さえも感じていた。そんな気持ちになるくらい、とにかくすごいものを見たんだ。

一旦雲に隠れた月が、また出てきて海に沈んでいきました

天気ばかりは人間がコントロールできないもの。いろいろな奇跡の重なりで遭遇できたあの夕日、月のフネと星空。もう二度と同じものは見られない。なんと尊い世界。

感動のない運動会

ハスちゃんは事あるごとに、広島のほうがいいなぁ~なんて言っているし、私も正直広島の方がよかったなぁと思う事も数々ある。だけれども、うちの子2人にとっては、絶対に奄美大島の極小規模校の方が絶対に良い!と言い切れるもの、それが運動会と学習発表会。

奄美大島に移住した最大のきっかけが、広島の小学校の運動会だった。1学年×2クラスの規模、全校360人くらいなんだけど、ロボットが動いているようにしか感じられなかった。色んな競技で、勝手も負けても喜ばない、悔しがらない。
子ども達の感情がみえない。ハスちゃんは徒競走と玉入れに出た。紅組白組にわかれて玉入れして、勝ってもまけても、しーん。感動がない。厳かに運動会は進んでゆく。とても違和感を感じた。

たまたまPTAのクラス役員をしていて、校長先生、教頭先生、PTAの執行役員の方たちと月1のミーティングがあり、運動会への意見を求められたので、感じたことを話した。そしたら2-3人の役員さんが「私もそれ感じました」と同意してくれた。 けど、校長先生と教頭先生は、そうだったですかね。。。という反応。
娘に確認したら、勝って喜んだら負けにされるから、と言ったけど、そんな指導をされているのか? と聞いてみたら、校長先生は「そんな指導はしていないと思います。」と言う。

いやいや、ある特定の学年が勝っても喜ばないのなら、ある先生の指導が原因だと思うけど、全学年がそんな感じだったのだから、学校全体で何か指導があったに違いないと思うんだけど。

最後の成績発表で、紅組○点、白組○点、優勝白組、と発表があり、その後の全然嬉しそうじゃない白組のバンザーイと、手を動かしているだけの紅組の拍手。なんだかな~

ラグビーワールドカップ日本大会で気持ちの入ったプレーを見せてくれる選手たち、そして試合終了後のノーサイド精神に感動の涙を流しながら、この運動会のことを思い出したのでした。学校行事では、子どもに感動の経験をさせてあげてよ!せっかくの行事なんだから!と歯がゆいのでした。

日記と作文

どんぐり倶楽部の糸山先生曰く、小学生はインプットのみでいい。ひたすらインプットインプット。アウトプットは、自然に子どもの内側から表現したい何かが溢れ出てきてからでいいということ。

学校が大好きな作文や日記(絵日記)はアウトプット。子どもの感性はすごい。大人以上に毎日いろいろ感じて考えている。けれども、それを表現する能力がない。思いを表現する文章力がない。だから、作文を書きなさいと言われたら、○○をしました、楽しかったです。またやりたいです。と2行で終わってしまう。

糸山先生は、感想文は愚の骨頂。大人でも、さて映画を見に行って感想文を書きましょう!と言われたら、見に行きたくなくなりませんか?と仰っている。確かにそう。本は大好きだったけど、読書感想文は大嫌いだったなぁ。目次とあとがきだけ読んで書いてたけど(笑)

というわけで、わが子にできるだけ作文や日記は書かせてない。自ら望んで書く場合以外は。小学校は本当に日記を書かせることが好きですね。しかも毎日書かせる。私は文章を書くことが好き。だけれども毎日日記をつけなさいと言われたら嫌になる。書きたいことがある時に書く。このブログだって、1か月書かなかったり、書きたいことが溢れてきて毎日書いたり、それでいいと思っている。

毎日日記を書きなさいと言われ続けた小学生が、楽しんで書けているか?100%楽しんでない。自信がある。将来文章を書くことが好きな子にはならない訓練をしているようにしか思えない。担任の先生には私の考えをしっかりと話し、理解して頂いているので、ハスちゃんやカメちゃんは日記を書いていません。ハスちゃんはお手紙や漫画、ショートストーリーを書くことが好きです。書きたいと思った時に自発的に書いて欲しい。カメちゃんはそもそも字を書くことが得意ではないから、自ら文字を書くことはまずない。けれども、夏休みの宿題の絵日記(毎日書く絵日記ではなく、教室に掲示される1枚だけ) は楽しみにしていました。 “絵日記1枚だけ?2枚書きたかった~”なんて言っているカメちゃんが微笑ましかった。日記に対して、いやだなぁという感情を持っていないだけで幸せです。

鹿児島県の不思議。夏休みの宿題で、小学1年生にも1200字の作文を書かせる事。1学期にやっとひらがな、カタカナを学習し終わった6歳の子どもに、1200字ですよ。狂気の沙汰。1学期最後の学級懇談会で、担任の先生から夏休みに1200字の作文を書いてきてくださいと言われた時、頭が?????正直者なんで、「先生、息子は書けないですよ、1年生に書けないですよね?それは、親がやってくださいねということですか?」と質問をしたら、困った笑顔で「ハイ」と仰いました。変な場所ですね、小学校って。

カメちゃんは、1年生の時に無理やり生活作文を1200字書かされようとして、数日間登校拒否しました。この経験が今に生きてる。カメちゃんに作文書かせたら学校に行かなくなる可能性がありますよ!と先生に伝えたら、まず無理やり書かせる先生はいない。だって、作文より毎日学校に登校する方が何倍も大切だもんね。

夏休み最後の日に伝えたいこと

夏休み最後の日、日本では子どもの自殺率が一年で一番高い日。不名誉すぎる事実。少子化担当大臣とか、政治家が抜本的にこの問題に取り組むべき。と言っておきながら、一切国や学校には期待をすべきではないということが分かっているので、子どもは親が守るしかないのです。

夏休み、広島の実家に帰省して、それはそれは楽しく過ごしました。学校は休みなわけで、広島では楽しいことばかり。そりゃぁ、ハスちゃん「広島がいい、広島にいたい」と言いますよね。想定内。そして夏休みの終わりが見えてきた頃、「学校いやだ、いきたくない」が始まりました。これも想定内。

今の義務教育は、日本という国に真面目に納税してくれる国民、言われたことをもくもくとこなす公務員を育成する場所。先生の指示通りに行動し、勉強する子が○、いい子と評価される場所。

野生の猿の様なカメちゃんは学校好き。熱を出しても「学校に行かせてくれ、みんなの顔を見たい」と泣いて懇願するのは、嬉しい誤算?意外やイガイなのですが、ハスちゃんは学校はあまり好きではない。嫌いじゃないけど、好きでもない、普通、らしい。これは想定内。人から指示されることを好まない、ファンタジックな発想力豊かな、自由人。うん、学校はあなたに向いていないね、と思います。

ハスちゃんにとって学校はフツー。とっても嫌なことがあるわけではないし、とっても楽しいわけでもない。普通。それって幸せなことよ。嫌なことが無いんだったら、それは幸せってことよ。といつも話している。そして、「学校は嫌なら行かなくてもいい。お休みしたらいい。でも、勉強はするよ。学校には行かなくてもいいけど、将来人生を楽しむ為に勉強はしないといけない。学校じゃなくて、家で勉強すればいいんだよ。」と伝えている。

夏休みの最後の日。学校で嫌なことがあったら、走って逃げておいで。ママが守ってあげるから大丈夫と伝えた。それだけで子どもは安心する。あんなに学校いやだいきたくないと言っていたハスちゃん、今は運動会のかけっこトレーニングや応援団の練習に余念がない。好きな事はがんばれるよねぇ。

宿題、宿題、ああ宿題

宿題について、いろいろと議論が巻き起こっている様。どんぐり倶楽部としては”子供に悪影響を及ぼすからやらせない”といっているあの宿題です。

シンプルに考えましょう。現在小中学校で出されている宿題は、子供にダメージを及ぼす、マイナスしかないと知ってしまった。誰が何と言おうが、私はわが子に宿題をやらせるわけにはいかない。昔は普通にやらされていたウサギ飛び。ウサギ飛びは身体に悪影響があると発表されてからはやってはいけないことになりました。その悪影響があるとわかるまではやらされる。悪影響があると文部科学省が認め発表するまでは、親がわが子を守るしかない。

文科省、日本の義務教育はゆとり教育だの詰め込み教育だの、数々の過ちを犯し続けています。ゆとり教育を受けた子達なんて被害者なのに、他の世代からはいろいろ言われている。文科省はもちろん何の責任もとってくれません。だから、私は誰が何と言おうと、お粗末な宿題はわが子にはさせません。その結果、わが子の学力がめちゃめちゃ低かったとしても、私がその責任をとります。そんなことはどんぐり問題やってたらありえないのだけど。

今や、宿題代行を請け負う企業があるらしい。お金を払って宿題をしてもらうというビジネスが成り立つ時点で、”宿題”の価値がわかる。宿題をしたら子どもの学力になるのであれば、どこの親がお金払って代行してもらうの?その宿題が無駄だからそうするんじゃない?

文部科学省が大手業者と宿題代行を禁止する合意をしたそうです。(https://www.sankei.com/li…/news/180829/lif1808290023-n1.html)それを受けて、私が尊敬するどんぐり式学習塾を経営されている先生が、「そもそも宿題は”提案”のレベルで、強いることはできないし、文科省に放課後の子供に対して保護者の判断を制限する法的根拠はない」と書かれていました。同意します。

まずは、宿題の質、あり方を見直すべきなのではないですか?と呆れている今日この頃。宿題がどうこうじゃなくて、不登校の子度も達を救ってよ!!!アンポンタン!

教育活動の充実に向けたアンケート

学校から、またアンケート。この学校に来てまだ4か月なのに、2回目。1学期に1回やるみたいなんだけど、前回も同じような内容だったのに、これ必要?意味ある?と感じてしまう。

教育委員会から指示がでているから、やっているのかもしれない。だからまぁいい。のだけれども、また内容がなんとも答えづらくて、困る。

“学校は学力向上に取り組んでいる”ということを、4段階評価しろといわれても、学校が考える”学力”は、テストで100点とったり、計算を早くたくさんできたり、漢字がたくさん書けるということで、私が考える”学力”とは全く違う。学校が考えている学力を向上する為には、がんばっていらっしゃるかもしれませんね、でもその学力は、私からしたら本当の学力ではないんですけど、でもがんばってはいらっしゃるから、「良い」にしておきますか。ただし、本当の意味で、例えば自分の頭で考えられる思考回路の養成をするというような、学力向上に取り組んでいるかどうかを聞かれているのであれば、「努力が必要」にしますけれどもね。

“家庭学習の習慣を身に付けているー低学年30分以上、中学年45分以上・・・”という設問にも毎回溜息がでる。どんぐり倶楽部では有名な、お粗末宿題3点セットなどを、強制的に嫌々、処理をしている30分、45分を、学校は(親も)評価する、いいことだと思っているから。 どんぐらー(どんぐり式子育てをしている親)的には、そのような宿題をやっている時間は、考えない頭を作る時間と考え、なんとか回避しようと努力をするポイント。

ハスちゃん、カメちゃんは、1週間で家庭学習は1時間以内。あとは全部自由時間。1日30分以上も家庭学習をしていないから、アンケートには努力が必要としか答えようがない、けれども、家庭学習の習慣を身に付けているかどうかを問われたら、どんぐり倶楽部の良質の算数文章問題を使って、しっかりと自分の頭で考える為の学習習慣は身に付けている。このアンケート、なんとも答えづらい。

困ってしまう。

学校行きたくない

年末年始を広島で楽しく過ごし、奄美大島に帰ってきました。

「広島がいい、広島にずっといたい」と言い続けていたハスちゃん。広島では祖父母や仲良しのいとこと沢山遊び、仲が良かった同級生とも会って、とにかく楽しく過ごしました。だから、広島がいいと思うのは仕方がない。

奄美大島で初めに通った小学校で、嫌な体験をしたハスちゃんだから、広島に帰省したら、絶対に奄美に帰りたくないと言うだろうな、と予想していました。広島の小学校で嫌だったことは全て棚に上げて。。。

小学校
広島の小学校

2019年、3学期の始業式が今日でした。ハスちゃん、「学校行きたくない」と言って休みました。そうなるだろうな、と冬休みに入る前から予想していたから、やっぱりね、と思った。私は、学校に行きたくないなら行く必要はないよと思っているし、2人の子どもにもそう伝えている。今の学校は、子どもが行きたい場所ではないの、わかる。なのに、娘が「学校行きたくない」と言うと、とても落胆する。

落胆というのは、学校に対する落胆でもあるし、自分が予定していた一日を過ごせなることへのストレスでもあるし、だらーっとしている様に見える娘を見てイライラする気持ちであったり、とても複雑な感情。学校に行かなくてもいいよ、と言っておきながら、でも湧き上がるこのネガティブな感情達との折り合いをつける事が、とても苦しい。

奄美大島に来て8か月、鹿児島県の保守的な教育方針や、僻地の超小規模校で多様性に乏しい息苦しさなど、ネガティブな事に目がいきがちで、これなら広島の方がいいわ、と何度も思った。けれども広島で、1年生と4年生の子を持つ妹や、ハスちゃんの同級生の母から、広島で通っていた小学校の状況を聞いて、やっぱり現状の公立小学校の仕組みの上では、小規模校の方が良いなと感じた。

小学校グランド
自由な外遊びの時間がいちばんイキイキしているね

4年生~6年生、高学年がとても荒れていて、学級崩壊状態だそう。先生がバカにされていて、何を言っても言う事を聞かない様で。でも、話を聞いていて先生や親に非があるなぁと感じた。ハスちゃんは「学校は禁止禁止ばかりで楽しくない」と言ったけれども、3年生まではルールや規則で子どもを縛ることで何とかクラス運営が出来るんだと思う。けれども、4年生以上はそうはいかない。そういうことなんだと思う。で、言う事を聞かない子どもを感情的に先生が叱り、子どもが先生を蹴ったり殴ったりする。。。らしい。

ハスちゃんに、「給食の時間は私語禁止だよ」と聞いて、ありえない!とびっくりして先生に質問したことがある。そうしたら「そうなんです。私語禁止にしないと、給食が時間内に終わらなくて。準備して片付けの時間を考えたら、食べる時間が15分~20分しかないんです。本当は楽しく食事をしたいんですが、私語を許すと、絶対に食事が進まないので」と残念そうに先生は仰った。給食をお話ししながら楽しく食べれないってことは、学校の仕組み、時間の配分がもう間違っているとしか考えられなくて、それを変えるのは難しいな、と思った記憶がある。

今ハスちゃん、カメちゃんが通っている小さな学校では、みんなでたくさんお話ししながら給食を和気あいあい食べている。カメちゃんが、(同じ保育園に行っていたお友達がいる)広島の学校に行ってみたいな~って言ったから、給食の時間、お話ししたらダメなんだよ、大丈夫?と言ったら、「え?!」とびっくりしていた。人数が少ないから、学校生活をゆったりと個人のペースで送ることが許されるという利点はある。

今いる場所では、良い所よりもネガティブなポイントが頭を支配し、昔いた場所の嫌な事は結構忘れてしまい、美化してしまうな、と感じた。どちらにも良いところ、悪いことがあるけれども、良いところを見て生活することを親子で学びたいなと思っています。

カメちゃんのテスト

奄美大島、というか、鹿児島県の教育は保守的らしいのですが、本当にそう。

学期末に、1年生のカメちゃんがバリバリしっかりとした実力テストみたいなのを受けて、それが返却された時に感じた。

“ゲッ”と声が出た。

違和感。こんなテストで学力ははかれません!とどんぐり倶楽部の糸山先生の声が聞こえた。

こんなテスト、広島県の小学校ではなかった。もしかしたら6年生とかならやっているのかもしれない。けど、1年生から。。。というのは、私にとっては違和感がすごい。

さんすうテスト
え!?97点!?

こんなかっちりしたテスト気持ち悪い、と思って、得点合計を見て驚愕!97点!うそ!

間違えた問題を確認してみると。。。

こたえの、写し間違えか。ということは、全部理解はしているってことなんだね。驚いた。

さんすうのセンスは、正直あるな、と感じていた。何て言ったらいいか、保育園の時から、工作やらする中で、空間把握能力なんかは私負けてたから。

けれども実は私、学校の成績という評価基準では、カメちゃん落ちこぼれるかもな、テストとか座って受けられるかな、と感じていた。カメちゃんには何か天才的なものを感じるけど、それは学校のテストでは発揮できないだろう、と。でも、学校の成績なんて本当の学力ではないと分かっていたし、テスト0点でもいい、考えられる頭さえどんぐり倶楽部で作れているなら、学校の成績はどうだっていい。

そこからの、この結果だったので、驚いたというわけ。で、「これ(答えうつし間違え)惜しかったね~」と言うとカメちゃんは憮然とした表情で、「先生にも同じこと言われたんだけど、”惜しくない、間違ったところが宝物なんだから!”と言ったよ。間違えたところが宝物なんでしょう?」と言われた。頼もしい。立派などんぐりっ子に育っています。

カメちゃんはわかってない様でとってもわかってて、よく私の迂闊な発言に的確なツッコミを入れてくる。謝るしかありません(汗)

こくごのテスト。

こくごテスト
78点、うん、まぁまぁじゃん。

カメちゃん、こくご苦手だと思ってたけど、やるじゃん、思った。間違えたところが宝だからね。 間違えたところを確認。

□の中の答を読んで、あれ?合ってるじゃん、何で×なの?と思ったら、左横から選ぶ問題だったんだ!ここで惜しい!とは全然思わなかった。自分の頭で該当する言葉を考えて書いたんだ、カメちゃんすごい!と感動した。問題で問われている能力の上をいってるじゃないの~

こちらも、カメちゃんが書いた答を見て、あれ?何で×なの?と思って。よく問題を見たら、おわりにはまるをつけなさいって書いてあって、そこが×なんだね。と、何か笑っちゃいました。カメちゃんを呼んで、「ママこれ、〇あげるからね!」と言いました。まる、がないと×なのか。

学校のテストでは、本当の学力はわからない、という意味が少しわかりました。

私、カメちゃんこくご苦手だろうから78点でもすごいと思ったけど、理解度という尺度でみたら、100点だったかもしれない。

どんぐり倶楽部の糸山先生が言う通り、学校の成績は本当の学力ではないこと。そして親って子どもの能力を全く理解していないこと。がよくわかった。