「やさしいね」

昨日、ハスちゃんカメちゃんがやさしい子に育っていてうれしいと書いた。子どもが言われて幸せを感じる言葉、心があたたかくなる言葉を、日頃親が子どもに言うことは”私、僕って大切な存在、素晴らしい存在なんだ”という自己肯定感を育てることになると思っている。

先日の学級PTAという先生と保護者の懇談会で、カメちゃんの担任が”家庭での子どもたちの褒め方”について教えて下さいと、保護者が順番に発言する機会があった。保護者は5人。座り順でたまたま私は最後に発言することになったんだけど、他の保護者が全員”褒めていない”と言い放ったのに驚愕した。”注意ばっかりで褒めることはないですね”と仰る。私は子どもたちの心が心配になった。

美しい自然の中ではやさしい気持ちが優勢になる

多くの小学生の親は、子どもは言う事を全然聞かないの。”褒めることがない”と思っている。テストで100点取ったとか、かけっこで1番になったとか、そういう他人と比べて良い結果を出したことは褒めるべき対象であるけれども、子どもが毎朝起きて、ご飯を食べて、歯を磨いて、学校に行く、ということについては、当たり前のことであり、やっても褒める対象にはならない。

大山先生のペアレントプログラムに参加して、他の子と比較しない、ただ子どもがやることを実況中継をするだけでいいと学んだ。なかなか朝ごはんが進まなくても「うん、食べてる食べてる」お着替えが進まないときは「おっ!ボタンを外しました~」みたいな感じで。すべての行為を認めること。これ、余裕がないとできないんだなぁ。親に余裕がないこと、褒めるという行為の持つパワーを認識できていないことが原因かなぁ。

カメちゃん、おこずかいでハスちゃんにイヤリングをプレゼント!

そんなことをずっと考えていたら、ジャストタイミングで植松努さんの為になる記事がFacebookに投稿された。 仏の様な植松さんの中にも、暴力的側面はある。その暴力的な部分を抑制しているのが、植松さんがおじいちゃんからかけけてもらった”努は優しいね”という言葉だそう。

いろんな子がいるけど、どんな子にも優しい面がある。その優しい部分にフォーカスして、やさしいねと声掛けすることで、その優しい面が広がっていくし、暴力的な面が縮小されていくと思う。また良い事を教わった。

今日はハスちゃんカメちゃんに、登校する前に3回もやさしいねと言った。私もやさしい気持ちになる。言い続けよう。

本を読みましょう

奄美大島では、各学期の初めと終わりに 学級PTAという、先生と親の懇談会がある。 広島ではなかったこの会、鹿児島県の文化なのかな?先生がその学期の学級経営について、子ども達の様子についてを話してくれる会。

“学校が楽しくない病”を発症中のハスちゃんの担任が、1学期と比べて、子ども達がとても意欲的になっています。みんな算数が好きで、わからない問題も投げ出さずに、わかるまで質問をしてくれています。この意欲を消さない様指導をしたいと思いますと言った。 ハスちゃんの学校への意欲は今底辺くらいだから、 ハスちゃん以外の子が意欲的なのかな?と思ったけど、ハスちゃんから聞く話から私が感じている空気感は先生の話と全然違って、違和感。

帰宅後ハスちゃんに確認。クラスのみんなは算数好きなの?の問いに、”えーみんな嫌いだよ。私も好きじゃないし”。だよね。でも、最近みんな頑張ってる?たくさん質問したりしてる?の問いに、”そんなことないよ”。だーよーねー。人間的にはいい先生なんだけれども、なんだか空回りしているというか、ズレを感じる。先生は褒めて伸ばそう作戦で、色々良い事言ったのかもしれないけど、なんだか嘘がバレバレというか、聞いてて寒かった。日頃から悪いことは隠そう隠そうとする先生で、 言葉だけからまわっている。保護者もしれーっと聞いてた。

そして、本をもっとかりて読んで欲しい。ずっと言っているのですが、まだまだ本を読む量が少ないですと先生。読書大好き本の虫のハスちゃん( 放っておくと1日中読書する)を、苦労して読書制限している私はまた違和感。複式3.4年の学級の生徒数は5人。5人しかいないのに、先生はハスちゃん以外の子の話をしていることは間違いない。とっても不思議な体験だった。

読書より外遊びしてほしいんだな

本を読んで欲しいというけれども、本の楽しさを教えていないのが本質的に問題。子どもが幼い時期から親が読み聞かせをしていたら、100%本大好きな子になる。この持論、 私調べだけれども今まで外れたことがない。読み聞かせをするには、落ち着いた時間を確保することが必要だし、音読をすることはパワーも使う。敬遠する親も多い。「読み聞かせ一回もしたことがない」と普通にさらりと言った母親に対して、平静を装うのが大変だった。あなた、なんてことしているんですか!と心の中ではめちゃめちゃ波風が立った。

本の読み聞かせをしないでおいて、小学校に入学したら、教科書の音読や日記を強制されて、 そりゃぁ文字拒絶反応を発症するはずです。そしておまけに本をたくさん読めと言われ続ける。。。本の楽しさを教えてあげて下さい、先生。

どんぐり式子育てをしていたら、学級PTAの先生のお話しも違和感だらけ。誰のこと話してらっしゃいますか?と感じてしまう。でも、それって子育て成功している証拠なんじゃないか?と、ポジティブにとらえることにする。

昨夜カメちゃんが、「ママぼくね夜が楽しみなんだけど、なんでだと思う?」と聞いてきた。「理由はね、ハリーポッター読んでもらえるから」とニコニコ顔で言うカメちゃんが愛おしいこと。今、ハリーポッター秘密の部屋を寝る前に読み聞かせしている。長い!から1章ずつ。1章でも音読すると20分かかる。とっても疲れる。けれども同じ物語を20分間共有することは、なんともピースフルで幸福感溢れる時間なのか。つづきが早く読みたいね、とワクワクドキドキ眠りにつく。読み聞かせはしんどいけれど「今日も夜ハリーポッター楽しみだな」という気持ちが心の片隅にあるということは、1日を意欲的に過ごす糧にもなるんじゃないかな。

私が長い物語を読み聞かせ始めると、ハスちゃんは先が気になり過ぎて、読み聞かせを待てなくて、自分でどんどん読み進めて1日2日で読み終えてしまう。私の読み聞かせスピードが満足できないみたい。それが今の課題だな。

発達障害の正体

最近私をザワつかせている”発達障害”。気になることに関するアンサー的なブログに出会った。

https://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/201910250000「発達障害の正体は”発達の障害”ではなく”感覚の障害”です」

発達障害は、感覚の障害です。子どもの発達を支えているのが”感覚”であり、その感覚の働きがゆがんでしまっているから”発達”にもゆがみが生じているとのこと。発達障害という名前がよくないね。まだ感覚障害の方がいい。

「感覚の働き」が支えているのは「発達」だけではありません。生き物たちの「生命活動」の全てを支えています。

でも、そんなにも大事なものなのに、現代人は「感覚の働き」を無視して生活しています。
そして、感覚の働きを狂わせるようなことばかりをしています。それが「心を病む人」や、「発達障害」と言われる子どもの増加ともつながっているのです。


頭(意識+思考)と、感覚と、心と、からだの全てが統合された状態での「リアルな遊び」は、その「感覚の働き」を育てるために非常に重要な働きをしていたのです。

このブログを読んだら色々つながった。発達障害だと診断されたSくんは、遊ぶ時間を削って毎日2時間かけて宿題をしている。宿題を終えたらもう真っ暗。遊ぶ時間はない。人間の発達にとても重要である感覚の働きを鍛えるのが”遊び”だと誰も気づいていないから。。。

テレビやゲームが子どもから外遊びの時間を奪い、遊びが脳の中だけで完結。外の世界とのつながりを支える感覚の働きが育たない。子どもたちは遊びを通して人間力を育むけどその機会を大人が奪っている。

Sくんは、遊ぶ時間を削って英語教室のも通っている。英語はあくまでも”道具”。大人になってからでも学べる。でも、人間力は子ども時代にしか育たないのになぁ。

母国語でちゃんと表現できない人は、外国語でも表現できないのです。母国語で論理的に考えることが出来ない人は、外国語でもちゃんと考えることは出来ないのです。

これ、私もそう思います。外資系有名企業で働いていた時、海外育ちのバリバリバイリンガル女子がいて、英語は堪能だけど中身空っぽだった方に2人も会ったので。

発達障害らしいSくんに必要なのは、英語教室でも、宿題でもどちらでもないんだよなぁ。得に、毎日大切な成長期の2時間を費やして作業でしかない宿題をするということに、早く疑問を感じて欲しい。宿題の内容なんていくらでもアレンジ可なのだから。。。

のっぽさん

私が幼い頃テレビに出ていた工作が上手なおじさん、”のっぽさん”。テレビの演出上、声を発しないキャラクターでしたが、最近のっぽさんのコラムを読んで感動した。

https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/010800021/091400016/?P=1

“ノッポさんが5歳で知った“大人のズルさ”というタイトルにギクっとする。そうなんだよなぁ、子供は賢い。だから大人から色々感じている。そして言葉にはしないけど、態度や生き方にそれが反映され行く。妙に大人びてなんだかすでに諦めることを知っている子どもが多いのは、大人のせいなんだと思う。

戦争中、アメリカを「鬼畜米英」と叫んでいた先生が、終戦後すぐ「民主主義とはいいものだな」と恥ずかしげもなく言うようになった経験をされた時、のっぽさんは大人は卑怯だと思ったと。現代、こんな極限状態はないけれども、似た状況はよくあるのでは?

のっぽさんは、 子どもを人間として大人よりも賢く感性も汚れていない、自分より上の存在だと考えて接していると。私も常々子どもとは対等であると思っているけれども、大人よりも神々しい存在なんだなぁ。忘れてしまいがち。

子どもには敬意を払って接する。しかし、無礼な振る舞いをするような子どもには容赦せず叱る。

「この野郎、ふざけるんじゃねえぞ」と徹底的にやりました。83歳の老人が小さい人を道の真ん中で罵倒している姿は、異様に見えたでしょう。

でも、それでいいんですよ。その小さい人にとって私は、正面からぶつかってきた初めての大人だったんでしょう。周囲の大人を「あんた」と小ばかにしていた小さい人が、翌日から私を「おじいちゃん」と呼んでニコニコと慕ってくるようになりましたから。


これこれ!子どもの扱い方を知らない大人がなんと多いことか。悲しいかな、とーっても丁寧で優しいハスちゃんの担任の先生、完全に激しい女の子になめられている。子どもには本音でぶつからないとダメ。敬意を払いながら。

感情によりそう

ハスちゃんがお友達と掃除時間にどちらが黒板を消すかでケンカして、突き飛ばされて足をケガしました。と、昨夕担任の先生から電話連絡があった。子供のうちにたくさんお友達とケンカはすべき。ルールを守ればケンカは推奨という立場を取っている私。

我が家の家訓、ケンカのルールとは、一対一でやること、物を使わないこと、相手が戦意喪失したらやめること、仲直りすること。

なのに昨夕、担任の先生にハスちゃんが足をひきずっているので、今帰りますがちょっと外に出てやってください、念のため病院にいったほうがいいかもしれませんと言われて、ちょっと感情的になってしまった。先方の母親にもきちんと起きたことを報告してくださいね、と念押しして電話を切った(ケガした子の親に連絡して終わりにする先生もいるから)

週末の運動会で一輪車リレーに出るのを楽しみにしていて、練習がんばっているのに出られなくなったとしたら悔しいという感情。ハスちゃんとケンカになったお友達は常々乱暴な言動や行動が目についていた。学校でもケンカが絶えない状況でのこの出来事で腹が立った。

担任の先生は穏やかでとてもやさしい方。けれども本当のやさしさ、はきちがえてない?と感じることがあった。乱暴なお友達の言動や行動を母親に伝える時、ありのままの事実を伝えず、オブラートに包んで話している様。母親を傷つけない為の配慮なのかもしれないけど、それでは何も改善しない。

2学期最後の保護者懇談会で、ケンカが多すぎる状況を打開しなければという中、「最近子ども達の言葉が気になります、人の気持ちを傷つける言葉は使わない様にご家庭でも話してください」と担任は話した。それでは何も変わらない。。。もっと具体的に、○○ちゃんがこんな発言をしたなど事実をしっかりとシェアしないと。親としては状況すら把握できない。よって何も対策が練られない。だめだこりゃ!と思いながら夏休みを迎えた。

そんな中で、ハスちゃんがケガしましたと連絡をもらい、腹が立った。少し時間がたって落ち着いて、乱暴なお友達は困った子じゃなくて、困っている子なんだということを再確認。やってしまったことを怒るのではなく、どうしたらもう同じことを繰り返さないか、が大切なんだと思った。

残念ながら持って生まれた気性の荒さは注意されても変わらない。この子は思い通りにならない時、暴言を吐いたり、暴力をふるう子なんだ、と分かっている。その子とケンカになりそうになったら、引くこと。暴言で心が傷ついたり、暴力ふるわれてケガすることから自分を守ること。「負けて勝つ」ことを覚えようねとハスちゃんと話した。

素敵なようちえんとフリースクールの園長のコラムを思い出した。

行動ではなく気持ちによりそう。それが大事。夕方、乱暴なお友達の母親が誤りに来てくれて、その時「○ちゃんを怒るのではなく、カッとなった時にどうやったらその感情をがまんできるかを教えてあげて下さいね」と話した。

幸い足は少しびっこをひくくらいで、大したことはなかった。よかった。昨日こんなことがあった今日、タイムリーなブログに出会った。

やってしまった事を怒って謝らせるのではなく、しっかりとその時の感情に寄り添い、傾聴する大人。そんな存在が子どもを成長させるんだなぁ。勉強になります。

https://ameblo.jp/703junko/entry-12213403536.html?fbclid=IwAR1W4N6xHsVULNjh0ykwCom8OMc91kh7A_SamUlEn1Oi1ASuSSWD-HK7j-w

困った子、ではない

カメちゃんは、今その状況下を単純に楽しむことができる子。ハスちゃんは単純ではない。綺麗な海を前にして、家で漫画書いてたかった~なんてブスっとしたりする。カメちゃんは、本当は近所の友達と遊んでたかったけど、海に来たら来たで海を楽しむ。与えられた状況、今の状況を楽しくする方が人生楽しめると思う。

その一瞬を楽しもう

夏休み、とても楽しみにしていた広島への帰省。ハスちゃんはカメちゃんと些細なもめごとで、遊びの輪に加わらず、一人でブスっとソファーに座っていることが何度かあった。 「あんなに楽しみにしていたのに、そんな小さなケンカを引きずってそんな態度とってたら損するよ、気持ち切り替えて遊んだら? 」と何度か話した。カメちゃんは切り替えが早い。泣いたと思ったら笑っている。ケンカしてもすぐに仲直り、というか、また輪の中に入っていく。ハスちゃんはそうはいかない。男女の違いもあるし、性格の違いもある。一つ気に入らない事があったらそれを全てに波及させる。もうごはんもいらない、お出かけもしない!とか。そんなハスちゃんを見ていて、困った子、と思っていた。しんどいなぁと。

心ブスは損するよ

そんな時、何気なく読んだ新聞の1面に、”困った子はいない、困っている子なんだ”、と書いてあって。ハッとした。そうだな、困った子とレッテルを貼られる子って各クラスに何名かいるけど、困っている子だよなぁと。そしてハスちゃんに対して困った子だと感じた時、”この子は今困っているんだ”と思ったらいいなぁと思った。そしたらとっても楽になった。

学校には困った子はいない、困っている子がたくさんいる。先生がそう思ってくれたらいいなぁと思った。

人のせいにしない

“人のせいにしない”と、ハスちゃんカメちゃんに言っています。が、ここ数カ月間、私は自分が人のせいにして、イライラしていたなぁと気づきました。

ハスちゃんがよく物を壊す。イベントで設置してあったテントを壊してしまったり、ガラスを割ったり。それについて、ハスちゃんを何度もチクチクつついてしまっていた。ガラスは割れるんだよ!ものは壊れるんだよ!と良かれと思って、ハスちゃんカメちゃんの為になると思って、やっていた。

もちろん、子どもに危険なことをしないということを教えることは大切。だけれども、冷静に1度言えばいい。そんなことに気づかせてくれた友人のFBへの投稿。

うまくいかない時、なにかを「責める」ことでストレスを発散できるように錯覚しがちですが…これはやめた方がいいですよ

責めるエネルギーは、草むらのひっつき虫みたいなもので、その気分を纏ってる人に”ひっついて”、はがすのが大変。

それは、むしろストレス呼び込むから錯覚に気をつけて。

責めない。責めない。他のエネルギーパターンを選んでいきましょ。


人のせいにしないこと

これを読んで、ハスちゃんが失敗したあと、後始末を、全て人任せにしてしまっていた自分のせいで問題が起こり、その都度ハスちゃんを責めていたなぁ、と気づいた。あぁ、ハスちゃんごめんなさい。未熟な母親ですみません。

もう気付いたから、子どもを「責める」ことはもうしません。

親子とは

タンポポ

昨日、考えさせられる出来事がありました。

放課後、お友達と外で遊んでいたカメちゃんが、5時のチャイムがなってしばらくして帰ってきました。少しして、一緒に遊んでいた同級生の男の子S君が”カメちゃん!”とウチに来ました。カメちゃんの忘れ物を届けてくれたのかな?と思ったら、「僕のベイブレードの小さな部品がなくなったから、カメちゃんのお母さんと一緒に探して!」と言っています。

夕飯の支度をしながら、”え?!私???”と不思議に思いました。カメちゃんが「なんで僕のお母さんなの?自分のお母さんに言ったら?」と言ったら、「お母さんがね、無くなった場所の近くの家の大人と一緒に探してもらってって言ったの」とS君は言います。

S君の母親、そんなこと言わないよなぁ。。。と思っていたら、「僕のお母さんは夕ご飯作っているんだから、邪魔しないでよね」と言いながら、2人で外へ出て行きました。で、またすぐにカメちゃんが家に戻ってきたのだけど、どうやらS君も一緒。S君がカメちゃんに「ねぇ、お母さんを呼んできて、一緒に探してもらう」としつこく言っています。私も何で私なん?と思いながら、多分”5時のチャイムが鳴ったら、大人と一緒の時以外は帰宅する”というルールを厳しく言われているんだろうなぁと思いました。だから私に来てもらいたいんだ、と。

そんな事はわからないカメちゃんは、「だから、僕のおかーさんは今忙しいの!勝手にウチに来るな!」と主張している。

大人と一緒に探せばいいのだから、自分のお母さんに事情を説明して来てもらったらいい。けれどもS君がそうしなかったのは、お母さんに怒られたくなかったから、お小言言われたくなかったからなんだろうと思いました。

子どもが失敗したときに頼ってくれる親でありたい

ハスちゃんとカメちゃんに、S君が無くしたものを一緒に探してあげて!とお願いして、3人で探しに行ったら、すぐ見つかったみたいで5分くらいで戻ってきました。

カメちゃんに、「S君のお母さん、多分あんなこと言わないと思うな」と言ったら、「うん、S君ね、家に戻ってないよ、バイバイって別れてからあんまり時間がたたないうちに僕のウチに来たもん!」とカメちゃんは言いました。

そうだよね、と笑ってしまった。お母さんには言いたくないけど、落としたものを探したくて、でも5時過ぎてるから大人の人に一緒にいて欲しくて、ウチに来たけど、上手く説明できなくて、変なウソついちゃって、こんがらがった。。。

日頃から口うるさくしていると、トラブルを起こした時に、親に言ってくれない子どもになるんだなぁ、と感じた出来事でした。カメちゃんの冷静な状況判断力にも感動しました。ちゃんと育っているね。

ペアレントプログラム

子育てを楽しむ為の有益な情報は、本やネット、Facebookなどで収集して、貪欲に生活に取り入れています。だから、失敗もするけれども、いつも前向きに楽しく生活できています。

奄美大島で参加した”ペアレントプログラム”は、自分や子どもの状況を具体的に把握して、考え方をポジティブに転換する、とても意義深いものでした。隔週、計6回行われるプログラムという性質上、1度話を聞いて終わり!にできないのもよかった。

参加者6人という少人数セッションで、全員が自分の状況を発表する機会がありました。それぞれ全く違う考え方、ライフスタイルを持つ母親達だったけど、全員から学ぶところがあり、吸収できることがあったことが驚きでした。

状況把握表で、自分がどんなことをネガティブに感じているのかを洗い出し、どんなカテゴリーの悩みが多いかを把握し、そしてそれって本当に悪いことなの?と考え方を変えてみて、そのネガティブな出来事が起こりやすい状況を考えて、その状況を回避する方法を見つける。

私は、家事があまり好きではなくて”お掃除が雑で適当で良くない”とか、”朝起きれない”とかを自分の欠点だと思っていたのだけれども、このプログラムを受講した後は、”家族が気持ちよく過ごせる程度には掃除をしている”や、”子どもが起きる前にはなんとか起きている”という考え方にシフトすることができました。

同じ状況を、いい面から見るという感じでしょうか。とても気持ちが軽くなり、私って大丈夫、がんばってる、今のままでいい!と思えるのは嬉しい。

そして、ハスちゃんのこと。私は、ハスちゃんがイライラして大声を出して叫んだり、泣き叫ぶことがすごく嫌だと感じていました。で、それが何故起こるのかを考えてみると、私が大きな声で叱ったり、ハスちゃんの気持ちに寄り添えず叱り飛ばした時だというのがわかりました。私が嫌いなハスちゃんの状態は、私が作りだしていたのです。それに気づけてよかったです。私が気を付ければ、親子どもども、心穏やかに生活できる。

本当に、すばらしいプログラムです。

見せない教育

アーシング

“今日から俺は”というドラマが放映されていて、とても人気だった。不良というか、ヤンキー漫画なんだけれども、私にとっては懐かしい。主人公の三橋役の役者さんの演技がコミカルで、とても面白いと確かに思った。けれども、不良たちの話なのでとにかく暴力シーンが多い。あんなに普通に暴力をゴールデンで放映していいの?と思ったくらい。ちょっと見てられないシーンがたくさんあった。

で、驚くのが、”今日から俺は”を小学生や未就学児が見ている事。親があんな暴力映像満載のドラマを子どもに平然と見せている事。私は理解ができない。

どんぐり倶楽部主宰の糸山先生は、見せない教育の重要性を繰り返し訴えます。12才以前の子ども達に見せて良い映像はとても限られていると。

・見せない教育が大事。
制御できる時間、すべき期間(12才まで)はキチンと制御する。
・脳内進化が完了するまでは見せてはいけない情報(特に視覚情報)がある。視覚情報は無意識の反射を形成するからだ。
本人が意識しない間に殺人好きに育ててしまうことだってある。
考えない頭に育てることだってある。見せない教育は見せる教育と同じように12才まで(特に9才まで)は繊細な注意が必要である。
悪いお手本でも幼児・児童期には良いお手本と同様に「お手本」として消化されるのだ。反面教師が通じない理由である。
悪いお手本は良いお手本を修得した後でなくては利用できない。

アーシング
子どもは見ないほうがいいものがたくさんある

特にニュース映像は見せないように注意するように、と言われています。ニュースは異常でなければ成り立たないという性格があり、圧倒的に悪い残虐なニュースが多い。異常な映像を見続けていると、見ている子どもも異常になるのは当たり前だと。

私は、この考えに共感できるから、見せるテレビや映画の内容は子どもにふさわしいものをと思っている。

一昨夜、ハスちゃんカメちゃんが広島にいるいとことスカイプでお話していて、4年生のいとこが、「クラスに乱暴な子がおる。2人。先生に暴力ふるった。悪い子は5人くらいかな」と話していた。

今日から俺はがオンエアされてから、小中学校で暴力事件が増えていないか、アンケート調査を実施したいと思った。もれなくその先生に暴力をふるった2人は見ているんだろうな。その2人も、無意識に脳内に残っている暴力シーンを再現してしまったんだろう、と私は思う。

1年生のいとこも今日から俺はを見ていたみたい。家庭環境が安定していて、十分に愛情を注がれていて安心感がある子なら、大丈夫なのかもしれない。けど、日ごろからうっぷんが溜まっている子どもへの影響がこわい。