日記と作文

どんぐり倶楽部の糸山先生曰く、小学生はインプットのみでいい。ひたすらインプットインプット。アウトプットは、自然に子どもの内側から表現したい何かが溢れ出てきてからでいいということ。

学校が大好きな作文や日記(絵日記)はアウトプット。子どもの感性はすごい。大人以上に毎日いろいろ感じて考えている。けれども、それを表現する能力がない。思いを表現する文章力がない。だから、作文を書きなさいと言われたら、○○をしました、楽しかったです。またやりたいです。と2行で終わってしまう。

糸山先生は、感想文は愚の骨頂。大人でも、さて映画を見に行って感想文を書きましょう!と言われたら、見に行きたくなくなりませんか?と仰っている。確かにそう。本は大好きだったけど、読書感想文は大嫌いだったなぁ。目次とあとがきだけ読んで書いてたけど(笑)

というわけで、わが子にできるだけ作文や日記は書かせてない。自ら望んで書く場合以外は。小学校は本当に日記を書かせることが好きですね。しかも毎日書かせる。私は文章を書くことが好き。だけれども毎日日記をつけなさいと言われたら嫌になる。書きたいことがある時に書く。このブログだって、1か月書かなかったり、書きたいことが溢れてきて毎日書いたり、それでいいと思っている。

毎日日記を書きなさいと言われ続けた小学生が、楽しんで書けているか?100%楽しんでない。自信がある。将来文章を書くことが好きな子にはならない訓練をしているようにしか思えない。担任の先生には私の考えをしっかりと話し、理解して頂いているので、ハスちゃんやカメちゃんは日記を書いていません。ハスちゃんはお手紙や漫画、ショートストーリーを書くことが好きです。書きたいと思った時に自発的に書いて欲しい。カメちゃんはそもそも字を書くことが得意ではないから、自ら文字を書くことはまずない。けれども、夏休みの宿題の絵日記(毎日書く絵日記ではなく、教室に掲示される1枚だけ) は楽しみにしていました。 “絵日記1枚だけ?2枚書きたかった~”なんて言っているカメちゃんが微笑ましかった。日記に対して、いやだなぁという感情を持っていないだけで幸せです。

鹿児島県の不思議。夏休みの宿題で、小学1年生にも1200字の作文を書かせる事。1学期にやっとひらがな、カタカナを学習し終わった6歳の子どもに、1200字ですよ。狂気の沙汰。1学期最後の学級懇談会で、担任の先生から夏休みに1200字の作文を書いてきてくださいと言われた時、頭が?????正直者なんで、「先生、息子は書けないですよ、1年生に書けないですよね?それは、親がやってくださいねということですか?」と質問をしたら、困った笑顔で「ハイ」と仰いました。変な場所ですね、小学校って。

カメちゃんは、1年生の時に無理やり生活作文を1200字書かされようとして、数日間登校拒否しました。この経験が今に生きてる。カメちゃんに作文書かせたら学校に行かなくなる可能性がありますよ!と先生に伝えたら、まず無理やり書かせる先生はいない。だって、作文より毎日学校に登校する方が何倍も大切だもんね。

生活を味わうということ

夕日

11月に入って、学校から5時に家に帰宅するよう、プリントが配られた。
この地域の父兄は、学校が決めるルールをよく守る。
学校が子の安全を考慮して、帰宅時間を通達するのは全国一緒だろうけど、
その上で、各家庭がうちは6時までいいよ、とか特別ルールを作るのが普通だと思ってた。
だからこの地域、私にとっては少し息苦しい。

5時のチャイムが鳴ってもまだ明るいので、
カメちゃんは「まだ遊びたい」と不満そう。
だから、ハスちゃんカメちゃんと11月の初めころ、5時から散歩をしていました。

ちょうど、5時過ぎだと夕日が沈む前の時間です。
ハスちゃんが理科のテストで朝日が出る方角を間違えていたから、
何気に質問してみた。

夕日
お日様、今日もありがとう

夕日は、どっちに沈むんだっけ?
「あっちー」とハスちゃん。
ということは、あっちは西だね。

じゃあ、朝日が昇るのは?と質問すると、ちょっと考えて、
「あっちー、あっちが東!」
と、学校で勉強したことを、生活の中で実体験しました。

うん、これこれ。

糸山先生がいつも言っている、実体験の大切さ。
予習は必要ないけど、準備学習はする。
準備学習とは、生活の中で、親子の会話の中で行うもの。

授業で勉強するよりも、実体験の方が身に付くよね。
実体験と授業がリンクしたら、一番いい。
今は、その実体験が少なすぎて、子どもの思考回路ができていなくて、
学校の授業(整理学習)が成り立たなくなっていると。

それを感じた一コマでした。

先生

カメちゃんは入学時、ひらがなの読み書きはできなかったし、もちろんさんすうのお勉強も一切させていなかった。年長のカメちゃんを見ていて、私はまだこの子には小学校でお勉強させるのは早すぎると感じていた。カメちゃんは、何かどんくさいところがあったり、周りの空気を全く読めなかったり、天然で天真爛漫で野生、そんな感じの子。
私はカメちゃんのそういう所がむしろ素敵だと思っていた。 多分”天才”ってこんな感じなんだろうな、という無限の可能性を感じさせてくれる子でもある。

学校に入ったら、そんなカメちゃんの持ち味を消されてしまうのでは、という怖さがあった。で、1年入学を遅くしたらどうだろう、とか考えていたくらい。

かっこいいでしょう?

奄美大島でも秘境といわれる田舎の、小さなちいさな小学校に入学した。担任の先生には、カメちゃんの成績は気にしないから、勉強が嫌いにならないようにして頂きたいとお願いした。1年生は2人。唯一の同級生は自閉症だったので、 さんすうやこくごのお勉強は カメちゃん1人で受けていた。

入学して「お勉強いやだ、ぼく遊びたい」「さんすうと、こくご、きらい、やりたくない」としばらく言い続け、時間割を見て、今日は行かない!と休んだ日もある。担任の先生には、カメちゃんが算数と国語が嫌だと言って学校に行きたくないと言っていると、ちゃんと伝えた。そして何度も何度もこう伝えた。

“カメちゃんが今算数や国語ができなくても問題ないので、できるようにしようとしなくていい。先生はやるべき授業内容をさらっとして頂くだけでいい。カメちゃんが理解してなくても今はそれでいい。とにかく、計算や漢字をたくさんやらせることは控えて下さい。勉強嫌いになるのが怖いので。結果(成績)については親である私が責任をとりますから安心してください”

国語算数は、一人で授業を受けていたから、先生は多分不本意ながらも私の願いを受け入れ、やるべき内容をやり、時間が余ったら、カメちゃんが読みたい本を読んでいいとしてくれた。これはありがたかった。だから、何とかカメちゃんは勉強嫌いにはならなかった。

じゃじゃーん

それどころか、テストの点数もめちゃくちゃいい。学校ではカメちゃんは才能発揮することはできないだろうと思っていたから、これは驚きだった。カメちゃんは1度説明したらすぐに理解できる子だと先生も言ってくれた。で、できてしまうと、先生はもっと、どんどんやらせようとするけど、それをしたらカメちゃんは、嫌がる。その嫌な部分を阻止できてよかったのかも。

感じたのは、私の子育て方針を先生に理解して頂くことのむつかしさ。先生は、とにかく計算も漢字もたくさんやらせたい。単純反復で身に着ける、という考え方。だから、私が計算や漢字をたくさんやらせないでください、と言うと、きょとん?とした反応が返ってくる。理由を含め何回か話すと、ようやく少しわかって下さるという感じ。先生って、真面目に勉強してきた人達だから、余計に伝わりにくいんだと思う。

自主学習

ハスカメカフェ

学校の先生が”自主学習”という言葉を発すると、ぐったりする。

私にとって”自主学習”とは、
自分で疑問や課題やを見つけて、自ら考え、深く学ぶこと、であってほしい。

私が考える自主学習を行うためには、ある程度の自由が必要だと思います。
自由というのは、誰にも指示されず、自分がやりたいように過ごす時間。
子どもにとって、ぼーっとする時間はとても大切だと思っています。

なのに、今の学校は自由時間を奪うほど、児童に何かをやらせたがるし、
放課後は、親が習い事なんかで子どもを忙しくする傾向がある。

あと、子どもが放課後自由時間を奪われるNo.1が宿題。
楽しくない、やりたくないことだから、どうしてもダラダラやってしまい、時間がかかる。
朝から学校でたくさん勉強してきて、やっと解放された!のにね。かわいそうに。

そして、4年生くらいになると、プリントやドリル、日記などの決められた宿題プラス、
自主学習という課題を出す先生が多い。

普通の宿題だけでも終わらすのが大変なのに、その上自主学習をさせるというのは、
私としたら、謎。

ハスカメカフェ
ハスちゃんカメちゃんが、カフェを開きました

自主学習は何をしたらいいかわからない、とある親子が悩んでいた。
仕方がないから、その日に学校で勉強したことを、復習して行ったら、
「それは自主学習ではありません」と言われたらしい。

自主的に学びたいと思ったことを勉強する、のでは不十分で、
何でも良いから題材を見つけて、それについて調べたり、調査したりして提出させたいってこと?と
私は”怒り”すら感じた。

そして学期末の懇談会。
自主学習で何をしたらいいかをいつも子どもが悩んでいます、とその母親が発言した。
先生は、「疑問に思ったり、不思議だなと思ったり、そんなことを見つけて、勉強してほしいんです。
勉強って言われてやるだけでは意味がないって思うんで、自主的にやってほしいので」と仰った。

だったら、子どもに普通の宿題を出すのをやめたらいいのに。
自主的に何かを勉強するためには、自由な時間が必要なのに。
その時間を奪っておいて、何という発言。。。
呆れました。

植松努さんのブログー失敗について

植松さんのブログは、いつも大いに共感し、その鋭い分析、適切でわかりやすい説明に感動する。

以下、Facebookで植松さんがアップされていた記事は、
私が子育てをしながら感じていた違和感を、説明してくれたもの。

愛する我が子を悲しませないために、失敗を未然に防ぐ保護者が多いです。

失敗させないのは、簡単です。

(1)何もさせない
=何もできなくなります。

(2)過去に成功したことだけさせる
=成長できなくなります。

(3)誰かの指示通りにさせる
=思考力を失います。

失敗を禁ずると、
何もできなくなり、成長できなくなり、考えられなくなる。

そういう人達は、
なにをしていのかわかりません。

こうなっちゃってる大人、沢山います。
会社の経営者でも、そういう人沢山います。
そういう大人は、そういう子どもや後輩を量産します。

どんなことも、最初からできる人間はいません。
赤ちゃんは、歩けないところからスタートします。
つかまり立ちをはじめた赤ちゃんに、
「転んだらどうするの!危ないからやめなさい!」
と言う親は、あんまりいないと思います。
それがなぜ、子どもの進路相談や、夢の話になったら、
「失敗したらどうするの!」になるのかな。

「失敗したらどうするの!」と質問するのではなく、
「どんな失敗が予測できるかな?それを防ぐにはどうしたらいいかな?もしも失敗したときには、どういう対策をすればいいかな?」を考えて、準備すればいいのです。

いま、景気の不透明感を感じてる人は少なくないはず。
日本を牽引してきた自動車産業も急激に変化してるし、
大手銀行も大量リストラを発表したり・・・
漠然とした不安を感じつつも、でもどうしていいかわからない、という経営者は沢山います。
でもそこで、うろたえていても、状態はよくならないです。
予測して、準備する。ただこれだけで、
漠然とした不安は消えていきます。

どうか、お願いだから、失敗を禁止しないでください。
失敗を責めたり、罰を与えたりしないでください。
それをやってると、社会は衰退します。

失敗を予測して、準備する。が大事です。

(引用終わり)

ハスちゃんは、広島のごく普通の小学校に2年間通いましたが、
学校に行きたくない、と登校拒否したことがあります。

その時、「学校、楽しくない。全部禁止、禁止で嫌だ。」と言いました。

1年生の時ブランコを立ちこぎしていたら、「それダメだよ」とお友達に注意されたみたい。
立ちこぎなんて、めちゃめちゃ小さい頃からやっているのに、何で今禁止なの?と
ハスちゃんは思ったのでしょう。私も思いました。

ぶらんこ
ぶらんこくらい自由にさせてよ

先生に確認すると、「危ないから」と。
そこで私は違和感を感じました。でもまだ、植松さんのブログ記事に出会う前だったから、
上手く説明ができなかったんだけど。

自分は立ちこぎできるかどうかくらい、子どもが判断すればいい。
やってみて怖かったらやめればいい。
できないけど、やりたいと思ったら、上手な子を観察したり、教えてもらってもいい。
それくらいのこと、禁止にしないで、子どもに任せればいい。

じゃないと、”危険”を察知する能力も育たないだろうし、
自分の能力を把握できず、自分で何も判断できない子になってしまうと思う。
私はそんな子どもにしたくない。

ガジュマル
できるかできないか、自分で考えたらいいじゃない

そんな思いで子育てしてると、結構浮いてしまうのが今の現状。

100点

100点満点

どんぐり倶楽部式子育ては”普通”ではない、
というか、どんぐりをよく理解して実践している人にとってはもちろん”普通”なんだけど。

例えば、子どもが学校のテストで100点を取ってきたら、普通の親だと大喜びし、子どもを褒めて、ご褒美のおこづかいなんかを与えたり、という感じだと思いますが、
どんぐり式だと、100点のテストを持って帰ったら、あえてノーコメントで片づける、という感じ。

私が理解している理由は、こんな感じ。

100点が良いもの=完璧主義者になる危険性がある。
人間は完璧であるはずがないから、完璧主義者にならないように育てる。
完璧主義者は間違える事を恐怖と感じるから、絶対にダメ。

間違ったところ=お宝で、そこが成長できるポイントであるから、
間違ったところを大切にする。
0点でもいいんだよ、というスタンス。

そうしたら、子どもは間違えていいんだ、とのびのびと学べる。
間違えることが怖くなったら、発言も、質問も、発見もできなくなるよね。

カメちゃんは、野猿のような、自由奔放、自分の思いに正直に生きている子だから、小学校には不適合なんじゃないかと思っていた。
けれども、結構できる。

100点満点
時計の読み方、100点満点。すぐに片づけました。

100点すごいね、って言ったら、100点以外は凄くないって思われたらいやだから、何にも言わなかったし、カメちゃんも100点のテスト、自慢もしない。
良い感じかも。

1年生で時計の読み方を習って、意外と苦労する子がいるんじゃないかな。
姉のハスちゃん、年少の時からお友達とお手紙交換をするような子で、
カメちゃんより断然言語能力が上だった。
でも、時計の読み方を学校で習って、テストで間違えてるのを見て、
そんなの間違えるの?なんで?と驚いた。

そして、日常生活の中で、時計の読み方を教えてこなかったことに気付いた。
机上での知識として教えられるだけでは、子どもは理解し辛い。
実体験と、机上の勉強がリンクして、初めて体感できるのでは?

それに気づいて、意識して毎日の生活の中で、ハスちゃんと一緒に
時計を見るようにした。
「今は何時?」「30分テレビ見ていいよ。何時まで見て良いかな?」
と生活の中で時計を読む練習をした。
そしたら不思議と、1週間くらいで時計の読み方は大丈夫になった。

カメちゃんはその時、年中さんでしたが、私とハスちゃんの
“生活の中で行う時計の読み方講座”を聞いていたわけです。

カメちゃんは、保育園時代に自然と時計の読み方は完全マスターしていたから、
学校で学び、テストがあっても、難なくできたんだね。

週に1度、どんぐりの良質の算数文章題に取り組み、
ゆっくりじっくりていねいに生活を味わうだけで、大丈夫なんだ、と
自信がついてきた、今日この頃。