幸せの秘訣

カメちゃん、最近色々あった。仲良しのお友達が、母親にカメちゃんから一方的に嫌がらせを受けているだの、カメちゃんが高圧的で怖くてやりかえせない、だの、話したことで、その母親から確認のお願いがあって、確認するとそのほぼ全てが嘘だったという話。

息子が嘘をついたことが許せないという母、しかし、なぜ息子が嘘をつかなければならなかったかは完全無視。何を言っても通じないので、もう一線をおくことにした。大人が子供のいざこざに首を突っ込まないこと、これって本当に正しいなぁ、と、子どもの世界を傍若無人に引っ搔き回して自分が一番正しいみたいな顔をしている人とやりとりする中、感じました。

カメちゃんはそのお友達と、また何事もなかったように過ごしている。もしかしたら以前とは違う感情がどこかにあるかもしれない、その子の家にはもう近づかないかもしれない、でも、学校や帰り道では普通に過ごせている。子供って素晴らしい。大人はいかんね、もう頭こりこりで過去の嫌なことを水に流せない。。。

カメちゃん、七夕のお願いごと、「しあわせになれますように」にしたって。色々あるけど、大きなお願いにしたって。もうカメちゃんは幸せだから、叶ってるね、といったら、うん!って言った。

カメちゃんのように、まっすぐ、感情に素直に、さっぱりと生きることが、幸せのコツだなぁ。

学校嫌の波

ハスちゃん、学校いやだ、行きたくないの波、第何波かもう覚えていないけど、また来ました。今回は、私にとって意味のある、大きな波だったと思います。

今月から?みんなで長縄チャレンジというのが始まって、週3回、3分間×2回のチャレンジをするらしい。ハスちゃん、これがどうしても嫌みたいで。ハスちゃんは運動神経がいい、縄跳びも長縄もできる、なのにどうして、そんなに嫌がるのか不思議で。できることは、やればいいじゃない、と言ったら、「できる、と好きかどうかは別なんだよ」とハスちゃんにキレられた、ハスちゃん誕生日。

その長縄チャレンジを担当している先生から電話があり、お腹が痛いから休むというのが続いていること、飛びたくないなら、他の役割、数を数える、とか、感想文を書く、とかをお願いしてもちゃんとやらない、注意をしたら「どうして〇〇しなければならないんですか?やりたくないです」とハスちゃんが言う、ということで、困っている様でした。

私は正直に、ハスちゃんがどうしてそんなに長縄を嫌がるのかがわからないんです、と伝えた。長縄が嫌なわけじゃないと思うんです、自由に飛ぶのだったらいいけど、強制命令されることが嫌なんだと思う。と。

このチャレンジは鹿児島県の「体力アップチャレンジかごしま」という取り組みで、 「みんなで力を合わせて,自分たちが目標とする記録に挑戦し,運動することの楽しさや達成感を味わおう!」 ということらしく、1年続くらしい。トップダウンの取り組みを楽しめないハスちゃんなのであーる。

主体的で対話的な深い学び、はどうなった?

長縄チャレンジがある日は4時間目から行く、と言って昨日はお休みしたハスちゃん。もうそれでいい。子どもの気持ちよりもそのチャレンジを重視するのが学校だよ、もうお付き合いしなくてもいい、と私も腹をくくった。

学校に行かない選択をしたらいい、と思う。それでいい。もう6年生。これ以上学校にハスちゃんの持ち味、個性をつぶさせない、そう思った。

今、今日1日を楽しく、それだけ積み重ねてゆこう。

手段と夢を取り違えないこと

昨夜読んだ、植松務さんのブログで子どもたちからの多数の質問に彼が答えているんだけれども、秀逸な答えで全部大きく頷いてしまう。その中でも、以下の質問への答えが、最高だった。

<質問>努力は裏切らないと言えますか?

<答え>努力は裏切らないです。ただ、間違った努力をしてる人が多いです。
間違った努力とは、手段と目的を間違えることです。
中には、目的を考えないで、手段を追いかけることを目的にしている人も多いです。
そういう人は、あとから、「努力したのに無駄だった」なんて言います。
実は、進学も就職も手段のひとつに過ぎません。
残念ながら、日本では、進学や就職を夢だとして追わせてしまう大人が多いです。
そういう大人もまた、進学や就職を夢だと思い込まされた人達です。
ぜひ、間違った努力を、なるべくしないように気を付けて「今自分が追いかけているのは、手段かな?夢かな?」を考えるようにしてみてください。

手段と目的(夢)を勘違いしやすいこと、これ、あるある。私も今、幾度となくこれに陥りそうになる。必要なタイミングで重要な情報が届く。感謝しかない。

ハスちゃんい合いそうな中学校を見つけて、まさかの中学受験をしようとしている。けれども、その学校の入試対策として塾に通ったり、勉強漬けにさせるのは違う。その中学校、入れたら素敵だけど、それは手段。ハスちゃんの未来を輝かせるために手段の一つにすぎない。その中学校がダメだったら、違う手段をみつけることができる。その中学校に入ることを夢、目的にしてはいけない。そう誓ったよ。

親に嘘をつくこと

カメちゃんの同級生S君の母親、仲良くしている方から連絡があった。昨日S君の消しゴムがものさしで切ったようなギザギザの跡がついていて、それどうしたの?と聞いたら、カメちゃんにやられたと言った。今まで消しゴムが割られたり、鉛筆がおられたりしていたけど、子供のことだから親が口を出さないでおこうと思っていたけど、ものを大切にしないことを懸念 しているからカメちゃんに確認してほしいと言われた。

カメちゃんに確認したら、「それS君自分でやってたよ。ケシバトする時に勝つために、水でぬらしたり、チョークの粉をつけたりするんだけどね、ものさしで消しゴムをギザギザに切れ目を入れたら滑らなくなるかも、ってS君けずってたんだよ」と教えてくれた。

S君が嘘をついていた。S君のお母さん、がっかりして、怒るだろうなぁと思って、気が重くなった。

思った通り、お母さんは嘘をついて人のせいにしたことが許せない、と言った。そして物を大切にしないこともダメだと言った。彼女は正しい、けれども、S君が嘘をついたのは、お母さんに怒られたくないから。本当の事を言ったら、ものを大切にしないのはダメ!と怒られると思ったから。だから嘘をついた。そこを話したけど、理解をしてもらえなかった。

私とは違う価値観を持っている人。人として道徳的に正しいことを子供に教え、そのような行動を求める人。正しいことを言っているけれども、でもいつもS君の気持ちが置き去り。

S君が消しゴムをものさしで切ったのは、ケシバトで勝つための工夫。勝ちたかったんだよ。その気持ちを無視して、物を大切にすることを押し付けることは、どうなんだろう。

親に本音で話せないこと。嘘をつくこと。怒られたくないから。私はそれは幸せではないと思うんだけど、伝わらなかった。それが悲しい。

主体的で対話的な深い学び

2020年からの新学習指導要領で、主体的で対話的な深い学びということが大きなテーマとして謳われた。主体的とは、自由のなかで獲得すること、対話的とは、同じ目線で向き合って話し合うことだと思うから、学校現場で行われていることと真逆のことを掲げてしまっている。これが実現したら最高だけど、教育現場ではどうこれを実現するのか、てんやわんやの状態だろうと思っている。

数日前に思いついたのだけど、学習指導要領でこれを謳っているということは、先生達はそれを実現しようとしている子どもを妨げることはしてはいけないはず。使える!

校長先生が、みんなが漢字があまりにも書けないのを知って、たくさん書かせようとしたから、ハスちゃんはたくさん書かせることは良くないと思うということを話したって。たくさん書くと作業になる、終わらせることが目的になる、何度も同じ漢字を書いたら点を書き忘れてることも気づかず、間違った漢字を何度も書いてしまうこともあるから、と話したら、校長先生は納得して、自分で漢字を書く回数を決めていいことになったって。

来週から、教頭先生がハスちゃんの臨時担任になる。100マス漢字ノートを準備するようにと週報に書いてあった。ハスちゃんに、このノート準備しろということは、たくさん漢字を書かせるつもりかもね、と話したら、大丈夫、ハスちゃんがちゃんと話をするという。頼もしい。成長してるね。

校長先生は子供の話をよく聞いてくれる人だけれども、教頭先生はどうだろう、子供の意見を聞いてくれるかなぁ、と話して、もし子供の意見を無視して、言われた通りにやりなさい!と言われた場合、先生にこう伝えてみて、と提案した。

先生、私は主体的に考えて、漢字をたくさん書くことに意味がないと発言しました。先生、私の考えを否定するのではなく、対話をしてください。と。

まともな教師であれば、ドキっとするはず。

年下の男の子が呼び捨て名前を呼んでいいと言うから、ハスちゃんが呼び捨てにしてたら、先生にさんをつけなさいと注意された、と言う。そんな時も、その男の子と私は対話をして、その子が読んでほしいという呼び名を主体的に使う事を選びました。と先生に話せばいい。

いろいろ、うまくいけばいいなぁ。

対話

夕食を作りながら、youtubeでエドカフェという、元大空小学校校長の木村先生と教育者が語り合うシリーズ動画を見ています。

木村先生の口から出てくる子どもの体験談は、毎回涙してしまう。言葉が出ない自閉症の子Mちゃんと、他の学校に適応できなくて転校してきたものの、心が開けず、お友達には暴言しか吐けないAちゃんの交流の話は、滝のように涙が流れた。

対話というテーマの回だった。対話には、言葉を使わない対話もあるという話で。暴言しか吐けないAちゃんが、クラスメートと仲良くできなくて休み時間、教室に一人で残っている。一人で泣いている。その様子を見ている言葉が出ないMちゃん。そして突然Mちゃんが手につばをペッと吐いて、Aちゃんの顔にべったりつけた。Mちゃんは「やめてよ、きたない!」とMちゃんの顔を見た。初めて目があったMちゃんは、ニヤリと笑った。

それをきっかけに、AちゃんはMちゃんの存在をよりどころにして、学校で自分の居場所を作っていく。修学旅行もMちゃんと一緒の班がいい!とAちゃんは言ったそう。

私はまだ見ていないけど、大空小学校のドキュメンタリー映画がある様で、その映画の中で、運動会でMちゃんが女の子に手を引かれて走る場面がある。映画を見た人は、やさしい女の子が自閉症のMちゃんを助けてあげている心温まる場面だと思ったかもしれないけど、実は、その女の子がMちゃんに助けられているという背景があるんです、と木村先生。

私の涙腺は崩壊。

相手を納得させるような論理的な話し方などは、テクニックとして教えられるけれど、このMちゃんの言葉を使わないAちゃんとの対話こそが、本物だと思うと聞いて、私は目が覚めた。

ハスちゃんが行けたらいいなと思っている中学がある。それには受験が必要だ。作文で自分の考えを表現したり、面接で自分をアピールすることが大事、そこにちょっと首ったけになっている自分がいた。

私は、ハスちゃんの人間力を単純に高めていく。この1年で。それだけ。少しだけ作文の時に使えるテクニックみたいなこととか、自己PRの練習もすると思うけど、塾通いして受験対策するとか、テクニックを身に着けさせるということはやりたくない、そう強く思った。

親の希望

学校が好きではないハスちゃん、とにかく授業が楽しくないというハスちゃん。もう小学6年生。このまま公立中学校へ行くという選択は、ないかなぁと感じている。先生から教えられる知識や解法を覚えて、テストで点を取ったら評価される、という今の学校の勉強し方が、ハスちゃんには楽しくないんだから。低学年の時はそんなこと言わなかったけど、4年生くらいからかな、授業が楽しくないと言い始めた。

そんな中、ある公立の中高一貫校に興味を持った。最近よく聞く探求型の学びを取り入れた学校。公立だけれども全国から受験が可能。定員に対し倍率は約10倍の難関。入試問題は知識を問うものではなく、基本の学力を使って考える力、思考力を問われる難問。

年長さんの冬から、どんぐり問題だけに取り組んできたハスちゃん。地頭は育っている、考える力はあると思う。けれども、基本的な学力の低さが否めない。

ハスちゃんにこの学校のウェブサイトを見せて、こんな学校があるよと紹介したら、ここに行きたい!と言った。入試問題を見せて、こんな問題が出て、考えることができる子だけが行けるんだよ、と話して、この学校に行きたいんだったら、準備、努力することが必要だよ、と話した。

私はがぜんやる気になった。入試である適性検査の問題をコピーしたり、難問である適性検査への対策の仕方を調べたり、かなりハードルは高そうだけど、リサーチして準備することにわくわくした。

それなのに、ハスちゃんにはそんなにやる気が感じられない。努力しないと普通の公立中学校に行くしかないんだよ!わかってるの?と腹立つ私。この学校に行くために塾通いをする子が多い中、うちでは週2回のどんぐり問題を丁寧に行う、こと、小学生新聞の天声こども語を読むこと、これくらいしかやらない。なのにハスちゃんは、先週どんぐり問題すら週2回するということが守れなかった。かなりご立腹の私。

何度言ってもゴミをゴミ箱に捨てられないこと、靴下が脱ぎっぱなしであること、などが目に入って、さらに私を怒らせる。ハスちゃんが大嫌いになってしまった1日があった。1日寝たらヒートダウンできたのだけど、親って怖いなぁと実感した。

子どもの幸せを願って、願いすぎて、自分がよいと思う進路へ進ませたくて、そこに入ることにストイックに努力させたいと思ってしまう。そして思い通りに勉強しない子どもに対して、怒ってしまう。

これって、いい高校、大学に入学出来たらあなたは幸せになれるんだから、勉強しなさい!という私が毛嫌いしている親、そのものじゃない!と自分に突っ込みを入れて、深呼吸。

もちろん、ステキな中学校に通えたら素晴らしいけど、私とハスちゃんは、今まで通り、毎日を丁寧に暮らし、週2回どんぐり問題をして、様子を見ながら入試の前にちょっと対策をする、くらいで行こう。毎日が幸せであることを最優先にしていこう。と考えたのでした。どんな未来でもいい。

どんぐり倶楽部の教育講演会in長野県

糸山先生が期間限定で公開されているこの講演会の動画を見て、ハスちゃんが年長さんの冬からどんぐり問題に取り組み、小学校に入学してから宿題免除を申し出て、高速と大量計算をどうにか回避させようとがんばったこと、などが走馬灯のように蘇ってきた。

一言、どんぐり倶楽部に出会えたよかった。糸山先生、ありがとう。というとてつもない幸福感を感じた。そして、6年生になったハスちゃんにもこの講演会の動画を見てほしいと思った。遊ぶお友達がいない放課後、見せようと思った。

そしたら昨日の放課後、遊びに行かないと言った。チャンスー!!と思って見せた。初めはだらーっと聞いていたハスちゃんだったけど、内容が、自分が今までやってきている学習方法についてだったから、途中からは集中して見てた。糸山先生の言葉、全てが納得できるんだよね。

どんぐり倶楽部式に子育てをするということは、世間から一線を画す、超少数派で、時には変な親という評価すら受けることだった。子どもにとっても、周りの親とは全くちがうことを言ってくる自分の親について、不思議だな、変だなと感じることもあっただろう。特にメディア制限は嫌だっただろうなぁ。現在継続中だけど。

そんな中、6年生、最後の仕上げの1年、私がなぜどんぐり俱楽部式で子育てすることを選んだのか、その神髄をハスちゃんにもしてもらいたい、糸山先生の言葉を聞いてほしいと思って、講座を見せた。1時間余りあり、長い動画だったけど、楽しかったーと言っていた。

そして、朝が苦手で全然起きられないハスちゃんが、昨夜は「明日の朝は早起きする」と6時に目覚ましをかけ、6時半に起きた。特に何するわけでもないけど、早起きがしたくなったって。自分が今までやってきたことに、自信を持ってほしい。早起きはそんな自信の表れかなぁ、なんて、私はうれしくなった。

お友達宅で感じた事

超小規模校、僻地に住んでいてのデメリットといえば、遊ぶお友達の数が少なくて、いつも遊ぶお友達が用事があって遊べない場合、遊ぶ相手がいないということ。自由な外遊びを思う存分楽しんでほしいと願う私としては、そこがネック。

先週末、土曜日、日曜日、それぞれ少し離れた地域に住むお友達と約束して、遊びに行った。梅雨であまり天気がよくないから基本は室内で過ごすことになったのだけど、どちらのお宅も室内にいるとゲームやスマホ三昧。ウチでは触ることができないゲームやスマホを興味津々にのぞき込むハスちゃんカメちゃん。

ゲーム機スマホは買い与えておらず我が家ではハスちゃんカメちゃんは全く触らない。テレビ視聴が週に2時間と制限付き。週末お邪魔したお宅ではどちらもゲーム機やスマホに触れることへの制限が全くなく、触りたいだけ触る、という状況だった。こちらから遊びに行っておいてなんだけど、ちょっと苦しいというか、居心地の悪さを感じるポイントではあった。子どもに悪影響があると分かっていることを無制限でやらせる環境。これはとても危険な状況だと感じた。

一緒に遊ぶお友達がいなくて、暇であっても、我が家でぼーっとしている方がいいかもなぁなんて思ったり。お友達と会うのは外がいいかもね。

土曜日にお邪魔した家庭には4歳児のやんちゃ坊主がいて、うちのカメちゃんと激しい遊びをしていた。4歳児と対等に楽しめるカメちゃんってすごい。その4歳児のお父さんから「カメちゃんってうちの4歳児と同じきらきらした目をしてる」と言われて、うれしかった。

「小学4年生でこのきらきらを維持しているのってすごいでしょう?」と言ったら、「うん、すごい」と。その会話を聞いていたカメちゃんは、「え?何がすごいって?他のみんなはきらきらがなくなるの?」と聞いてきて。あぁ、本当に素晴らしい。

「ぼくね、授業中に先生につむじを押してもらったら急に字がたくさん書けて、授業がんばれるようになるんだ」と今朝カメちゃんが言っていた。でも何度もつむじを押してくれと頼んでいたら「もういいです」って先生に断られたって。きらきらした目で「本当に不思議なんだけどつむじ押してもらうとがんばれるんだよ」と言って登校しました。

どんぐり倶楽部のすごさ

ハスちゃんは6年生。どんぐり倶楽部でいう、最終仕上げの大切な年。私の対応が悪くて、どんぐり問題したくないという2週間を経ての今。今は、最後の大切な年、あなたが一生使える思考回路を作る最後のチャンスの年、その思考回路を作るための唯一と言っていい方法がどんぐり問題を解く事、だから本気で取り組もうという空気が出来てきた。

カメちゃんが公民館の将棋教室に参加している間、図書館でハスちゃんはどんぐり問題に取り組んだ。

問題を見て、「ママこの問題おかしいよ」という。問題を読むと、確かになんだか変、答を出すための情報が足りてないと私も感じた。ごくまれに問題にミスがあることがあるからインターネットで検索してみたら、難問ではあるけれども全国のどんぐらー達が取り組んでいてミス問題だとは書かれていない。

ハスちゃんに、この問題おかしくはないみたい。だからとにかく絵を描いてみようとだけ伝えた。私自身、この問題変?という思いが抜けないながら、ハスちゃんは絵を描いた。そして、ママできた!とハスちゃん。答はあっていた。

ハスちゃんに、どうやったらわかったの?と聞いたら、絵を見ながら説明してくれた。けれどもその説明が理解できない私。苦笑。ずいぶん前、4年生くらいの時に抜かれたなぁ、超されたなあと感じた思考力だけれども、まざまざと突き付けられた。どんぐりすごい!すごいのだ。

私はどんぐりすごいと思うけど、私自身はどんぐりをして育たなかった。普通に宿題をし、受験をし、興味のあることは勉強もした。成績はいい方だった。でも圧倒的にハスちゃんの思考力には適わない。宿題もしていなくて、放課後は自由、習い事もなし、それでこの力。圧倒的で感動的。

絵を描くこと、目で考えることの素晴らしさを再確認した日。そしてどんぐり倶楽部にであえたことに至上の幸福感を感じた日。あぁ、少しずつでもどんぐり倶楽部をみなさんに伝えたいと思っています。