理解してくれる人がいる

新年早々のブログが、理解されない世界で生きているという内容だった。本当にそう思うことが多い。けれども、理解してくれる人がいる、という幸せな感情に浸れることも多い。

昨日帰省先の広島から奄美大島に戻ってきた。年末に帰省するときにはコロナは落ち着いていたのに、また年始から急激に感染者が増え、広島には蔓延防止が出た。会いたかった人を訪ねる旅行を取りやめ、奄美に早めに戻った。学校から夏休み明けには緊急事態宣言中の地域から島へ戻った児童は1週間の出席停止と連絡があったけど、今回は蔓延防止だからか、学校からの出席停止命令はない。でも、こんな少人数の超小規模校、いなかの集落で、蔓延防止が出ている県から昨日戻った児童が学校に登校するのはいかがなものか、何かあったら全て我が子のせいになるのではないか、そして何よりもできれば楽しくないとわかっている学校に登校させたくない、という気持ちで、自主的に1週間は学校に登校しません、と伝えた。学校長からは、ご配慮に感謝するとの答え。お互いウィンウィンでよかった。

私は誰からも雇用されていない個人事業主だし、コロナに関する考え方も独自路線だし、もはや学校システムからこぼれおちてもいる、本当に自由だ、という話が出来る友人がいる。自分が責任をとれば、本当に最高な自由な人生だね、と共感できる仲間。子供たちも心から楽しく遊べる家族。私は、奄美大島に来て、この家族に出会えた本当に幸せだと思う。この家族の存在が、奄美を去ると決めた私を悲しくさせるという事実もある。

広島に帰省中、空港近くに住むこの友人宅に車を置かせていただいている。いつも空港に迎えにきてくれる。今回は、天然酵母のパンを焼いて、末っ子の三女が初めておやつを手作りして待っていてくれた。なんと温かい家族。

奄美を去ることが寂しく感じる。さみしすぎる。学校以外は最高なのに。

そんな中、新天地でもどんぐり流子育てをしている仲間とのつながりがあり、素晴らしい一軒家を借りられそうだし、その知人がすでに作っている私と同じ考え方を持つ方のコミュニティーがある環境。なんと恵まれているんだ。

今朝も、その新天地での知人から、ハスちゃんがもし新しい中学になじめなくても大丈夫だよ、こんなに他の選択肢があるよというメッセージを頂いて、その選択肢が4つもあるよ、という内容で、なんとも勇気づけられた。そんなに選択肢があるのが、奄美と新天地の違い。

その知人は、学校に合わない子供は、鈍感ではないということ、と書いてくれていた。ありがたい。私も本当にそう思う。鈍感ではない、自分の頭で感じ、考えられる子は、今の学校には通う事が難しい。それを理解してくれる人が、本当に少ないけど、私の周りに入る。

一般的には理解されない世界で生きているけど、本当に少し、10人くらい私を理解してくれる人がいて、私はそれで充分幸せなんだと思った。そして、リアルではあったことはないけど、私を理解してくれる人は、もーっといる。なんだかとっても幸せな気分になった。

理解されない世界で生きている

2022年始まりました。

2021年、最後、コロナも少し落ち着き、実家に戻り2年ぶりに合った友人たちと忘年会をしていて、気づいたことがある。

私は、多くの人に理解されない世界で生きている、子育てをしているということ。共感してくれているけど、本当は理解はしていない人も合わせると、本当に私の子育てのことを理解してくれる人なんて、めちゃめちゃ少数、天然記念物のアマミノクロウサギよりも少ないのかもしれない。

ある友人、この人はとってもさばさばしていてストレート、思ったことを口にする、私は好きなタイプの女性。裏表がなくて、発言が気持ちがいい。はっきりものをいうけど、人を批判はしない感じの人。その人のおかげで、タイトルの私は理解されない世界で生きているんだな、と実感した。ショックを受けたとかではなくて、わかってはいたけど、本当にそうなんだなぁ、という感じ。

ハスちゃんが学校が好きではない、12月はもう学校に行っていない、ずっと休んでいる、いわゆる不登校状態、ということを、できれば口に出さないでいたい。本当に理解してくれると分かっている人だけにしか言わないようにしている。学校の先生以外に、そのことを丁寧に説明する必要は現実的にはない。

奄美大島の公立小学校が、びっくりするほど保守的で、私からしたら時代遅れな感もあり、もう今年度で奄美大島はひきあげようと思っている。その理由を少し説明する必要があって、「奄美の学校がねぇ、いまいちで、楽しくないって言うのよ」と話した。大体の友人は「へぇ、そうなんだね」とか当たり障りのない反応をしてくれる。理解はできないけど、そういうこともあるのね、みたいな感じ。私は理解してもらいたいとは思っていないから、それでいいと思っている。少数派だけど、そうだよね、わかるよ、という人もいる。本当に数人かな。

前出のストレートな女性は、本当に不思議そうな表情をして「え?学校が楽しくない?そんなことってあるの?」と言った。学校って楽しい楽しくないっていう対象だったの?という感じだった。楽しくないから行かないという選択肢はあきらかに存在していないみたい。

そうなんだよなぁ、学校が楽しくない、授業が楽しくない、と言って学校に行かないなんて、本当に変わっている。そしてそんな子供の意見を受け入れて本当に行かせてないなんて、めちゃめちゃ変な親。そうなんだよねぇ。

学校は行くのが当たり前。熱がでたり体調不良の日以外は休まないのが普通。私自身そんな世界で育ってきたから、その空気感は分かる。

子どもが学校楽しくない、息苦しいって言うから、学校行ってないんだよ、ということを、そもそも理解してもらおうとは思わないけど、そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔されるような話なんだな、まだ、と感じた2021年末。

本当の意味で、多様化だったり、主体的で対話的な深い学びが実践される学校が実現されるのは、ハスちゃんカメちゃんもこの世から消えた後かもしれない、と思った。

家族の幸せ

昨日は私にとっては本当に充実した大好きな場所をはしごした休日でした。

近所のレストランに友人が団体で来る、他にも団体予約が入っているみたいと聞いて、夫婦お二人で(私の奄美での恩人)切り盛りされているから、お手伝いに行った。夫婦の人柄ゆえ、あの場所には気持ちの良い方たちが集い、行く度に素敵な方と知り合えるので、手伝いというのは口実で、本当はいつも行きたい。友人が連れてきたメンバーがまた素敵な方たちで、つながれてうれしかった。大した事は出来ないけど、配膳手伝いやお皿洗いなどでご夫婦を少し助けられた気もして、自己満足。

午後は嘉徳浜へ。ここは特別な場所。自然豊かな奄美でも唯一護岸のない集落で、見渡す限り人工物がない。分厚い浜に生き物のような川が行く度に形をかえて存在している。瀬戸内町は、ここに護岸を作ろうとしている。反対、賛成、色んな人の意見が渦巻き、悲しい状況になっているけど、シンプルにこの場所は守りたい、残したい、未来のこどもたちに見せたい、と思う場所。カメちゃんはだしになって砂浜で飛んだり跳ねたり。 ハスちゃんもはだしになって砂浜を歩く。友達と遊びたかった―なんてブーブー文句いいながら連れてきたけど、やっぱり圧倒的な自然の中に解き放つと子どもも大人も癒され、楽しいんだ。

嘉徳を後にして、草ラボで週1伺っている節子へ。鹿児島大学の教授で自然遊びの達人と共に遊んだ。芝生に寝転んで、音を聞き、雲を見て、木に登って。しばらくしたら子供たちはバラけて思い思いに楽しみ始める。私が子どもに求める”あそび”だった。現代の子どもは遊ぶのが下手。遊びの達人先生や大学生たちのナビゲーション、どう遊ぶかの見本を見せると、子供たちはそれをマネする。こういうのいいなぁ、と感じた。奄美には素晴らしい自然があるけれど、自然で遊び楽しんでいる人が少ないんだぁ。

家にかえり、スーパーで買ってきたお寿司とエビフライを食べる時、ハスちゃんが「あぁ、やっぱり家族でこうやってごはん食べてるときが一番幸せだぁ、ずっとこの時間が続けばいいのに」と言った。いろいろ楽しいことしたけど、家族団らんが一番幸せ、と思ってくれるハスちゃん。どんぐり式子育てで得られる最大のメリットだと感じる。

ごちそうさま、と勢いよく立ち上がって一歩踏み出したカメちゃんが、「あ、何か嫌な予感がする。。。」と足を上げる。お寿司とエビフライを買い物袋から出して、卵を出し忘れ、カメちゃんの椅子のすぐ横に置いていた私。卵を踏んづけられて、2つ割れてしまった。ハスちゃんにも、そこに置いておくのがちょっとねぇ、と言われながらもふくれっ面の私。そんな私に「嫌な予感あたったねぇ」と笑うカメちゃん。

幸せだ。

持久走大会にて思ふ

昨日は学校の持久走大会。カメちゃんは意気揚々と登校し、元気に走り、走った後も応援という名の冷やかし?みたいな感じで中学生に並走したり、それはそれは生き生きと楽しんでいた。

一方、ハスちゃんは欠席。持久走いやだ、ママはゆっくり走ったらいいんだよ、と言うけどそうしたら先生がもっと早く、とかもっともっとって言ってくるんだから、嫌だ。と言う。持久走がどうとかそんなレベルではない状況ではある。

12月2日からハスちゃん、完全不登校中。今までは1日休んでガス抜きしたら通えてたけど、今回はもう二度と学校は行かない!と気合が入っている。

持久走大会、学校に在籍する女子生徒5名のうち、3名が欠席。そのうち2名は不登校、1名は体調不良。その1名も私の想像だけど、学校で心を傷つけられての欠席じゃないかと思う。またその件は追って書き記そう。

新年度、教頭以外の先生が全員変わり、おまけに2名担任未配置で始まった。日本全国、学校運営不安定ランキングがあれば恐らく上位10校には入るだろうな、と感じた。でも、今思えばそれが吉だったんだわぁ。恐ろしいけど。

こんな田舎の小規模校で集落との関係も深い中、新しい先生達での新学期。しかも担任が2名足りない中、どう授業をまわしていくか、誰がどうカバーするのか、そして各家庭への説明など、校長はてんてこ舞いであったはず。それが功を奏し、校長は持ち前の管理能力を発揮することはなかった。ハスちゃん曰く、学校けっこう自由で、先生達もあんまり注意してこないから、去年よりまし、そんなに嫌じゃないと言っていた。

1学期の最後に1名、そして2学期の運動会が終わった後さらに1名、大学卒業してすぐの新任教師が配属された。担任がやっとそろった。そこから、校長が持ち前の管理能力を発揮し始めた。んだと思う。そのころから、ハスちゃんもカメちゃんも学校嫌だ、先生嫌だ、と連発し始めたから。

言うなれば、超昭和、子供の感情を一切無視した、精神論を押し付ける。戦時中か?というような発言で生徒に発破をかける。

ハスちゃんが「ママの時代の学校とは違うんだよ、本当に息苦しいよ」と言った。もう本当に学校行かなくていいよ、と思った。

一方のカメちゃん、持久走大会から帰宅して、ハスちゃんに聞こえない場所でコソコソ話で教えてくれた。「あのね、持久走大会終わった後ね、〇〇先生がチョコとクッキーくれたんだよ。あの、船の模様のやつ。うふふ。」という感じで、とーっても幸せそうに報告してくれた。かわいい。無邪気だ。

そのアルフォートだと思われるお菓子をくれた先生も今学期末で退職される。家庭の事情だそうですが、このタイミングで。。。?と。あと、カメちゃんの担任をしている先生も今学期末で終了。3学期はまた2名担任未配置となる予定。普通なら、ありえない状況だけど、その方が校長の管理能力が低くなって、子供のためには良いかもしれない、という、かなり、複雑な状況。

どんぐり問題で培う能力

テレビをあまり見ない私が(子供に制限するから自分も見なくなった)、欠かさず録画しているのが、初耳学のインタビュー林修。毎回面白いけど、森岡毅さんの回がピカ一で面白かった。”本能にぶっささった”

何のために数学を勉強するのか、を説明してくれた。頭を問題にたどり着くために論理的に使う練習をしている。論理的思考の練習。問題にたどり着く問題解決能力を鍛えるんです。

これって、どんぐり問題じゃない?どんぐり問題って、こういうことだよね?と興奮した。

森岡さん自体、これを説明してくれた大人が周りにいなかったらしい。 これ、私高校生の時に知りたかったよぉ。あまりにもこの話が本能にぶっささったから、ハスちゃんに見せたら、めちゃめちゃ納得してた。ママも勉強する意味、色んな事話してくれたけど、初めてちゃんと理解できた、だって。

どんぐり問題に取り組むと、論理的思考ができるようになる、問題解決能力が鍛えられるんです。これって、今必要だと言われている事に合致していると思う。

もう一つ響いたのが、定数という変更できない数値、変数という変化する数値、があって、前者が自分の力でどうしようもない事、後者が努力などでどうにかしなくてはいけない事。叶わない努力をしてエネルギーを浪費し、自分でコントロールできることにパワーが使えない人がなんと多いことか、と。私は要領がいいと自分でも思うけど、変数だけにパワーを注入するからなんだと思った。

自分の子どもだけをただひたすら守る、学校を変えようとはしない、ただ自分の子を守る、それに徹すれば、結構なんとかなるもんだ。

どんぐり座談会に参加して

今日は、私がどんぐり式子育てをするきっかけとなった、どんぐり学舎のさとちゃん主宰のオンライン座談会があった。周りにどんぐらーはいないから、孤軍奮闘するどんぐらーにとって、こういう機会はとーっても貴重。

参加者のみなさん、日本全国津々浦々、家族構成も、ライフスタイルも色々な感じ。それぞれが悩み苦しみ、考え、でもどんぐりに興味を持ち、取り組んでいるんだなぁ、と、心があたたかくなる。

学校から出される宿題をしない我が家は、学校に協力的でない、とか、超小規模校だからそんなことされたら和を乱されて困る、とか、散々なことを言われ、今年度はどんぐらー6年目にして一番凹む経験もしました。まぁ、私がいくら傷つこうが何しようが、何を言われても、じゃぁ宿題させます、とはならないわけで。学校の出方や、状況次第でこちらの考えが変わることはないわけで。人殺しはいけません、くらいのレベル(極端)の信念なのです。

座談会でも話したけど、今年度は初めて温めておいた伝家の宝刀、教育基本法(家庭教育)第十条をつきつけた。泣いたり笑ったり、頭を使って、時間も使って、ハスちゃんカメちゃんを宿題から守った、ヒーロー気分。苦しいタイミングもあったけど、変わらず宿題はやっていない我が家。しなくていいんだなぁ、何言われても、大丈夫、守れるなぁ、と感じています。

座談会でも、やはり宿題が話題に。どんぐらーの宿命ですね、これは。いろんな乗り越え方があるけど、これだけは絶対に言えるのが、子どもにお粗末な宿題は絶対にさせるべきでないから、親が体を張って守るべし。

先日学級PTAがあり、宿題忘れがひどい子の話題になって。先生が、「今度宿題忘れたら連帯責任で全員の宿題を増やすからね、と言ったんです。本当に増やすというわけではないんですが」と言って。。。絶句。いつもは宿題関連の話になったら、固く口を閉ざしてそっぽ向いてる私だけど、この時ばかりは意見しようと口開く寸前までいって、でもやめました。

宿題って、自分の学力アップのためにするもの。何なのよ連帯責任って。宿題するもしないも自分次第、人に関係ないじゃない。宿題の意味がもはや不明。連帯責任という脅しも好きじゃないし、もし本当に連帯責任でみんなの宿題が増やされたとしたら、その子いじめられるぞ!そんなことも想像できないのかな。

宿題って親の責任なんだから、その子を責めるより、親とじっくり話した方がいいと思うなぁ。

楽しくなかった学習発表会

ハスちゃん、6年生。最後の小学校の学習発表会。超小規模校なので5・6年生5名と担任の先生1名で奄美が世界自然遺産に登録されたことを受けて、奄美の自然を守るという題材で創作劇をしました。

今回よかったなぁと思うのは、先生が完全に子供たちに企画演出を任せてくれたこと。ハスちゃんは張り切って台本を考えていました。題名を守るぜ!奄美の自然じから、守るぜぃ!と小さなぃを入れたこだわりや、練習してみて持ち時間が20分なのに尺が全然足りないから、ゆーっくりとセリフを言って、大きな動作で演技するという気づきを得たり。

今年はコロナの影響で春に予定されていた修学旅行が、運動会が終わって、学習発表会の2週前に変更になり、学習発表会の練習が1週間しかできない状況でした。満足に練習できない中でも、小道具も子供たちが作っていた様です。

本番、思った通り、あまり出来は良くなかった。笑。ハスちゃんも日記に書いていたけど、20分の持ち時間があったのに、6分で終わってしまった。面白いとおもったところで全然受けなかった。

帰宅してきたハスちゃん、超不機嫌。「楽しくなかった、全然楽しくなかった」とふてくされている。その不機嫌モード、こっちも楽しくなくなるからやめてよ、学校の行事なんて、そんなもんでしょう、なんて失礼な声がけをしながら、楽しくなかったって、自分たちで考えて作れた劇なのに、何がそんなに楽しくなかったの?と聞いたら、思ったようにできなくて、ウケなくて悔しかったみたい。その悔しさが、楽しくないという表現になったみたいです。

それが分かってから、楽しくなかったというハスちゃんが、何かとても大切な経験をできた気がしてうれしかった。それが分かるまでは久しぶりの親子喧嘩したんだけどね。

普通、20分の持ち時間の劇で5・6分しか尺がないと、先生が色々アドバイスしたり介入すると思うんだけど、それをしなかった。ちゃんと失敗させてくれた。ハスちゃんにそれを伝えて、小学校時代に、思ったように何かを作り上げられなかった経験をさせてもらえてこと、とっても幸せなことだよ。普通は先生が失敗しないように何とかしちゃうからね、と話しました。

もしかしたら、先生もしたくても介入する時間すらなかったのかもしれない、今年は。子供たちにしっかりと失敗させてやろう、なんて考えてはなかったはず。でも、どんな理由であれ、今回の楽しくなかった学習発表会は、ハスちゃんにとって重要な経験になったことでしょう。

地球の宝

カメちゃん、10歳になりました。誕生日だからというわけではないけど、奄美大島、龍郷にあるアダンオンザビーチという、海に一番近い宿に泊まってきました。コロナ渦での観光業支援事業で島民向けの割引企画に当選していたのです。

アダンオンザビーチに泊まった宿泊客は食事の際に少し離れたネイティブシーに行くのだけど、車で送迎してくれます。ハスちゃんカメちゃんが先に外に出ていて、私が準備を整えて車に乗り込むと、運転手の男性がこんな感じで話してくれました。

「息子さんと話してたんですけど、サッカーと野球やるみたいですねぇ、大谷選手を超えましたねぇ。」

これ聞いて笑っちゃった。サッカーと野球やるっていっても、サッカーは近所のお友達と放課後草サッカー、野球に至ってはいとこの野球少年と少しやったことがある程度なんだけど、それを堂々とサッカーと野球やってる、とか言うの、すごい。外人並みの自己主張?自己顕示欲?自己肯定感?。それを運転手さんに笑いながら伝えると、

「いやぁ、いいですねぇ、息子さんの目、キラキラしてて、いいですよ、お母さん上手に子育てされてます、地球の宝ですよ」

と言ってくれた。なかなかの褒め上手。でも本当にカメちゃんの目はキラキラしていて、いつも好奇心にあふれていて、楽しそう。幸せそうなんだよね。私が上手にカメちゃんを育てられたのは、どんぐり倶楽部のおかげ。カメちゃんの資質、特性を邪魔しないこと、邪魔してくる大人、得に学校に対して、極力その害を少なくする努力をしてきたこと。それくらいだなぁ。でもそれが出来なくて目の輝きを失っている子どもが山ほどいるんだもんね。

カメちゃんは、地球の宝だね。

かなりモヤモヤする 追記

遠足の山登りの際の服装のこと、学校に連絡した時の反応でかなりモヤモヤした。結局は、長ズボンを履いていいということになったのでよかった。けれども、服装について、全員体育服、だの、標準服だの、小学生をみんな一緒の服装で縛ることが私はモヤモヤする。いろんな子がいるから。その子と親がその子に最適な服を選べばいいと思う。あんまり派手だと。。。というコトであれば、色指定くらいは許そう。なんて、ね。

奄美最高峰の湯湾岳へ行くのに、頂上まで行かない事に驚き、ハスちゃんに話したところ、彼女から驚きの見解が返って来ました。

「みんなね(ハスちゃん以外)山とかに行ってもね、楽しくなさそう。フィールドワークしても、まぁ去年も聞いたこととか知ってることしか教えてくれないから面白くないしね。質問は?って言われても誰も質問しないし。山歩いてもね、無言でただ歩くだけ、楽しくなさそう。私は楽しいけど。だから、山頂まで行く変わりに、早く公園に移動してみんなが楽しめるレクリエーションをたくさんするってことになったんじゃないかな」だって。

ハスちゃんの見解、一理ありそう。先生達は子供たちが楽しめる様に考えて計画を練ってくれたのかもね。それを私は勝手にモヤモヤして申し訳なかった。でもねぇ、山を楽しめない状態の子どもをそのままにするのは。。。山の楽しみ方、自然の中での楽しみ方を教えられる先生がもはやいないんだろうなぁ。由々しき事態。そしてそれに気づいている教育者や親があまりにも少なすぎる。。。

私が大好きなブログ、篠先生が書かれている文章の一端

そして、自然の中で遊ぶためには考えることが必要です。ですから、考えることが楽しくない子は自然の中では遊ぶことが出来ません。でも、家の中での遊びでは考える必要がありません。ゲーム機やテレビやおもちゃがあるからです。

自然は子どもに合わせてくれません。だから、子どもが自然に合わせる必要があるのです。その時に考えるのです。またそれが楽しいのです。だからいつまでも遊ぶことが出来ます。

兎にも角にも、考えられる頭を持った人間が少ないということかしら。

かなりモヤモヤする

小学校の秋の遠足で、奄美最高峰の湯湾岳へ行く。学級PTAで、世界自然遺産に登録され、今後は自由に出入りすることが難しくなると予想されるので、このタイミングで行きたいと考えています、と先生が仰っていた。ハスちゃんカメちゃんは友人家族と登ったことがあるけれど、地元の子達は行ったことないだろうし、お友達と山登りって楽しいし有意義だと思う、いいじゃん!と思った。

ハスちゃんが持ち帰った遠足プリントに、服装は体育服と書かれている。小学校の体育服は短パン。山に行くときの基本は長袖長ズボンだろう。。。と感じる。ハスちゃんは得に虫に刺されやすく、刺された後がただれて跡が残る、何らかしらのアレルギーがあるように感じている。だから学校に電話した。

遠足の服装ですが、山へ行くので紺の長ズボンを着用させていきます。よろしいですか?と尋ねたら、教頭先生に「あ、でも山には登りませんよ」と言われた。どういうこと?「え?登山口まで行ってそれで終わりなんですか?」と聞くと、「いいえ、フィールドワークが主で、少し登りますが、山頂まで登るという感じではありません」だと。少し登るのであれば長ズボンで行かせます、と言ったら、担任から連絡させますと言われた。

この会話の後、私の頭の中ツッコミの嵐。まず衝撃だったのが、山へ行くのに山頂を目指さないということ。奄美最高峰といっても、たいして高くない。694m。2つある登山口の宇検村側からは1時間。遠足なんだからそれくらい歩いてもいいでしょう。少し苦しいくらいの運動をした後の山頂、気持ちいいでしょう。達成感あるでしょう。。。そしてもう一つの大和村側からは15分で登れる。確かに湯湾岳の山頂は狭くて、みんなで山頂に立つと言う感じではない。けど、一応山頂へ行って、そのすぐ近くにある広場でお弁当食べるだけでもいいと思うんだけど。結構楽に登れる山の山頂を目指さずに、ふもとでちょっとフィールドワークするだけって。。。何がしたいの?と違和感。

あと、親が山へ行くときに子供に長ズボン履かせるということに対し、はいどうぞ、と気持ちよく答えない、気が乗らない返事、本当に意味がわからない。子どもの健康や安全が一番ではなく、学校が決めたルールを守らせること、みんな同じ服装に統一することの方に重きが置かれている。

あぁ、早くこの学校という何を目指しているのかよくわからない世界から逃げ出したい。久しぶりに思った。私は、尊敬できる先生、指導者がいる世界に行きたい。