いじめ対応ヒントーたのしいを大切に

ハスちゃんのいじめ問題、ハスちゃんから話を聞いて学校に報告し、ハスちゃんが再登校するまで1か月の戦いだった。1か月で何とかなってよかった、いじめを機にずーっと不登校になる子もいることを考えると、1か月は短いともとれる。けれども、いじめられた子と親にとっては暗黒の期間。本当に苦しい経験。

ハスちゃんから報告を受けてから2日間くらいは、何をしていてもいじめ問題のこと、ハスちゃんの苦しさを考えて涙が止まらなかった。堪えられなくて、カメちゃんの前でも涙を流した。そんな状況下で学校と教育委員会に報告をし、信頼できる知人にも話した。

数日経つと涙が流れることは少なくなったけど、ふとした時に泣いてしまう、中学校の近くを通ると胸が痛む、そんな感じだった。学校も教育委員会もいじめ問題に麻痺しているのか、どうも鈍い。そんな感じの対応が悔しくて、むなしくて、腹が立って。

とにかく我が子がいじめで傷つき、学校に登校できなくなる、という状況は本当に苦しい。そこの一点集中してしまうと、もうやりきれない。心が病んでしまうと思う。私が何とか正気を保ち、戦い抜けたのは、日々たのしい事をしていたから。

“たのしい”ってすごい、偉大。

カメちゃんを迎えに行って、校庭で元気に遊ぶ様子を見ながら、教育方針が似ている保護者とおしゃべりすること、毎日とても楽しい。

薔薇の花びらを集めて瓶につめたり、ポプリにしてトイレに飾ったり、青梅で梅シロップを作ったり、季節の仕事をすることも楽しい。

大好きな藍染の布でカーテンを作ったこと、部屋のあちらこちらに藍染の布を飾る事、楽しい。

ハスちゃんは、とにかく漫画を読んでいたなぁ。漫画、漫画、漫画の日々。楽しそうだった。

生活の中でたのしいことが沢山あって、楽しいことしている時間はいじめ問題のことを忘れられる。いじめ問題が私とハスちゃんにとって全てではない、ただ単に一部分に過ぎない。できることをやって、それでもうまくいかなかったら、逃げて、次の道を探そう、そう思ってたから。だから、病まなかった。

私は楽しいと思う事をする才能がある。楽しいと思うことはすぐに行動に移すし、楽しいことを貪欲に求める気質。それが、トラブルに巻き込まれた時はとても私を救ってくれる。苦しいこととも向き合うけど、楽しいことに視線を移す、気を紛らすというか、楽しい方に意識をむける感じ。これ、幸せに生きる秘訣だなぁ、と今回感じた。

加害者に反省の色なし

ハスちゃんはいじめ被害にあって1か月学校を休み、6月1日に再登校し、今日も元気に登校している。ハスちゃん、親も、おそらく先生もとりあえず一山超えてホッとしているところ。

なのだけど、昨夜夕食の席でハスちゃんが以下のように話してくれた。「あのね、これ直してほしいとかじゃないんだけど。帰りの会で数人が順番に前に出て話すんだけど、そして誰かが話した後、クラスのみんなが拍手するの。で、私が話した後、いじめ加害者の2人がね、とっても小さい拍手、するの、嫌々みたいな。で、他の人が話した後は、普通に拍手するの。」

「ぷっ」私、吹き出してしまった。「いじめ加害者の2人、反省のはの字も感じられないね」と言った。ハスちゃんも、それが嫌というより、ちょっと面白かったらしい。加害者の男子の方なんて、話す人が仲いい人ほど元気に拍手して、ハスちゃんの時はぶすっとしてエア拍手みたいな感じらしくて。ハスちゃんは「小学校低学年レベルだよね」と言っていた。

今のところ再登校から、その二人から嫌なコトを言われたり、されたりはないらしい。けれどもこの話を聞いてはっきり分かった。この二人全く反省していないし、自分たちがしたことがいかに非人道的で許されない行為であったかを理解できていない。

学校から加害者二人のご両親には、二人の言動が理由で学校に来れなくなっている生徒がいる、と報告をして頂いている。どちらのご両親ともに、ハスちゃんの状態を心配して頂き、登校できるようにしなければいけないとお言葉を頂いたらしい。お二人のご両親がその後どんな話をお子様にされたかは知らないけど、根本的な解決はできてないなぁと、加害者二人の今の様子を聞いて感じた。

いじめ問題が発生した時、学校側はとにかく関係修復を目指したい様子だった。どうにかこうにかして仲直りさせたい、そんな感じ。私はそれをお断りした。謝罪もいらないと言った。先生は私のその態度に対し納得できない様子があったなぁ。だって、先生、12年かけて人を傷つけられる人間に育っているんだよ、ちょっとやそっとで改心できるはずないし、人格が変えられるとは思わない。だから、謝罪と仲直りは求めない。

ハスちゃんは、「あの二人、私に対して悪い態度をしようと思ってるわけじゃなくて、無意識でそうなってるかもな」と言った。確かに、もう意識的ではなくて無意識にそうなってる可能性もある。ハスちゃんの洞察力はすごい。無意識でそういう行動をとってしまうなんて、もう調教するのかなり難しいよね。

悪口陰口無視などの被害はくなった。けれども、まだ火種はくすぶっている気がする。注視していこう。

いじめ、アメリカ

アメリカ在住の大学の先輩に、ハスちゃんと私が経験したいじめについて、メールでやりとりする機会があった。

奄美にいると思っていた私が何で広島に今いるの?というところから会話が始まり。カメちゃんをイエナプラン教育校に転入させるために、と話したら、いわゆる”progressive education”ね、と言われて。進歩的な教育、という意味らしいけど、なんだかカッコイイ!と思った。笑

アメリカ在住の先輩Yさんもその”progressive education”を実践しようと、娘さんが13才、息子さんが11歳の時に引っ越しを経験したそう。そして、娘さんが”いじめ”被害にあったそう。ハスちゃんと同じ、陰口暴言無視、といういじめ。ネットへの書き込みなどにも相当悩まされたみたい。

そして驚いたのが、アメリカのいじめ対応もそうとうイケてないこと。校長にいじめについて話したら、いじめ加害者は「言ってないっていってるわよ」と言われたらしい。同じ!日本もアメリカも同じ!校長という立場がそうしてしまうのか、あのアメリカもいじめ対応は同じで全然ダメなんだなぁと、びっくり仰天。

学校とは、学校の最高責任者の思考はユニバーサル、ということを思い知った。私が何とか学校側にいじめを認めさせ、最低限必要な対応をしてもらえたのは、録音データの存在かな、と感じている。

子供がいじめられていると思ったら、確固たる証拠を押さえるコト。悪口陰口という類のいじめであれば、録音すること。これ、一番大事。

ハスちゃん、ついに友達ができるの巻

学校不登校から6月1日に登校し、ハスちゃんは本日も元気に登校した。昨日はなんと寝坊して、しかも荷物の準備もしていないから、お友達とのお約束の時間に間に合わないという失態。。。必死で準備してお友達を追って登校して行った。今日は昨日の失敗を活かし、少し余裕を持って準備が出来て、お友達が来る時間には玄関の外に出ていた。迎えに来てくれたお友達とあいさつを交わすハスちゃんを見て、心があたたかくなる。じんわり、じんわり、涙腺がゆるむ。

1か月休んでからの学校復帰1日目はとても緊張していた。行きたくないと言っていた。でも、休んでいる間に美術部への入部届を書いてたし、学校へ行きたい気持ちはあった。ひたすら一人だったもんね。ずっと一人。近所のお友達が会いに来てくれて笑顔になれて、その子達が一緒に学校に行ってくれること、嬉しいね。

昨日は同じクラスでハスちゃんと漫画の趣味が同じ子を見つけた!と嬉しそうに報告してくれた。「今度一緒に買い物行こう」なんて話したみたい。あぁ、私は嬉しいよ。学校生活に求めるコトは、そういうところ!よかったよぉ。趣味の話ができる子がクラス内に出来たなんて、もう学校に行かない選択をすることが難しいよね。同世代の仲間、大事だね。

入学してすぐいじめにあい、2か月も独りぼっちだったハスちゃん。お友達作るのが得意なリーダータイプのハスちゃんが2か月お友達作れないなんて、まさかだわ。。。と心痛めていた日々よさようなら。

今日朝ごはんを食べながらカメちゃんがハスちゃんに「やっと友達できたね」と私からしたらギョッとする無神経発言をした。ハスちゃん怒らないかな?とドキドキしてたら、「友達、なのかな。。。」と自信なさそうに言う。「友達だよ、やっとじゃなくて、つーいーにー、だよ」と私が行ったら、嬉しそうに頷いた。

親は危険なコト、物、人から子供を守ることはできる。安心させてやることが仕事。でも、もはやハスちゃんを笑顔にしてるのはお友達。親の出る幕、終わった。あぁ、うれしいやら、さみしぃやら、複雑、だけど、よかった。

ハスちゃんの大きな一歩

今日は忘れられない1日になった。
ハスちゃんが、1か月ぶりに学校に登校した。

周りの大人ができる限りの工夫をして、学校をハスちゃんが安心できる環境に整えた。

けれども、しばらく登校していないから行ったら注目されそうで嫌、やっぱり、行きたくないな、とハスちゃんは昨日の夜言っていた。不安だよね。

この地で生まれ育った私の友人が、我が家の近所に住む同級生の女の子の保護者にハスちゃんがいじめに合って不登校になっていることを話してくれ、先週末、同級生の女の子2名がハスちゃんを訪ねてくれた。1か月ぶりに同世代の女の子と話して、仲良くなれるかもしれない感じもして、ハスちゃんは興奮していた。親がしてあげる事なんてもう、何もないのね。ハスちゃんを心から元気づけられるのは、お友達なんだね、と感じた。

私が「よかったね♪」と言ったら、ハスちゃんが「ずっと一人だったから(すごくうれしい)」と笑顔で言った。

その同級生の女の子たちが、もしハスちゃんがまた学校に行くときは、一緒に行こうと言ってくれて。それが大きかった。7時半に迎えに来てもらう約束をして、それがハスちゃんの登校を後押ししてくれた。お友達と一緒に登校するハスちゃんを見て、ホッとした。うれしかった。

「ずっと一人だったから」と言ったハスちゃんを思い出し、今朝、お友達と一緒に登校して行った姿が、幸せ過ぎて、涙腺が崩壊してしまう。

お友達と一緒に登校、がこんなに心の琴線に触れることになるなんて、なんだかすごい経験をさせてもらった気がします。

ハスちゃんも昨夜、あんなに退屈で楽しくなくて学校嫌いだったけど、今考えたら、平和だったなぁ、と奄美の生活を振り返っています。退屈で平和、が幸せだと気付いた模様。

親子共々、強烈で大切な経験をした1か月でした。

親の仕事

カメちゃんが作った俳句が毎日子供新聞新聞に載った。全校生徒の前で報告されて、鼻高々だったみたい

体力テストのシャトルランで校内1番だった。昨年1番だった6年生に勝ってクラス中が騒然としたらしい。

「俺のことみんな覚えてくれたと思うよ」とカメちゃん。「出木杉くんじゃん!」と言ったら、「あーでも漢字テスト0点だった」って。「あと俺は勉強だけだなぁ。。。勉強がダメ」とポツリ。「えぇえええええええええええええええええええええ!」衝撃の発言。

そこから私は全力でカメちゃんは勉強できる子、本物の学力があるから大丈夫と説明した。漢字テスト0点の息子に、あなたは勉強できるのよ!と必死でお話する親、傍から見たら変な親だなぁと思うけど。 漢字テストなんて0点でも大丈夫、やる気になったらいつでもリカバリーできるし。我が家にはどんぐり問題があるから(^^♪

私がどんぐり倶楽部に出会ったきっかけが、敬愛するどんぐり学舎の泉先生のウェブサイト。その泉先生きっかけで知ったブログ、篠先生の森へ行こう(心とからだと子そだてと)。また本日も全身全霊で納得の内容だった。

https://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/202205300000/fbclid=IwAR1iJANKf4GqvqONJcbyiLFcKra-W1YsX8Bgy-XbquFp1rrK5U9cjkcNoQM

何よりも家庭教育が大事だと感じていたけれど、こんな風に言語化していただけるのがありがたい。

山村留学で奄美大島へ行ったけど、子どもだけを行かせる里親型には興味がなく、親子移住型にこだわった。きのくにに代表される素敵な学校にも興味があったけど、子どもを寮に入れたくなかった。だいだらぼっちも素敵だと思ったけど、私は子どもを他人に預けることは嫌、一緒に生活することにこだわった。

一緒に生活して、学校生活が酷くても、家庭でリカバリーする。どんなにひどい事を先生やお友達に言われても、親が打ち消す。時には守る。

子どもが”自分は勉強できない”なんてとんでもないセリフをつぶやいた時に、全力で「そんなことはない!」と説得する。笑あぁ、こういうことだなぁ、親の役割はと。

イエナプラン教育校は素晴らしいけど、でも漢字テストによってカメちゃんは自分は勉強ができないと思ってしまった。

親は子供を守れる。人間性、人として大切な価値観を育てること、そこを他人任せにはできないってこと、大切なこと。

スマートに

イエナプラン教育校、では一斉授業というものがほとんど無くて、与えられた課題を自分でプランし、取り組むというブロックアワーがある。

今まで一斉授業で4年間過ごしてきたカメちゃん、初めてこのブロックアワーのシステムを知った時、「すごいんだよ、自由なんだよ」と喜んでいた。けれども終わらない課題が増え続け、先生もすべての課題を終わらせること、どう終わるかを指導することを重要視していたから、ストレスで押しつぶされた。先生にお話して、できることをできるだけやる、できなくてもいい、できないことに対する指導を控えて頂いた。先生は理解してくださり、ブロックアワーに対する考え方を少し転換された様。おかげでカメちゃんは今、成長している。

「ママ、僕ブロックアワー楽しくなった。どんどん楽しくなってるよ」とカメちゃんがいった。どんな風に楽しいの?なんで楽しくなったんだと思う?と聞いたら、

「スマートにできるようになった」と言う。へ?スマート?とちょっと笑いをこらえながら、スマートってどんな感じ?と聞くと、

「スマートにすぃーって感じ」と、言った。うん、なんだかいいイメージだね。すいーっとやりたいことを終わらせていくことが出来て、楽しいと思えてるんだね。

6年生で卒業するころに、上手にできるようになればいいんだからね。ゆっくり丁寧にね。と声掛けした。あんまりスマートにやられるとね、それは作業にならないか?と心配になる。

スマート、なんてどこで覚えたんだろう。初めて聞いたわ。

教師のセオリー

娘がいじめで学校に行けなくなる、という最悪な状況下ではあるけれども、頻繁にやりとりしている担任の先生、教頭先生が、本当に素敵な人たちで、こんなことがなければ、この方たちの素敵な部分を知ることもなかったかもな、とそう思うほど、人間性が素晴らしい先生達で、ハスちゃんとも、不幸中の幸いだねと話している。

ようやく学校が相手のご両親にこのいじめに関して報告し、担任がクラスでアンケートを実施したり、その結果を踏まえてクラスで話したり、という私が考える最低限やるべきことが行われ、昨日学校側から報告を受けてきた。

相手の保護者への連絡がここまで遅いこと、私は不信感を持ったし、警察もダメですね、と言った。もしかしたら、相手の保護者に連絡しないで事が静まればいぃなぁ。ハスちゃんが少し休んで元気になってまた登校してくれたら万々歳、みたいな願いは学校側にはあったはず。

けれども、担任の先生がこういう問題対応をする際の”教師のセオリー”がありまして、と説明してくれて。そのセオリーをこの問題に適用する意味が全く理解できない、頭ん中?で埋まったようなセオリーだったけど、そういうものが教師間には存在していることが分かった。なんでも、いじめを訴えてきた子が、実は加害者であった、ということがあるから、慎重に状況判断する、みたいなセオリーだった。

確かにそんなこともあるだろう。だから、そのセオリーをもっとスピード感持って、1週間くらいで出来ないもんか?そんなゆっくりゆっくり慎重に対応されると、ハスちゃんの教育を受ける権利が侵害され続けるのに。学校の最上位目標は、全ての子の学習権の保障であってほしい。

学校は、ハスちゃんのことを一番最優先に考えて、動いてきました、という校長先生のお言葉は、「そうは思えませんし、事実そうではないですね」と反論させて頂き、学校側もそれを認めてくれた。でも、それ以外は、学校への不信感が少しずつ消えてゆくような話ができた。何より教頭と、担任が素晴らしい。校長先生は実のところ、よくわからないけど。

話の最後に、教頭先生が「我々のセオリー、ちょっと見直さないといけないな」と仰っていた。こんな素敵な方でも、こんなことがないと気付かないのねぇ。学校って、世間の常識から外れた世界で動いているみたい。

いじめ相談は警察へ

4月27日に学校へいじめに関する報告と要望書を提出してもうすぐ1か月。やっと本日学校が加害者の親へ報告するそうだ。

まさかと思いながら5月14日に加害者親への連絡をしたか確認したら、まだしていないと返答を頂き、してくださいねと要望。17日にスクールカウンセラーとの面談の日にもまだ連絡していなかった。どうなってるの?と不信感が大きくなっていった。

決定的な出来事が起こった。学校側が、私がいじめの証拠として提出した録音データを持っていることが加害者の親に知れたら、危ないかもしれないと言った。
関わると危険かなという家庭もあります、みたいなことを言う。怖いと思った。

シンプルに、ハスちゃんをいじめた子の親が本当にヤバい親、暴力的な方?もしかしてヤクザ?だったら思うと怖いし、裏をかいて、学校が私をちょっと驚かしてその音声データを封印させたいと考えたのであれば、それも怖い。どっちにしても怖い。

シングルマザーとしてハスちゃんカメちゃんを守っていかなければいけない、しかもハスちゃんはいじめで傷ついている。私、何かあったら2人を守れるかな、と不安になる。

得に夜が怖い。妄想が炸裂してしまう。こんな風に怖がらせるのが目的だったのか?それともあんな発言が相手を怖がらせるとは思っていなかったのか。真意はわからないけど、怖い。

まだ独身の頃、警視庁に勤めていて喫茶店を営んでいる知り合いがいて、その方からこんな話を聞いていた。
「みんな警察には何か事件が起こってから来る。そうじゃなくて、少しでも身の危険を感じたら警察に相談したらいいんだよ。不安に思ったら話を聞いてもらうの。警察側としても事件解決の手がかりとなる情報はありがたい。具体的に情報を与えておけば、何かあった時の初動(捜査での初めの動き)が早いから」

ちょっと迷ったけど、警察に行った。警察の方は忙しいだろうし、悪口陰口無視のいじめの話なんか管轄外じゃないかな、何より警察に行くって何だか気が引けたけど、行った。結果、大正解だった。行ってよかった。

学校、教育委員会、いじめの報告したけれども、いじめを認めたくない風、得に教育委員会は事務的な対応だったから、今回はより一層事務的な感じになると思った。けど、全然違った。生活安全課の少年課といういじめなどを専門に扱う方が対応してくれて、なんと2時間も話を聞いてくれた。

今回のいじめに関して相手を訴えるとか指導をお願いするということではなくて、録音データを持っていると危ないと言われたことが怖い。相手の方がどんな方か分からなくて怖い。不安に思っている親子がいるという情報提供をしたいだけ、何かあった時、役立ててくださいと伝えて話始めた。

学校側が相手保護者に連絡をしていないこと、おかしいですね、と言ってくれて。未成年者が何かしてしまったらすぐに親に連絡すべきですね、と私が当たり前だと思う発言をしてくれる。うれしかった。学校と教育委員会とのやりとりで、常識が通じない、とても気持ち悪い価値観の中であーだこーだ話してきたけど、ようやく通常の感覚で話せる人が現れて、それが警察だった。

現状では情報提供をするだけでいい、と私は言ったのだけど、警察の方が
「この話を聞いて警察として何も行わないということはできない。学校に警察から連絡をしてもいいですか?」と言った。びっくりした。こんな事で警察が動いてくれるの?と。

お話する中で警察の方が、昨日も事件があって現場に行っていた、いじめでの自殺も起こっている、と話されていて、この人達は、いじめられて苦しみ命を絶つ若者の悲惨な現場を見てきているから、だから私やハスちゃんのことを理解してくれるんだ。暴力をふるわれたり、お金をとられたり、肉体的な被害を受けていないいじめの辛さも理解してくれるんだ、だから助けてくれ様とするんだ、と感動した。

学校がそんな対応をしていたらいじめは増える一方、黙っていられない。警察から指導させてもらいます、と私と話してすぐ後に学校へ連絡を入れてくれたようだ。トラブル報告からのこの対応のスピード感よ。これだよね、これ。学校や教育委員会の鈍さが際立つ。

そんなこんなでやっと加害者の親への報告が行われるようですが、ハスちゃんのことを思ってとか、加害者を立ち直らせようとか、そういうんじゃなくて、警察から指導を受けてやっと、保身の為に動いた、ということですね。

学校や教育委員会にいじめ相談しても埒が明かない。「それはいじめ、とは言わないかなぁ」なんて言われるだけです。警察の生活安全課でいじめを得意としている方へ相談することが、ベストアンサー!かもしれません。

いじめの定義

学校は”いじめ”の存在を認めたくない。そりゃそうだろう。気持ちはわかるけど、だからいじめが無くなるどころか増える一方なんだ。被害者に寄り添ってくれそうなスクールカウンセラーでさえ、ハスちゃんのこの件はいじめとは呼ばないと言っていた。

尾木ママの著書「脱いじめ」論に、いじめの定義について以下のように書かれている。

85年文部省が発表した”いじめの定義”には「学校として事実を認定しているもの」という文言があった。いじめかどうかを判断するのが学校であった。
94年にこの文言が定義から外されて、「本人の訴えがあればいじめと確認する」に変更された。ただし、「自分より弱いものにたいして」や「相手が深刻な苦痛を感じているもの」はそのまま残された。この定義はまだいじめっ子の側に立った定義であった。
2007年、いじめの定義の主語がいじめられている子になった。「当該児童生徒が、一定の人間関係のあるものから、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」と改められた。

いじめられた被害者が辛いと思ったら「いじめ」と認めるということになったんです。そして文科省は 「いじめられた児童生徒の立場に立って」対応することと書いている。この文には注釈があり、いじめられたとする児童生徒の気持ちを 重視することである。 とさ。

スクールカウンセラーの発言からも分かるけど、学校がこの件をいじめと認識しようとしていないことは明白。ハスちゃんが通う学校は今年度新規開校した新しい学校。でも、いじめの対応は、85年度の定義の感覚のままのようです。全くいじめられた児童生徒の立場に立っていないと感じています。

世の中でいじめられて苦しみ、先生に訴えても、君にも悪いところがあった、それはいじめじゃない、と言われたとしたら、この定義を突き付けてほしい。