読書メモ 友だちってなんだろう

佐々木正美さんの著書「子どもへのまなざし」は、ハスちゃんカメちゃんがもう保育園に入った後出会った本で、子育て関連本で最も深く共感し、ハスちゃんが産まれてすぐ出会いたかったと思う本。

どんぐり学舎のさとちゃんが、佐々木先生の本を紹介してくれていたことがきっかけで、最近また佐々木先生ブームが来ている。図書館で借りられる中で興味を持った数冊を借り、読破している。

同級生との友達関係がうまく築けていないハスちゃんのことが頭にあり、「友だちってなんだろう」を読んだ。この本は佐々木正美さんと岡崎勝さんの共著。
その中で佐々木先生が語る子供にとっての”遊び”がやはり、グッとくる。

先生がストラスブールに行った時、泊まったホテルの前の公園で、毎日子供たちが大きな声で暗くなるまで遊んでいたそうで。そんな風景を日本では見なくなって何年経ったかな、としみじみ思い、そんなことを思いっきりやらせてくれる場所が日本にあったら、塾の2倍くらいのお金を払ってでも、子供を通わせたらいいのに、とその時思った、と書いてあり。

あぁ、これだよなぁ。と。
奄美では、同じ校区の子供たち、小1から中3まで、時には未就学児や高校生も、遊べる子たちが5時6時まで自由に遊ぶ文化があった。もちろん保護者の見守りはなく、子供たちがどこで何してるか全く知らない状態だった。夕方暗くなって、満足した顔でただいまーと帰宅する日々。時には泣きべそをかいてママーと帰ってくる日もあったなぁ。

今、カメちゃんは素敵な小学校に通っている。けれども、放課後や土日に子供たちが自由に遊ぶという文化は無い。子供にとって遊びが大事だと思っている
親が約束してどこかに集まったりして、遊ばせている。奄美の学校はうちには合わなかったけど、学校外の生活はよかったなぁ。

佐々木先生が昔カナダに留学した時、小学3年生くらいまでは教科書やノートを家に持って帰ってはいけなかった。家に帰ってまで勉強をさせないように、という考えだったそうで。どうしても勉強がしたい人は、4年生まで待っていなさい、と先生が言うんですって。佐々木先生は、”見識の深さというものを感じました。日本の 先生や親に聞かせたいです”と書かれているけれども、この部分に深く感銘を受けた。低学年から塾に通うより、たーくさん遊んで、勉強するなら4年生からね、と言う方が、 どんなにか学ぶ楽しさを教えられそう。。。

ヴィゴツキーという心理学者の「子どもはなぜ遊ぶのか」という研究、ヴィゴツキーは、研究する中で膨大な数の遊びを観察しているうちに、その理由に気づいたと。

以下引用

子どもは遊びの中でルールを作り、ルールを守り合うことが遊びの質を高め、感動を高めることを学ぶ。そして遊びの中で役割を分担することも学ぶ。役割は仲間の承認を得て演じる。
役割には、それに伴った責任がある。子どもはその責任を果たすために、一生懸命努力する。単に快楽のためだけに遊んでいる子どもはいない、と言うのです。
つまり、責任ある役割に何がしかの満足できる活動ができた時、子どもは感動し、その感動を仲間と分かち合う。また失敗した時でも、いい遊び仲間というのは必ず慰めてくれる。
そしてそういう一連の遊びの中に、倫理・道徳・社会性というようなものを自然に身につけていくプロセスがある。子どもがこういう遊びをしっかりと十分にすることなしに、健全な
社会人になることはないだろう。ヴィゴツキーは、はっきりとそう結論づけています。

この研究、本当に大事なことを言っていると思う。佐々木先生は、倫理・道徳性が社会の中から消えつつあるという現実は、子ども時代の遊びが少なくなっていることと関係しているのでは?と、遊びを一生懸命推奨してきた。けれども、勉強を推励する人に比べて、遊びを推励する人はインパクトが弱く、中々受け入れられなかった様で。大人、親が、子供が遊ぶことで大切なことを学ぶんだという確信がないのが問題だ、と書かれている。

その通り。
私が今後取り組みたいこと、やはり、子どもにとって遊びの大切さをできるだけ多くの人に理解してもらいなぁ、と再認識した。

そのままでいいよ、ハスちゃん

「あなたはそのままでいいよ、いいからね」とこの数日頭の中で何度も唱えている。ハスちゃんに対して、学校という組織が苦手で、同級生と楽しむことができず、学校が終わったら飛んで帰ってきて、いつも一人お部屋で何かしていて、休日外出することもなく。。。なんだか、かわいそう、せっかくの青春なのに、お友達と一緒に過ごしてほしい、なんて、勝手に心配していた私。

夏休みはほぼ私の実家で過ごし、私とカメちゃんだけ奄美旅行に行ったけど、その間も一人実家に残ったハスちゃん。同級生とは仲良くなれていないけど、2歳下のいとこや、3歳下の近所の子とは楽しそうに遊んでいた。私が彼女に臨む自然体験はパスされたけど、彼女は自分で考えて自分の休暇の過ごし方を選択して。奄美から帰宅したら、ギューッとハグして、嬉しそうに微笑んでくれた。夜寝る時も、抱きついてきて、かわいぃやつだと思った。そんな夏休みを過ごし、なんだかハスちゃんはそのままでいいんだなぁ、と漠然と感じていた。

昨日はアート療法士のMちゃんがハスちゃんと会ってくれて、ハスちゃんは私よりも精神的に成熟しているよ、と言われて。同級生と話が合わないのはもう仕方がない、と、本人も私も感じていたことを、客観的に教えてくれて、納得しかなくて。今までは何だかやきもき、心配する気持ちが渦巻いていたんだけど、今はハスちゃん、自分の精神性に合わない場所(学校)にいるの、苦しいだろうな、大変だろうな、よくバランスとって頑張ってるなぁと、ちょっと尊敬と、労りの気持ちが大きくなって。

2学期に向けて、ハスちゃんのことを気にかけてくれている担任の先生と話す機会があった。Mちゃんからの言葉を先生に伝えると、先生もハスちゃんが多くの同級生と合わないというところ、納得されていて。ハスちゃんが同級生に対して発する言葉にドキっとすることがあるみたいで。同級生の発言に対し、否定的な意見をぶつけていることもよくあるとのことで。急に中学から転校してきて、ハスちゃんの面白い顔を知らないまま、そういう理攻めで論破してしまう感じだと、正直ハスちゃんって怖いと思っているようなクラスメートもいます、とのことだった。

Mちゃん、先生と話せて、なんだかハスちゃんを取り巻く状況がよく見えてきた。

先生と話した後、ハスちゃんにこんな話聞いたよ、と伝えたら、以下のようなエピソードを話してくれた。「音楽の時間、アルトリコーダーを吹くとき、私はすぐに上手にふけるようになるけど、上手に吹けない子に合わせて授業するから、できるのに何度も何度も同じところを吹かないといけない。できない子に合わせるのが嫌だと言ったら、同じ班の子1人は同意してくれたけど、他な子に理解されなくて、「はぁ?!」とちょっと切れ気味な反応が返ってきた。私は自分の意見を伝えたい、わかってもらいたいと思っただけなんだけど」

日本の学校って、平均レベルにみんなを持っていこうとする風潮がある気がする。できる子にとっては授業も簡単で、退屈。ハスちゃんは学校が退屈すぎる苦しみを味わい続けている。このままではハスちゃんの向上心だったり、才能を生かしてあげられないなぁと感じている。

担任の先生は、よく私の話を聞いてくれて、理解もしてくれる素晴らしい方。できる子が楽しめるような授業のスタイルを先生たちにはもっと工夫して頂きたいと伝えたけど、それに対する反応は鈍くて。。。

同級生と話が合わなくて、思ったことを発言したらちょっと怖いと思われたり反感をかったり、学校も楽しくなくて、でも、それでいい、と心から思えた夏休み。ハスちゃんはそのままでいい、そう思った。

ハスちゃんアート療法を受ける

ハスちゃんがいじめられて1か月不登校になった時、近所に住む友人が2人、一人のアート療法士さんを紹介してくれた。ハスちゃん、会ったらいいよ、と。その当時、ハスちゃんは家で落ち着いていたし、知らない場所に知らない人に会いに行くということを嫌がりそうな気がして、会いに行かなかった。

そのアート療法士さんに、偶然参加することになった講座で、参加者としてご一緒することになって。すぐに打ち解けて、仲良くなって、ハスちゃんの話をしたら、ぜひ会いたい!と言っていただいて。その療法士さんの方から何度か今日はどう?とか言っていただいて、有難い限り。そして今日、アート療法士Mちゃんとハスちゃんの初対面となった。

細かい部分は端折るけれど、ハスちゃんの状態、安定している、大丈夫、とのことで太鼓判を頂いた。ハスちゃんの精神性は大人以上、成熟しているから、同級生とは気が合わないのは仕方がない。ハスちゃんは強い、原点は自身に溢れていて活動的な子、ただ今はそこを発揮できていないだけ。と、納得のお言葉を頂いた。

学校に対するイメージの色を、ハスちゃんは美しい瑠璃色、ターコイズブルー、青に緑が少し入ったような色を選んだ。全然悪くないイメージで、自分でちゃんとバランスをとってクリアにしているとのことで。これは驚きだった。そして怒った時の色が、きれいなピンクを選んでいて、これにはMちゃんもこんな子初めて!と驚いていた。

ハスちゃんは、怒った時でさえこんなピンクなので、母性が強い観音様みたいな子よ、と言われて。これはへぇーウソォ?と思ってしまった。観音様に失礼の無いよう、これから接し方気を付けなければと身を引き締めた次第。笑

Mちゃんがたくさん持っている白黒の下絵から一つ選んで塗ろう、と言われて、ハスちゃんは橙の絵を選んだ。真ん中にあるパかッと2分割されたオレンジの真ん中から塗り始めてた。それを見てMちゃんは、ハスちゃん、周りに対し開放的に積極的になってるよ、大丈夫と言ってくれた。最後に黒で縁取ったのも、自己確立という意味があるそう。そして塗った作品が素晴らしいと褒めていただいて、来年はMちゃんのアトリエから瀬戸内芸術祭に出品しようと、興奮気味にハスちゃんを誘っていた。

ハスちゃん、学校で輝けなくても、楽しいこと、好きな事に夢中になれたら、それでいい。ハスちゃん、大丈夫だね。今のままでいいね、と安心しました。Mちゃんとの出会いに感謝。

読書メモ 潜在意識3.0

藤堂ヒロミ著、潜在意識3.0、はレビューを見て読むか(正確にはAudibleなので聞くか)どうか躊躇した。著者は幼い頃から臓器の声が聞こえていたというところでもう、ええええええええええええ?!となるし、レビューを書かれている人の中にも、全く理解できない、と酷評している方もいた。

ただ、私は奄美大島で出会った尊敬できる方から、感覚を研ぎ澄まして自分の体と対話するワークを学んだ。脳は錯覚の臓器、勘違いが多い、身体を観ること、感覚を研ぎ澄ますことが大事、と理解することができた。これ書いてる時点で、ちょっと???な感じかもしれないなぁ。今現代に生きる方たちは、忙しすぎて見えない世界のことを軽視したり、スピリチュアルといって拒否したりするからなぁ。

そんな師匠から学んだ貴重な体験もあったので、臓器の声が聞こえるという著者の本を聴いてみようと思った。脳で聞くと、ちょっと考えると、本当に?うそでしょ?という反応になってしまうんだけど、(たまになった)感覚を研ぎ澄まして無心で聞くと、普通の内容だと感じられた。なんというか、受け入れられる、うん、そうなんですね、そうでしょうねぇ、といった反応になる。自分が脳を使っているか、身体を使っているかを感じる、不思議な感覚に陥った。

私はこの本、気に入りました。この本を聴いて以来、朝起きる前、私の臓器をスキャンし、各臓器に感謝を伝える、洗顔する際に、お肌にもありがとう、きれいだね、とねぎらいの言葉をかけるようにしています。とっても変な人?かもしれませんが、とってもいい感じなのです。

病気って、自分が引き起こしている可能性が高い
少々窮屈です ということも、納得できる。何か不調がある場合、自分の考えや行動に原因があるのかもしれません。

この本を聴いて、面白いよ、と紹介できる人は希有、これを理解で切る方は、と考えて、上記の師匠に伝えずにはいられず、この本を紹介しました。そしたら師匠から、「私も臓器の声が聞こえすぎて少々窮屈です」とのお言葉。さっすがー、予想以上のコメントきましたー。

どんぐり倶楽部主宰の糸山先生も、大切なのは見えないものを見る力、と言われます。見えないこと、もの、を感じる力、大切にしてゆきたい。

読書メモ 男の子の「自己肯定感」を高める育て方

ふらっと入ったブックオフで見かけて買った本。カメちゃんは10歳。こういう手の本は母親として気になる。開成中学校・高等学校校長であり、東京大学名誉教授の柳沢幸雄さんが、何を書かれているか、は興味があった。

読み終えて、心に残っているのが以下の部分。

日本人がつくった大きなプロジェクトに反対するのは、多くは日本人です。ここを変えなければ、この国の発展はありません。

男の子の「自己肯定感」を高める育て方

これは、うんうん、と頷いてしまった。根深い問題だと思うなぁ。頭に留めておきたい記述。

「東大に行くことはとても難しい」と考えていれば、そのチャレンジのためのハードルははるかに高くなり、超えることがとても難しくなります。しかし、「みんな超えている」と思えれば、目の前のハードルはそれほど高くは見えません。その意識がチャレンジするかどうか、そしてそれをどう越えられるかどうかに大きく関わってくるのです。

男の子の「自己肯定感」を高める育て方

名門中学に通うことのメリットって、東大に合格するというハードルを越えてゆく先輩が周りにたくさんいることなんだろうなぁ、だから自分にもできる、という気持ちになるのかも。周りに東大目指してる人が1人もいない状況だと、とてつもなく大変なことに挑んでいる感覚になるもんなぁ。

正直、ハスちゃんもカメちゃんも東大に行きたい、とは思わないと思う。けど、目標が変われど、こういう考え方は親として伝えておこう、と思う。ハスちゃんとカメちゃんが本気で東大に行きたいと思ったら、行ける地頭はあると本気で信じている私。とっても幸せな親です。笑

この本の主題であった、自己肯定感、に関しては、私は日本人としては稀にみる自己肯定感が高い人で。自己肯定感が高い=ナルシスト、とか自信過剰とは違う。自分の悪いところもいいところも、まるっと受け入れ、今の自分がベストと思える状態。人と比べることをしないでいられる状態、が重要かなと私は思っていて。自己肯定感は高いから、それに関する記述はあまり刺さらなかったけど、親の自己肯定感の高さが子供にも影響するとあったから、今後も自分軸をしっかり持って、他人と比べず、しあわせに暮らしてゆこう。

悟りをひらきます

面白いことが起きた。

ハスちゃんが弾く奄美三味線の音色を聞きながら、「今、この状態がベスト、もうハスちゃんが友達をワイワイ楽しく過ごしてないのが心配、不憫なんて思わないでおこう、変に気をまわしてお友達と遊ばせようともしない、もう充分素敵で幸せじゃん」と思って、ブログにも書いたんだけれども。それを書いた翌日、ハスちゃんが「明日、Nちゃんがうちに遊びに来たいっていうの」と言った。

“ハスちゃんのお友達が遊びに来る?!?!うちに?”と、昨年度までの私からしたらこんな言葉を発する日が来るなんて、毎日毎日お友達と遊んでいたあの時からは想像もできない思いが駆け巡る。3末に広島に戻り、中学校に入学し、4か月。初めて、お友達と遊ぶ約束をしたハスちゃん。私にとっては歴史的な記念日となった。

個人面談が始まり、授業は4時間で終わり、部活も早く終わる。Nちゃんは部活をしているから、ハスちゃんも幽霊部員として所属している美術部に参加して、それからうちに来る約束をしたんだって。Nちゃんを待つおかげでハスちゃんが部活に行く、それもいぃなぁ。気の合う部員がいるかもしれないじゃんねぇ。

何より感慨深いのが、私が”ハスちゃんは今の状態がベスト”、仲がいい友達、仲間に恵まれていないことが不幸、とか、なんとか私が一肌脱いで、とか、そんなん思わないようにしよう、と思った翌日に、ハスちゃんが友達と遊ぶ約束をする、というめぐり合わせの妙。こういうことなのかなぁ、と悟りを開けそうな心境。

三味線の音色をききながら

夕食を食べ、子供たちがご馳走様をした後、しばらく一人でビールやワインを飲みながらぼーっとする。今日は、いつもさっと食べて自分の部屋に行くハスちゃんがいる2階から、三味線の音色が聞こえてきた。奄美の三味線。久しぶりの音色。なんだろうね、楽器の音、そして三味線の音色はお酒をおいしく感じさせるね。久しぶりだったからちょっとつっかえながらも、2曲島唄を弾き終え、私が拍手したら「忘れてなかったー」とハスちゃん。

学校でいじめ、は無くなった様だけど、楽しくはないみたいで、部活にもいかないし、特に仲良い子もできた感じでもなく、休日を楽しみにしていて、私と一緒にどこかに行く以外は、ひたすら一人で家で過ごしている。しばらくは、そんな状態のハスちゃんを心配したり、哀れんだりしたものでした。

私は学校が楽しくてたまらない、学校生活を満喫、素晴らしい仲間にも恵まれた質で、休日一人で家で過ごすハスちゃんを見ると、かわいそう、楽しくなさそう、と自分基準で判断していたかなぁ。何とかハスちゃんを同級生の子と過ごさせたい、と、知り合った同級生の親に私がお願いして、〇〇のマーケットに行くので、〇〇ちゃん、来れないですかね?と一生懸命アレンジしてみたこともある。もちろん、楽しくなかったわけはないだろうけど、その後、またそこに行きたいとか、あの子たちと過ごしたいということにはならなかった。

通話だけ可能なガラケーをハスちゃんの誕生日にプレゼントした。今はやりのLINEもSNSもできない。でも、自分に直でつながる電話を持っているということは、ハスちゃんがその気になれば友達とつながれるということ。一人だけ友達に電話番号を教えたみたいで、その子の誕生日におめでとう、と連絡をしていたけど、一緒に自転車通学してくれている仲間や、他の子に教えている気配はない。

私からしたら、本当に不思議。リーダータイプで、人を引っ張っていくタイプ、すぐに友達ができるタイプだと思っていたし、私自身がそういうタイプだったし、人生楽しめるかどうかは、素敵な仲間がいるかどうかが大きい。だから、今のハスちゃんの状態は本当に不本意で、疑問で、不憫で。。。

でも、最近は、もう私が色々コーディネイトしてハスちゃんを同世代の子と遊ばせようとするのはやめよう、そんなん無駄だし、ハスちゃんからしたら迷惑だろう、と思うようになったし、今ハスちゃんはこの状態を経験して学ぶことも多いだろうし、中学時代に友達一人もいませんでした、という先進気鋭の女性起業者がいたら、それは面白いな、とかポジティブにとらえられるようになって。

世の中の中学生って、忙しいんじゃなかったっけ?とハスちゃんの自分時間のありあまってる感じが、なんだか幸せだねぇと思えてきたし。最近は早起きして、ぼーっとするのが好きらしい。笑

今夜、ハスちゃんの奏でる三味線の音色を聞きながら、これがベスト!と思った。

予祝

今、毎日が楽しくてしょうがない。audibleを無料体験してみて、もはやaudibleのない生活を送れないほど感謝している。audibleで気になる書籍をききながら、朝の家事。はかどるはかどる。いままで適当にやっていた掃き掃除も、audibleを聞きながらだと楽しく感じて。おまけに、拭き掃除までやっちゃったり。そしたらめちゃめちゃすっきりして心が軽くなる体験。

そのすっきり感が忘れられなくて、毎日の掃除が楽しくなる。江原啓之さんも子供を守りたいなら、掃除をすること、とよく仰る。家を掃除することで、子供が守れるならうれしい、という気持ちも原動力になる。audibleで聞いた本”なぜかうまくいく人のすごい無意識”で知ったんだけど、何かをするとき、義務型でなく、欲求型で動けると脳の報酬系が働き、すべてうまく回り始める、とのこと。

私にとって掃除が、あの掃除をした後のすっきり感を味わいたい、おまけに子供を守りたい、という欲求型の行動になって、すべてうまく回り始めている気がする。興味深い。

今聞いている”予祝のススメ 前祝いの法則”もいい。起こった良いことではなく、希望する未来を叶ったことにして予めお祝いする。ポジティブな波長が、いいことを引き寄せるってことなんだろうなぁ。ハスちゃんに、この概念が今必要なんだろうなぁ、と誰から「中学校どう?」と聞かれてもすごい勢いで「楽しくない!」と即答するハスちゃんを思い浮かべながら聞いている。

昨夜の夕食の席で、ハスちゃんカメちゃんに、予祝について話した。ハスちゃんがとっても興味をもって、紙の本を買ってと言った。買うつもり。そして、「ハスちゃん、明日は本当に素晴らしい日になりました、おめでとう♪」と予祝した。ハスちゃんは、テーブルの上にあったキャンドルに火をつけて、電気を消してお祝い感を演出?して自分の部屋へ去っていった。

残されたカメちゃんと2人で、予祝の話のつづき。カメちゃんがもし将来、夢をあきらめようと思ったら、ママに会いに来て。と言ったら、カメちゃんが「科学者?」と言った。科学者に興味があるのか、と思い、「カメちゃん科学者あきらめないで、成功おめでとう♪ノーベル賞受賞おめでとう~♪って乾杯してあげるから」と言って笑った。

今朝、ハスちゃんに「素敵な一日になりました、おめでとう♪いってらっしゃい」と言って送り出した。ハスちゃんは無表情、無反応だった。何か彼女に響いてたらいいのだけど。

キラキラした目を守る

今日、学校見学に訪れていた方に、カメちゃんの目がキラキラしている、と言われた。たまに言われるけど、かなり嬉しい一言。このキラキラを全力で守るのが私の仕事だと思っている。

私が尊敬するどんぐり理論の塾を運営経営されているさとちゃんのFB投稿に心打たれた。

小学校ですべきことは計算ドリルでも漢字練習でもありません決められたことを読むだけの音読でもありません自由に自分の頭で考える経験です正解かどうかに関わらず、頭のなかで大冒険する経験です

これこれ、あぁ、ワクワクする。頭の中の大冒険。

先日読んだ、頭の良さとは何か(中野信子、和田秀樹著)が面白かったので、和田秀樹さんの著書で図書館で借りれた、教育格差を読んでみた。2006年、結構前の本であることを差し引いても、同意できない記述がまぁ多いこと。

和田秀樹さんが書かれている内容が正しい、正しくないではなく、私に響くか、響かないか。結構反論したい内容が多かったけど、一部使える!と思ったフレーズや考え方があった。

この情報反乱社会において、どんぐり理論というしっかりとしたぶっとい軸を持てたおかげで、この方のこの意見は分かる、取り入れたい、ここは無視、と情報の取捨選択が簡単にできることが、幸せ。

褒められるとうれしい

昨夜寝る前、ハスちゃんがあのね、と以下の話をしてくれた。

学活の時間に、お世話になったある方にクラス全員でメッセージカードを書いた。白い紙を配られたので、まっすぐ文字を書くのに苦戦している子がたくさんいた。ハスちゃんは結構まっすぐ書けた。先生に内容をチェックしてもらう時に並んでいて、近くにいた〇〇さん(いじめっ子)のカードが見えて、とても綺麗に書けていたから「うわぁ、きれいー」って言った。そしたらそのいじめっ子、すごくうれしそうで笑顔になった。帰りの会の時にハスちゃんは学校からの配布物などを案内する役割をしていて、いつもはハスちゃんの言葉に対しムスっと無反応ないじめっ子が、昨日はハスちゃんが「ここにプリントがあるのでまだもらっていない人は持って帰ってください」と言ったら、「はーい」と大きな声で返事をしてくれた。他のことで機嫌が良かっただけかもしれないけど。

いい話を聞かせてもらった。いじめっ子の字が本心で綺麗だと思ったから、そう伝えられたハスちゃん、いいねぇ。いじめられた記憶は消えないけど、きれいなものは綺麗、と伝えることは別の話だよね、と話した。

いじめっ子、単純だね。褒められるときはほめちゃえば、機嫌よくなるかもよ、とハスちゃんに言ったら、「私本心で思ってないことは言えない」だとさ。ま、それでいい。

逞しく日々を送っているなぁ、と「ハスちゃん、大丈夫だ!」と言いながら寝たのでした。