三味線の音色をききながら

夕食を食べ、子供たちがご馳走様をした後、しばらく一人でビールやワインを飲みながらぼーっとする。今日は、いつもさっと食べて自分の部屋に行くハスちゃんがいる2階から、三味線の音色が聞こえてきた。奄美の三味線。久しぶりの音色。なんだろうね、楽器の音、そして三味線の音色はお酒をおいしく感じさせるね。久しぶりだったからちょっとつっかえながらも、2曲島唄を弾き終え、私が拍手したら「忘れてなかったー」とハスちゃん。

学校でいじめ、は無くなった様だけど、楽しくはないみたいで、部活にもいかないし、特に仲良い子もできた感じでもなく、休日を楽しみにしていて、私と一緒にどこかに行く以外は、ひたすら一人で家で過ごしている。しばらくは、そんな状態のハスちゃんを心配したり、哀れんだりしたものでした。

私は学校が楽しくてたまらない、学校生活を満喫、素晴らしい仲間にも恵まれた質で、休日一人で家で過ごすハスちゃんを見ると、かわいそう、楽しくなさそう、と自分基準で判断していたかなぁ。何とかハスちゃんを同級生の子と過ごさせたい、と、知り合った同級生の親に私がお願いして、〇〇のマーケットに行くので、〇〇ちゃん、来れないですかね?と一生懸命アレンジしてみたこともある。もちろん、楽しくなかったわけはないだろうけど、その後、またそこに行きたいとか、あの子たちと過ごしたいということにはならなかった。

通話だけ可能なガラケーをハスちゃんの誕生日にプレゼントした。今はやりのLINEもSNSもできない。でも、自分に直でつながる電話を持っているということは、ハスちゃんがその気になれば友達とつながれるということ。一人だけ友達に電話番号を教えたみたいで、その子の誕生日におめでとう、と連絡をしていたけど、一緒に自転車通学してくれている仲間や、他の子に教えている気配はない。

私からしたら、本当に不思議。リーダータイプで、人を引っ張っていくタイプ、すぐに友達ができるタイプだと思っていたし、私自身がそういうタイプだったし、人生楽しめるかどうかは、素敵な仲間がいるかどうかが大きい。だから、今のハスちゃんの状態は本当に不本意で、疑問で、不憫で。。。

でも、最近は、もう私が色々コーディネイトしてハスちゃんを同世代の子と遊ばせようとするのはやめよう、そんなん無駄だし、ハスちゃんからしたら迷惑だろう、と思うようになったし、今ハスちゃんはこの状態を経験して学ぶことも多いだろうし、中学時代に友達一人もいませんでした、という先進気鋭の女性起業者がいたら、それは面白いな、とかポジティブにとらえられるようになって。

世の中の中学生って、忙しいんじゃなかったっけ?とハスちゃんの自分時間のありあまってる感じが、なんだか幸せだねぇと思えてきたし。最近は早起きして、ぼーっとするのが好きらしい。笑

今夜、ハスちゃんの奏でる三味線の音色を聞きながら、これがベスト!と思った。

予祝

今、毎日が楽しくてしょうがない。audibleを無料体験してみて、もはやaudibleのない生活を送れないほど感謝している。audibleで気になる書籍をききながら、朝の家事。はかどるはかどる。いままで適当にやっていた掃き掃除も、audibleを聞きながらだと楽しく感じて。おまけに、拭き掃除までやっちゃったり。そしたらめちゃめちゃすっきりして心が軽くなる体験。

そのすっきり感が忘れられなくて、毎日の掃除が楽しくなる。江原啓之さんも子供を守りたいなら、掃除をすること、とよく仰る。家を掃除することで、子供が守れるならうれしい、という気持ちも原動力になる。audibleで聞いた本”なぜかうまくいく人のすごい無意識”で知ったんだけど、何かをするとき、義務型でなく、欲求型で動けると脳の報酬系が働き、すべてうまく回り始める、とのこと。

私にとって掃除が、あの掃除をした後のすっきり感を味わいたい、おまけに子供を守りたい、という欲求型の行動になって、すべてうまく回り始めている気がする。興味深い。

今聞いている”予祝のススメ 前祝いの法則”もいい。起こった良いことではなく、希望する未来を叶ったことにして予めお祝いする。ポジティブな波長が、いいことを引き寄せるってことなんだろうなぁ。ハスちゃんに、この概念が今必要なんだろうなぁ、と誰から「中学校どう?」と聞かれてもすごい勢いで「楽しくない!」と即答するハスちゃんを思い浮かべながら聞いている。

昨夜の夕食の席で、ハスちゃんカメちゃんに、予祝について話した。ハスちゃんがとっても興味をもって、紙の本を買ってと言った。買うつもり。そして、「ハスちゃん、明日は本当に素晴らしい日になりました、おめでとう♪」と予祝した。ハスちゃんは、テーブルの上にあったキャンドルに火をつけて、電気を消してお祝い感を演出?して自分の部屋へ去っていった。

残されたカメちゃんと2人で、予祝の話のつづき。カメちゃんがもし将来、夢をあきらめようと思ったら、ママに会いに来て。と言ったら、カメちゃんが「科学者?」と言った。科学者に興味があるのか、と思い、「カメちゃん科学者あきらめないで、成功おめでとう♪ノーベル賞受賞おめでとう~♪って乾杯してあげるから」と言って笑った。

今朝、ハスちゃんに「素敵な一日になりました、おめでとう♪いってらっしゃい」と言って送り出した。ハスちゃんは無表情、無反応だった。何か彼女に響いてたらいいのだけど。

キラキラした目を守る

今日、学校見学に訪れていた方に、カメちゃんの目がキラキラしている、と言われた。たまに言われるけど、かなり嬉しい一言。このキラキラを全力で守るのが私の仕事だと思っている。

私が尊敬するどんぐり理論の塾を運営経営されているさとちゃんのFB投稿に心打たれた。

小学校ですべきことは計算ドリルでも漢字練習でもありません決められたことを読むだけの音読でもありません自由に自分の頭で考える経験です正解かどうかに関わらず、頭のなかで大冒険する経験です

これこれ、あぁ、ワクワクする。頭の中の大冒険。

先日読んだ、頭の良さとは何か(中野信子、和田秀樹著)が面白かったので、和田秀樹さんの著書で図書館で借りれた、教育格差を読んでみた。2006年、結構前の本であることを差し引いても、同意できない記述がまぁ多いこと。

和田秀樹さんが書かれている内容が正しい、正しくないではなく、私に響くか、響かないか。結構反論したい内容が多かったけど、一部使える!と思ったフレーズや考え方があった。

この情報反乱社会において、どんぐり理論というしっかりとしたぶっとい軸を持てたおかげで、この方のこの意見は分かる、取り入れたい、ここは無視、と情報の取捨選択が簡単にできることが、幸せ。

褒められるとうれしい

昨夜寝る前、ハスちゃんがあのね、と以下の話をしてくれた。

学活の時間に、お世話になったある方にクラス全員でメッセージカードを書いた。白い紙を配られたので、まっすぐ文字を書くのに苦戦している子がたくさんいた。ハスちゃんは結構まっすぐ書けた。先生に内容をチェックしてもらう時に並んでいて、近くにいた〇〇さん(いじめっ子)のカードが見えて、とても綺麗に書けていたから「うわぁ、きれいー」って言った。そしたらそのいじめっ子、すごくうれしそうで笑顔になった。帰りの会の時にハスちゃんは学校からの配布物などを案内する役割をしていて、いつもはハスちゃんの言葉に対しムスっと無反応ないじめっ子が、昨日はハスちゃんが「ここにプリントがあるのでまだもらっていない人は持って帰ってください」と言ったら、「はーい」と大きな声で返事をしてくれた。他のことで機嫌が良かっただけかもしれないけど。

いい話を聞かせてもらった。いじめっ子の字が本心で綺麗だと思ったから、そう伝えられたハスちゃん、いいねぇ。いじめられた記憶は消えないけど、きれいなものは綺麗、と伝えることは別の話だよね、と話した。

いじめっ子、単純だね。褒められるときはほめちゃえば、機嫌よくなるかもよ、とハスちゃんに言ったら、「私本心で思ってないことは言えない」だとさ。ま、それでいい。

逞しく日々を送っているなぁ、と「ハスちゃん、大丈夫だ!」と言いながら寝たのでした。

ハスちゃんガラケーデビュー

ハスちゃん、7月1日に誕生日を迎えて、だからというわけではないけど、ガラケーを買い与えた。スマホじゃなくて、ガラケー。通話しかできない携帯電話。

中学生に携帯なんて必要ない、早くても高校からかな、と思っていたのだけど、周りの同級生がLINEでやりとりする時代。どう考えてもスマホを買い与える気にはならなかったけど、通話機能だけのガラケーは持たせてよう、と気が変わった。

自転車通学、雨の日は車で送迎。迎えの時間が日々まちまちで、公衆電話まで歩いて電話してきていたけど、これからは迎えにきてほしい時に学校から連絡できる。便利にはなる。いいか悪いかは置いといて。

ガラケーと格安SIMが届いて、昨夜ハスちゃんは通話テスト。私がハスちゃんのに電話して、出てみる。うわぁ、鳴った、鳴ったよ、とカメちゃんと大興奮。誰かに電話してみよう、と、祖母と叔母に電話。

祖母と叔母に「ママにね、ガラケー買ってもらったのー」と嬉しそうに話すハスちゃんを見て、なんか笑っちゃった。祖母と叔母くらいしか電話する相手いなかった。健全だなぁ。

信じて待つ

カメちゃん、放課後遊べる仲間が最低3人はいて、毎日楽しく遊んでいる。楽しく遊んでいたと思ったら喧嘩やトラブルも毎日起こる。先生や親を巻き込んでの大きなトラブルになったのも数回。学校まで送迎していて、保護者が子供が遊んでいる近くにいるから、どうしても何かあったら親が出て対応してしまう。過干渉にならないよう、気を付けながら見守っている。

つい先日もまた一緒に遊んでいる仲間同士で口論に。その日は近くに大人がいなかったから、カメちゃんともう一人6年生がリーダーとなって、口論になった2人と5名で話し合いをしたらしい。何が嫌だったかをまず聞いて、どうしたら嫌な気持ちにならないか、などを話し合ったみたい。

6時になったら車を停めて親同士が話している場に戻ってくるのに、その日は6時15分過ぎて戻ってこない。20分頃戻ってきたかと思ったら、カメちゃんが「ママごめん、今まで子供だけで話し合いしてたんだ。また〇〇と〇〇が喧嘩になったから。大人がいなかったから、僕がリーダーになって30分くらい話したんだよ。」と誇らしそうに、元気に教えてくれた。

今まで、先生や大人がトラブルの際に対応してくれたことを見ていたもんね。それがいいお手本になったのかな。

私はカメちゃんにトラブルの度に大事だと思うことは伝えてきた。強くその言動は「いじめっこ」だよ、と言って泣かした日もある。その上で、「伝えるべきことは伝えたから、あとはカメちゃんを信じる。子供の世界はカメちゃんに任せるから。」と伝えたら、「うん」と強く頷いた。色々心配で、あれしちゃだめ、あそこ行くの禁止、とか言ってしまいそうだったけど、私は信じて待とうと思っていた。

そんな中、この出来事。誇らしげに「僕、子供だけで話ができて、みんなが納得した感じになって、気持ちよかった」と話してくれたカメちゃん。

あぁ。信じて待つ、が大切だ。大切なことを伝えたら後は、子供に任せるが正解だ、と感じています。

今100万あったら何をするか

今100万あったら何をするか、について書きます。さとうみつろうさんの呼びかけがきっかけですが、ちゃんと思いを言語化することは大切だもんね。

https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12749350941.html

カメちゃん(小5)が通う小学校の近くに、子供が自由に遊べる基地を作りたい。空き家を借りて、放課後、休日、子供達が好きな時間に来て、集える場所にしたい。雨の日もお友達と遊べる場所。学校の校庭は夏、温度が高くなると遊ぶの禁止されるみたい。そんなの嫌だ。子供から遊びを奪わないで欲しい。

最低限のルールを設定したら、あとは自由。喧嘩もルールを守ってしたらいい。仲直りする技術も学ぶべき。子供にとって仲間との自由な外遊びが何よりも大切。それを今、思い出す時。習い事や塾よりも、遊び。もちろんスマホやゲーム機は持ち込まない。遊びを生み出すくらいの場所にしたい。

塾通いでうつろな表情をしている子供を救いたい。キラキラした目で、遊びに全身全霊集中させてやりたい。そのために、遊びの大切さを伝えられる場にもしたい。遊びの達人を招聘したいなぁ。

夏至や冬至には絶対キャンドルの光だけで過ごしてみたい。電気を使わない生活を味わいたい。不便だけれども、その不便さが生み出すあの温かい空気感、会話。貧しくて、首都でさえ一日の半分が停電していたミャンマーで見たあの温かい心の通った人々の交流を、日本人も体験した方がいい。

近所の高齢者で、将棋が上手な方が子供達に将棋を教えてくれたら嬉しい。カメちゃんはいつも対戦相手がいなくて残念だから。折り紙や手芸、お料理が得意な方、子供達に教えて欲しい。地域が活気付いたらそれは嬉しい。

保護者もそこで井戸端会議したらいい。子育てにまつわる悩みトラブルは尽きない。一人で抱え込まないで、まずは誰かに話して、そこにいるみんなで考えたらいい。私はシングルマザー。一人親だといろいろ大変なこともある。同様の仲間でつながって助け合えたらいい。

学校に行きたくない子の居場所にもしたい。やさしく、繊細な子達が学校で傷つけられ、不登校にならざる負えない時代。安心して学べる場所を提供してあげたい。この場所はアナログで不便な場所にしたいけど、Wi-Fiは使えるようにする。学校に行かなくてもオンラインで授業を受けてもらえるように。オンラインで授業を受けたら出席扱いにしてもらえるよう、学校や教育委員会にも働きかけたい。今、心優しい子達の居場所が、学校にはなくなっているのだから。学校が守れないなら、私がやる。

不登校の子の単なる居場所ではなくて、主体的にワクワク学べる場所にしたい。一斉授業が退屈すぎるハスちゃん(中1)にとっても、学ぶって楽しい♪と感じられるスタイルがいい。

小学生なら、学校いかなくてもこれだけやってたら大丈夫!とどんぐり問題をやらせてあげたい。不登校で学力を心配する親御さんにも是非教えてあげたい。

とにかく、場所が欲しい。雨風しのげればいい。必要な設備はそこにいるみんなで作っていくのも楽しそう。作れる誰かを探すのも楽しそう。便利な時代に生きているけど、不便を楽しめる場所にしたい。何か問題が起きても、考えて、自分たちで解決策を導き出せる大人になって欲しい。そのために周りの大人にサポートをお願いできる子供がいい。

政府や学校が言う、見せかけだけの多様性じゃなく、本物の多様性を認められる場にしたい。上っ面だけの話はもううんざり。

私は100万円頂けたら、子供達と秘密じゃない秘密基地をつくる、空き家を借りたい。

中学生の会話

昨日、ハスちゃんの同級生3名+私とハスちゃんで話す機会があった。その中の2人はハスちゃんと同じクラスで、ハスちゃんをサポートしてくれている子達。一人は違うクラスの子。違うクラスの子は、大人しくてほとんど話さない子だった。

女子中学生3名と話して正直な感想。ものすごいエネルギーに圧倒されました。めちゃくちゃ早口でマシンガントーク。しかも何だかドキっとするような言葉遣いを多用するし。ハスちゃんの味方になってくれている子達がこんな感じなのか、そうしたらいじめグループの会話ってどんなんだ、と想像するとめまいがする。

その同じクラスのお友達が〇〇は陰キャラ、とか〇〇はどうこう、ととにかくものすごい勢いで話す。それを聞いていた違うクラスの大人しい子が、「ねぇ、陰キャラとかそんな風に言わないの、暗い感じの子も話してみたらいい子ってことが多いんだから」と発言した。大人しいというか、優しくて思慮深い子なんだなぁ、とその時思った。

ハスちゃんも、とってもよく話す、リーダータイプの子だったのに、最近では同世代の子との会話を好まず、あまり話さないことが気がかりだった。もっと話さないと友達になれないよ、とか、色々親としては心配になった。けれども、女子中学生の会話を聞いてみて、あぁ、この中に入れないし入りたくないかもなぁ、とわかった。

これは完全なる主観だけれども、ハスちゃんの思考レベル、考え方などがもう同級生とは嚙み合わない気がしている。なんだか苦しい日々。そして、そういうちゃんと考え、感じられる、優しい繊細な子が、学校での居場所を失うという現状を憂わずにはいられない。

ハスちゃんの勉強のこと



ハスちゃんが中学生になって、意外だなぁ、とびっくりしていることがある。

授業を真面目に受けること。当たり前のことじゃん、と思うけど、自分のことを思い返しても、意外とこれやってる中学生少ないのではないか?

ハスちゃんは中学で各教科の先生の授業が面白いか面白くないか、その先生が好きか嫌いかを1回授業を受けて判断していた。社会の先生が面白くて授業が楽しいらしい。

1か月いじめで不登校の期間も、コロナ渦で整備されたオンライン授業のおかげで、大体全ての授業に参加した。何かわからないこと、質問を書き留めるノートを全教科分準備したのだけど、全くわからないところが無いらしい。。。ホンマか?と突っ込みたくなるけど、本人がそういうなら、それでいいか。何より、先生も近くにいなくて、親もうるさく勉強しろと言わない環境下で、きちんと授業を受けている姿に感動した。自学自習ができるんだよね。

小学校時代は全力で宿題を避けてきた。変な親、協力的でない親と言われながら学校と戦ってきた。中学校になったら親の出番はないと聞いて、不安に思っていたのだけど、本当に不思議なほど自然に、宿題に関する出番はない。宿題が出てるのかさえも知らない。

ハスちゃんに宿題のことを確認したら、量は多くなくて、宿題というより課題を与えられていつまでにやっておく、という感じで、かなり楽らしい。明日までにやってきて、じゃないのがいいと言っていた。ハスちゃんが通う中学校は、結構ゆるーい感じ。もうすでに視考力を使えて考える力があるハスちゃんにはもってこいの環境かもなぁと思っている。



丁寧に生活すること

どんぐり倶楽部に出会い、どんぐり式子育てを実践してきて、本当に幸せな日々を過ごしている。

5月はハスちゃんいじめ事件で、苦しいことも多かった。傷ついたハスちゃん、そしてそんな娘を見てまた傷つく私、どうしてハスちゃんが、と落ち込み、加害者への憎悪が膨らみ、というどうも健康的ではない状況に陥りそうになる。

そんな窮地から私を救ってくれたのが花だった。傷ついたハスちゃんを少しでも癒してあげたい、と思い、家に花を絶やさず飾るようにした。カメちゃんを送迎する途中にある道の駅に素敵なお花が安価で売られていて、それがうれしかった。お花を買えない日は、近所に咲く野花を摘んだ。

苦しくて、悲しくて、そんな時、頼れたのが花だった。絶対に裏切らない、ただただ美しい姿を見せてくれる花、が本当に心の支えになった。なんだかモヤモヤ晴れない気持ちで、玄関やキッチンに飾っている花を見るたび、心からありがとう、と思って、声に出して”ありがとう”と言った。

元気でバリバリエネルギーに満ちてる時には気づかない、気づけない、ことだったなぁ、と思う。お花が生活の中に常にあること。庭の薔薇や紫陽花が順番に咲いていくこと。とても、心を満たしてくれる。優しい気持ちがふくらんでいく感じ。

ハスちゃんは何とか登校するようになった。楽しくはないみたいだけど、嫌でもないみたい。私も悲しい苦しい気持ちは小さくなって、元気もりもり。そして花を飾るという文化はずーっと守り続けて行こうと思う。丁寧に生活する、というのはこういうことなんだろうなぁ、と窮地に立つと実感できる。

花は何にも言わない、そこにいてくれるだけだけど、絶対にハスちゃんを癒してくれたよなぁ、と感謝している。