カメちゃん小さな武勇伝

カメちゃん、2学期も楽しく学校に行っている。
イエナプラン教育校は、親も子も今のところ大満足で、こんなに夏休み明けの新学期に重い気分にならないのは初めての経験だった。
カメちゃんも、早く学校始まってほしいなーなんて言っていたし。

我が家からイエナプラン教育校までは、車で10分ちょっと。
毎日送迎の日々。
家に帰っても近所にお友達がいるわけではないので、
学校が終わったらそのまま残って6時前後まで遊んで帰る、というのが日課。

ランドセル替わりのリュックを校庭のすみに置いて遊んでいて、
私が迎えに行ったら帰るのだけど、先日、リュックを忘れて水筒だけ肩から下げて帰宅したカメちゃん。
リュックには水筒とたまに体操服、くらいしか入っていないから、取りに行く気にもならず。。。
ただただ、あきれて、ちゃんと自分の荷物は管理して!と怒ってしまった。

翌朝、学校に行く車の中で、
「ママ、習字の筆折れたから買って」とカメちゃん。
「はぁ?!?!」
習字の筆が折れるって、何してたん?普通に使ってたら折れるわけないでしょう?物を大切に扱って!とまた怒ってしまった。

習字セットを購入するとき、せっかく買うなら、と日本製の筆でやや高いものを選んだことなどが思い出され、私の怒りを増幅させる。

冷静に考えたら、笑って済ませばいいような出来事ばかりなんだけどなぁ。
怒ってしまっている。今、ちょっと余裕がないのかもなぁ。気をつけよう。

ハスちゃん、フリースクールへ行く

ハスちゃんが、フリースクールに通い始めた。やっと、という感じもするし、ついに、という感じもする。都会には増えてきたフリースクールだけれど、今まで小2まで過ごした広島県でも、小3から小6まで過ごした奄美大島でも、通える範囲にフリースクールは無かったから、”学校行きたくない”となったら、学校休んで家にいる、という選択肢しかなくて。放課後はお友達と遊んだりはしていたけど。

今、奄美から引っ越してきた福山市には、教育員会が設置するオフィシャルなフリースクールが3か所あって、学校が合わない子が無料で通え、そこに行くと学校も出席扱いとなる、という素晴らしい場所がある。ありがたい。我が家からは車で20分はかかるけれども、何とか送迎可能な距離。基本、主要5科目の授業はオンラインで受けて、その授業の時間の合間で毎日フリースクールに行くという感じにしている。

学校不登校になると、いろんな意味で親は心配で、不安で、苦しい。けれども、このフリースクールの存在のおかげで、とても助かっている。送迎の負担はあるものの、ハスちゃんにとっての居場所がある、ということが嬉しい。小1から中3までの仲間が一緒で、みんなで遊ぶらしい。奄美の極小規模小中学校みたいだ。そのフリースクールには10人ちょっとの子がいつもいるみたいだけど、少ないなぁと思った。公共交通機関の便があまり良くない場所に住んでいると、親の送迎がキーになる。送迎できないと、やはりフリースクールを利用せず、家に籠るしかないんだろうなぁ。

校区に1つ、オフィシャルなフリースクールが設置される日が、早く来てほしいと思う。まずは、校内フリースクールの整備もしてほしいと思う。

私は、なんとかハスちゃんに学校に通ってほしいという思いが強くあったと思う。何でなんだろう?と考えてみて、私自身が学校を、学生時代を謳歌した経験があり、ハスちゃんにもあの様な経験をしてほしい、というやはり押しつけがましい、私の価値観という土俵の上での思いだったと思う。ようやく、ハスちゃんを開放してあげられたかなぁと思っている。

大人は子供の気持ちがわからない

今日、ハスちゃんは学校を休んでいる。

一昨日、新しい班になって、新しい友達ができるかな、たくさんお話したいと思ってるのに、みんな仲のいいグループに話しに行くから話せない、ということ、となり同士で話し合ってという場面で、となりの子が全く話さないこと、話してくれて。それを聞いて、学校がハスちゃんにとって楽しい場ではないことを感じて。

それで、フリースクールという選択肢を考えて。フリースクールの方に、ハスちゃんが学校行きたくないと言ったら見学に行かせてもらいます、と昨日電話を入れて。

昨日の夕方、担任の先生にハスちゃんが学校楽しくないと言っていて、フリースクールがいいなぁという事を言うので、次学校を休んだらしばらくフリースクールに行かせようと思いますと伝えたら、先生、びっくりされていて。その反応に私もびっくりして。。。

先生、ハスちゃんのこと気にかけてくれていて、休み時間は教室にいて様子を見ていてくれて。ハスちゃんが絵が上手なことを知っている子達が「〇〇描いて~」とハスちゃんにお願いしていたり、〇〇ちゃんという勉強がよくできる子がハスちゃんとよく楽しそうに話していますって。「1学期に比べたらずいぶんいろんな子と話しているなぁと感じていたから、びっくりです。僕が見ているのは休憩時間だけで、授業中の様子はみられないので。。。」と驚かれた。

休憩時間、客観的に見て誰かと楽しそうに話したり、交流していることを知って、安心した。よかった、と思った。ハスちゃんが楽しくないと思っているのは、やはり、授業、なのかなぁ。でも、とにかく少しずつでもコミュニケーションとれるクラスメートができてきて、少しずつハスちゃんの本来の姿を見せれたらいいなぁ、ハスちゃんが絵が得意な事とかもっとみんなに知ってもらえたらなぁ。

先日の夕食時に、カメちゃんがその日あった面白かったことを、メモ帳に書きながらハスちゃんに伝えていて。なぜかカメちゃんが急に「ひろゆき描こう」と画像右ページの絵を描いて。それ見たハスちゃんが、「ひろゆきはこうでしょう」と書いたのが左ページ。うまい!いきなりさささっと、描いてこんなのかけるの凄い!

ひろゆき、の絵

ちょっと私先走りすぎたかな、フリースクール、じゃなくても大丈夫かもと思って寝た。

そしたら今朝「学校に行きたくない」とハスちゃん。昨日、大丈夫かも!なんて希望を抱いてしまった私はびっくりしてしまった。あれ?先生は休憩時間楽しそうにしてます、とか言ってたのになぁ。やっぱり学校、嫌なのかぁ、できれば行ってほしいなぁ、と複雑な思いが交錯。

でも、親のエゴで、学校に行きたくないというハスちゃんを学校に行かせるわけにはいかない。

数学と、歴史の授業だけオンラインで受講して、午後はフリースクールに見学に行ってみようと思う。今住んでいる福山市には、学校が合わない子が無料で行けるフリースクールが3か所あって、そこに行くと学校に出席扱いになる。有難い。

楽しくない日々

友達ってどんな風に作ってたんだっけね。私は自分が小中学生の時、友達がかなり多いタイプで、友達というか、だれとでも仲良くできる、だれとでも話せるようなタイプだったから、だから今ハスちゃんが友達作りに苦労していることが、どうしたらいいか、よくわからない。。。

ハスちゃんも、今ここにくるまでは、誰とでも仲良くできるような、周りの子に慕われるようなリーダータイプだった。今、そのハスちゃんらしさを封印している感じがする。

新学期、9月1日、登校した。楽しくはないけど、登校はしている。でも、フリースクール、に興味を持っている感じはすごくする。フリースクールがいいなぁ、なんてポツリと言ったりする。

新学期だから、班変えもあったみたいで。新しい班は、横の子は全く話さない子みたいで。となりの席の子と意見交換する場では、ハスちゃんだけ自分の考えを伝えて、その子は何にも言わないって。ハスちゃんは同じ班の女の子と仲良くなりたいと思ってるけど、他の人と話してみてという機会があったら、その子は仲いい子のところにすぐに行ってしまうみたいで。せっかく新しい班になっても、みんな自分のグループの子で固まっていて残念だと言う。

もうフリースクールがいぃかもねぇ。と。そう思う今日この頃。毎日、楽しくなかった、と帰ってくるハスちゃん、私が思う以上に苦しいかもなぁと、私も気が重くなってきた。

今日ハスちゃんが帰ってきたら、フリースクール見学に行きたいかきいてみよう。少しでも楽しいことがある場所を選びたいね。

読書メモ 友だちってなんだろう

佐々木正美さんの著書「子どもへのまなざし」は、ハスちゃんカメちゃんがもう保育園に入った後出会った本で、子育て関連本で最も深く共感し、ハスちゃんが産まれてすぐ出会いたかったと思う本。

どんぐり学舎のさとちゃんが、佐々木先生の本を紹介してくれていたことがきっかけで、最近また佐々木先生ブームが来ている。図書館で借りられる中で興味を持った数冊を借り、読破している。

同級生との友達関係がうまく築けていないハスちゃんのことが頭にあり、「友だちってなんだろう」を読んだ。この本は佐々木正美さんと岡崎勝さんの共著。
その中で佐々木先生が語る子供にとっての”遊び”がやはり、グッとくる。

先生がストラスブールに行った時、泊まったホテルの前の公園で、毎日子供たちが大きな声で暗くなるまで遊んでいたそうで。そんな風景を日本では見なくなって何年経ったかな、としみじみ思い、そんなことを思いっきりやらせてくれる場所が日本にあったら、塾の2倍くらいのお金を払ってでも、子供を通わせたらいいのに、とその時思った、と書いてあり。

あぁ、これだよなぁ。と。
奄美では、同じ校区の子供たち、小1から中3まで、時には未就学児や高校生も、遊べる子たちが5時6時まで自由に遊ぶ文化があった。もちろん保護者の見守りはなく、子供たちがどこで何してるか全く知らない状態だった。夕方暗くなって、満足した顔でただいまーと帰宅する日々。時には泣きべそをかいてママーと帰ってくる日もあったなぁ。

今、カメちゃんは素敵な小学校に通っている。けれども、放課後や土日に子供たちが自由に遊ぶという文化は無い。子供にとって遊びが大事だと思っている
親が約束してどこかに集まったりして、遊ばせている。奄美の学校はうちには合わなかったけど、学校外の生活はよかったなぁ。

佐々木先生が昔カナダに留学した時、小学3年生くらいまでは教科書やノートを家に持って帰ってはいけなかった。家に帰ってまで勉強をさせないように、という考えだったそうで。どうしても勉強がしたい人は、4年生まで待っていなさい、と先生が言うんですって。佐々木先生は、”見識の深さというものを感じました。日本の 先生や親に聞かせたいです”と書かれているけれども、この部分に深く感銘を受けた。低学年から塾に通うより、たーくさん遊んで、勉強するなら4年生からね、と言う方が、 どんなにか学ぶ楽しさを教えられそう。。。

ヴィゴツキーという心理学者の「子どもはなぜ遊ぶのか」という研究、ヴィゴツキーは、研究する中で膨大な数の遊びを観察しているうちに、その理由に気づいたと。

以下引用

子どもは遊びの中でルールを作り、ルールを守り合うことが遊びの質を高め、感動を高めることを学ぶ。そして遊びの中で役割を分担することも学ぶ。役割は仲間の承認を得て演じる。
役割には、それに伴った責任がある。子どもはその責任を果たすために、一生懸命努力する。単に快楽のためだけに遊んでいる子どもはいない、と言うのです。
つまり、責任ある役割に何がしかの満足できる活動ができた時、子どもは感動し、その感動を仲間と分かち合う。また失敗した時でも、いい遊び仲間というのは必ず慰めてくれる。
そしてそういう一連の遊びの中に、倫理・道徳・社会性というようなものを自然に身につけていくプロセスがある。子どもがこういう遊びをしっかりと十分にすることなしに、健全な
社会人になることはないだろう。ヴィゴツキーは、はっきりとそう結論づけています。

この研究、本当に大事なことを言っていると思う。佐々木先生は、倫理・道徳性が社会の中から消えつつあるという現実は、子ども時代の遊びが少なくなっていることと関係しているのでは?と、遊びを一生懸命推奨してきた。けれども、勉強を推励する人に比べて、遊びを推励する人はインパクトが弱く、中々受け入れられなかった様で。大人、親が、子供が遊ぶことで大切なことを学ぶんだという確信がないのが問題だ、と書かれている。

その通り。
私が今後取り組みたいこと、やはり、子どもにとって遊びの大切さをできるだけ多くの人に理解してもらいなぁ、と再認識した。

そのままでいいよ、ハスちゃん

「あなたはそのままでいいよ、いいからね」とこの数日頭の中で何度も唱えている。ハスちゃんに対して、学校という組織が苦手で、同級生と楽しむことができず、学校が終わったら飛んで帰ってきて、いつも一人お部屋で何かしていて、休日外出することもなく。。。なんだか、かわいそう、せっかくの青春なのに、お友達と一緒に過ごしてほしい、なんて、勝手に心配していた私。

夏休みはほぼ私の実家で過ごし、私とカメちゃんだけ奄美旅行に行ったけど、その間も一人実家に残ったハスちゃん。同級生とは仲良くなれていないけど、2歳下のいとこや、3歳下の近所の子とは楽しそうに遊んでいた。私が彼女に臨む自然体験はパスされたけど、彼女は自分で考えて自分の休暇の過ごし方を選択して。奄美から帰宅したら、ギューッとハグして、嬉しそうに微笑んでくれた。夜寝る時も、抱きついてきて、かわいぃやつだと思った。そんな夏休みを過ごし、なんだかハスちゃんはそのままでいいんだなぁ、と漠然と感じていた。

昨日はアート療法士のMちゃんがハスちゃんと会ってくれて、ハスちゃんは私よりも精神的に成熟しているよ、と言われて。同級生と話が合わないのはもう仕方がない、と、本人も私も感じていたことを、客観的に教えてくれて、納得しかなくて。今までは何だかやきもき、心配する気持ちが渦巻いていたんだけど、今はハスちゃん、自分の精神性に合わない場所(学校)にいるの、苦しいだろうな、大変だろうな、よくバランスとって頑張ってるなぁと、ちょっと尊敬と、労りの気持ちが大きくなって。

2学期に向けて、ハスちゃんのことを気にかけてくれている担任の先生と話す機会があった。Mちゃんからの言葉を先生に伝えると、先生もハスちゃんが多くの同級生と合わないというところ、納得されていて。ハスちゃんが同級生に対して発する言葉にドキっとすることがあるみたいで。同級生の発言に対し、否定的な意見をぶつけていることもよくあるとのことで。急に中学から転校してきて、ハスちゃんの面白い顔を知らないまま、そういう理攻めで論破してしまう感じだと、正直ハスちゃんって怖いと思っているようなクラスメートもいます、とのことだった。

Mちゃん、先生と話せて、なんだかハスちゃんを取り巻く状況がよく見えてきた。

先生と話した後、ハスちゃんにこんな話聞いたよ、と伝えたら、以下のようなエピソードを話してくれた。「音楽の時間、アルトリコーダーを吹くとき、私はすぐに上手にふけるようになるけど、上手に吹けない子に合わせて授業するから、できるのに何度も何度も同じところを吹かないといけない。できない子に合わせるのが嫌だと言ったら、同じ班の子1人は同意してくれたけど、他な子に理解されなくて、「はぁ?!」とちょっと切れ気味な反応が返ってきた。私は自分の意見を伝えたい、わかってもらいたいと思っただけなんだけど」

日本の学校って、平均レベルにみんなを持っていこうとする風潮がある気がする。できる子にとっては授業も簡単で、退屈。ハスちゃんは学校が退屈すぎる苦しみを味わい続けている。このままではハスちゃんの向上心だったり、才能を生かしてあげられないなぁと感じている。

担任の先生は、よく私の話を聞いてくれて、理解もしてくれる素晴らしい方。できる子が楽しめるような授業のスタイルを先生たちにはもっと工夫して頂きたいと伝えたけど、それに対する反応は鈍くて。。。

同級生と話が合わなくて、思ったことを発言したらちょっと怖いと思われたり反感をかったり、学校も楽しくなくて、でも、それでいい、と心から思えた夏休み。ハスちゃんはそのままでいい、そう思った。

ハスちゃんアート療法を受ける

ハスちゃんがいじめられて1か月不登校になった時、近所に住む友人が2人、一人のアート療法士さんを紹介してくれた。ハスちゃん、会ったらいいよ、と。その当時、ハスちゃんは家で落ち着いていたし、知らない場所に知らない人に会いに行くということを嫌がりそうな気がして、会いに行かなかった。

そのアート療法士さんに、偶然参加することになった講座で、参加者としてご一緒することになって。すぐに打ち解けて、仲良くなって、ハスちゃんの話をしたら、ぜひ会いたい!と言っていただいて。その療法士さんの方から何度か今日はどう?とか言っていただいて、有難い限り。そして今日、アート療法士Mちゃんとハスちゃんの初対面となった。

細かい部分は端折るけれど、ハスちゃんの状態、安定している、大丈夫、とのことで太鼓判を頂いた。ハスちゃんの精神性は大人以上、成熟しているから、同級生とは気が合わないのは仕方がない。ハスちゃんは強い、原点は自身に溢れていて活動的な子、ただ今はそこを発揮できていないだけ。と、納得のお言葉を頂いた。

学校に対するイメージの色を、ハスちゃんは美しい瑠璃色、ターコイズブルー、青に緑が少し入ったような色を選んだ。全然悪くないイメージで、自分でちゃんとバランスをとってクリアにしているとのことで。これは驚きだった。そして怒った時の色が、きれいなピンクを選んでいて、これにはMちゃんもこんな子初めて!と驚いていた。

ハスちゃんは、怒った時でさえこんなピンクなので、母性が強い観音様みたいな子よ、と言われて。これはへぇーウソォ?と思ってしまった。観音様に失礼の無いよう、これから接し方気を付けなければと身を引き締めた次第。笑

Mちゃんがたくさん持っている白黒の下絵から一つ選んで塗ろう、と言われて、ハスちゃんは橙の絵を選んだ。真ん中にあるパかッと2分割されたオレンジの真ん中から塗り始めてた。それを見てMちゃんは、ハスちゃん、周りに対し開放的に積極的になってるよ、大丈夫と言ってくれた。最後に黒で縁取ったのも、自己確立という意味があるそう。そして塗った作品が素晴らしいと褒めていただいて、来年はMちゃんのアトリエから瀬戸内芸術祭に出品しようと、興奮気味にハスちゃんを誘っていた。

ハスちゃん、学校で輝けなくても、楽しいこと、好きな事に夢中になれたら、それでいい。ハスちゃん、大丈夫だね。今のままでいいね、と安心しました。Mちゃんとの出会いに感謝。

読書メモ 潜在意識3.0

藤堂ヒロミ著、潜在意識3.0、はレビューを見て読むか(正確にはAudibleなので聞くか)どうか躊躇した。著者は幼い頃から臓器の声が聞こえていたというところでもう、ええええええええええええ?!となるし、レビューを書かれている人の中にも、全く理解できない、と酷評している方もいた。

ただ、私は奄美大島で出会った尊敬できる方から、感覚を研ぎ澄まして自分の体と対話するワークを学んだ。脳は錯覚の臓器、勘違いが多い、身体を観ること、感覚を研ぎ澄ますことが大事、と理解することができた。これ書いてる時点で、ちょっと???な感じかもしれないなぁ。今現代に生きる方たちは、忙しすぎて見えない世界のことを軽視したり、スピリチュアルといって拒否したりするからなぁ。

そんな師匠から学んだ貴重な体験もあったので、臓器の声が聞こえるという著者の本を聴いてみようと思った。脳で聞くと、ちょっと考えると、本当に?うそでしょ?という反応になってしまうんだけど、(たまになった)感覚を研ぎ澄まして無心で聞くと、普通の内容だと感じられた。なんというか、受け入れられる、うん、そうなんですね、そうでしょうねぇ、といった反応になる。自分が脳を使っているか、身体を使っているかを感じる、不思議な感覚に陥った。

私はこの本、気に入りました。この本を聴いて以来、朝起きる前、私の臓器をスキャンし、各臓器に感謝を伝える、洗顔する際に、お肌にもありがとう、きれいだね、とねぎらいの言葉をかけるようにしています。とっても変な人?かもしれませんが、とってもいい感じなのです。

病気って、自分が引き起こしている可能性が高い
少々窮屈です ということも、納得できる。何か不調がある場合、自分の考えや行動に原因があるのかもしれません。

この本を聴いて、面白いよ、と紹介できる人は希有、これを理解で切る方は、と考えて、上記の師匠に伝えずにはいられず、この本を紹介しました。そしたら師匠から、「私も臓器の声が聞こえすぎて少々窮屈です」とのお言葉。さっすがー、予想以上のコメントきましたー。

どんぐり倶楽部主宰の糸山先生も、大切なのは見えないものを見る力、と言われます。見えないこと、もの、を感じる力、大切にしてゆきたい。

読書メモ 男の子の「自己肯定感」を高める育て方

ふらっと入ったブックオフで見かけて買った本。カメちゃんは10歳。こういう手の本は母親として気になる。開成中学校・高等学校校長であり、東京大学名誉教授の柳沢幸雄さんが、何を書かれているか、は興味があった。

読み終えて、心に残っているのが以下の部分。

日本人がつくった大きなプロジェクトに反対するのは、多くは日本人です。ここを変えなければ、この国の発展はありません。

男の子の「自己肯定感」を高める育て方

これは、うんうん、と頷いてしまった。根深い問題だと思うなぁ。頭に留めておきたい記述。

「東大に行くことはとても難しい」と考えていれば、そのチャレンジのためのハードルははるかに高くなり、超えることがとても難しくなります。しかし、「みんな超えている」と思えれば、目の前のハードルはそれほど高くは見えません。その意識がチャレンジするかどうか、そしてそれをどう越えられるかどうかに大きく関わってくるのです。

男の子の「自己肯定感」を高める育て方

名門中学に通うことのメリットって、東大に合格するというハードルを越えてゆく先輩が周りにたくさんいることなんだろうなぁ、だから自分にもできる、という気持ちになるのかも。周りに東大目指してる人が1人もいない状況だと、とてつもなく大変なことに挑んでいる感覚になるもんなぁ。

正直、ハスちゃんもカメちゃんも東大に行きたい、とは思わないと思う。けど、目標が変われど、こういう考え方は親として伝えておこう、と思う。ハスちゃんとカメちゃんが本気で東大に行きたいと思ったら、行ける地頭はあると本気で信じている私。とっても幸せな親です。笑

この本の主題であった、自己肯定感、に関しては、私は日本人としては稀にみる自己肯定感が高い人で。自己肯定感が高い=ナルシスト、とか自信過剰とは違う。自分の悪いところもいいところも、まるっと受け入れ、今の自分がベストと思える状態。人と比べることをしないでいられる状態、が重要かなと私は思っていて。自己肯定感は高いから、それに関する記述はあまり刺さらなかったけど、親の自己肯定感の高さが子供にも影響するとあったから、今後も自分軸をしっかり持って、他人と比べず、しあわせに暮らしてゆこう。

悟りをひらきます

面白いことが起きた。

ハスちゃんが弾く奄美三味線の音色を聞きながら、「今、この状態がベスト、もうハスちゃんが友達をワイワイ楽しく過ごしてないのが心配、不憫なんて思わないでおこう、変に気をまわしてお友達と遊ばせようともしない、もう充分素敵で幸せじゃん」と思って、ブログにも書いたんだけれども。それを書いた翌日、ハスちゃんが「明日、Nちゃんがうちに遊びに来たいっていうの」と言った。

“ハスちゃんのお友達が遊びに来る?!?!うちに?”と、昨年度までの私からしたらこんな言葉を発する日が来るなんて、毎日毎日お友達と遊んでいたあの時からは想像もできない思いが駆け巡る。3末に広島に戻り、中学校に入学し、4か月。初めて、お友達と遊ぶ約束をしたハスちゃん。私にとっては歴史的な記念日となった。

個人面談が始まり、授業は4時間で終わり、部活も早く終わる。Nちゃんは部活をしているから、ハスちゃんも幽霊部員として所属している美術部に参加して、それからうちに来る約束をしたんだって。Nちゃんを待つおかげでハスちゃんが部活に行く、それもいぃなぁ。気の合う部員がいるかもしれないじゃんねぇ。

何より感慨深いのが、私が”ハスちゃんは今の状態がベスト”、仲がいい友達、仲間に恵まれていないことが不幸、とか、なんとか私が一肌脱いで、とか、そんなん思わないようにしよう、と思った翌日に、ハスちゃんが友達と遊ぶ約束をする、というめぐり合わせの妙。こういうことなのかなぁ、と悟りを開けそうな心境。