子供の自由な遊びを守るため3

サイコパスって聞くと、なんだか怖い、頭が狂った人、というイメージがあったけど、岡田斗司夫さん、彼は自身をサイコパスだと言っている、の動画を聞いていて、私、サイコパスの気があるな、と感じた。

物事の本質、大事な要素だけを絞って、他の要素を捨てて考える、んだって。私、こんな感じの所ある。通常はそうでもないんだけれど、何か問題が起きた時、さて、どうするか、と考える時、この傾向が強くなる。

最近、放課後の子供の遊びを守るため、学校、保護者と様々な話をした。最善の方向にもっていくため、感情は出来るだけ排し、
どうすべきか、どう話すべきか、考えて、 問題解決をしてゆく、そんな日々を送っていた。多分気が張っていて、常に戦闘モードであったかも。誰が何を言い出すか、それに対応すべく、感覚を研ぎ澄ましていた感じ。客観的にみると、怖い、ね。笑

昨日会った心理療法士の妖精Mちゃんに、LINEのやりとりが怖い、と言われた。理路整然と簡潔過ぎて、怖かったらしい。私は待ち合わせ場所と時間を聞いただけで、LINEで感情のやりとりをすると誤解されたり、行き違いの種になったりするから、できるだけシンプルに、を心がけていたんだけど。

Mちゃんに、ピンクのものを身に着けて。ダークブルーになっていて、ちょっと怖いから、と言われて。確かに、最近の私は怖かったかも。サイコパスの部分がダダ洩れしていたかもねぇ。気をつけようと思った。

世の中には、問題解決能力が低い人がいる。抽象思考ができない人もいる。でも、それは事実であって、批判すべき事柄ではない。みんなそれぞれ、自らの能力で各々精一杯暮らしているんだ。それでいいのだ、と思えてきた。

前置きが長くなったけど、放課後、遠方から親の送迎で登校する児童は、15時迎えを徹底し、親が迎えに来た後は自由に遊んでいい、と落ち着いた。当たり前といえば当たり前の所に決着できた。ほっとした。当たり前のルールを守りつつ、子供の自由な遊びを守ってゆきたい。

読書メモ 具体と抽象

“具体と抽象 細谷功著”、面白かった。とてもとても、今の私に必要な本だった。

普段、何気ない会話なら大丈夫なんだけど、何か問題が起きた時に話が伝わらない、議論がかみ合わない、という経験をしていて、自分なりに、その人の思考の癖とか、マインドセットなどを整理して、なぜそんな考え方になる?というのを理解しようとしていた。

“具体と抽象”は、私が色々考えていたことをズバリ言語化して説明してくださり、有難かったし、同時に、抽象思考ができない方と分かり合うことは、無理だと考えた方がいいということを理解し、分かり合う為の方法、というのも無いんだなぁ、と悟った。

これは私の意見だけれども、恐らく抽象思考ができない方(この本の中ではできる人が圧倒的少数と書かれていて驚愕)は、糸山先生が仰る9歳の壁を越えられなかったのでは、と思った。

この本の著者は、この本を読んで、具体思考で生きている方に、抽象思考の世界、自分には見えていない世界があると知ってほしいと書いてあるけど、具体思考で生きている方にとって、それはとっても難しいことだと思う。なぜなら、その能力を身に着けるタイミングが、9~10歳だったんじゃない?と思うから。

保護者数人で、ある問題に関して話し合っていて、学校に対して私は〇〇という要望をしたの、と発言をした。そしたらある方に、「あれ?あなたの理想は〇〇だといつも言っているじゃない?」と突っ込まれた。私は、「私の理想は確かに〇〇、だけれども今この状況下で学校に私の理想を押し付けるべきではないから、〇〇と要望したのよ」と説明した。そしたら、それを理解してくれた保護者もいたけど、私に突っ込んだ方は、理解できないという顔をしていた。

要するに、私の信念はいつ何時も変わらないけど、それを主張すべき時と場合、相手は選ぶ、ということが理解できない様だった。その人にとって、私は言ってることがその時その時で変わる、ブレブレな人、と感じるんだろう。

そこを理解してもらおうとは思わないし、理解できない方なんだと思う。だからその方はおいてけぼりで話は進めた。結果、その方は何とも気持ち悪い、納得できない話となったんだろうと思う。

そういうことが、よく理解できた本でした。

プレーパークでキャンプ

プレーパークでキャンプするという、ワクワクするイベントに参加してきた。顔見知りがいるかなぁ、どうかなぁ、という参加者の顔が全く見えない状況だったけど、楽しいはず!と、申し込んでみた。

もちろん、ハスちゃんは何そのキャンプ?という反応。カメちゃんも、〇〇君は来る?とか、誰が来るかわからない所がひっかかった様。私も、実際どうなるかちょっと不安。でも、キャンプ、やりたい。そんな気持ちで参加した。

参加者の中に、顔見知りの子はいたけれど、そんなに仲良くはないから、初めは距離をとりつつ、各々、ピザの材料を切ったり、栗拾いに行ったり、それぞれ興味を持てる事をする時間。

夕食のカレーを食べて、あたりが薄暗くなってきた頃、あるスタッフがピカピカ泥団子を作っていたのをきっかけに、子供たちに泥団子ブームが到来!ヘッドライトやランタンの明かりを頼りに、暗闇で泥団子を必死で作る子供たち。中学生から未就学児までが一体となって泥団子を作っている。

上手な子のやり方を見て、真似る子。それでもできなくて、どうしたらそんな風にできる?と質問したり。必死でサラ粉を集める子、もう頭をフル回転させて、泥団子づくりに夢中になっている様子。とーってもステキだった。

暗くなってからの泥団子づくりで一気に距離が縮まった子供たち、その後は神社へ肝試しに行ったり、暗闇鬼ごっこが始まったり。暗闇鬼ごっこはすごかった。中学生から2歳児までが参加していて、みんなが楽しそうだった。

暗い、とあまり見えなくなって不便なんだけど、明かりがある場所に人は集まり、物理的な距離が縮まり、そしてそこに会話が生まれ、共通の興味が生まれ、心の距離も縮まる。

家に引きこもっている子も参加していて、明るい時間は居心地があまりよさそうではなかったけど、暗くなってからは、焚火の前に座ってずーっと火の番をしてくれていた。

暗い、と、なんだか人間の内面に、明るい時にはない何かが生まれるというか、心が解放されるというか、言葉に出来ない何かを感じた。

論理的思考

数学を勉強する理由はただ一つ、頭を問題にたどりつくために論理的に考える練習、問題にどうたどり着くか、問題解決能力を鍛える。

数学でいう、定数を動かそうとする人がいる。定数は変更できない数値であり、人生において、それは自分の力でどうしようもない事、それなのに定数に労力をかける人がいる。叶わない努力で疲れてしまう。要領がよくない方というのがいて、その方は、どうしようもない所に取り組んでいる。

変数は変化する数値。どうにかしなくてはいけない事。自分次第で変えられる事、ここに労力をかける。

これ、森岡毅さんが林修さんのテレビ番組のインタビューで語っていたこと。 私とハスちゃん にとっても響いた内容だった。どんぐり問題って、これだね!と。どんぐり問題やる理由は、論理的思考力をつけ、問題解決能力をつけるってこと。

これが要領よく、楽しい人生を送る秘訣だと思う。

私は定数と変数の見極めが得意だと思う。だから変数に自分の労力を注ぐ。逆に、定数には見向きもしない。でも、定数を何とかしようとする方からみたら、なんだか冷徹で変な人、と思われることがあるのかも。

今、子育てに対して似たような価値観を持っていると感じていた、でももちろん深堀すると価値観の違いも多い方と、この問題解決の為に選択する手順の違い、アプローチの仕方の違いで、ちょっとぎくしゃくしている。

ただ、変数だけに労力を注ぐ、論理的に問題をとらえる、これをやっていたら、周りの方に何を言われても気にならない。意見されたら、ちゃんと話せるし、陰口は勝手にどうぞ、という気になる。

論理的思考力、最強だ!

子供の自由な遊びを守るため2

カメちゃんが通うイエナプラン教育校、公立初ということで、これは革命的!と思っていて、4月から比べてもブロックアワーでの学び方の変化や、もろもろ進化しながら、おおむね楽しく学校に通わせて頂いている。

学校が、放課後の子供の遊び、について無頓着だったこと、子供にとっての重要な遊びがどんなものか、も理解していなかったことは残念。でも仕方がない。まずは遠方から、親が送迎して登校している子達にとっての放課後の自由な遊びを守ること。学校や地域の方、保護者が納得する方法でそれを守りたい。

学校も、教育員会とこの件について検討してくれている。また検討結果を聞いて、よりよい方向へ進んでいけたらいぃなぁと思う。新規開校したばかり、初めが肝心だと思うし、移住までして通わせている親が、がっかりしないような学校になったらいいと願っている。

だって、学校から15時にすぐお迎えするか、できない家庭は児童会を利用してくださいというお手紙が配布され、その直前に、駐車場に長時間駐車しないように、という手紙も配布され、それが事実上、送迎が必要な家庭の子は、放課後校庭で遊べなくなってしまう。金曜日にお手紙が配布され、すぐに学校に要望を伝えて再検討、となっているけど、月曜日、カメちゃんやいつも一緒に遊んでいた保護者も一旦遊ばせるのをやめたので、放課後の校庭はがらーん、シーンとしていて何とも寂しい雰囲気。これ見て先生たちは何も感じないのかね?と遊びを同じく大事に思う保護者と話した。

子供たちの自由な遊びが、守られますように。

子供の自由な外遊びを守るため

学校から、送迎の際に長時間の駐車を控えること、そして15時に必ず迎えに来ること、できない場合は児童会を利用すること、という手紙た届き、学校にそのつもりはなくとも、送迎が必要な家庭の子どもは、放課後校庭で遊ぶことができない、という状況に追い込まれている件。

一昨日、学校からの手紙の内容を知った時は、衝撃だった。のだけど、それは勝手に私が「イエナプラン教育校なんてすばらしい先進的な取り組みに挑戦する学校の先生が、子どもにとっての遊びがどんなに重要な事か、なんて知らないはずがない」と思い込んでいたから。勝手に自分が大切に思っている価値観を、学校と共有できていると思い込んでいただけで、実際は、学校側は”子供にとっての遊びは大切”という事は同意するけれども、だからって、子どもが思う存分遊べるように、という配慮をすることはない、というレベルだっただけ。ま、イエナプラン教育校とはいえ、そこはふつうの公立小学校と変わらなかったに過ぎないなぁ。

2晩寝て冷静に、よし、それではどうするか、と具体策を考えている。学校、地域の方、が納得してくれる方法で、子供の自由な遊びを死守したい。そうそう、学校が考える遊び、と私が考える遊び、が少し違っていて。学校は児童会でも、利用者とともに遊べると思っているらしいけど、あんな監視下、多くのルール下で少しの時間遊ぶことは求めていない。とにかく子供が自由に外遊びすることが、私が求める遊び。

同じ価値観を持つ保護者とあーでもない、こーでもない、と話しながら、これいいんじゃない?という具体策を考え付いた。月曜日にこの件について学校で再度検討して連絡すると仰っていたので、その返答を受けて、その後、具体策を実行してゆこう。

子供にとっての遊びの重要性を理解しない大人たち

今日は、奄美から広島に移住してきて3度目くらいの、衝撃事件。1つ目、ハスちゃんがいじめられて不登校、2つ目、イエナプラン教育校に転入したカメちゃんが、学校行きたくないと言って休んだこと、この2つが同時期に起こって、絶望した。それに匹敵するかどうかの衝撃事件。

全国初、公立小学校初のイエナプラン教育校と恐らく先進的な教育に興味がある方からは熱いまなざしを送られ、注目されている学校であれど、子供にとっての自由な外遊びの重要性を理解していなかった件。

徒歩圏内以外から登校してくる家庭も多く、校庭に保護者が車を乗り入れることが認められてきた。それが、近隣の駐車スペースを利用する、ということに変更になり、校庭への乗り入れが原則禁止となった。校庭は子どもが安心して遊べる場であるべきで、駐車場ではないのだから、校庭に車が乗り入れなくなることは悪いことではない。

但し、駐車スペースに限りがあり、長時間の駐車は控えてください、みたいな通達が学校からあった。この時点で遠方から送迎して子供をイエナプラン教育校に通わせている親の一部はざわついていた。長時間駐車できないということは、迎えに行った後、放課後学校の校庭で子どもを遊ばせることができないということ。低学年の子の親の一部は、迎えに行ってそのまま子供が校庭で遊ぶのを、他の保護者と話しながら待っている感じだった。

高学年で、送迎が必要な転入組は、3時下校の後は子供に自由に校庭で遊ばせて、5時半くらいに迎えに行く、という感じだった。だから駐車場に長時間駐車できなくなることでは、あまり不自由を感じなかったのだけど。

本日、お迎えは15時に、急遽やむを得ない事情で迎えが遅れる場合には、学校へ連絡すること、15時迎えが難しい子どもたちは、放課後児童クラブを利用することをお願いする手紙が配布された。

ラッキーなことに、カメちゃんを迎えに行ったタイミングで、この手紙を読む前に、これを作成した管理職の方と話すことができた。色々話した。訴えた。管理職の方も、伝えたかった意図とは違う印象を与えてしまった、とは言っていた。でもはっきりしたことが一点。

こんなに注目されていて、先進的な教育を行おうとしている学校であっても、子供にとっての自由な外遊びがどれだけ大切かを理解していない、という驚愕の事実。

イエナプラン教育校、本当に素晴らしい、来てよかったと思っているけど、肝心要の子供の本質、子供を教育するうえで核となる、子供の育ちの部分は共有できていないことが判明した。かなりの衝撃。遠方から移住してまで通うべき学校では、今の所ない気がする。

今日、偶然というか必然、遊びを大切だと思っている保護者3名でこの件、直談判した。その意見を受けて、学校側の最終決定を待ちたい。子供の遊びを守れない大人なんて、がっかりする。

カメちゃんTシャツ前後ろ逆

昨日、学校で5時半まで遊んで帰宅したカメちゃん、Tシャツが前後ろ反対に着ていることに気づいて、驚愕。

未だに前後ろ反対に着ること、2週間に1回はあるかな、でも朝出発する時までに私が気づいて、なおすのだけど、昨日は気づかなかったー。どうでもいいかもしれないけど、5年生でもこんな感じなのね、と男子ってすごいなぁとちょっと笑っちゃう。

男子って、といえば、週末5年生男子2人、2年生女子2人、親子でハイキングへ行った。2年生女子のうちの1人の子が結構気が強く、カメちゃんとその子の会話がトゲトゲしていて、いちいち軽い口論みたいになる。丁度2年生女子とカメちゃんの精神年齢が同じくらいだなぁ、と感じて。

その強気な女子は、恐らくクラス内には敵なし。口で負ける相手はいないだろう。カメちゃんも、クラス内の同学年の女子とは相手にならないだろう。女子が相手にしてないはず。でも、2年生の女子なら丁度論破できそうなレベル。いつもハスちゃんにもやられっぱなしだけど、この日はカメちゃん負けずと小2女子に応戦してた。

さすがに口が達者な小2女子も、小5男子の圧には屈することが多くて。カメちゃんもそんな攻撃的な話し方ではないけど、いちいち突っかかる感じで。とうとう小2女子は気分を害し、帰りたい、もう帰ろう、と言い始めた。

小2の女子に対して、もう少し話し方を考えてよ!楽しくなくなってるじゃん!とカメちゃんを注意した。ちょっとカメちゃんに腹立った。けど、精神年齢が同じくらいなんだもん、相手が小2だとか、年下だとか、関係ないよなぁ。カメちゃん的には対等な相手だったんだろうなぁ、とも感じた。

ま、異年齢の子との交流も、大切よね。今のイエナプラン教育校では3学年が同じクラス、縦割り活動も結構あるから、いろんな経験をして、成長していってほしい。

カメちゃん進化中

カメちゃんの小学校は、イエナプラン教育校。黒板で先生が一斉授業するスタイルは取らず、1週間分の仕事(学ぶべき課題)を与えられて、それを自分でスケジュール立てて行う、どこでだれとどんな風に学んでもOK.つまづいたら先生も助けてくれる、こんな感じでブロックアワーと呼ばれる学習を午前中している。

4月、始まった当初は、その時間に友達と話したりしないで個人で取り組むという感じだったのが、今は友達と一緒に学ぶことが推奨されている様。当初、自分でプランして、仕事を終わらせていくことが出来なかったカメちゃんも、同級生でそれが得意な子にやり方を教わって、やり方がわかってきたみたい。見守る先生達もどんどん進化していて、当初は終わっていない仕事にフォーカスして声掛けしていたけれど、今はそれはないみたい。

1学期の終わりに、ブロックアワーの仕事がちゃんと予定通り進められるようになった、と誇らしそうに教えてくれていた。仕事が終わらなくて、終わらない仕事が溜まっているストレスで、学校を1日休んだこともあるカメちゃん。進化を感じて。

そして2学期。最近は、与えられる仕事が3日くらいで終わるようになっているらしい。誇らしそうに、送り迎えする車の中で毎日のように報告してくれる。仕事が終わるようになったら、その後何をするか、を考えなければいけない。マイプロジェクトといって、それぞれの子が調べたいテーマを決めて学習し、まとめておそらく発表するものがあって、残った時間はそれに費やせばいいんじゃない?そしたらそのプロジェクトに時間が使えてより深いものになりそう、と言ったら、カメちゃんは

「そうだね!それいい!ブロックアワーの時間にマイプロやるなんて考えてもみなかった」と目をキラキラさせて言っていた。

カメちゃん、進化中。着実に進化していると思う。大人が邪魔しないで、導き、信じて待つことができたら、子どもはたくましく、勝手に成長するんだねぇ、とこのイエナプラン教育校で感じている。感謝しかないです。

なんて楽しいんだろう

今、図書館に来ている。ハスちゃんが家から車で20分かかるフリースクールへ通うことになり、初日は午前中ハスちゃんを連れて行き、そのまま家に戻り、また迎えに行く、と車で2往復した。計80分。どうも2往復すると無駄が多いと感じてしまい、ハスちゃんを送迎しなければならないことを負担に感じた。
公共のバスは田舎故に、本数が少なすぎて使いづらい。あぁ、ハスちゃんが公立の学校に自力で通えたら楽なのに。。。という思考になってしまい、良くないと思った。

工夫が必要だ。それで、ハスちゃんがフリースクールに滞在する間、私がフリースクールの近くで時間をつぶすことが出来たら、1往復で済む。よし、帰らないで待って居よう。フリースクールは最長10時から15時。まずは図書館。図書館で仕事したり、本読んだり、勉強したりしよう。そして公園でお弁当を食べて、外でもできる手仕事をしよう。今はラフィアというヤシの葉から作られる素材を使って帽子を編んでいる。結構時間がかかる地道な作業だから、公園で帽子を編んだらいいな、あと、30分は健康の為に歩いたらいい、なんて考えながら、フリースクールの近くで待つ、というのをやってみた。

5時間待つ日とかは、ちょっと長いかなーなんて思っていたのが、嘘みたい。全然時間が足りない。もっと本読みたいし、勉強(今は英語の教え方)も全然足りないし、帽子ももっと編みたいし、
と、時間が足りないくらい楽しい。うれしい誤算だった。暑すぎて歩く気にはならなかったけど、全然歩く時間を取れないくらい楽しい時間を過ごしている。台風が過ぎ、一気に秋めいてきたから、歩くというのも時間を決めてやってみようと思っている。

元々在宅で仕事をしていたから、仕事以外の時間は、少し家事をして、そのあとはやりたいことをやっていたつもりだったんだけど、やはり家にいると無駄が多かったのか、やりたいことを家から持ち出して、図書館や公園でやると、ぐんぐんその作業がはかどる。それをやるしない状況に自分が置かれているからね。そのはかどる感じがたまらなく気持ちいい。

ハスちゃんがフリースクールへ行くことになった時に、一番思ったのが、あぁ、給食がない、お弁当が必要になる。。。ということ。めんどくさいと思ってしまった。

さて、お弁当作りが私の負担になると、精神的に良くない、さて工夫が必要だと考えた。そして、私の負担を減らすため、ハスちゃんに手伝ってもらおうと考えた。ハスちゃんにおかずを何品か作ってもらって、そしたら私も楽だし、ハスちゃんの為にもなる、一石二鳥!と思った。これは作戦大成功で、私がカメちゃんを小学校に送迎している時間にハスちゃんがお弁当のおかずを作ってくるという流れが出来、しかもそのおかずがめちゃくちゃ美味しくて、ハスちゃんも上手にできて、美味しくて誇らしい気分になってくれて。とてもいい感じ。

自分や、家族が作ってくれるでお弁当ってなんであんなに美味しいんだろう。今日持ってきた3色そぼろ弁当も、カメちゃん送って帰宅したらぷぅーんと鳥そぼろを作るいい香りがしてきて、もうその時からお弁当の時間が楽しみでたまらない。なんとも幸せだ。

これも図書館で書いているんだけど、近所の小学生が見学に来ている。みんな同じ制服を着ている。カメちゃんの小学校は私服だから、久しぶりにたくさんの小学生が同じ服を着せられている光景を見た。私が着ているわけではないのに、どうしても息苦しさを感じる。ハスちゃんが通う学校は制服があった。今フリースクールへは私服でいい。あぁ、制服の息苦しさからも解放されたなぁ、とまた嬉しく感じる。

ハスちゃんがフリースクールに通うとなった時に感じた、負担、や、めんどうくさい、という感情が、まったく違うものになっている。

ちょっと工夫すれば、日々は楽しくなる。今日、ハスちゃんをフリースクールに送る車中で、3色そぼろ弁当が楽しみだねぇ、とお弁当作りの話で盛り上がり、ワクワクした気持ちで別れて、図書館に来て早速お弁当作りに役立ちそうな本を数冊見つけて、それを早くみたい気持ちを抑えて今これを書いている。あぁ、やりたいことがたっくさんある。

なんて楽しいんだろう。