夢中力

秋、自然の中で遊べるイベントが数多く開催されていて、忙しく参加している。

先日参加したイベントで、TAKE-1グランプリという、木を使って車を作り、デザイン性とスピードで競うという催しがあった。カメちゃん、もちろん参加。恐らく参加者の中で5年生のカメちゃんは最年長に見えた。他な子は低学年か未就学児で、もちろんお父さんが大活躍、お父さんが主体となって車を作っている子が多い感じだった。

カメちゃんは手伝ってとも言わない。私も手伝う気はなく、花炭づくりにはまって、栗のとげとげや、松ぼっくりを炭にして楽しんでいた。

花炭。栗がウニに、松ぼっくりのお尻がお花みたいに見える。

TAKE-1グランプリ、レースの時間。1回戦、カメちゃん敗退。敗者復活戦もあるから、敗退後、カメちゃん再度車を改造していた。敗退後、車の改造するのはカメちゃん一人。もくもくと何かしている彼をみて、なんだか頼もしく感じた。

前の丸い飾りの上にトマトの飾りがあったのだけど、はがしてボンドが剥き出しに。。。

車輪をもっと大きなものに交換して、車の前に着けていた飾りを取っていた。「かわいかったのに、何で取ったの?」って聞いたら、「空気抵抗を少なくするため」って。ほっほぉ~

敗者復活戦、スタート位置に車を設置するカメちゃんが、面白かった。レースは、竹を半分に切ったコースが5本、そうめん流しをするような竹の上を走って行う。スタート位置への車のセッティング、他のみんなは指定された色のコースにポンっと自分の車を置いて終わり。そんな中、カメちゃんは30秒くらいかけて、置き方?置く位置、スタートしたらちゃんとタイヤが動くかみたいな事を念入りに調整している。

あまりにも必死に調整していて、横のコースの親子が車を置けない、という状況に、私は苦笑。

スタート位置担当のスタッフさんに「なんだかオリンピックの重要レースに挑むトップアスリートみたいですね」と笑いながら言って、スタッフさん、近くにいた保護者の方と笑いあって。

いよいよ、敗者復活戦スタート!そして、なんと、カメちゃんのトマト号が1位になった!びっくりー笑 びっくりしている私にスタッフの方が、「あのスタート位置の調整が良かったですねー、お母さん笑ってたけど、あの本気度が重要ですよ」と言ってくれて。本当にそうだと思った。

私から見たら、遊びのレース、なんだけど、カメちゃんは本気。負けたら改善点見つけて調整するし、スタート位置もびっくりするくらい本気で調整する。

一緒に遊びに行った友人が、夢中力があるね!と言ってくれた。本当だ。カメちゃんには夢中力がある。とっても誇らしい。

いじめを放置する大人たち

何となーく、感じてはいたけど、ハスちゃんのクラスのいじめ、なくなっていないようだ。

ハスちゃんは4月末に暴言陰口などに耐えられなくなり、1か月休み。その間学校はもちろん教育委員会、各方面に相談対応依頼をした。そしていじめ加害者と物理的に席を離す、などの措置をとって頂き、6月1日にハスちゃんは再登校した。担任が加害者家庭と話し合いもして頂き、直接的に暴言陰口を言われることはほぼ無くなったようで、1学期は登校した。

ただ、そのようないじわるな加害者がクラスの中心的存在で、とりまきが5-6人いる状態、クラスの雰囲気は悪い、居心地悪いし、楽しくないにきまっている。2学期始まって1週間ほどたって、ハスちゃんが「もう学校嫌だ行きたくない」と言った。そこからハスちゃんは登校しないでフリースクールを選択した。

担任の先生他、学年主任、管理職の先生にも、私は娘を守ります、守れますが、娘がいなくなったら、ターゲットが他の子に代わって、いじめは続きますよ。新たな被害者が出るだけです。被害者のケアより、加害者のケアが大切で、そこをしないとこの問題、解決しません、と何度も伝えた。

思った通り、大人たちは、いじめ加害者に関して何にも影響力を持っていない。ハスちゃんと同じクラスの女子、2名が同じ子からの言動などで傷つき、保護者が悩んでいる。同じ生徒からのいやがらせで3名もの生徒が登校できない、しづらい状態になっている。学校のいじめ対策の無策さ、周りの大人の無能さにショックを受ける。腹立たしい。

ハスちゃんのクラスメート2名の親は、学校なんかいかなくてもいい、でも行ってほしい、という複雑な気持ちで揺れている。私も散々感じてきた苦しい悶々とした感情。でも、それでは子供はもっと苦しいんだよなぁ。

いじめ加害者はちょっと注意されただけで、普通に登校を続け、被害者が学校に行けなくなる。これが今の日本の現状。

いじめ加害者を速やかに隔離、カウンセラーがいる部屋、保健室などで保護することが一番大切な気がする。けど、それができないのが学校。

大人からくる意見は聞くな

ハスちゃんカメちゃんが幼いころは本当によく読んだ絵本の作家、五味太郎さん。五味さんワールドは独特で、とっても好きだった。そして知人がFBでシェアしていた記事、”(10代の君へ)大人からくる意見は聞くな”が秀逸だった。

大人には大雑把に分けると2種類、充足した人間と、そうでない人間がいる。
若い人に色々言う人は、「自分に不足があって言ってくるんだ」と五味さんは感じてた様で。 充足している大人は、無言で穏やかに若者を見ていて、質問されたら丁寧に答えてくれるような人。

だから、あえて今の若者に何か言うなら、「大人からくる意見は聞くな。必要だったら、自分から質問しなよ」。参考になるのは、自分からは言ってこない穏やかな大人だから。


だから、心ある大人はガキに何も言わないでやってくれ。「その一線を越えるとダメだ」ということ以外は、ぐっとこらえてほしい。問題をつくっているのは、いつも大人。そのことに気づかない限り、社会は是正できないよ。

朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/articles/DA3S15399923.html?fbclid=IwAR156H048jzMBvy8LVWBJe1StgSaIsLQ4aMGR_6yVBOUqjhhdxY3Afzt-3Y

まさに私が目指したい大人像でした。命や安全、人権を守ること以外、ぐっとこらえて子供を見守りたい。

ハスちゃんにすぐこの記事を読ませた。読んで、「うん、そうだね、そうするよ」と納得した表情で言った。ハスちゃん、納得できる理由なしに意味ないルールを強制してきたり、意見したら先生のいう事は絶対!みたいな学校が嫌な子だから。響くよね、これは。

不登校ということ

“不登校” この言葉が持つなんだかネガティブでくらーいイメージ。不登校の子は、他の大多数の子が出来ることができない、ダメな子。勉強する意欲もない。部屋に引きこもってゲームやネット中毒で朝晩逆転している。こんな感じだよね。

ハスちゃんは今”不登校”、学校に行かないで、行ける日はフリースクールへ、という生活を選択している。朝7時に起床、朝日を浴びる為に服を着替えたら30分散歩へ出かける。帰ってきたら朝食してお弁当のおかずの準備。そして8時40分からはオンラインで学校の授業を受講する。体育や道徳、総合などオンライン受講しない教科の間にフリースクールへ移動。夕方は洗濯を入れ、お風呂を洗い、9時半には就寝。こんな感じの生活で、思いっきり健全。物理的に学校へ体が行っていないだけで、規則正しい生活を送り、誰に監視されるでもないのに、学んでいる。

学校に行って、心無いクラスメートに嫌な事言われたり、自分に言われたわけじゃないけど、クラスメートが発する不快な言葉にストレスを感じたり、先生は指示強制するし、そんなネガティブな出来事が無いので、ハスちゃんにとってはいい選択ができた、と思った。そしてこの2週間くらい、あまりフリースクールへ行かなくなっていた。

1時間目からぎっしりオンラインで授業を受けたい場合、フリースクールへ移動する時間が取れない。そんな日が続いていた。部屋で一人でオンラインで学ぶ日々。フリースクールへ行っても、周りの子はみんな一日中ゲームをしてたりして、あまり会話をする機会もなく、そんなに楽しくはないと聞いていたし、まぁ、いける時、いきたい時だけ利用すればいいね、と思っていた。

つい数日前、お風呂に入ろうと思ったら2階のハスちゃんの部屋から、話し声が聞こえた。ガラケーを持っていて、一人だけ同級生の連絡先を登録している。その子と話してるのかな、めずらしいな、でもいいね、同世代のお友達と楽しそうに話すのってやっぱいいね、と思って。ハスちゃんの携帯のプラン、通話10分まで無料、それ以上はとっても高い通信料がかかるので、ハスちゃんに「通話は10分までよ」と小声で話しかけると、ぴたっと話し声が止まって。

ハスちゃん、携帯で話してはなかった。一人でしゃべっていた。あんな大きな声で?なんだか楽しそうだったけど。もしかしたら、空想の世界に浸ってたのかもしれない。混乱した私との会話の中でハスちゃんは「さみしかったから」と言った。さみしいよね、そうだよね、とその言葉が私の頭の中をこだまする。

お風呂に入って、少し落ち着いて。ずっと一人で家でオンライン授業を受ける日々を送るハスちゃんのことを考えると、そりゃさみしいよな、と。今の状況を少し変えたいな、と思って。自宅以外の場所に行き、スタッフやその場にいる子に挨拶をし、フリースクールでオンライン授業を受けることは、ハスちゃんにとって重要なのでは?と思った。いくら周りの子がゲーム漬けで会話が出来なくても、 多少の挨拶はするし、家族以外の人に家の外で会う、ということはハスちゃんが自分は社会の一員だと認識する為には重要なことなんじゃないか、と思って。

フリースクールがただの居場所で、ワクワク学べる場所じゃない、行くのに片道30分かかるし、行く時間がない日もある、なんて色々思っていたけど、そんなんじゃない。家以外にハスちゃんがいれる場所がある、ということはとても大切なことなんだ、私以外の大人と接することも重要だ、と思った。

お風呂から上がって、ハスちゃんに、独り言いう事はおかしいことじゃない。どんどん言えばいいよ。ただ、来週からはできるだけフリースクールへは行くことにしよう!と話した。ハスちゃんも納得していた。

不登校、深い。

カメちゃん運動会の余韻

カメちゃんが通うイエナプラン教育校の運動会、児童が競技を考え、運営をする運動会。開会宣言の教頭先生、ご挨拶された校長先生以外、本当に先生方が目立たない運動会だった。

とはいえ、児童が主体的にイベントを企画運営することへのサポートは、指示したことに従わせてイベント運営するよりも、各段に大変な仕事だったのはよくわかる。カメちゃん、ハスちゃんが幼い時、そして今でも、お料理手伝う!って言われた時のあの感情。やらせたい、やらせたほうがいいのは分かってる、でも面倒くさいなぁ、という感情を思い出す。未熟な子どもに何かをさせるのって、見守る大人には結構ストレスで、大変なんだよね。先生達の苦労がよくわかるし、本当にありがたい。

運動会から帰宅して、私が録画したカメちゃんの有志を鑑賞。カメちゃんの見せ場をことごとく撮り逃している私。カメちゃんがペアになった1年生の男の子が平均台を渡る時、手を繋いでサポートしてあげている所、逃走中で、ハンターから逃げ切って、終了間際ハンターの前に横になって煽った所、相手の城を撃破して、サッカー選手がゴール決めた後にやるように運動場を両手広げてウィニングランするカッコつけてる様子、全部ちゃんと撮れてなくてブーブー言われた。

何度も何度も、運動会の動画を見るカメちゃんを見て、あぁ、よかったねぇと思う。あんな運動会、本当に他にはないよね。

保護者2名と今後の予定についてLINEする時、やはり運動会よかったね、楽しかったね、というやりとりになって。しばらくこの感動の余韻が消えないと思う、とか、もう今から来年が楽しみ、とか、とにかく親が運動会に感動していて。わかるんだよね、私にはこの運動会の凄さが。ハスちゃんが1,2年生の時の運動会、感情がない兵隊さんに児童が見えた記憶があるから。あの経験があって、私は奄美へ山村留学へ行った。

しばらく私も素晴らしい運動会の余韻に浸ります。

カメちゃん運動会

今日はカメちゃんが通う小学校の運動会。縦割り6チームに分かれ、子供たちが自分たちで考えた競技で争う。1年生から6年生までのチーム、6年生の団長は、低学年をもチームとしてまとめる大変さを感じただろうなぁ。

各チームが考えた競技を実践して、修正する、という作業も、素敵だと思う。アイデアとしてはいいと思っても、いざやってみると色々とうまくいかないこともあるもんね。大人の視点から、本日本番見て、あそこはあーした方が盛り上がるなーとか感じる部分がもちろんあって、そこに子供が気づいて、また来年に生かすことができたら、最高だね。

開会式から、運動会の雰囲気が、他の学校の運動会とは違う。子供たちにきびきびと軍隊のように動くことを全く求めていないことがわかる。各チームが、旗を持って、客席に手を振りながら思い思いに歩いている様子、まるでオリンピック選手団!なんだか素敵だったよ。

いろんな競技があったけど、企画したチームが道具の準備や、司会進行を務め、本当に子供たちが主役。大人にやらされている感が無くて、すがすがしい。ハスちゃんが2年生まで通った小学校では、勝手も負けても能面のような表情で拍手をしていた子供たちを思い出して、ここは別世界だと思う。みんながそれぞれ、感情を爆発させて、楽しんでいるように見えた。

カメちゃん、全6競技に出場し、大活躍していた。さすがどんぐりっ子、外で遊びまくって成長してきただけあって、何をやっても凄い。敵陣地の城を倒す今日日では、城を破壊したし、お玉にピンポン入れて走るとこでは、お玉持ってる?ってくらい普通に全力疾走。本当にイキイキと輝いてたぁ。カメちゃんだけじゃなく、みんな、輝いてた。

こんな運動会だったら、運動好きの子はもちろん、運動嫌いの子でも楽しめるんじゃないかなぁ。全国の小学校の管理職、先生方に是非見ていただきたい運動会でした。

子供の自由な遊びを守るため3

サイコパスって聞くと、なんだか怖い、頭が狂った人、というイメージがあったけど、岡田斗司夫さん、彼は自身をサイコパスだと言っている、の動画を聞いていて、私、サイコパスの気があるな、と感じた。

物事の本質、大事な要素だけを絞って、他の要素を捨てて考える、んだって。私、こんな感じの所ある。通常はそうでもないんだけれど、何か問題が起きた時、さて、どうするか、と考える時、この傾向が強くなる。

最近、放課後の子供の遊びを守るため、学校、保護者と様々な話をした。最善の方向にもっていくため、感情は出来るだけ排し、
どうすべきか、どう話すべきか、考えて、 問題解決をしてゆく、そんな日々を送っていた。多分気が張っていて、常に戦闘モードであったかも。誰が何を言い出すか、それに対応すべく、感覚を研ぎ澄ましていた感じ。客観的にみると、怖い、ね。笑

昨日会った心理療法士の妖精Mちゃんに、LINEのやりとりが怖い、と言われた。理路整然と簡潔過ぎて、怖かったらしい。私は待ち合わせ場所と時間を聞いただけで、LINEで感情のやりとりをすると誤解されたり、行き違いの種になったりするから、できるだけシンプルに、を心がけていたんだけど。

Mちゃんに、ピンクのものを身に着けて。ダークブルーになっていて、ちょっと怖いから、と言われて。確かに、最近の私は怖かったかも。サイコパスの部分がダダ洩れしていたかもねぇ。気をつけようと思った。

世の中には、問題解決能力が低い人がいる。抽象思考ができない人もいる。でも、それは事実であって、批判すべき事柄ではない。みんなそれぞれ、自らの能力で各々精一杯暮らしているんだ。それでいいのだ、と思えてきた。

前置きが長くなったけど、放課後、遠方から親の送迎で登校する児童は、15時迎えを徹底し、親が迎えに来た後は自由に遊んでいい、と落ち着いた。当たり前といえば当たり前の所に決着できた。ほっとした。当たり前のルールを守りつつ、子供の自由な遊びを守ってゆきたい。

読書メモ 具体と抽象

“具体と抽象 細谷功著”、面白かった。とてもとても、今の私に必要な本だった。

普段、何気ない会話なら大丈夫なんだけど、何か問題が起きた時に話が伝わらない、議論がかみ合わない、という経験をしていて、自分なりに、その人の思考の癖とか、マインドセットなどを整理して、なぜそんな考え方になる?というのを理解しようとしていた。

“具体と抽象”は、私が色々考えていたことをズバリ言語化して説明してくださり、有難かったし、同時に、抽象思考ができない方と分かり合うことは、無理だと考えた方がいいということを理解し、分かり合う為の方法、というのも無いんだなぁ、と悟った。

これは私の意見だけれども、恐らく抽象思考ができない方(この本の中ではできる人が圧倒的少数と書かれていて驚愕)は、糸山先生が仰る9歳の壁を越えられなかったのでは、と思った。

この本の著者は、この本を読んで、具体思考で生きている方に、抽象思考の世界、自分には見えていない世界があると知ってほしいと書いてあるけど、具体思考で生きている方にとって、それはとっても難しいことだと思う。なぜなら、その能力を身に着けるタイミングが、9~10歳だったんじゃない?と思うから。

保護者数人で、ある問題に関して話し合っていて、学校に対して私は〇〇という要望をしたの、と発言をした。そしたらある方に、「あれ?あなたの理想は〇〇だといつも言っているじゃない?」と突っ込まれた。私は、「私の理想は確かに〇〇、だけれども今この状況下で学校に私の理想を押し付けるべきではないから、〇〇と要望したのよ」と説明した。そしたら、それを理解してくれた保護者もいたけど、私に突っ込んだ方は、理解できないという顔をしていた。

要するに、私の信念はいつ何時も変わらないけど、それを主張すべき時と場合、相手は選ぶ、ということが理解できない様だった。その人にとって、私は言ってることがその時その時で変わる、ブレブレな人、と感じるんだろう。

そこを理解してもらおうとは思わないし、理解できない方なんだと思う。だからその方はおいてけぼりで話は進めた。結果、その方は何とも気持ち悪い、納得できない話となったんだろうと思う。

そういうことが、よく理解できた本でした。

プレーパークでキャンプ

プレーパークでキャンプするという、ワクワクするイベントに参加してきた。顔見知りがいるかなぁ、どうかなぁ、という参加者の顔が全く見えない状況だったけど、楽しいはず!と、申し込んでみた。

もちろん、ハスちゃんは何そのキャンプ?という反応。カメちゃんも、〇〇君は来る?とか、誰が来るかわからない所がひっかかった様。私も、実際どうなるかちょっと不安。でも、キャンプ、やりたい。そんな気持ちで参加した。

参加者の中に、顔見知りの子はいたけれど、そんなに仲良くはないから、初めは距離をとりつつ、各々、ピザの材料を切ったり、栗拾いに行ったり、それぞれ興味を持てる事をする時間。

夕食のカレーを食べて、あたりが薄暗くなってきた頃、あるスタッフがピカピカ泥団子を作っていたのをきっかけに、子供たちに泥団子ブームが到来!ヘッドライトやランタンの明かりを頼りに、暗闇で泥団子を必死で作る子供たち。中学生から未就学児までが一体となって泥団子を作っている。

上手な子のやり方を見て、真似る子。それでもできなくて、どうしたらそんな風にできる?と質問したり。必死でサラ粉を集める子、もう頭をフル回転させて、泥団子づくりに夢中になっている様子。とーってもステキだった。

暗くなってからの泥団子づくりで一気に距離が縮まった子供たち、その後は神社へ肝試しに行ったり、暗闇鬼ごっこが始まったり。暗闇鬼ごっこはすごかった。中学生から2歳児までが参加していて、みんなが楽しそうだった。

暗い、とあまり見えなくなって不便なんだけど、明かりがある場所に人は集まり、物理的な距離が縮まり、そしてそこに会話が生まれ、共通の興味が生まれ、心の距離も縮まる。

家に引きこもっている子も参加していて、明るい時間は居心地があまりよさそうではなかったけど、暗くなってからは、焚火の前に座ってずーっと火の番をしてくれていた。

暗い、と、なんだか人間の内面に、明るい時にはない何かが生まれるというか、心が解放されるというか、言葉に出来ない何かを感じた。

論理的思考

数学を勉強する理由はただ一つ、頭を問題にたどりつくために論理的に考える練習、問題にどうたどり着くか、問題解決能力を鍛える。

数学でいう、定数を動かそうとする人がいる。定数は変更できない数値であり、人生において、それは自分の力でどうしようもない事、それなのに定数に労力をかける人がいる。叶わない努力で疲れてしまう。要領がよくない方というのがいて、その方は、どうしようもない所に取り組んでいる。

変数は変化する数値。どうにかしなくてはいけない事。自分次第で変えられる事、ここに労力をかける。

これ、森岡毅さんが林修さんのテレビ番組のインタビューで語っていたこと。 私とハスちゃん にとっても響いた内容だった。どんぐり問題って、これだね!と。どんぐり問題やる理由は、論理的思考力をつけ、問題解決能力をつけるってこと。

これが要領よく、楽しい人生を送る秘訣だと思う。

私は定数と変数の見極めが得意だと思う。だから変数に自分の労力を注ぐ。逆に、定数には見向きもしない。でも、定数を何とかしようとする方からみたら、なんだか冷徹で変な人、と思われることがあるのかも。

今、子育てに対して似たような価値観を持っていると感じていた、でももちろん深堀すると価値観の違いも多い方と、この問題解決の為に選択する手順の違い、アプローチの仕方の違いで、ちょっとぎくしゃくしている。

ただ、変数だけに労力を注ぐ、論理的に問題をとらえる、これをやっていたら、周りの方に何を言われても気にならない。意見されたら、ちゃんと話せるし、陰口は勝手にどうぞ、という気になる。

論理的思考力、最強だ!