はだしのゲン

ルポ 誰が国語力を殺すのか  石井光太著 がすごかった。今年何冊も聞いたなかで断トツ震えた。もう少し、落ち着いてから、また書きたいと思う。けど、これを読んで、今公立の学校の状況がどんな感じか、ハスちゃんが何を感じたのか、が理解できた気がする。ありがたい。

『はだしのゲン』が、広島市の統一教材『ひろしま平和ノート』の小3と高1向けに使われていたけれど、小3は別の内容に、高1も大幅に縮小された、と報道された。

私は広島で生まれ育ち、はだしのゲンは身近に感じる漫画であり、あの悲惨さは、全小中学生が読むべきものだと思っていた。なぜ、はだしのゲンが使われなくなるの?と思ったら、理由はゲンが浪曲を歌って日銭を稼ぐ場面について、今の子に浪曲はなじまない。栄養不足の母のためにコイを盗む場面は、誤解を招くということらしく、愕然とした。

とにかく理由がいけない。理由に愕然とする。でも、先述のルポ誰が国語力を殺すのか、の内容を思い返すと、仕方がないのかもしれない。

ハスちゃんカメちゃんだったら、私は、子供が歌って日銭を稼ぐことが必要な状況が、戦争であること、栄養不足の母の為に子供に鯉を盗ませることが、またこれ戦争の悲惨さであること、と話し、理解させることができる。だから戦争はダメだ、と。何の誤解も生まれようがない。

日本でなく、外国に目を向けると、歌ったり、ゴミを拾ったりして日銭を稼ぎ、生きるために盗みを働く子供がいるでしょう?当たり前に。何を言ってるの、広島市。

ただ、私たちの想像を超えるところまで、子供の理解度の低下、多分親の理解度の低下、がきているんだと思う。

読書について

audible契約して、どれくらい経っただろうか。子供が産まれて自分のための読書から遠ざかっていた私に、読書、というか、聞書、本の愉しみを思い出させてくれたaudibleには感謝。聞き放題でいろんな本を聴けるから、これはもう紙の本を読むことなくなるんじゃないか、と思ったりもしたけど、そんなことはない。

オーディオブックの利点はある、運転中に聴ける、とか。でも、紙の本って格別。それを実感している。

audibleで聞いた本を気に入って、その作者の他の本を読む、聞いた本に出てきた本を読む、という流れがおきている。面白い。audbleを聞けば聞くほど、紙の本を読む量が増えていく感じ。紙の本は、内容がふかーい所に入っていく感じがする。オーディオブックだと、表面をさらっとなでていく感じ。

昨日、ある方とお話する機会があって。その方はご自身が読書家。だから私は「今息子にナルニア国物語を読み聞かせしてるんです。いつも布団に入って、息子が練るまで読んでます」と言って、「わぁ、すごい、息子に読み聞かせなんて、しようと思ったことが無い!」と言われて正直驚いた。

不思議だなぁ。本の読み聞かせほど大切なこと、子育てにおいてそうそうない、と思うくらいなんだけど。同じ物語を共有する時間、とっても大切な時間になるんだけど。物語を読むことで、いろんな能力が育つと思うんだけど。私は、ご自身が本が好きなお母さんでさえ、子供に読み聞かせをしない、という事実があると知り、よくないなぁ。。。と感じた。

私調べでは、親が子供に積極的に読み聞かせをすると、子供はもれなく読書が好きになります。

英会話だの、公文だの、〇〇教室、よりも、読み聞かせ、だと私は信じている。

テスト勉強

ハスちゃん、現在期末、学年末試験期間中。まだ試験が始まっているわけではなく、範囲が発表されて数日。実は私、いつから試験なのかは知らない。。。

中学生になり、初めての定期試験から、今の学年末試験まで、ハスちゃんの変化、が面白い。

我が家はどんぐり式で育ててきて、中学生になってどんぐり問題をすることはなくなったけど、糸山先生の”定期試験の為に勉強するのは非効率”というような言葉をハスちゃんに伝えていた。ハスちゃんは、ふんふん、オッケーくらいの感じで、本当に試験勉強をほぼしないで1学期の期末試験を受けたっぽい。結果、点数は良くも悪くもない、まぁ、平均点よりはいいか、って感じだった。

2学期はいじめ問題を受けてフリースクールへ通う日々。それでも期末試験は受けることができた。学校に通わないで、一人でオンラインで授業を受け続け、試験を受けただけでも拍手を送りたい。そして、私が見た感じ、1学期の期末試験の時よりは、ちょっと勉強をしていた。なんやら試験の2日前とかに急に勉強し始めて、やばい、時間が足りない!と言っていた。

そして今、3学期の期末試験。範囲が発表されて、なんだかとってもたくさん課題が出されている様で。課題を与えないからたくさん出すようにしたのか、それとも、ハスちゃんが日々やっておくべき課題を貯めていたのかは不明なんだけど。とにかく、範囲発表があってからは、私が日曜日〇〇に行こう、と言っても、試験に向けてやらないといけないことがある、と断られ、昨日カメちゃんにテレビのスペシャルデーするから、〇〇一緒に観ようと誘われても、断っていた。1学期、2学期には見られなかった姿。

1学期、2学期、の失敗を生かして、今、という感じ。そして今、もまた失敗がありそうだ。時間をかけて、卒業するまでに、失敗から学び続け、自分を知り、自分に合った勉強スタイルを確立していったらいいね。

親としては、失敗させてくない、と思う。失敗=成績不振、になるから。でも、そこをぐっと堪えて、とにかく任せる。成功も、失敗も、すべて子供に任せる。そうできたら、子供はどんどん自分の力で成長していく、気がする。

カメちゃん生徒会立候補

「ママ、今日ね、生徒会に立候補したよ」とカメちゃんが言った。驚いた。カメちゃんが生徒会?何というか、意外だった。遊び命!の親子だから、生徒会、って縁遠い感じのイメージで。

カメちゃんが通うのは、公立初のイエナプラン教育校。いわゆる先進的な小学校だ。そんな小学校だから、生徒会の雰囲気も違うのかもなぁ。何と、来年度6年生になる10名ちょっとの5年生の内、7名が生徒会に立候補したらしい。半数以上が立候補って、なかなか無いよね。そして、その7名中5名が生徒会長に立候補しているらしく、カメちゃんもその中の一人。

選挙でえらばれるらしいんだけど、カメちゃんが生徒会長にもしなったら、と想像すると、笑える。色々面白い。バカにしていると思われたらいけないから、こっそり心の中で笑った。

「カメちゃんが生徒会長になったら、学校たのしいだろうねーママ、そんな学校に行きたかったなー」と言ったら嬉しそうに笑っていた。

生徒会がそんなに人気な学校って、いいなぁ、と思った。

感覚を育てる

” 感覚が育っていない” こと。

今日、群馬でどんぐり教室をしているさとちゃんの投稿を読んで、ハッとした。 ” 感覚が育っていない” ことが、多くのことの元凶であると感じた。

先日、知人宅で開かれたイベントに行き、何とも苦い気持ちを味わった。野外でピアノ演奏が聴けるイベントで、ある男性、とってもクリエイティブな方が、家主のリクエストで踊り始めた。踊りというより、演技、かな。子芝居か。役者さんなの?と私は関心した。即興で、急に言われてこんなのできるのって素晴らしい。

それを見た子供達が、面白がってるんだけど、「うわぁー見て!バカじゃん、〇〇ちゃん、バカだ」と大声で叫ぶ。その子芝居をしている方と、その子供達はとても仲がいいのだ。その子達も、楽しいと思っているんだろうに、出てくる言葉が人をコケにするというか、傷つける類の言葉である、ということが、不思議だし、残念だと思った。だから、私は「バカじゃない、すごい、楽しいね」と言った。全く彼らには伝わらなかったけど。

私が残念だと思うのは、その子供達の発言を、周りにいる大人が放置すること。その発言に対し、何も感じないのか、それだったらもう成すすべはない。今の子供達の状態は、大人の責任だ。だから、私は声を上げ続けようと思う。

昨日、カメちゃんが放課後、誰が作ったかわからない泥団子を壊して遊んだと聞いた。楽しかったらしい。けれども、自分が作ったもの以外のものを壊すことには、注意をしてほしい、それを作った人の気持ちを考えて欲しい。自分が泥団子を作って大事に置いた時の気持ちを思い出して、と話した。そしたら、カメちゃん、「やばいな」と言った。

それでいい。失敗をして、良くないことをして、そこから、何かを感じて、成長していってほしい。でも間違ったこと、人を傷つけることをしても、周りの大人がそのまんまにしていたら、子供の感覚を、あるべき状態に保つことが難しくなりそうだ。

昔いた、近所のこわいおじちゃん、おばちゃん、の復活を希望する。

赤いマフラー

3学期、ハスちゃんはフリースクールではなく、学校の保健室登校をしている。空き時間にやるためにルービックキューブを持参している。全面揃えられるだけでも凄いけど、そのスピードがちょっと笑っちゃうくらい速い。世界一とか、日本一、とかその道の人が見たらまだまだなんだろうけど、一般人がみたら、笑ってしまうくらいのスピード。

ルービックキューブをすごい速さで全面揃えられるというのは、分かりやすい。1年生~先生達まで、見る人全員を魅了しているようで。ハスちゃんのルービックキューブを見た児童が、教室で先生に話し、その先生が見に来る、みたいで。ちょっとした見世物になっているらしい。ハスちゃん、よかった。みんなに凄い、すごい!と言ってもらえるなんて、本当によかった。

黒、紺、白という色を選んではいるけど、制服ではなく私服で登校している。3学期の始め、制服じゃなくて、私服でいいですか?と確認するか少し考え、しなかった。このスタイルで登校し、何か言われたら意見しよう、と思った。何にも言われなかったけど。

保健室登校するにあたり、 堂々と登校すること。こそこそしない。恥ずべきはいじめた子、いじめを放置する子、ハスちゃんは、堂々としていること、と話した。

カメちゃんを朝学校に送り、戻る時に、自転車で登校するハスちゃんとすれ違うことがある。ハスちゃん、赤いマフラーしてた。目を疑った。赤!最も目立つと言われている赤!それをみて、ハスちゃんは大丈夫だ、と思った。

ファンタジーの世界

カメちゃんにハリーポッターの読み聞かせをしてきたけど、一巻終わったら映画を見る、そしてまた次の巻を読むとしていた。

死の秘宝、最後の巻を読み終えて、DVDを借りて映画も見終えた。カメちゃんは「終わったー~」と感慨深そうだ。私からしたら映画はいろんな場面を端折りすぎてて全然楽しくない。けど、カメちゃんは本も映画もどっちもそれぞれ面白いとのこと。

私が「あぁ、カメちゃん、あなたにはホグワーツから入学してくださいって手紙届かなかったね」と言ったら、「まだだよ、あれ中学生になる時に手紙が来るんだよ」と言った。私は、何言ってるの、ホグワーツなんてないよ、これ、作り話だよ!なんて返されると思っていたから、このカメちゃんからの返答は、ちょっとびっくりして、そしてこの子の中にはまだ、ファンタジーや多分ないけどありそうなものを否定しない、信じる気持ちが残ってるんだなぁ、と感じて嬉しかった。

「そうか、じゃあまだカメちゃんには可能性があるね。ホグワーツから手紙、中学生になる時に来るのかも」と言ったら、何も言わずにカメちゃんは微笑んでいた。

ジャイアン

放課後、カメちゃんを迎えに行ったら、泣きべそのカメちゃん。奄美時代、小学校低学年の頃はよくあったけど、久しぶりだった。

ジャングルジムにいるお友達にボールを当てる遊びをしていて、カメちゃんが投げたボールが、6年生のお友達の頬にあたってしまった。その子は我が家では密かにジャイアンと呼んでいて、言動がジャイアンそっくりで乱暴。ジャイアンはボールが当たり、激怒。「お前殺してやる!」と言われてカメちゃんは逃げ回った。一旦トイレに行くために校舎に入り、校庭に出たら、カメちゃんが先生の所にいいつけに言ったと勘違いしたジャイアンが急に謝ってきたらしい。

カメちゃんは、どうしても許したくないという気持ちが沸き上がってきて、許さないと言った。それを聞いたジャイアンは怒り、カメちゃんを仲間外れにしてサッカーを始めた。

そんなことがあったらしい。

ジャイアン、頭にくる!ボール遊びしてて、当たって怒るなんて、遊ぶ権利なし!もう家に閉じこもってろ!ボール当たるくらいで殺すなんて言葉発するなんて人間じゃないぞ!

こう思った。

そして、そのジャイアンのかわいい所、頼もしい姿が思い出された。先週末行われた町内駅伝大会にカメちゃんとジャイアンは参加して、タスキをつなぎ走り、優勝した。二人とも区間賞。走る前にチーム9人の士気を高めるジャイアン、いい走りをして区間賞とって鼻高々なジャイアン、カメちゃんの区間賞も讃えてくれたジャイアン、大人に向かって物おじせず発言するジャイアン、そんなジャイアンを思い出した。

色んなジャイアンを知っていてよかった。彼のいい面を知らなかったら、ついつい、カメちゃんに「ジャイアンと遊ばないで!」と言ってしまいそうになるのが、親の性。。。

とにかく、人っていろんな面があるから、いろんなことを一緒にして、いろんな感情を共有しておくことが、うまく人と付き合う一つの方法だなぁ、と感じた。

本って素敵

答えより問いを探して 17歳の特別教室  高橋 源一郎著

何気なく聞いたこの本がすごかった。ハスちゃんには今、そしてカメちゃんにも中学生になったら絶対に読んでもらおうと思った。

何か所かとっても印象的だった箇所がある。

昔は良く、キツネやタヌキに化かされた、という話があった。昭和30年ころまではそんな内容のニュースが誌面を賑わしていた。そしてそんなニュースは消えた。急にキツネやタヌキが化かさないようになるとは考えにくく、変わったのは人間の方。人間が感性を失ったと考える、との記述。本当にそうなんだと思う。

高橋さんは、大学で教員をされていて、小説家だから文章の書き方を指導されていた。学生にもちろん文章を書かせる。けど、一切添削はしない。文法の誤りも、誤字脱字も一切。それをしたらその時点で、書き手の作品ではなくなる、と。私はハスちゃんカメちゃんの作文を先生が添削することを嫌悪している。何を偉そうに!何の権利があって!と言わないけど思ってしまう。

高橋さんが先生と仰ぐ偉大な小説家が、老い、認知症を患い、でも書くのをやめなかった。認知症ということもあり、各内容がめちゃくちゃで、事実が間違っているレベル。でも、それをその小説家は修正させなかった。なぜなら書いた時点で僕はそう思っていたから、それでいい、とのことで。それでいいんだなぁ、とじーんとした。

そして戦後だったか、農家に生まれて働きづくめで生きた女性の話。晩年ケガして働けなくなった女性は寝たきりに。そして生きる意味を見失い自殺を決意。遺書を準備する為に文字を習い始める。孫娘から。その遺書は、ひらがなばかり、急にカタカナが入ったり、文法もめちゃくちゃ。だけれども、この女性が書いた文章は胸を打つ、これ以上に伝わる文章はない、と高橋さんは称した。

何か明確な目的をもって書かれた文章。それ以上、人に感動を与える文章はない、と高橋さんは言う。

しっかりと、目的を持って、書いてゆきたいなぁ。

ハリーポッター 読了

2022年1月5日、ハリーポッター 死の秘宝の下、読み聞かせ終わりました。

奄美大島にいた時、あれはいつだったんだろうか。あまりにも有名なハリーポッター、有名すぎて、ベストセラー過ぎて読んでいなかった類のハリーポッターを、どんなきっかけだったか忘れたのだけど、小学校の図書館で借りてきて、夜寝る前に読み聞かせを始めた。

最初の賢者の石、の時はハスちゃんも一緒に聞いてたなぁ。さすが世界的ベストセラー、読んでみたら面白かった。けれど、読み聞かせというスタイルだとゆっくり、ゆっくりしか進めない。寝つきが良いカメちゃんが寝るまで読む、というスタイルだと、1日1ページしか読めない日もあったり。ぐいぐい読んでも1章読むのに2日かかった。ハスちゃんは読み聞かせのペースで満足できず、結局は自分で読んでいたなぁ。

そんなこんなで、カメちゃんだけへの読み聞かせに変化したのだけど、最終章の死の秘宝まで読むことができたこと、よくやった!と思うし、楽しかった。長いんだけど、とっても楽しくて、毎夜のお楽しみの時間となった。そんな時間を共有することが、読みきかせのメリットだもんね。

ハリーポッターを読み聞かせしていた、2年ちょっと、もしくは3年くらいの間、ハリーポッターの世界がパラレルワールドのように私たちの生活と共にあった。魔法、という物語のキーワードが、私とカメちゃんの中には常にあって、山歩きで棒をひろったとき、それは魔法の杖になったし、魔法の呪文を言い合ってよく笑った。

中でも、ルーナという一風変わった女の子の口調、〇〇だもン、と語尾に小っちゃいンを付ける話し方を急にカメちゃんがすることがあって、それを聞いた瞬間、私は「ルーナだね!」と笑っちゃう。そんな日々、楽しすぎる。

文字にあまり興味を持たず、読み書きが苦手だと感じていたカメちゃんが、このハリーポッターの読み聞かせをし始め、読めるじゃん!とびっくりした瞬間があった。読み聞かせをしながら私が睡魔に勝てず、もう駄目だ、今日はここでおしまい、と言ったら、カメちゃんが「じゃあ僕が読むね」と言い出して、あの難しい漢字、横文字もたくさんの文章を読み始めた。びっくりして睡魔が飛んだのを覚えている。面白い物語は、読む力を開花させるのだな。

他にも、ハリーポッターにはものすごい盛り上がって、次は何?次は?ともう展開を早く知りたい!と気持ちが昂る箇所があって、そんな箇所を読むとき、私の読むスピードが遅いと感じたのか、急にカメちゃんが読み始めた時もあって。カメちゃんが物語にエネルギーを集中させているのが分かって、とーってもいいなぁと思った瞬間もあった。「僕が読む」とも言わず、急に読み始める様子は、本当に素敵だった。

そんなハリーポッターの読み聞かせが、ついに終わった。何とも幸せで、楽しい時間だった。この思い出は、一生私とカメちゃんの中に残るなぁ、と思う。

今は、また新しい本を読み始めているけど、あのハリーポッターの後では、短い!内容が簡単すぎる!とこれまたカメちゃんは楽しそう。次は何を読もうかね。