ファンタジーの世界

カメちゃんにハリーポッターの読み聞かせをしてきたけど、一巻終わったら映画を見る、そしてまた次の巻を読むとしていた。

死の秘宝、最後の巻を読み終えて、DVDを借りて映画も見終えた。カメちゃんは「終わったー~」と感慨深そうだ。私からしたら映画はいろんな場面を端折りすぎてて全然楽しくない。けど、カメちゃんは本も映画もどっちもそれぞれ面白いとのこと。

私が「あぁ、カメちゃん、あなたにはホグワーツから入学してくださいって手紙届かなかったね」と言ったら、「まだだよ、あれ中学生になる時に手紙が来るんだよ」と言った。私は、何言ってるの、ホグワーツなんてないよ、これ、作り話だよ!なんて返されると思っていたから、このカメちゃんからの返答は、ちょっとびっくりして、そしてこの子の中にはまだ、ファンタジーや多分ないけどありそうなものを否定しない、信じる気持ちが残ってるんだなぁ、と感じて嬉しかった。

「そうか、じゃあまだカメちゃんには可能性があるね。ホグワーツから手紙、中学生になる時に来るのかも」と言ったら、何も言わずにカメちゃんは微笑んでいた。

ジャイアン

放課後、カメちゃんを迎えに行ったら、泣きべそのカメちゃん。奄美時代、小学校低学年の頃はよくあったけど、久しぶりだった。

ジャングルジムにいるお友達にボールを当てる遊びをしていて、カメちゃんが投げたボールが、6年生のお友達の頬にあたってしまった。その子は我が家では密かにジャイアンと呼んでいて、言動がジャイアンそっくりで乱暴。ジャイアンはボールが当たり、激怒。「お前殺してやる!」と言われてカメちゃんは逃げ回った。一旦トイレに行くために校舎に入り、校庭に出たら、カメちゃんが先生の所にいいつけに言ったと勘違いしたジャイアンが急に謝ってきたらしい。

カメちゃんは、どうしても許したくないという気持ちが沸き上がってきて、許さないと言った。それを聞いたジャイアンは怒り、カメちゃんを仲間外れにしてサッカーを始めた。

そんなことがあったらしい。

ジャイアン、頭にくる!ボール遊びしてて、当たって怒るなんて、遊ぶ権利なし!もう家に閉じこもってろ!ボール当たるくらいで殺すなんて言葉発するなんて人間じゃないぞ!

こう思った。

そして、そのジャイアンのかわいい所、頼もしい姿が思い出された。先週末行われた町内駅伝大会にカメちゃんとジャイアンは参加して、タスキをつなぎ走り、優勝した。二人とも区間賞。走る前にチーム9人の士気を高めるジャイアン、いい走りをして区間賞とって鼻高々なジャイアン、カメちゃんの区間賞も讃えてくれたジャイアン、大人に向かって物おじせず発言するジャイアン、そんなジャイアンを思い出した。

色んなジャイアンを知っていてよかった。彼のいい面を知らなかったら、ついつい、カメちゃんに「ジャイアンと遊ばないで!」と言ってしまいそうになるのが、親の性。。。

とにかく、人っていろんな面があるから、いろんなことを一緒にして、いろんな感情を共有しておくことが、うまく人と付き合う一つの方法だなぁ、と感じた。

本って素敵

答えより問いを探して 17歳の特別教室  高橋 源一郎著

何気なく聞いたこの本がすごかった。ハスちゃんには今、そしてカメちゃんにも中学生になったら絶対に読んでもらおうと思った。

何か所かとっても印象的だった箇所がある。

昔は良く、キツネやタヌキに化かされた、という話があった。昭和30年ころまではそんな内容のニュースが誌面を賑わしていた。そしてそんなニュースは消えた。急にキツネやタヌキが化かさないようになるとは考えにくく、変わったのは人間の方。人間が感性を失ったと考える、との記述。本当にそうなんだと思う。

高橋さんは、大学で教員をされていて、小説家だから文章の書き方を指導されていた。学生にもちろん文章を書かせる。けど、一切添削はしない。文法の誤りも、誤字脱字も一切。それをしたらその時点で、書き手の作品ではなくなる、と。私はハスちゃんカメちゃんの作文を先生が添削することを嫌悪している。何を偉そうに!何の権利があって!と言わないけど思ってしまう。

高橋さんが先生と仰ぐ偉大な小説家が、老い、認知症を患い、でも書くのをやめなかった。認知症ということもあり、各内容がめちゃくちゃで、事実が間違っているレベル。でも、それをその小説家は修正させなかった。なぜなら書いた時点で僕はそう思っていたから、それでいい、とのことで。それでいいんだなぁ、とじーんとした。

そして戦後だったか、農家に生まれて働きづくめで生きた女性の話。晩年ケガして働けなくなった女性は寝たきりに。そして生きる意味を見失い自殺を決意。遺書を準備する為に文字を習い始める。孫娘から。その遺書は、ひらがなばかり、急にカタカナが入ったり、文法もめちゃくちゃ。だけれども、この女性が書いた文章は胸を打つ、これ以上に伝わる文章はない、と高橋さんは称した。

何か明確な目的をもって書かれた文章。それ以上、人に感動を与える文章はない、と高橋さんは言う。

しっかりと、目的を持って、書いてゆきたいなぁ。

ハリーポッター 読了

2022年1月5日、ハリーポッター 死の秘宝の下、読み聞かせ終わりました。

奄美大島にいた時、あれはいつだったんだろうか。あまりにも有名なハリーポッター、有名すぎて、ベストセラー過ぎて読んでいなかった類のハリーポッターを、どんなきっかけだったか忘れたのだけど、小学校の図書館で借りてきて、夜寝る前に読み聞かせを始めた。

最初の賢者の石、の時はハスちゃんも一緒に聞いてたなぁ。さすが世界的ベストセラー、読んでみたら面白かった。けれど、読み聞かせというスタイルだとゆっくり、ゆっくりしか進めない。寝つきが良いカメちゃんが寝るまで読む、というスタイルだと、1日1ページしか読めない日もあったり。ぐいぐい読んでも1章読むのに2日かかった。ハスちゃんは読み聞かせのペースで満足できず、結局は自分で読んでいたなぁ。

そんなこんなで、カメちゃんだけへの読み聞かせに変化したのだけど、最終章の死の秘宝まで読むことができたこと、よくやった!と思うし、楽しかった。長いんだけど、とっても楽しくて、毎夜のお楽しみの時間となった。そんな時間を共有することが、読みきかせのメリットだもんね。

ハリーポッターを読み聞かせしていた、2年ちょっと、もしくは3年くらいの間、ハリーポッターの世界がパラレルワールドのように私たちの生活と共にあった。魔法、という物語のキーワードが、私とカメちゃんの中には常にあって、山歩きで棒をひろったとき、それは魔法の杖になったし、魔法の呪文を言い合ってよく笑った。

中でも、ルーナという一風変わった女の子の口調、〇〇だもン、と語尾に小っちゃいンを付ける話し方を急にカメちゃんがすることがあって、それを聞いた瞬間、私は「ルーナだね!」と笑っちゃう。そんな日々、楽しすぎる。

文字にあまり興味を持たず、読み書きが苦手だと感じていたカメちゃんが、このハリーポッターの読み聞かせをし始め、読めるじゃん!とびっくりした瞬間があった。読み聞かせをしながら私が睡魔に勝てず、もう駄目だ、今日はここでおしまい、と言ったら、カメちゃんが「じゃあ僕が読むね」と言い出して、あの難しい漢字、横文字もたくさんの文章を読み始めた。びっくりして睡魔が飛んだのを覚えている。面白い物語は、読む力を開花させるのだな。

他にも、ハリーポッターにはものすごい盛り上がって、次は何?次は?ともう展開を早く知りたい!と気持ちが昂る箇所があって、そんな箇所を読むとき、私の読むスピードが遅いと感じたのか、急にカメちゃんが読み始めた時もあって。カメちゃんが物語にエネルギーを集中させているのが分かって、とーってもいいなぁと思った瞬間もあった。「僕が読む」とも言わず、急に読み始める様子は、本当に素敵だった。

そんなハリーポッターの読み聞かせが、ついに終わった。何とも幸せで、楽しい時間だった。この思い出は、一生私とカメちゃんの中に残るなぁ、と思う。

今は、また新しい本を読み始めているけど、あのハリーポッターの後では、短い!内容が簡単すぎる!とこれまたカメちゃんは楽しそう。次は何を読もうかね。

新学期、新生活

2023年になり、学校は3学期が始まった。ハスちゃんが在籍する学校は遅れていた新校舎の建設が終わり、やっと3学期から新校舎利用が始まった。

新校舎では、教室に入りたくない子がいられる場所を作ってくださいと要望していた。そんな居場所を準備してくれて、ハスちゃんは3学期からそこに行ってみることにした。どんな感じかわからないけど、とりあえず行ってみよう、と。嫌ならまた、フリースクールに戻ればいい。ただ、オンラインで授業を受けるにも、学校内にいる方が先生としても、ハスちゃんとしてもやりやすいと思って。

3学期始まって4日が経った。ハスちゃんは、思ったより楽しい、と学校に行っている。年度の途中でもあり、新たな人員を配置することが難しいからか、その居場所ではなく、保健室で過ごしているみたい。保健室はかなり広くて、窓が多くて明るくて、養護教諭も気が合って、たまに保健室を訪れる生徒と交流したり、楽しいみたい。

年をまたぐだけで、こんなにも変わるのか、というくらい変化があった。毎日フリースクールに送迎し、図書館で過ごす生活でなくなった。あの生活も楽しかった。楽しめた。けど、今となったら、今の方がいい。でも、いつまた学校に行けなくなるかわからないから。どっちも楽しめる心持ちで過ごしていようと思う。

色々あるけど、物事はいい方にしか進まない。そう思う。

2023年、読書の喜び

新年早々、読書、本っていいなぁ、と感動している。読書といっても、聞書、なんだけれども、今年に入ってすでに3冊聞いた。本って、本当に有難い。優秀で知識豊富な方たちが、惜しげもなくそれを教えてくれる。しかもこちらの都合のいい時間に。今年は、どんどん、本を読み、聞こうと思っている。

「天才と育てた親はどんな言葉をかけていたのか」 真山知幸、親野智可等 著は、とってもよかった。帯に書いてある”生まれながらの天才なんていない。大切に育てた人がいたんだ”という言葉にグッときた。この本は本当に素晴らしい親がたくさん出てくる。でも、私がこの本の帯を書くとしたら”子供はみんな天才。その才能を生かすか殺すかは親次第”かな。

この本の良いところは、色んな種類の天才、色んな種類の素敵な親が出てくるところ。もちろんあの有名なエジソンも出てくる。エジソンの母が学校が合わない息子にマンツーマンで教育をしたことは有名。すごい!けど、でも私にはできない、と思うよね。でも、できそう、それは私にもできる、やりたい、という親も出てくる。そのバリエーション豊富なところが良い。

もう我が家では実践、真似していたのが、天才数学者、森毅さんの父。学校を休みたいという息子さんに、「落第しないよう、コントロールして休むこと、そして、休んだ日は学校に行くよりも有意義な一日を過ごすこと」こう話したらしい。この話、他の本で読んで、我が家では実践させて頂いている。

ハスちゃんに、せっかく学校行かないなら、学校行くより有意義な生活をするんだよ、と事あるごとに話していて、ハスちゃんも、笑顔でうん!と同意している。

天才と称えられている人たちに、学校が合わない、学校では落ちこぼれで成績が悪かった人が多いのに驚く。アメリカの有名大企業を創設した天才も、中々言葉が出ず、吃音に苦しみ、学校ではひどい扱いを受けていたらしい。そんな息子に母親がかけた言葉が素晴らしい。「あなたは頭の回転が速すぎて、言葉がついていかないだけよ」

これだよね。こんな言葉をかけてもらえたから、この息子さんは大企業を創業できた。天才たちが小学校では、ぼーっとしているように見えて先生から酷評されるのは、頭が良すぎて、思考が活発過ぎて、でもそれをアウトプットする言語能力がまだ発達していないから、なんじゃないかな、と思う。

だから、今、小学校で言葉が遅かったり、読み書きができない子の中にも、もし親が信じて励ましてあげられたら、立派に活躍できる子がたくさんいるんだろうな。

この本の中に、ノーベル賞を取った科学者で、小学校では成績が悪かった人の話があり、ある先生が「君は観察眼がするどいね」とほめてくれた経験を心のよりどころにしていた、と書かれていた。

今朝起きて、カメちゃんがヒーターの前で着替える途中、ぼーっとしている。「何してるの?」と聞いたら、「観察してる」と言う。ヒーターの出力ボタンを上げる、下げる、をぴっぴっと押して、見ている。そんなことしてないで、早く着替えて!と口から出かけたのを飲み込んで、

「カメちゃんは、観察力があるね」

と言ってみた。そしたら、「うん」とカメちゃんは頷いて、着替え始めた。私は今朝、カメちゃん天才への道、を後押ししたに違いない。笑

2022年ありがとう

今年が終わる。我が家は大みそかは紅白歌合戦。幼い頃からずっとそう。最近はテレビはほぼ見ないので、私はこの紅白歌合戦で今活躍している歌手や今年はやった歌を今年初めて聞く。そして、聞いてすぐ今年が終わる。テレビ視聴は週2時間の我が家も、年末年始はこの限りではない。いつもはあまり見ないテレビを観る、というのがなんだかスペシャル感があって、悪くない。

今年は、奄美大島から広島県に引っ越し、ハスちゃんもカメちゃんも新しい学校に転入した。予想だにしない苦しい出来事もあった。ハスちゃんが泣きながら「もう学校行きたくない」と言った夜、それを聞いて、眠れなくて、ハスちゃんが消えてしまわないように、と本気で思ってハスちゃんの狭いベットに入り込んで、ハスちゃんを抱きしめて寝た夜。あれは忘れられない出来事だ。これ以上苦しい出来事は無い類の出来事だったけど、でも今笑顔で家族で紅白を見てあーだこだ言っている。結果オーライ。全然大丈夫なんだなぁ。

昨夜は、忘年会。家族ぐるみの集まりで、子供たちも小学生から中学生に成長し、小さい頃は会ってすぐ打ち解けていたけど、初めちょっと馴染むのに時間がかかる。しかも、中学生の子、タブレットを持ってきてて、ずーっとそれを触ってる。タブレットとかスマホ見ちゃうと、もう会話なんてできないし、周りの子も話しかけられないし、私は個人的にタブレット禁止!したい心境だった。

小中学生には一人一台端末が配られ、まぁ、あれこれとトラブルの記事を目にした。どんぐり式で子育てをしている方たちは、何をいまさら言ってるの?と言っている。私もそう思う。子供にゲーム機を与えておいて、ゲームしかしない、とか愚痴っている親が多い。いまさら何をいってるの?と私は言葉を失ってしまう。

カメちゃんは、chromeブックは持ち帰らず、学校だけで使用。もう5年生だ。5年生でよかった。1年生の子たちが、学校でchromeブックで何か見たり、夢中で何かしてるのを見ると、嫌だなぁと感じる。まだchromeブックなんて与えるべき年齢じゃない。国が、それをやってしまうと、厳しいねぇ。

時代は、この国は私の好まざる方向へ進んでいた李、停滞しているような印象がある。でも、私は幸せ。ハスちゃんカメちゃんも幸せだ。どんなに世の中がぐちゃぐちゃになろうとも、信じる道、ゆるぎない理念があるから、迷った時に、調べるべきデータベース、質問できる指導者がいる。なんと心強いか。

しかし、どんぐり倶楽部主宰の糸山先生の話す中学生の勉強の仕方、私は中学生の時に聞きたかった。

今年は良い年だった。今年もいい年だった。先進的な教育を求める保護者が多く集まるイエナプラン教育校に関われて、幸せだ。昨年度までは孤軍奮闘していたけど、今は一人じゃない。同じ考えの家庭もいて、似た考えの家庭もいる。何よりも自然の中で遊ぶことを重視している家庭も多くて、それも幸せ。

今年会ったみなさん、ありがとう。来年も楽しく行こう♪

小学校の休憩時間

カメちゃんが通う小学校は、本当に素敵な学校で、全ての公立小学校がこんな感じになればいいのになぁと思う。

けれども、たまに個人的に「それはおかしい!」と思うことをされる事がある。普通の公立小学校では日常的におかしいことだらけなんだけど、今の小学校だと、1か月~2か月に1度、という感じ。それだけでも恵まれている。

昨日カメちゃんが「漢字テスト9割点が取れないと、大休憩も、昼休憩も無し、遊ばないことになった。」と言った。でたー!!!子供の休憩時間を取り上げて勉強を強要するやつ!!!

奄美の小学校では、みんな宿題をちゃんとやってこないから、昼休憩に宿題をやらされてて、誰も遊ぶ子がいない、とハスちゃんが嘆いていた。ハスちゃんは宿題を家庭の方針としてお断りしていたからね。子供の休憩時間を取り上げるなんて、けしからん!と私は思っていたし、ちょっと連絡帳にかいたことはあるかな。でも、そんな意見を学校批判と捉える校長だった。私からしたら酷い世界。

久しぶりに、ムムム!と心中穏やかでいられない話題。こんな素敵な学校でも、こんな対応しちゃうんだな、先生、と、深く蔓延る義務教育会の闇を感じる。テストの点を上げる為なら、休憩時間を使って勉強させて欲しいと願う親もいることでしょう。もしかしたら、そういう方の方が多いのかもしれない。けど、けど、けどけどけどけどぉ

休憩時間は、休憩するための時間だから。何のために休憩時間が設けられているの?小学生に勉強ばっかりやらせても集中力続かないし、勉強苦手な子に関しては休憩時間にストレス発散させてあげないと。学校もう行かない。。。ってならないように。大人だって勤務時間中に休憩時間あるよ。無いと雇用主は罰せられるんじゃない?なのに何で学校の先生は平然と、当たり前のように、休憩時間を子供から奪うのよ。

「テストの点が悪い子どもも、休憩時間を自由に過ごす権利はあると思います」と先生に伝えた。先生は、私の思いを受け止めてくださって、子供達と今日話します、と言ってくださった。こう考える親もいるんだ、さて、どうする、と検討して下さるだけで、結構ありがたい。感謝しています。

端正な折り紙

カメちゃん、折り紙に夢中。
同じ学校のどんぐらー友達が持っている折り紙の本、難しいかっこいい折り方がたくさん載ってる本が欲しい、と言われて
お母さんにどんな本?と聞いて、買ってあげた。
端正な折り紙
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私は一番難しいの、鶴、くらいしか折った経験がないから、この本に載っている全てに感嘆してしまう。

カメちゃん、夢中で折っている。
夕食を準備していると、カメちゃんの悲鳴が聞こえた。文字では表しづらいけど、「ひゃ~ぁぁーああーぃ!」って感じ。今まで聞いたことのない悲鳴だったので、何?どうした?と聞いたら、
「あのね、どうしたらいいかわからなくて何度もやり直して、やり直してたところがね、できたんだ、わかったんだ!」と言う。

試行錯誤の末の成功への悲鳴だったのね。あんな悲鳴、聞いたことが無い。魂が震える悲鳴というような。あんな悲鳴を出せる経験をしているカメちゃん、幸せ者だぜ!にやける私。

カメちゃん、最近は早起きして、折り紙をして登校する。
早起きして折り紙する、なんて昭和でもあまり聞かない話。笑
健全で何より。

おかんとクリスマス

カメちゃんと、カメちゃん友人K君を車に乗せて、帰宅中の会話。
K君が「ねぇねぇ、おかんと、クリスマス、どっちがなくなってもいいと思う?」と聞いた。車内にはK君以外には私とカメちゃんがいる。それ、誰に聞いてる?と確認したら、カメちゃんに対しての問いだった。

私は、「おかん、人と、クリスマスを比べるって、比べる対象じゃないじゃん」と突っ込みながら、カメちゃんの返答を待つ。
おかん、って母ってことだよね、私だよね、今、カメちゃんの母はここにいて運転してる。その母の前で、カメちゃんは何て答える?母がいるのに、おかんがなくなってもいい、って答えづらいよな、、、とか頭ん中で高速思考。

カメちゃんは以下のように答えた。
「あーむつかしい、選べないなぁ」

「えー!!!!!!!???????」と私。
そして、「カメちゃん、一応母が今この場所に存在していてその質問されたら、一応、クリスマスよりもおかんを残したいと答えなさいよー」と言おうとしたら、それを言う前に、
「うーん、おかんがおらんかったら、僕はここに存在しないことになるからなぁ、だからおかん、かなぁ」と言った。
ママは僕にとって大切だから、とか、ママが大好きだから、とかそういう期待した答えではないけど、一応、ホッと胸を撫でおろす。クリスマスに負けなくてよかった。ただ、クリスマスが子供にとってどれほど重要なのか、は十分に理解できた。

そしてまだカメちゃんの発言が続く。
「おかんがいなかったら僕は人間として産まれてなくて、白鳥だったかもしれない。そしたら丸焼きにされてクリスマスに食べられるかもしれないからな、それは嫌だ」だそうな。
友達のK君もその返答に納得していて、クリスマスよりおかんを選ぶことが正当化されていた。

白鳥じゃなくて、七面鳥、の間違えだったのかもしれないけど、そんなこと気にならなかった。なんだかもう、カメちゃんって異次元ワールドに生きてるのかな、と思って、やっぱり天才って、不思議、と思っちゃった。

何というか、空気読むとか、こういう質問へはこう答えるべき、とか、そんなんがないんだな。。。
かなしいような、かなしいような、かなしいような。。。うれしいような