あそぶ能力

“あそぶ”才能や能力って、もっと重要視されるべき。学校で全く注目されない、評価されない、人間として大切な資質だと思う。

今住んでいる奄美大島の小さな集落の伝統文化?なのか、女子が2人で遊ぶというのがある。2人だけで遊ぶ。誰かと遊ぶ約束して、そこにハスちゃんが私も遊びたいって言ったら、「今日は○○ちゃんと2人で遊ぶから、ハスちゃんとは遊ばない」と言われるみたい。

集落のおねーさんも、昔からこの地区はそう、女の子は2人で遊ぶね、と。2人で遊ぶ約束をしてて、他な子から遊ぼうって言われたら、やさしく今日は○ちゃんと遊ぶからまた今度ね~って言おうねって指導していた。そういう文化と捉えるべきなんだろうか。

私はいつも”遊びたいという子みんなで遊ぶべき”と言っている。「今日は○ちゃんと○ちゃん2人で遊ぶから、私遊ぶ人いない。。。」と泣きべそで帰宅し、元気がない時は、「それは仲間外れだね。意地悪だと思う。意地悪な人と無理に遊ぶ必要はない、一人で楽しいと思うことをやればいい。それは孤独ではなく、孤高というんだよ」と繰り返し言い聞かせる。もう少し子どもの人数が多ければなぁ、と感じる。近所に女の子が5人いるとして、他の4人が2人で遊ぶと言うと、ハスちゃんは1人ボッチ。もう他に遊ぶ子がいない。

あそびたい子みんなで遊ぶ

同じ小学校にバス通学している、家が徒歩圏内でないので放課後遊ぶことができない子(Aちゃん)がいる。放課後ハスちゃんがAちゃんを家に連れてきたことがあった。

いつもはバスの時間まで図書室で待機しているのだけど、先生が図書室を使うから、今日は外で遊んでてと言われた。Aちゃんはある子(Bちゃん)に放課後遊ぼう!と言った。Bちゃんは他の子(Cちゃん)ともう遊ぶ約束をしていて、「Cちゃんがいいっていったらいいよ」ってAちゃんに言った。AちゃんがCちゃんに一緒に遊んでいいか聞いたら「え~いやだぁ」と断った。と。

Cちゃんは、Aちゃんの前で、Aちゃんと一緒に遊ぶのはいやだぁと言ったの?とハスちゃんに確認したら、「うん」と言う。驚いた。びっくりした。Cちゃんは意地悪な子ではない。だからショック。一緒に遊びたいというお友達に対して、嫌だと意思表示することが、普通の状態なんだ。

Cちゃんが悲しそうだったからハスちゃんが、Cちゃんうちで遊ぼう♪と誘ったら、Cちゃんとっても喜んだよと。天晴れハスちゃん!一緒に遊ぼうと言って、あなたと遊びたくないなんて言われたら相当傷つく。悲しいCちゃんを救ったんだよ!よくやった!とハスちゃんを褒めました。

翌日、Aちゃんがハスちゃんの家で遊んだ事を嬉しそうに学校で話すから、Bちゃんが「え~ハスちゃんの家の中で遊んだの?ずるい!」と言ったらしい。ハスちゃんが、でもBちゃんCちゃんは2人で遊んだんでしょう?と聞いたら、何して遊ぶか決まらなくてすぐに解散したらしい。自分が仲間に入れなかった子が楽しく遊んでたらずるい!と言う。何と言ったらいいのだろう。我儘すぎる。

何して遊ぶか決まらない、というのはよく聞く話で、何と遊ぶ能力が低い子たちなんだろう。。。と悲しくなる。”2人”で遊ぶから何をするかの選択肢がまず狭すぎる。人数が増えれば増えるほど、やって楽しい遊びは増えるのに。とにかく2人以上で仲良く遊べない。ここは人数が少なくて、遊ぶのが2人か3人か、になる。3人は難しい。だから2人で遊ぶという文化になったんだろうか。

こんなに遊ぶのが下手で、人生楽しめないだろう、といつも思う。

ハスちゃんカメちゃんには、上手に楽しく遊ぶ能力は今つけるべき能力で、大人になってからはつけられないんだよ。今は、どうやったら楽しく遊べるか、それが一番の勉強だよ、と話した。